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//事件から7日(水)//


「授業を中止して下さい」

学年主任の先生は教室に入るなり、こわばった表情でテレビに近づくと電源スイッチを押した。

血色の悪い男性の顔が映し出される。

教室に小さな悲鳴があがる。

「繰り返します。 桜美坂女子高生連続殺傷事件の容疑者が発表されました。容疑者は、阿藤響あどうひびき20歳。花見区の事件現場から1キロ圏内のアパートに住んでいた大学生です。なお、阿藤容疑者は逃亡しており、現在、警察が行方を追っているとのことです」

カメラが切り替わり、郊外に立つレポーターが映し出される。

「この通りの近くに、阿藤容疑者が住んでいたアパートがあります。 阿藤容疑者は事件当時から連絡が取れなくなっており、安否を心配した母親が、1週間近く経ったため、警察に捜索願を出しました。 捜索願を受けた警察がアパートを捜索したことにより、捜査線上に阿藤容疑者が浮上しました。 息子の安否を心配した母親の思いは皮肉な形で裏切られる結果となりました」

カメラがスタジオに戻る。

「警察の調べによりますと、阿藤容疑者の部屋の中からは、犯行に使われたと思われる血の付いた包丁と大量のアダルトDVDが見つかっており、DVDの内容は茶髪の女子高生をイメージしたもので、狙われた生徒たちと特長が一致するとのことです。また、手書きの日記には、事件前日に《ボクは待った。そろそろ、始めなくてはいけない》と犯行を示唆する書き込みもあったとのことです。また、1年前の事件当時にも《ついにボクはやった》と犯行を示唆する書き込みがあり、事件現場に近く、被害者の特徴が一致することから、警察は1年前の通り魔事件も阿藤容疑者の犯行である可能性を視野に入れて捜査するとのことです。また、保護された少女については、髪を染めていなかったため、阿藤容疑者のターゲットにならなかった可能性があるとのことです」

ハンマーで頭を横殴りされたような気がした。眩暈を覚える。

茶色い髪の女子高生だから狙われた。全校集会で語られた疑惑は確信へと変わった。

逃げられない事実がある……菜々佳は茶色い髪だから刺されたんだ。


家に帰るとテレビがついている。画面をじっと見ている母。

無言の背中が恐ろしかった。

「阿藤容疑者の公開捜査を受けて、桜美坂警察署で記者会見が行われました」

カメラが署内に切り替わる。

「1年前に同様の事件があったにもかかわらず、阿藤容疑者を取り逃したことについてですね、警察の怠慢ではないかという意見がありますが、その件についてはどうなんでしょうか?」

「えー、1年前に事件があった際、その現場から1キロ圏内で、事件当時に猛スピードで駆け去る自転車に乗った黒いパーカーにフードを被った、リュックサックを背負った男、身長170センチくらい、細身で恐らく20代くらいだろう、という目撃情報を頂きまして、我々は目撃情報をもとにですね、自転車が走り去った方向で、自転車で移動可能な範囲を捜索いたしました。 ただですね、その周辺は公共施設が少なく、防犯カメラを設置していない場所が多くてですね、手がかりとなる情報は得られませんでした。 また、最初の目撃情報で頂いた自転車の車種がですね、学生や社会人がよく使用するもので、登録されているものでも、同じ色のものが捜査範囲内で1000台以上ありまして、これを所有者ひとりひとりに確認を取り、聞き込み調査を行うだけで1年以上かかってしまっていたわけです。 容疑者が、自転車を所有しておらず、現場から徒歩で20分とかからない距離、目と鼻の先のアパートに住んでいた。というのは、盲点でした。 自転車を前提に動いてしまった、捜査上のミスであります。 誠に遺憾に思っております」

テレビが消える。母が消したのだ。

「おかえりなさい」

母の眼を見るのが怖かった。

「母さん……」

「なに?」

「母さんは、……言ってたよね……菜々佳の髪、染め直した方がいいって」

「言ったわ。不良よ、染め直しなさいって」

「犯人は……茶髪の女子高生をターゲットにしてた……だから、母さんの言う通りにしておけば」

「私は、怒ったことを後悔してる、喧嘩別れだったもの。本当は、カワイイともっと早く認めてあげればよかったって」

「でも、髪を染めてなければそもそも菜々佳は刺されずに……」

「あの子がしたいと思ってしたことなの。それに、本当によく似合ってると思う」

「それでも……」

「佳太郎」

心臓が波打つ。

「ねぇ、髪を染めてなければ刺されなかった……そうだとして、……それなら、髪を染めたら刺されなくちゃいけないってことはあるのかしら? どんな髪の色をしていようと、あの子を刺したということは、許されることではないわ。 そうでしょ?」

「……」

「佳太郎?」

視界がゆがむ、顔が熱くて……さっきとは違う感情に身体が震えて止まらない。

頬を伝う涙が、顎からボタボタと床に落ちる。

「ごめん……母さん……俺……もしも、菜々佳が死んだのは……おまえのせいだって……おまえが髪を染め直させなかったからだって言われたら……どうしようと思って……」

母の手に強く抱きしめられた。小さな手に包み込まれる。

「お母さん、あなたを責めたりしないわ」

「俺はっ……ごめん……怖くてっ……」

「菜々佳はカワイイ娘……でも、あなたもカワイイ息子なの……お兄ちゃんだからしっかりしなくちゃいけないって……気負わせちゃったのよね……ごめんなさい……ごめんね」


19時のニュース。

「今日、桜美坂警察署は、押収した阿藤容疑者の手書きの日記、その内容の一部を公開しました」

日記の一部が映し出される。神経質そうな尖った文字だ。

若い男性の声で読み上げられる。

「父さん、母さん、

あなた方が産んだ子供は、果たして人間だったのでしょうか?

ボク自身にはわかりません。

少なくとも、ボクには周りの人間が、サルにしか見えませんでした。

ルールを守らず、わめき、群がる、自制心を欠いたケダモノ。

もしもアレ等が人間なら、きっとボクは人間ではないのでしょう。

父さん、

あなたは以前ボクに言いました。

ボクが、クラスで騒ぐ奴がいて困る、そいつのせいで授業が一向に進まないと言ったら、

母さんは《そういう問題のある生徒は問題のある生徒専用の学校があるからそこに転校してもらった方がいい》と。ボクもそれには大いに賛成でした。

けれどあなたは違った。

《他人事だと思わずに、自分だったらどうだろう? と想像してみてほしい。社会には、色んな境遇の人たちがいて、それぞれ事情を、課題を抱えて生きている。相手の立場を思いやることなしに、社会の中で、集団の中で生きていくことは難しいと思う》

そう言った。少なくともそのようなことをあなたはボクに言ったのだ。

恐らく、あなたは正しい。

だが、あなたは正しいだけだ。

結局、授業を妨害されているのは、自分の時間を無駄にされているのは、このボクなのだ。あなたは理想を語ればいい、その理想のために現実を踏みにじられ続けているのは、このボクなのだ。サル共の檻の中で一人人間でいることがどれだけ苦痛か。人間共の檻の中で一人聖人でいることがどれだけ困難か。あなたは知らない。

ボクが教師になったら、あなたのようにはならない。

サルには規律を教えてやる。

教師ではなく、ボクは調教師になる。

小学生の頃、ボクを笑ったサルのことは今でも忘れない。

そいつの笑い顔を見ながら、あなたの言葉を思い出した。

《思いやりなさい》

《自分が、もしもその人なら……そう考えてごらん?》

答えは今でも変わらない。

もしもボクがアイツなら、

自分の存在の恥ずかしさに即効窓から飛び降りているさ」 

「そもそも、ボクはなぜ、こんな苦痛な場所にい続けなくてはいけないのか?

自分のやらされてきたことが無駄では困る。

元を取らなくては。

学校の勉強を最大限、この環境を最大限利用できる仕事を選ぼう。

教職の有効性は、この20年間で検証済みだ。

習ったことを右から左に移すだけでいいなんて、こんな楽な仕事はない」

「茶髪の女ども。

《キモイ》とかふざけんな。

歩いてただけでなんでそんなこと言われなくちゃいけないんだ。

どうせ、あんなやつらまともに就職できるわけがない。

どうせ体を売るしか能のないバカ。

どうせヤることしか興味のないバカとSEXして、

どうせすぐに別れてガキだけできて、

そうやってできたバカなクソガキとクソな母親が、

ボクたち聖職者を困らせるんだ。

どうせシングルマザーを言い訳にして、生活保護で税金を食いつぶす。

死ねばいい。

《キモイ》だと。

死ねばいい。

殺してやるよ、あんな女ども。

なにもしていない、ただ歩いているだけのボクに、ただ生きているだけのボクに、アイツ等切りつけてきたんだから、今度はこっちが切り付ける番だろ」

カメラが切り替わる。

「今回、警察側から犯人の日記を公開したわけですが、これはどういうことなのでしょうか? 犯罪心理学の専門家であり、多数の著書をお持ちの春日部成明かすかべなりあき先生にお聞きしたいと思います」

「そうですね、阿藤容疑者の場合もそうですが、通り魔というのはコミュニケーションが苦手な人が多いんですね。 自分の怒りや不満というのをですね、うまく表現できない、言葉にできない、するとですね、整理できずにたまりにたまって、結局、直接的な表現、暴力によって解消しようとしてしまうんですね。 通り魔に無職の人が多いのはですね、先ほども述べましたがコミュニケーションが苦手だからなんですね。 上手く言葉にできないから、仕事を失ってしまって、仕事を失って他の人と関わることがなくなるから、余計に言葉を使わなくなる、言葉を使わなくなると、感情を整理できなくなるんですね。 阿藤容疑者の場合、よく日記を書いていたわけですが、それでも今度は、それを伝える相手がいなかったわけなんですね。 言語化することによって、感情が補強されたんだと思いますが、その感情を伝える相手がいなかった。 結果、言語化された感情は増幅していってですね、恐らく今回のような事件を起こしてしまった。 ということはですね、警察が阿藤容疑者の代わりに、彼の言い分を公開することは、ガス抜きになるわけなんですよ。 警察が阿藤容疑者の日記を公開することにより、もうキミの言いたいことは、ちゃんと世界に伝えたから、キミは暴力を振るわなくていいんだよ、と。 警察として最悪のケースはですね、逃亡中の容疑者によって更なる被害者が出ることなんですね。 だから、今回、阿藤容疑者の代わりに警察が彼の言い分を発表したわけなんですね」

「警察は阿藤容疑者の声になった、ということでしょうか」

「そうですね。そういうことだと思います」 


真夜中。

かすれた叫び声が聞こえた。

のどがつぶれた男の声。

耳障りな声だ。

誰だよ。こんな時間に。

男の裏声みたいな叫び声。

カラオケかなにかの練習だろうか。

とにかく近所迷惑だ。

……。

だけど、この声、

なんか聞き覚えがあるな。

誰の……、

パッと瞼の裏が明るくなって、

部屋の電気を誰かが点けたのだとわかる。

眩しさに狼狽えながら目を開く。

自分の部屋、天井……、

ドアの側に小柄な輪郭……母がいた。

「どうしたの?」

「大丈夫?」

「え? ……なにが?」

「その、声が聞こえたから……わあって感じの……大声……うなされてるのかと思って」

あの声は……俺の声?

自分で気付かずに、叫んでいた?

どこかで聞き覚えのある声だと思ったら……俺の声だったのか。

言われてみれば、喉がヒリヒリと痛い。

そうか、叫んでいたのか。

「……犯人の主張みたいなやつ……ニュースで流れたでしょ」

「……うん」

「たぶん、それ……」

聞いていた時は、落ち着いていると思っていたのにな。

「お父さんもね、……布団の中で泣いてるの」

「――っ」

「……今日は一緒に寝る?」


母の提案を受けて、1階に向かう。

父と母の寝室は和室で、子供の頃は俺と菜々佳を挟むようにして川の字に寝ていた。

川の字に寝るって言ったら、菜々佳は一本多いよ、川の字じゃないよと言って、じゃあなんて言えばいいの? と母さんが聞くと、菜々佳はう~んと父さんがするみたいに腕を組んで考えた後、《くぁああわのじ、だよ》と、かとわの間を伸ばすように言った。父さんと母さんは笑って、俺はなんだか呆れていた。

父と母の布団の横に、俺の布団を敷く。

川の字だ。

死にたくなった。

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