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夏の駅前だった。
まとわりつくセミの鳴き声、肌に張り付くシャツ、額から流れる汗、体が焼かれたみたいに熱いのに、どこか肝心なところが冷めきっていた。腹の中に氷を抱いて歩いているみたいだった。
休日の駅前で、犯人の目撃情報を求め、ビラ配りをしていた。
「どうしてこんなことが起きたのか。娘が殺されるようなことが起きたのか。私にはわかりません。 けれど、事実として起こってしまったことなのです。 このような事件は、この日本で度々起こっていることなのです。私自身、どこか他人事だと思っていました。家族にそのようなことが起きるなど、考えたくもありませんでしたから。 ただ、事件というのは、何の因果もなく、突然生まれるものではないと思うのです。 原因が一つだとは思いません、きっと色んなことが重なって起こってしまった不幸なのだと思います。けれど、この不幸は私の家族だけに起こることではないのです。 失礼を承知で言わせていただきます。 今のままの社会では、あなたの大切な人が、明日の被害者になるかもしれない、明日の加害者になるかもしれないのです。 私は、どうしてこんな事件が起きたのか、私に何ができるのか、いつも考えています。けれど、私一人がどんなに悩んでも、苦しんでも、出せる答えは私一人分でしかありません。そして、その答えを出すのにも、きっと、ひどく時間がかかるものだと思います。 どうか、皆さん、力を貸して下さい。他人事だと思わず、どうかこの事件に向き合ってください。 きっと皆さんが、《事件はどうして起きたのか》《起きたら、どうしたらいいのか》ひとりひとりが考えて下されば、きっと、もっと早く、もっとたくさんの答えが見つかると思います。 その答えは、私の救いであり、娘への弔いであり、そして、せめて今、無事に過ごしておられる、皆さんと、皆さんの大切な人たちにとって、大きな助けになると思うのです。 どうか、この事件に向き合って下さい。私に力を貸してください、お願いします」
父の横でビラを配る俺に、
「がんばって」
「元気出して」
「負けないでね」
ビラを受け取った人たちからの優しい言葉がかけられる。
「ありがとうございます」そう言うたびに、体が重くなっていった。
父に「しんどいなら休んでいていいぞ」と言われ、「ごめん」謝ってからベンチに腰掛けた。
自暴自棄になっている。自覚はあった。
犯人の逮捕を望んでいるのに、心のどこかで、こんなことしたって菜々佳が帰ってくるわけじゃないのにと思ってしまう。
菜々佳のことだけじゃなく、これ以上被害者を出さないためにも、社会に広く呼びかけようとする父、正義感の強さ、当たり前だけど菜々佳の父親なんだと思った。それに比べて自分はどうなんだ? 菜々佳の兄として……どうなんだ?
ワンちゃんネコちゃんが好きだから、動物看護士を目指す、と目を輝かせる妹に、好きだからってなれるものじゃないからと動物病院への取材を勧めた。自分としては適切なアドバイスだったと思う。
けれど、俺は何かにつけアイツに一言言ってきた気がする。アイツのやることを手放しに認めたことがあっただろうか?
いつも立ち止まってしまう癖のある自分にとって、ずんずんと向こう見ずだと思えるほど前進していけるアイツは、うらやましくも、どこか妬ましく思っていたんじゃないだろうか?
こんなことになるなら、もっと素直にアイツを認めていればよかった。もっと言い方があったと思う、もっと……。
犯人逮捕のための目撃情報を集めようとする父と、
その横で菜々佳が帰ってくるわけじゃないのにと後ろ向きな俺。
俺は、どうしてこうなんだろう。
前に進める人を妬んでいる。それだけじゃない。きっと、何も知らない顔して通り過ぎていける人たちを呪っている。かつては自分だってそうだったくせに。
俺はなにかにつけ、一言言ってしまう。
手放しに誉めず、妬んでしまう。
こんな兄をもって、菜々佳は嫌じゃなかったかな。
今となっては《アニキうるさい》とか、返してくれた憎まれ口が救いに思える。
菜々佳。
俺はお前をもっと認めるべきだった。素直にスゴイと思ってると伝えるべきだった。
俺はいいアニキじゃなかった。
「ちょっと!」不意に腕を叩かれてビックリして顔をあげると、
不満げな中年女性の顔があった。
「お父さんが頑張ってるんだから、お兄ちゃんが支えてあげなきゃダメでしょ」
「すみません」頭を下げた。
駅の方に歩いていくおばさんの後ろ姿。
何にそんなに苛立っているんだろうか? 事件が不安だからだろうか? 俺が起こしたわけでもないのに。それとも、単にだらけて見えたのだろうか? だらける? 俺が? 二本の足で立ってるのがやっとの人間が、座っていたら、だらけていることになるのか?
普通に歩いていられるヤツが勝手なこと言うなよ。支えてあげるもなにも、俺は自分の身体すらまともに支えられそうにないってのに……。
「クソババア」
//事件から1日(木)//
全校集会。校長から被害者の生徒たちの名前が発表された。黙祷を捧げたのち、くれぐれも口外しないようにと注意された。
「マスコミへの対応は学校側で行いますので、生徒のみなさんは一切対応しないで下さい。ネットへの書き込み、ツイッターでつぶやくなども行わないようにして下さい。憶測でつぶやいた内容が、被害者やその遺族に迷惑をかける二次被害などもありますので、心しておいて下さい」
支倉夢美、向坂詩織、愛川碧……殺害された少女たち。
西條桜子……保護された少女。
4人とも同じクラスの生徒なのに、これといった記憶がない。
菜々佳の事件以来、周りのことをシャットアウトして、黒板ばかり見ていた気がする。
周囲のすすり泣く声、憂鬱なはずの空気が妙に馴染んでいる。希望のない空間の住みやすさに眉をひそめた。
「集会の後、髪を染めている女子生徒たちは集まって下さい。染め直しを行います」
教育指導の先生のよく通る声がそう告げた。
小声で誰かが言った。
「警察から警告があったんだって」
「通り魔って茶髪の女子高生ばかり狙ってるんだって」
「うそ、私染めなくてよかったぁ……」
「西條さんだっけ? 彼女も染めてなかったから助かったらしいよ」
心臓が波打つ。
だが、現時点では噂に過ぎない。
落ち着け。
放課後。
献花のために、事件現場に集合することになった。
校長、教頭、学年主任、担任。
クラスメイトたち。
合掌。
どこから情報が洩れるのかわからないが、マスコミの人たちもいた。
「今日、遺族の許可を得て、学校関係者と亡くなった少女たちのクラスメイトが、事件現場に花を捧げました」
カメラのシャッター音がうるさかった。
「学校側としては、去年の事件を受けて、女子生徒の登下校は、できるだけ集団で、男子生徒を伴ってほしいと保護者に呼びかけ、また、部活動などで18時以降に下校する生徒たちについては、帰り道に教師が見送りに立つようにしていたとのことです。 しかしながら、今回の生徒たちについては、いわゆるバイト組と言われている生徒たちで、親の申請でバイトを許可されており、下校時間は16時頃と明るい時間帯で、かつ、人の多い駅方面への下校だったため、学校側は見送りをしていなかったとのことです」
レポーターが、涙する女の子たちを割って入ってくる。
「生徒への取材はやめて下さい」担任が止めようとするが、大きなカメラに遮られる。
鼻先にマイクを突き付けられる。
「同一犯の可能性が高いと言われていますが、高村菜々佳さんのお兄さんとして、今、何を思われますか?」
「マスコミへの発言は控えるように学校側から言われ……」
「何も思うことはないんですか?」
「……犯人の早期発見と、亡くなったクラスメイトたちの冥福を祈ります」
「ありがとうございました」
葬儀には出席したくない。またカメラを向けられるのは不快だ。自分が与えられた役目を演じているだけで、ひどく空っぽなのだと感じるから。