第二話 魔法のある世界
「グワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
「なんだ!?」
それは突然だった。森中に轟く雄たけび。
「あー、バレちゃったかー」
マリンにあまり動揺した様子はない。一度立ち止まって、そのまま歩いていた方向を真っすぐ見る。雄たけびもそちらの方だ。
「魔物の声、なのか?」
「うん、そうだよ」
マリンは俺の言葉に答えながら目線は外さない。前を見たまま先ほどの杖を召喚する。
「じゃあ、ちょっと魔法打つね」
「え、見えてないのにどうやって」
「まあ、見ててよ」
マリンは杖を構える。ついに、見られる。魔法が。
「『生み出すは十の箱。放たれるは敵を貫く光線。
我が敵を取り囲み、命を絶て。《シャイニング・レーザー・キューブ》!」
マリンが杖を前に振りかざすと、その先から円状に十個の光る箱が現れる。そして、杖の指す方へ飛んでいく。
数秒の間。
「ウガアアアアアアアアアアアアアアア」
先ほどとは違う、苦しそうな魔物の声。そして鳴り響く、ドシンという地響き。
「はい、おーわり」
マリンは涼しげな顔でそう言った。
「今のは一体……」
いや、わかっていた。あの光の箱が魔物へ飛んでいき、光線を発して倒した。わかってはいるが、頭が受け入れていない。
「これが魔法だよ」
頭が受け入れられない理由。
怖かった。
あの声からして、大きな魔物。それをこの少女がたったこれだけで倒した。平和ボケした日本人には刺激が強すぎる。
「この世界の人は、皆、これができるのか?」
これじゃあ、全員が小型ラジコン兵器を持ってるようなもんだ。
「そんなことないよ」
マリンから返ってきたのはまさかの回答だった。
「これは極級魔法。使える人はこの世界の、えーっと……、たぶん、十万人に一人、ぐらいじゃないかな」
「じゃあ、つまり、その……」
「うん! 私、ちょっと強いんだ」
『十万人に一人』は果たして『ちょっと強い』なのか。ただ、こんな魔法を使う人はそうはいないってことはわかった。
「すごいんだな、マリン」
「エッヘン」
マリンの顔は何とも誇らしげだ。
「あ! 確認に行かなきゃ!」
何かを思い出したらしい。マリンはそう言った。
「確認って?」
「もしかしたら倒せてないかもしれないでしょ?」
「そういうことか」
先ほど魔物の声がしていた方へ進む。百メートルほどで開けた場所に出た。
あたりにはいくつもの切り株が残っている。おそらく、魔物が木々をなぎ倒したのだろう。おそらく魔物がやってきたであろう方角に、切り株の道ができている。そして、中央付近に倒れている巨体。このあたりの木を三本並べたほどの大きさだ。豚の顔をした二足歩行の怪物、それが魔物の正体だった。体にはいくつもの穴が開き、そこから血が流れている。
「完全に死んでるな」
「うん、そうみたいだね」
死体に近づくと、血生臭いにおいがする。その不快なにおいに吐きそうになるが、何とか堪えた。腹に開いた穴から、消化しかけのものが覗いている。
「この、腹の中に在るのも、魔物?」
「そうだよ」
魔物が魔物を食べたってことか。
「そういえばなんで魔物を倒しに来たのか言ってなかったね」
「ああ、確かに」
「この魔物、通称『侵略者』って言うんだけど、辺りの他の魔物を食べつくしちゃうんだ。それで、この辺一帯の魔物がいなくなったら別の場所に向かうの」
いくつか疑問点がある。順番に聞いてみよう。
「『侵略者』って、正式な名前はないのか?」
まず、これだ。普通、「ゴブリン」とか「オーク」みたいな名前がありそうだが。
「うーん、もしかしたら、あるのかも。一応、ここ数年で名前を付けようっていう動きはあるんだけど、まだ全然浸透してないんだ。魔物はなんで生まれるかとかが謎で、わかってるのは魔力を求めるってことぐらいなの。だから、その辺の謎が優先で、最近までは誰も分類しようとしなかったんだよね」
「魔力を求めるってどういうこと?」
「すべての生物は魔力を持ってるんだけど、それが多いものを食べようとするんだ。でも、多すぎるものは敵として判断するみたい」
魔力を求めるのも傾向であって、それが「何故か」はまだ研究中なのか。
「だから、『侵略者』は他の魔物を食べるのか」
「そうなるね」
魔物にとって、自分より少し弱いくらいの生物が一番「おいしい」んだろう。だから、強大な魔物はわざわざ他の魔物を食べる、と。
これでいくつか疑問が解消された。ただ、まだ根本的な問題が残っている。
「もう一個、質問いいか?」
「全然いいよ」
「辺りの魔物がいなくなるのになんで討伐するんだ?」
「魔物っていうのも完全に悪じゃないからね。素材とかは資源になるし。魔物が減ると、それで生計を立ててる人が困っちゃうの」
「つまり、人間の資源の『侵略者』ってこと?」
「そう! それが名前の由来だよ」
この世界にとって魔物は必要不可欠なようだ。魔力を求めるんだから、人間だって襲うだろう。ただ、だからこそ、人間にとって必要なんだ。
「これで、私が討伐に来た理由がわかったでしょ?」
「ああ、わざわざありがとう」
「どういたしまして、なのかな?」
そう言ってマリンは微笑んだ。
「じゃあ、頭だけもらって帰ろっか」
マリンは死体に向かって、杖を構える。
「《ウォーターカッター》」
三日月型の水の刃が、死体の首筋に真っすぐ向かっていく。バッサリと、胴体と頭が離れた。
「今のが詠唱無しの魔法?」
「うん、これは中級魔法だからね。無詠唱でもできるよ」
このレベルでも、中級なのか……。かなり殺傷能力が高そうだけど。
マリンは、杖を戻し、死体に近づく。ローブの下から革製の大きな袋と紐を取り出すと、頭を袋の中に入れ、袋の口をひもで縛った。そしてそのまま、袋を抱きかかえた。
そう、抱きかかえたのだ。袋は、マリンの顔を隠してしまうほど大きい。それを普通に持ち、運ぼうとしている。
「重くないのか!?」
「んー、身体強化使ってるから大丈夫だよ」
袋の後ろからくぐもった声が聞こえる。
「身体強化って?」
「汎用魔法の一つだよ。効果は名前そのままだけど、属性によって若干違ったりするの」
運動能力を上げるってことか。風だったら早い、みたいな差があるんだろう。
「頭以外は?」
「他の魔物にあげるからこのままでいいんだ」
ハイエナみたいな魔物がいるのか。
「帰るから、ちょっと腕つかまってて」
「腕? なんで?」
「いいからいいから」
急な提案に戸惑いつつも、言われた通りに腕をつかむ。
「《トランスポート》」
目の前に青白い光が広がる。一瞬体中の感覚がなくなった。徐々に光が収まると、眼前の風景がガラッと変わっていた。
「ここは……?」
『地下室』、何となくそう感じた。湿った冷たい空気にぐるりと囲まれた石レンガの壁。木と金属製のドアノブ等からできた一つの扉。壁沿いにいくつかの箱や棚が置いてある。それらが、床から放たれる薄い青い光で確認できる。床を見ると、いかにもな魔法陣がほのかに青く輝いている。
魔法名で何が起きたかはわかった。転送だ。それ自体に慌てはしない。
「ここは『ストーンポート』。カストラ商業区最大の街だよ」
ストーンポート……。え? だから石レンガ?
「今の魔法は転送魔法、だよな?」
「うん。指定したものを魔力に変換して転送、再構成する魔法。といってもこの魔法陣がある場所にしか行けないし、距離が遠いほど魔力の消費が増えるんだけどね」
「それって、不純物が混じって変な姿になったりとか、体の一部がなかったりとかしそうだけど」
粒子レベルに分解して再構成。SF小説なんかで何度か読んだことがある。大抵の場合失敗する。というか、この技術が出てきたら失敗すると思っていいレベルだ。
「大丈夫だよ。妖精はそんな失敗しないから。ただ慣れてない人だと、運搬するものの指定を間違えて、服がないとか靴だけがないとかミスするけど」
どうやら、物体単位で作用するらしい。
「魔法のコツは妖精を信用することなんだ。これから魔法を使うことになるんだし、肝に銘じておいてね」
「わかった」
魔法は己の力ではなく、妖精の力を借りる。もしかしたら、悪いことに魔法は使えないとかもあるかもしれない。
「それで、なんだけど……、そこの箱を開けてもらえる?」
マリンは魔物の頭を片手で抱え、一つの木箱を指さした。言われた通り開けると、中には何枚ものローブが入っていた。余った布で作られたのか、それぞれの色や素材は異なっている。
「その恰好、目立つでしょ? それを羽織ったら隠れるから」
そうか、確かにこの制服姿は目立つのかもしれない。木箱、という存在を見るにプラスチックとかはなさそうだ。ポリエステルの服を着て出歩いて、素材を聞かれたら困る。
「わかった」
言われた通り適当にくすんだ緑色のローブを選び取り羽織ると、制服はすっぽりと隠れた。生地はあんまりよくないように感じる。
なぜローブがこんなに置いてあるのか、と思ったが、すぐに解決した。転送魔法に失敗したとき用か。あるいは魔物と戦い服が破けた用。
そんなことはさておき、さっきから気になっていることがある。
「この魔法陣はなんだ?」
マリンの説明に魔法陣についてのものはなかった。
「ああ、ゴメンね。一気に説明するのはわかりづらいし、どうせここに来るから言わなかったんだ。『魔法陣』は、魔法におけるイメージを魔力で妖精に伝えたり、呼びかけをする部分が書かれてるの。これを魔法石と組み合わせると、永続的な大規模魔法ができるの」
「『魔法石』って?」
「魔法を刻める石だよ。魔道具とかは魔法石を使ってできてるの。例えば、私が魔法石に『ウォーターボール』の魔法を刻むでしょ? その魔法石に、他の誰かが魔力を込めると、その人がどんな属性であろうと、『ウォーターボール』が使えるの。まあ、普通に魔法を使うより魔力を使うけどね」
「なるほど、それで魔道具の仕組みが分かった」
さっき魔道具について軽く説明されたが、どういう仕組みかサッパリだったのだ。
「この魔法陣に使われている魔法石は、『ギャザリング・マナ』っていう魔法が刻まれててね、空気中にある魔力を集めるんだ。それに、『吸魔石』っていう石を組み合わせると、魔法石が集めた魔力が吸魔石に流れて、吸魔石が吸える魔力が限界に達すると、魔法石とは反対の方向に魔力が流れていって、それが魔法陣に伝わって、魔法が発動するの」
吸魔石っていうのはおそらく、名前の通り魔力を吸う石なんだろう。ただ、それにも限度があるってことらしい。
じゃあ、今の話を自分なりにまとめると……。
「つまり、魔法石が発電機、吸魔石が電線、魔法陣が電気製品か」
加えて言えば、魔法陣の中身は集積回路だ。
「そう! それ! そうか、そう説明すればよかったんだね」
「いや、マリンの説明もわかりやすかったよ」
新しいことを知るとき、元から知っているものに例えて理解するのは俺の昔からの癖だ。それでも元の説明がわかりづらかったら理解するのにも少し時間がかかる。
そもそも、地球を知っている程度で価値観は同じではない。マリンに地球人向けに例えた説明を求めるのは、あまりにも酷だ。
「そう言ってくれると嬉しいな」
「お世辞じゃなくて本心だから」
「じゃあ、そういうことにしておくね」
微妙に伝わっていないが、大した問題じゃないだろう。
「この魔法陣は、『トランスポート』で移動してきた魔力を、元の状態に再構成する魔法が刻まれてるんだ。『トランスポート』の魔法だけじゃ、場所は指定できないからね。この魔法陣が補助するの」
「じゃあ『トランスポート』の魔法が使えれば、誰でもこの場所に来れるんだ」
「そうとも限らないよ。ここの魔法陣は、先に登録した人しか使えないの」
「防犯機能付きか」
「そういうこと!」
便利な魔法だが、色々と制約も多いみたいだ。
「そういえば、ここの地名がストーンポートなのは、魔法石に関係があるのか?」
今までの話を聞いて、カストラで魔道具が発展していることと、この街がその中で最大の街であること、魔道具の仕組みなどから、一つの予想を立て、ぶつけた。
「そうそう、今からその説明をしようと思ってたんだ。昔から魔法石の産地として有名な港町だから『ストーンポート』っていうの。勇者による魔神封印より前からって言われてるね。カスティ家の興隆もその頃からって話だよ」
「ふーん、カスティ家っていうのは英傑の末裔ってだけじゃないんだな」
魔物を倒す前にしてくれた話を思い出す。
「水と地の英傑以外は封印後に姿を消したんだ。カスティ家の祖先、水の英傑は元から有名な一族の人だからね。姿を消すわけにはいかざるを得なかったみたい」
水、地。五英傑とやらはそれぞれ属性が違ったんだろう。
「地の英傑の末裔は?」
「地の英傑は神官だったからね。教会の司祭として生涯を全うしたせいか、生涯独身で末裔はいないんだ」
「じゃあ英傑の末裔は水の英傑しかいないんだ」
「表立ってわかってるのはそうだよ」
国に匹敵するレベルの中立地域。それを維持するのに値する権力がカスティ家にはある。その理由はこういった部分にあるらしい。
「ちなみに、ここはストーンポートのどこ?」
「ここは戦士ギルド本部の地下だよ」
やっぱり地下だった。ってあれ?
「戦士ギルド本部?」
「うん。戦士ギルドの依頼で『侵略者』を討伐したからね、報告しないと。あと、ここにハヤトの力になってくれそうな人がいるから」
「俺の力になってくれる人?」
「まあ、報告する人と一緒なんだけどね」
一体どんな人なんだろう。もしかして、異世界について知っている人とか?
「会ってみればわかるよ。そろそろ行こっか」
俺がアレコレ聞いているせいで、長話をしてしまった。よく考えれば、ずっと『侵略者』の頭の入った袋を抱えていたし、身体強化をしていたとしても負担だっただろう。
「ごめん、長話しちゃって」
「いいよ、いずれ知らなきゃいけないことなんだから」
どうやら、ここで話したことはこの世界の常識らしい。
「あ、ここで誰かに名乗るときは、しゅく――ファーストネームだけでいいよ。相手も大体そうだから」
「わかった」
そしてこれが、戦士ギルドの常識か。
部屋にあった扉を開けると、階段に繋がっていた。壁に、『地下 トランスポート魔法陣』と書かれている。
「私は八階に用事があるんだけど、先に色々話があるから、五階で待っててもらえるかな?」
「ああ」
そんなことを話し階段を上ると、『一階 受付』と書かれた場所に来た。横、地下であれば扉のあった方を見ると、少しだけ市役所の受付のようなものが見えた。
「受付?」
「依頼を受けたり、新しくギルドに登録したりする場所だよ」
階段を上りながら、五人とすれ違った。鎧をしていたり、ローブを羽織っていたりと、「戦士」らしい人ばかりだ。戦い方はそれぞれ違うようだけど。どの人々もいぶかしげな顔で俺を見たが、慣れない顔だったからだろう。
『二階 交流酒場』の文字の前まで来た。今度はバーとレストランを合わせたようなものが見える。もちろんバーなんて行ったこともないので、テレビとかの知識だが。この場所は、読んで字が如くだったので、わざわざマリンに聞かなかった。
色んな人とすれ違うし、この世界の当たり前を聞いても、周りに変な目で見られるだけだろう。異世界人は一般的ではないと聞いたし、隠しておいた方がいいという理由もある。
「よお、マリンちゃん」
まだ上っていると、すれ違った一人のおじさんがマリンに話しかけてきた。
「こんにちは、エデルさん」
「隣のオウジンは連れか?」
「うん、依頼中に会ってね」
オウジン? どういう意味だろうか。
「なるほど、ステか」
「そんなとこー」
マリンが答えると、エデルというらしいおじさんは降りて行ってしまった。会話の意味がよく分からなかったが、ここで聞くわけにはいかない。
オウジン……、まさか黄色人種か? そういえば、すれ違う人は白、もしくは褐色の肌の人ばかりだ。
さらに上ると、『三階 解体・買取所』というところに出た。魔物の解体や素材の買取をする所なんだろう。それで生計を立ててる人もいるって聞いたし。
そこをすぎると、すれ違う人がいなくなった。主要な場所は、入口の一階に近いところにあるんだろう。『四階 事務』を通る。この先はもっと優先度が低い場所? 一体何があるんだろうか。
もう少しで一階という所で、道を塞ぐように一人の男が立っていた。何やらボードのようなものを持っている。
「ギルドカードの提示を」
男がそう言うと、マリンは片手で袋を抱えながら、ローブの裏からカード状のものを取り出し渡した。裏にポケットでもついてるんだろう。片手で持っていることにはもう不思議とも思わなくなっていた。魔法とは、「理を超える」から魔法と言う。地球ではありえないことをするから魔法なんだということで納得した。
男はボードの上にカードを乗せると、マリンにカードを返した。
「確認した」
「後ろの人は私の客人なんだけど……」
「魔力を感じないが?」
「まだ開放してないんだって」
「責任は取れるな」
「もちろん」
男がボードに視線を向け、その上の何かを確認すると、道を開けてくれた。
「通れ」
俺についての確認が甘いように感じたが、魔法が使えない人間っていうのは脅威に値しないということなんだろう。
そのまま上がると、『五階 Sランク酒場』という文字が目に入った。すれ違いざまに男のボードを見ると、マリンの名前、属性等の情報が書いてあった。一瞬だったので詳しくは見えなかったが、どうやらこのボード、液晶パネルのようなものらしい。
「ファンタジーな世界」というと、科学は発展していないイメージだが、意外とこの世界はハイテクなのかもしれない。