資料なんです
「…………ちょっと待ってください」
俺は突如として痛み出した頭を押さえながら、念のためと思ってアンディの悩みを改めて聞いてみる。
「触手プレイ…………ですか?」
「はい、それが僕には何のことかわからなくて……とりあえずその時は女性が寝てしまったので事なきを得たのですが、次に同じことを言われたらどうしたらいいのか、下手なことをして彼女を傷つけてしまったらと思うと怖くて……」
「それでここに来たのですね?」
その問いにアンディは体全体で頷く。
「ふむ……」
俺はおとがいに手を当てると、アンディの質問になって答えていいものか考える。
触手プレイ……それが一体何をするのか具体的にはわからないが、状況から察するに十中八九いかがわしい行為、主に男女の営みに関することであることは容易に想像がつく。
アンディの触手を使うことは間違いないのだろうが、彼の触手は、硬さはそれほどではなくとも太さは大の大人の腕と変わらないほどの太さがある。
これを使うとなると、必然的にフィス…………いや、この表現はマズいか。
俺は頭に浮かんだ邪な思考を打ち消すと、真剣にアンディの相談事について考える。
もしかしたら俺が邪推しているだけで、何か見当もつかない様な全く別の回答があるかもしれない。そう思った俺は、調べ物をする為、相談室の隣にあるパソコンへと向かおうとする。
「ん?」
すると、何やら俯いた姿勢でぷるぷると震えているミリアムを見つける。
何だろう……思わず震えてしまうほどこの部屋は寒かっただろうか? それともトイレだろうか? 等と考えていると、
「ktkr!!」
突如としてミリアムが謎の言語で叫び声を上げる。
な、何? キタ……コレ? 北杜夫の全集か何か? どくとるマンボウ航海記なの?
そんな俺の疑問などどこ吹く風、ミリアムは今にも鼻血を吹き出しそうな勢いで、俺に向かって捲し立てる。
「聞きましたか先輩、触手プレイですよ。触手プレイ!」
「ああ、聞いたけど……それ何?」
「ええっ!? 先輩、触手プレイも知らないのですか?」
ミリアムは大袈裟にのけ反って驚いて見せると、人差し指を立てて「いいですか?」と前置きして触手プレイについて説明を始める。
「私が人間界に来て得た新たな知識の中でも、エロに対するレパートリーの豊富さは群を抜いていたのですが、その中でも触手を使ってあんなことやこんなことをしたいと思いつく人間の発想力には驚きました。もはや、触手プレイをしたいと思うのは世の全ての女性の願いと言っても過言ではないですね!」
「いや、過言だろう。っていうか、触手プレイってやっぱエロ関係かよ」
やっぱり俺の当初の予想は当たっていたということだ。つまるところ件の彼女はこのアンディの触手が簡単に入るほどのガバ……………………いやいや、なんでもない。
いかんな。ミリアムがこの部署に配属されてから色々あった所為か、最近この手の話に抵抗が無くなって来ている。
「それでですね……」
そう言ったミリアムは「ちょっと待って下さいね」と言い残して部屋の隅にあるスチール製のキャビネットへと向かう。
何やらブツブツと言いながらキャビネットを漁ったミリアムは、複数の薄い本を手に戻ってくる。
「とりあえず、私が持ってるコレクションの中から教材として使えそうなものをピックアップしてみました」
そう言ってミリアムが渡してきた本を受け取ると、そこには触手によって束縛されてたほぼ全裸の女性が描かれた本、装丁や厚さから出版社から出された本ではなく、個人で制作した本、つまるところ同人誌であると伺えた。
中をパラパラとめくってみると、表紙から想像していた通り、女性たちが次々と謎のモンスターが放つ触手によってあられもない姿にされ、次々と凌辱されていく様子が描かれていた。
「とりあえず、触手プレイについてわかりやすく描かれているものをチョイスしてみたのですがどうですか?」
「どうですかって……お前、市役所に何てものを持ちこんでんだよ! いくら私物だからって、これはマズイだろう」
「えっ? やだな先輩、何を言っているんですか?」
何を馬鹿なことを言っているんだ。そんな顔をしてミリアムは、俺の予想の遥か斜め上のことを言い出す。
「これは人間社会を学ぶための教材として、市の予算で買ったものですよ。いくら私でも、職場に私物を持ちこんだりしませんって」
「はぁっ!? おまっ……市民の血税をなんてことに使ってるんだよ! ただでさえ無駄なことに予算使ってんじゃないか。市民病院の移転の話でいくら無駄遣いしたんだって苦情も来てるのに、エロ同人を買うために予算を使いましたってバレたら、市民の皆様にどうやって説明するんだよ」
「ハハハ、やだなぁ先輩、大丈夫ですよ。世の中には、日々エロ漫画を読んでは勝手に有害指定図書を決めて、それを本屋さんにはがきで送りつけて給料を貰ってるような人だっているんですから。それに比べれば、キチンと有効活用している私の方が万倍マシですって」
「ああ、あれは確かにふざけてるよな。そもそも基準も曖昧だし、もっとあからさまな内容でも何故かスルーされてたりするしな。それに、本屋がもう閉店してるにも拘わらず、何年もはがきを送り続けたりして、郵便代金だってタダじゃないんだよ。少しは調査しろ……ってそれとこれとは関係ないだろ!」
いかんいかん。余りに思っていたこととドンピシャのことを言われたから、すっかり話に乗ってしまった。
私、旭英雄は、漫画家さんの自由な表現を応援します。
と、まあ俺の意見は置いておいて、ミリアムの余りの暴論に抗議の声を上げるが、言われた彼女は顔の前でチッチッと指を左右に揺らしながら俺の考えを否定する。
「大差ありませんよ。いいですか先輩。これは、資料なんです。上にもしっかりと話を通したうえで承認も得ています。なら、これは立派な資料です。それとも先輩は、これを問題提起するために上司に報告しますか?」
「うっ…………まあ、ちゃんと話が通っているなら」
市役所の一職員でしかない俺としては、ミリアムがちゃんとした手順を踏んだ上でエロ同人を買ったのならば、文句を言う筋合いはない。
それに今はミリアムの税金の無駄遣いを追求するよりも、アンディの悩み解決する方が先決なので、この問題は一先ず棚上げにすることにした。
それにしても……この本、今度一冊借りていこうかしら?
俺は心の中でそんなことを考えながら、同人誌を手にアンディの下へと向かう。