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倒れる青年、日瑠葉心

「シグマ刑事!」

 家の外、閑静な住宅街の道路でその背を呼び止めると、相手は闇金の取りたてみたいな顔で振り返ってきた。

「あぁん?」とでも凄まれそうな強面に一瞬だけひるむが、立ち止まっている間に走り寄る。

「どちらへ行かれるのですか?」

「散歩だっつったろ」

「ご一緒します」

「はぁ?」

 シグマ刑事は目をカッと見開いた。私は引かなかった。

(ただの散歩に行くはずがないわ)

 きっと聞き込みや周辺の確認をしに行くはずだ。なにしろシグマ刑事の勘は八割がた当たるというのだ。私は超常的なことを全く信用していないので、彼には何らかの秘密があるとみた。

 シグマ刑事の行動には事件を解決するためのノウハウがあるはずだ。

 それを新人の私としてはなんとしても盗んでおきたい。

 一歩も退かない意志をこめその目を見返すと、シグマ刑事は怯んだように身を引いた。なんなのだろう。けれどこの機を逃すわけにはいかない。

「ついてくるなって言われたって、ついて行きますから!」

「うっ……」

 のけぞる形になった大男を壁際の電柱まで追いつめる。

 逃がさないとばかり近寄っていけば、後退するシグマ刑事の踵が電柱に当たり、強面の中で血走った目がきょろきょろ泳いだ。

(これじゃ私がいじめっ子みたいじゃない)

 どうもシグマ刑事は押しに弱いらしい。せっかく素敵な強面をしているのに、すこし残念に感じてしまう。気弱そうに身を竦めているのでいかめしい顔が台無しなのだ。

「わ、分かった……分かったから。その、ブサイクな顔を近づけるな」

「はぁ? あぁ、はい」

 勢いのあまり接近しすぎた身を引くと、シグマ刑事は般若のような形相のまま、片手で胸を押さえていた。

「それで、どこへ向かうんです?」

 シグマ刑事はひとつ咳払いをし、顔をそらして歩きはじめた。

「さあな」

「――わかりました」

 まぁ、ついていけば分かるだろう。

 追及せずにつき従う私を、シグマ刑事はなにか言いたげに一瞬だけ見たが、結局無言でまた歩きだした。

 そうして進むこと数十分、私たちは殺人現場から離れた住宅街に来ていた。

 マンションや長屋のたぐいはひとつもない、いわゆる高級住宅街だ。

 一軒一軒の敷地が広く門構えはすべてばかでかい。並ぶのは庭付き一戸建てばかりで、どこからどこまでがひとつの敷地なのかわからない。

 私は閑静な道路を歩きながら、左にある日本式の家の門に監視カメラがついているのを見つけた。かっちりした木造りの門でお金持ちが住んでいそうだ。

(ヤクザとか住んでそう)

「おい」

 シグマ刑事は少し先で立ち止まっていた。彼が顎で示してきたのは先ほどのヤクザっぽい家ではなく普通の一軒屋だった。そのことに少しだけほっとする。

「ここは……?」

 打ち放しのコンクリート壁の四角い建物だった。建築家のシックなオフィスにも見える。壁にはツタがうすく巻きつけられ、二階へと直接登れる階段があった。

 表札には「日瑠葉ひるば」とある。

 その下に小さく金字で「工房Miniature Times」と書かれてあった。工房……?

「お前、ちょっと上がって様子見てこい」

「え?」

 二階だ、とシグマ刑事はなぜか電柱の影に隠れつつ言う。その視線は建物の二階にある窓の方へ向いていた。

「工房の中におそらく事件の重要証拠がある。お前、ひとりで中へ入って、それがどんなもんか確認してこい」

「はあ。……重要証拠、ですか?」

 事件にまつわることなら調べに入るのはやぶかさではないが、しかし。

(重要証拠? あの建物の中にそれがあるって、どうしてわかるの)

 さすがに疑わしくなりシグマ刑事をじっと見つめたら、視線に気づいた彼は険しい顔をますます歪めてきた。こわい。

「なんだ。なにか文句あるか」

「いえ、でも刑事。あそこに事件にまつわるものがあると、いったいどうしてわかるんです?」

「勘だ」

 かん、と私は心の中だけで復唱した。本当だろうか。

(ついてくる相手を間違えたかもしれない)

「とにかく」とシグマ刑事は続けた。

「あの建物の、二階の奥の部屋だ。木戸があるから中を入念にチェックしろ」

 まるで中へ入ったことがあるような口ぶりだった。ひょっとしたら入ったことがあるのかもしれない。

(だから私にもそれを確認してこいと。でもいったいなんのために……)

 ちらりとその顔を盗み見るが、これ以上説明する気はないらしい。電柱の影に隠しきれない巨体を必死の形相で隠して、鬼のように建物を見ている。その姿は不審者以外の何者でもない。

(仕方ない。ここまで来ればのりかかった船ね)

「わかりました。それじゃ、ちょっと行ってきま――」

「待て!」

 建物へ近寄ろうと一歩踏み出したところで、腕を思い切り引かれた。

 何事かと見れば、今まさに件の建物の二階から小太りの男が出てきたところだった。

どうやら椎乙刑事は相手に見つかりたくないらしい。仕方なく私も隠れるが、住人が出てきたのなら直接話を聞いてみればいいのにとは思う。

 小太りの男は鼻歌を歌いつつ上機嫌で去っていく。それを遠く確認すると、椎乙刑事はぼそりと言った。

「いいか。お前は刑事であることを隠して潜入しろ。一般市民を装うんだ」

「……は」

「二階の奥の木戸の部屋。そこに事件の証拠がある――行け!」

 行け行けと背を押されて、仕方なく階段を上がった。

(刑事であることを隠して?)

 どうしてそんなことする必要があるのだろう。大体そこまで分かっているのなら、自分で足を運べばいいのに。

 二階の扉の前まで来てどうしようか悩んでいると、目の前に張り紙がしてあった。

『工房Miniature Times 見学はご自由に』

 なるほど、ここは何らかの工房なのだ。それなら通りがかりを装い、中へ入ってみれば良いだろうか。

 幸いドアに鍵はかかっていなかった。

「し、失礼しますー」

 後ろめたさからそう挨拶して入ると、なかは無人だ。

 薄暗くて広い部屋は学校の工作室の匂いがした。

 無骨な木の作業台が真ん中にいくつかあり、部屋の最奥には大きな窓、カーテンはすべて閉まっており、もれる光を頼りに進むと奥の方にこげ茶のドアがあった。

(これがシグマ刑事の言ってた『重要証拠』がある部屋ね)

年代を感じさせる木のドアには「制作室」のプレートがかけられてあった。

 私はためらいなくドアノブを押した。

 なかは無人で、そのことに少しだけほっとし辺りを見回した。

(……これは?)

 狭い室内の四方の壁すべてにガラス棚が置かれ、その中にぎっしりと何かが入っていた。手近な棚に寄ってみると、そこにあったのはミニチュアだ。

 ベニヤ板で出きた箱の中に、実寸より小さく再現された模型の部屋がつくられている。台所やリビングを再現した物もあれば、カフェやお店のミニチュアもあった。壁紙から床板、小物類に至るまですべて実物と見まがうばかりの再現度で、執拗に細かく作られている。

「これって模型? 違うな、こういうの何て言うんだっけ」

 首をひねり後じさったとき、何かにぶつかった。振り返ると、部屋の真ん中に作業台があった。

 ボンドやピンセット、木の端材が散乱する台の上に、今まさに完成したばかりと思われるミニチュアの部屋がひとつ置かれている。

 棚の中にあるものと同じく木箱の中に再現された、誰のものともわからぬ部屋の模型だ。けれどそれになにか奇妙な既視感を覚えた。

(あれ? この部屋ってもしかして)

「ドールハウスだよ」

 唐突に男性の声がした。

 ぎょっとして見上げた先に青年が立っていた。

 歳は三十ほど、白シャツにジーンズという格好だが、寝起きなのかゆるやかな猫毛があちこちではねていた。

 背は高くすらりとして、オレンジ色の小さな毛布をだらりと肩からたらし、寒そうにしている。

 整った白面の中で、眠そうな目がしょぼしょぼと瞬いた。

「えっと」

 ひどく突然出てきた相手に驚いたが、よく見れば何のことはない、部屋の奥にはさらに隣室へと続くドアがあるようだ。

 現れた青年は毛布の中で身をすくめ、すんと鼻を鳴らし歩いてくる。

「君は、どうしてここに?」

 不思議そうに問われ、とっさに浮かんだいくつかの言い訳を考えた。

(たまたま通りがかって、――なかを見学しようと思ったら無人で。鍵も開いてたし)

 思いついた完璧な答えを言おうとしたら、「まぁ、いいけど」と青年は生あくびをした。

 彼は作業台の上のミニチュアを見て、なぜか嫌そうな顔になる。

バサリと台の上に手荒く毛布をかけたので、くだんのミニチュアは見えなくなってしまう。そのまま部屋を出て行こうとするので、慌てて呼び止めた。

「あっ……あの、これ! この部屋って」

「それは人に見せるためのものじゃないんだ。工房を見学、したいなら……そと、で……」

「え?」

 青年の体がよろついた。部屋の出口で棚によりかかるようにして、ずるずるとその身がくずおれていく。

「え、えっ!? だ、大丈夫ですか? あのっ――!」

 慌てて近づいてみるも、床にへたりこんだ青年はぐったりと目を閉じ動かない。

 その背を支えようとしたら、力の入っていない相手の体は後ろ向きに倒れてきた。

「ちょっと、本当に大丈夫なの? 救急車呼ぶ?」

 青年からの答えはない。意識がないのかもしれない。

 とりあえずここへ放置しておくわけにもいかないし、どこか平坦な場所へ彼を移動しなければ。

 横にした方がいいとは思うのだが、いかんせん細腕では成人男性を抱え運ぶことは不可能だ。仕方なく相手の両脇に上から手をひっかけ、床上を後ろ向きにずるずると引っ張るはめになる。

「おーい、大丈夫ですか? しっかりっ」

 狭い制作室から彼を引きずり出しそう声をかけていると、しだいに不安になってきた。

(まさか死んでないよね?)

 とっさのことで脈拍とかそういったことを確認するのを忘れた。考えてみればこうして無理やりに引きずっているのも、病気であれば救急措置としてまずいかもしれない。

 狭い部屋を出て広い工房へなんとか彼を引きずりだしたその時、カチャリと音がし工房の戸が開いた。

「あ」

 誰か入ってきたと思った時には、私はまだ倒れた青年を引きずる格好のままだ。不審者きわまりない。

 目の前にいたのは、この建物からさきほど出て行くの見送った小太りの男だった。

 シグマ刑事と一緒に電柱の影から見送った男。

 男はハンプティダンプティのような体形で、頭もつるりと禿げあがっている。片手にスーパーの袋を持っているので、買い物から帰ってきたばかりなのだろう。

 その袋が、私を見つけて無惨にも落とされる。男の口があんぐりと開く。

 視線の先はぐったり倒れ、床を引きずられている青年へ向けられていた……いよいよまずい。

「い、いや私は、……けして怪しい者では」

 思わず両手を青年から離すと、手を放した瞬間に青年の頭が勢いよく床へ落ちた。鈍い音が部屋中に響き、ようやく太った男は表情を変えた。

「せ、先生――――っ!? また倒れたんですか!?」

 こちらへ駆けよってきた男は、床に倒れた青年の頬をぺちぺち叩いた。

 それにつられて「うぅん……」と青年がむずがゆそうに唸ったので、私はようやく彼が生きているとわかりほっとした。

「えっと、どうしよう。救急車とか呼ぶ?」

「え? ああ、いえ。いつものことなのでそこまでは――どなたか存じませんが、ちょっと先生を運ぶの、手伝っていただけませんか?」

 あちらへと示された先には、応接セットのような白いソファーとローテーブルがある。私が足を持ち相手が上半身を抱えて、ふたりがかりでなんとかソファーの上まで運びあげた。

「ふぅ――あ、ありがとうございます。えっと、工房の見学の方ですか?」

「はぁ」

 汗をぬぐう相手からそう聞かれれば、曖昧に頷くしかない。

 すると男は私の顔をぼんやりと見て、慌てたようにまた額をふいた。

「あっ、あの! とりあえずそこに座って待っててください。色々資料とか、でもちょっと先に先生を――すぐ戻りますから!」

「え、あいや……」

 呼び止める間もなく入り口で落としたスーパーの袋を取ると、男は階下へ降りていってしまった。ひとり取り残された私は「そこで」と示された応接ソファーに仕方なく腰を下ろす。向かいには青ざめた顔の青年が横になっている。そのぐったりとした表情と長い睫をなんとはなしに観察し、私はどうしたものかと考えていた。

(なんでこんなことになったんだっけ)

 そもそもの目的は、シグマ刑事に指示された「重要証拠」をこの目で確かめることだった。それがこの工房の奥の部屋にあると言われたから、あの制作室へ入ったのだ。

 ここへ来るまではシグマ刑事の言う「重要証拠」なんてものが、本当にあるとは思っていなかった。なにしろそれが何かも分からないのに、私に探せなんて無茶苦茶な話だと思ったのだ。

 けれど実際、あれは見てみれば一目瞭然だった。

(あのミニチュアの部屋……)

 台の上に置かれていた、作られたばかりとおぼしき部屋の模型だ。

 それは今朝の殺人事件の部屋とまったく同じだったのだ。

 壁紙や床の材質、家具の配置から細かな雑貨にいたるまで、寸分たがわず事件のあった部屋の構図だ。

 ただ違っていたのは、窓ガラスが割れておらず、部屋も荒らされていなかったことだろうか。

 そういえば、さっきのミニチュアには机上にコーヒーカップがふたつあったが、現場にはそんなものも無かったと思う。

 そして床上に倒れていた被害者の姿も、ミニチュアの中には再現されていなかった。

(もしもあれが、本当に殺人の現場と同じ部屋の模型だったら)

 それを作った者は、あの事件に深いかかわりがあるかもしれない。

 部屋の構造を隅々まで知る人間は限られている――例えばそう、犯人なら知っているだろうが。

 シグマ刑事の言っていた「重要証拠」は、おそらくあれだ。

(だとすると、犯人は)

 目の前で寝ている青年の顔を、もう一度よく見てみる。

 青白い整った顔立ち、アーティストにいそうな優男で、とても強盗殺人をする人間には見えないが。

(分かりましたシグマ刑事。私はしっかりと、任務を果たします)

 誰があの部屋の模型を作ったのか、それを確かめる必要があった。

 意識のない青年の顔を睨みながら、私はひとつしっかりと頷いた。


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