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序章

 それは簡単な問いだった。

「日瑠葉先生にとって、ミニチュア作品とは――?」

 質問は向かいに座る雑誌のインタビュアーから飛んできた。

 きりりとした武士みたいな女性で、ロングの黒髪を後ろでまとめている。

 整った眉を緩やかな弓形にして、毅然とした態度で僕の答えを待っていた。

 その隣には、一緒に取材にやってきた男性のカメラマンが座っている。彼は時々話を聞いているように頷くが、先ほどから退屈そうに腕時計を気にしていた。

 僕の左隣には小太りの助手、()丹田(たんだ)くんがどしりと腰を下ろして、けれど彼も時間を気にしているようだ。たぶんこの場の成り行きを心配しているのだろう。

 五反田くんは窺うように時々こちらを見てきていた。

(僕にとってのミニチュア作品――?)

 それはなんとも答えにくい質問だ。

 言葉につまるこちらに、質問をした女性の方が焦り出す。フォローするように彼女は笑顔で言葉を継いでくれた。

「なんでも良いんです。たとえば作品づくりが『ライフワーク』であるとか、作品を通してなにか伝えたいことがおありですとか……本当に、どんなことでも良いんですけれど」

 こちらの無表情と沈黙をどう受け取ったのか、哀れにもその語尾は尻すぼみに、眉は八の字になった。退屈そうにしていたカメラマンも、この時ばかりは不安げにこちらへ視線を寄越してくる。

(僕にとっての、ミニチュア作品とは)

 部屋に沈黙が落ち、壁掛け時計の秒針がやけに大きく鳴った。

 誰かが唾をのむ音まで聞こえてくる。

 聞かれていることには当然、答えられるはず――むしろそうでないとおかしいくらいだ。

 僕こと日瑠葉心(ひるばしん)はドールハウス作家なのだ。

 ミニチュア作りをライフワークとし、業界ではある程度の名声や富も得ている。

 自分だけの工房も持っており、その上弟子もいる。僕の開く教室には生徒さんもたくさんやって来るのだ。

 雑誌の取材だって今日だけでなく何度か受けたし、テレビのオファーだって時おりある。

 歳も二十六と若手に含まれ、そういった作家はえてして抱負が大きいと相場が決まっている。

 だから僕に今回インタビューしてきた女性も、当然すんなりと応えがあると思っていたのだろう。むしろこの質問には答えられない方がおかしいのだ。

「そうですね……僕にとっての作品とは」

 僕は答えようとした。なにかそれらしく、このさい嘘だって構わない。

 ライフワークだとか生きる希望だとか、日常だとか我が子だとか。アーティストとしての作品なんだからなんだって良いはずだ。

 適当に作った嘘の答えが載る雑誌を読んで、誰が困るわけでもない……そう、僕が語るのが嘘なら誰も困らない。

(けれどそうじゃないんだ。僕にとってそれは嘘じゃない)

 ひとつ息をのみ言葉を発そうとして、けれど声は出なかった。

 何を語るのかと固唾をのんでいる三人の視線を感じながら、僕はテーブルに置いてあったハーブティーを勢いよくあおった。その最後の一滴を飲み終えたとき、透明なガラスカップの底に天井のオレンジ色の明かりが透けてみえた。

 空になった透明なカップの底の形、大きさ、重さ、材質と触感――完璧ではないがミニチュアとして再現できるだろう。自然とそういう判断をすべての物に対し繰り返している。これはもはや職業病だった。

 勢いよくカップをガラスのソーサーに戻すと、カシャンと耳障りな音が響きわたる。

 ソーサーに置いてあったティースプーンが震え、しばらく音を立てていた。

 続く沈黙、沈黙、沈黙。誰かのため息。

(僕にとってのミニチュア作品とは)

 わかりきったことだ。

 それは罪の箱なのだ。

 誰に見せるためのものでもない、自分だけがそれを知っている。

 答えを探すためだけにある「殺人現場(クライムシーン)」。

 それこそが僕のつくるミニチュア作品の本質だった。

 

 


「先生、あれはひどいっすよ。僕、とっさに焦っちゃいましたから」

 雑誌の女性記者とカメラマンが帰った後、助手の五反田(ごたんだ)くんが汗をぬぐいそう苦笑する。

 青い縦じまのシャツに吊りズボン姿の彼は、言っては悪いがハンプティダンプティに似ていた。

 つるりとした卵型の頭は禿げあがり、人なつこい顔にゴマのような目が置かれ、その上に丸眼鏡がひっかかっている。汗をぬぐい笑う顔からは人の良さがにじみ出ていて、その温厚さに僕は今日も癒されていた。不思議と彼には人をほっこりとなごませる雰囲気がある。

「悪かった。でも助かったよ」

 さっきの取材では、結局五反田くんがほとんどの質問に答えていた。

 答えに黙してしまう僕に代わり、仕事内容をよく知っている彼がインタビューのフォローをしてくれたのだ。

 本心からお礼を述べたのに、五反田くんは「よしてください、当然のことですから」と照れたように汗をぬぐい、テーブルの透明なカップを片づけている。

 手伝おうとしたら「よしてください」とまた制されてしまった。

「先生、今から制作に戻られるでしょう? 明日も教室がありますしこれは自分がやっておきますから」

 どうぞとソーセージみたいにぽちゃりとした手で彼が示したのは、工房の奥にある制作室の扉だった。僕は一瞬だけ考えて働きすぎるきらいのある彼に頷いておく。

「遅くまで悪かった。もうこんな時間だし明日は遅く出てきてもいいから」

「いえそんな! 明日も教室の準備がありますから。先生はどうぞ制作に専念してください」

「けど……」

「よしてください。お気遣いなく」

 ぴしりと笑顔で言い切られてしまえば頷くしかない。

インタビューのこともそうだが、つくづく五反田くんには甘えっぱなしだった。

「それじゃぁ……」

「お疲れさまでした」

 笑顔で汗をぬぐう彼の姿を見て、そろそろクーラーを入れるべきかと真剣に悩んだ。

 六月の終わり、この三鷹にも夏が近づいてきている。

 工房の奥にある制作室へ入ると、目の前には無骨な木のテーブルが鎮座し、その上に作りかけのミニチュア・ハウスがあった。

 A4サイズの小さな木箱に収まる部屋の様子で、中にはミニチュアで作られた白いモルタルの壁紙、フローリングの床、丸いテーブルとたくさんの観葉植物が置かれている。

 一般家庭のダイニングのように見える「部屋」を、僕はミニチュアで再現していた。

 精巧に作られた年代物の壁掛け時計の針は二時で止まっている。

 ミニチュアのテーブルにはコーヒーカップがふたつ、飲みさしで置かれてあった。

 この部屋の住人が飲んでいたものかもしれない。

 完成まぎわのそのミニチュア・ボックスに僕は少しだけ怯えていた。

 作品を作り終えるときにはいつも恐怖感がある。

「ひょっとしたら」という疑念をぬぐえないまま、闇の中で手探りしているせいだ。

 僕は箱の中を隈なく探してみた。

 彼の手がかり、足跡、持ち物――そこになにか残されていないか。

「違う……」

 作品が完成し、それを隅々まで確認してからようやく、胸をほっと撫で下ろせた。

 A4サイズの小さな箱に僕は喜び安堵し、そうして自分を絞め殺したくなる。

 これは誰かの罪の箱だ。

 僕と犯人だけが知っている、他の人にはわからないだろう過去の出来事なのだ。

 けれどそれで構わない。

 そこに僕の探し人がいないのなら、これは僕には関係のないことだから……。


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