前編
今回はマリアージュ一行の話で、メアリー達は出てきません。
ダニエル・エイリオルは、ブラジルの小さな村の外れにすむ、小学生の男の子だ。歳は、来年で中学生に上がるといえば、わかるだろうか。
「ようダニエル!」
「女顔!」
そんな彼のすぐ隣を、男子達が囃しながら通り過ぎていく。
ダニエルは悩みの多い少年だ。容姿が中性的で、声も高めな為、よく女の子に間違えられる。他の男子からも、その事をネタにされていじめられていた。
「あの子が?」
「そうよ。呪われた血の……」
悩みその2。村の人間からの評判が悪い事。
何でも彼の家の先祖は、元々怪物の奴隷として飼われていたらしい。
そんな話は親から聞いた事がない。聞こうにも、今となっては確かめようがない話だ。彼には、親がいないから。
「ダニエル。これ、やっといてくれ」
学校の授業が終わって、放課後。帰ろうとしていてダニエルを、担任の教師が呼び止める。
彼はいつも、教師達から雑用を言いつけられる。それは、小学生が取り組むには些か荷が重い仕事ばかりでなのだが、断れば影でいじめられる。
時間を掛けて雑用を終わらせるダニエル。帰る時間は、いつも夜だ。
(でも、いいんだ。帰ったってどうせ、家には誰もいない)
一人でいる時間を潰せると考えれば、少しは気分が軽くなった。
(いつまでこんな生活が続くのかな……)
どこにいてもいじめられ、罵られる。唯一安心出来る場所は、誰もいない自宅だけ。こんな生活が、もう何年も続いている。
ダニエルは確信に近い予感を感じていた。きっとこれからも、この生活は変わらない。それこそ、死ぬまで。
だが、予感は予感だ。当たる事もあれば、外れる事もある。
彼は知らなかった。自分の予感が外れる事を。
人生をまるごと変えてしまう、とびっきり刺激の強い出会いをする事を。
☆
重い足取りで家路を行くダニエル。
「ん?」
ふと前を見ると、そこには見慣れた自宅。そのすぐそばの茂みが、光っている。
「何だろう?」
生きてきた人生は短いが、家の周りでこんな事は今まで一度もなかった。気になったダニエルは、茂みに駆け寄り、そっと中を覗く。
光は徐々に消えていき、何が光っていたのかわかった。
全裸の女性だ。光の源は、彼女が首から提げているペンダントである。その光も収まっていき、やがて完全に消えた。
「女の人……」
なんでこんなところに女の人が? それもどうして全裸? 様々な疑問がダニエルの頭の中に浮かぶ。
(綺麗な人……)
それにしても美しい。この女性は全身に怪我を負っているが、それを差し引いても今までダニエルが見たものの中で、間違いなく一番美しかった。
(気絶してるのかな?)
女性はどうも気絶しているのか、目を閉じたまま動こうとしない。こんなところで裸で寝転がっていたら、風邪を引いてしまう。とにかく、自宅に運ぼう。そう思ってダニエルは、女性に近付いた。
女性の裸など初めて見るので、緊張してしまう。顔が赤くなっていくのを感じるダニエル。
その時だった。
女性が鼻をひくひくと動かしたかと思うと、目を見開いたのだ。
「!?」
その目は血のように真っ赤に染まっており、驚いたダニエルは女性から離れる。
「ハァァァァーーーッ!!」
だが、それには何の意味もなかった。女性はダニエルの存在に気付くと、鋭利な犬歯を剥き出しにして飛び掛かってきたのだ。そのあまりの速度に反応出来ず、ダニエルは女性に捕まってしまう。
「うあっ……!」
その直後、首筋に鋭い痛みが走った。
(ぼ、僕……か、噛まれ……っ!?)
女性は、ダニエルの首に噛みついたのだ。
見ず知らずの女性を見つけ、助けようとしたのに噛みつかれた。その事にショックを受けるダニエル。
(あ、あれ……?)
だが、すぐに妙な感覚を覚えた。
(き、気持ちいい……)
身体が内側からひっくり返ってしまいそうな、体感した事のない快感。ダニエルはその快感に全身を包まれ、動けなくなってしまっていた。
女性が喉を鳴らしているのが聞こえる。この女性は、ダニエルの血を吸っていた。吸われているダニエルにも、それがわかる。血を飲むのに従って傷が治っていっているのは、見えなかったが。
「いい、よ……」
気が付けば、ダニエルは女性を抱き締めていた。
「僕の血を……飲んで……」
わかるのだ。自分は、彼女にそうする為に、この世に生を受けたのだと。
「あーーーーっ!! マリーさんがいたいけな男の子を襲ってる!!」
「その言い方をやめんか!! まるでマリアージュ様が危ない性癖をお持ちかのような言い方を!!」
ダニエルが快感に浸っていると、唐突に二つの声が聞こえて、現実に引き戻された。勝ち気な少女のような声と、しわがれた老人のような声だ。
女性に噛まれたまま、視線だけを動かして見てみると、高校生くらいの女性を、投身をそのままに小学生くらいの大きさに縮めたような、透き通る羽を持つ少女と、杖を持っている年老いた小鬼のような怪物がいた。
その直後、女性が離れて、倒れた。ダニエルも全身から力が抜けて、ちょうど同じ方向に倒れる。女性はまたしても意識を失ったようだが、顔つきは先程よりも穏やかで、どうも血を飲んだ事で安心したらしい。
「おーい。生きてるー?」
ダニエルの目に、小さな手が見える。先程の少女が近付き、ダニエルの顔に手をかざしていた。
「は、はい。生きてます」
なぜか敬語で答えてしまうダニエル。
「よかったぁ~。君、この近くに住んでるの?」
ダニエルが生きている事にひとまず安堵した少女は、次に住所について訊いてきた。
「そこにある家が、僕の家です」
「何だ、めちゃくちゃ近くじゃん。立てる? 厚かましい事言って申し訳ないんだけどさ、そこで倒れてる馬鹿を看病するの、手伝って欲しいんだけど」
「これジーナ!! 命の恩人であるマリアージュ様に向かって馬鹿とは何じゃ馬鹿とは!!」
「だって馬鹿じゃん。この人が馬鹿な意地張ったせいで、今こんな事になってるわけだし」
「うぬぬ……マリアージュ様はどうしてこのような……」
何やら言い争いを始める二人。そうこうしている間に、ダニエルは起き上がった。
「ちょっと、触りますね」
家の鍵を開けてから、ダニエルは眠り続けるマリアージュというらしい女性に、手を伸ばす。
「これ! マリアージュ様の柔肌に人間風情が触れるなど、穢らわしい!」
しかし、小鬼の怪物が割り込んで、マリアージュに肩を貸して起こした。とはいえ、身長差がありすぎるので、すぐにマリアージュを背負う形になってしまうが。
「ベッドかソファーは空いてる? 言ってくれればそこまで運ぶよ」
すると、少女がダニエルの話し掛ける。
「じゃ、じゃあ、お母さんのベッドが空いてるので、そこへ……」
「了解」
ダニエルは、かつて自分の母親が使っていた部屋に、三人を通す事にする。
怪物はマリアージュをベッドの上に寝かせ、掛け布団を掛ける。服を着せようとしたが、必要ないと少女に言われた。
「これで少しは落ち着いて下されば良いのじゃが……」
「ごめんね、突然押し掛けてきちゃって」
怪物はマリアージュの心配ばかりしているが、少女はダニエルを気遣っている。
「いえ。お客さんが来るなんてすごく久し振りで、ちょっと楽しいです。だいぶ変わったお客さんですけど」
ダニエルははにかむように言った。
言われてみれば、変わっているどころではないくらい奇抜な来客だ。この二人はどう見ても人間じゃないし、そんな二人が捜していたこのマリアージュも、恐らく人間ではないだろう。
「私はジーナ。この小さくてやかましいのが、ボブ。で、今君のおかげで安眠出来てるこの人が、マリアージュ」
「初めまして。僕はダニエルです」
軽く自己紹介したジーナは、今まで何があったのか、どうしてここにいるのかを話した。
「それにしても、まさか日本の裏側まで飛ばされてくるとはね~。おかげでマリーさんを捜すのにすっごい魔力使っちゃった」
転移にも魔力を消費する。それがものすごい遠くだった為、ジーナも何回か休んだ。ようやくマリアージュを発見できて安心したのか、彼女の顔に疲労が見え始める。
「こんな家でよかったら、ゆっくりして行って下さい。どうせ、誰も来ませんから」
「……そういえば、お父さんとかお母さんとかいないね?」
今さらながら、ジーナはこの家の異常に気付いた。外は既に夜だというのに、ダニエルの両親が帰ってくる気配がない。
「うち、親いないんです。っていうか……」
ダニエルは少し言葉に詰まりながらも、ジーナに教えた。
自分の両親は、殺されたという事を。
「殺された? 誰に?」
「……みんなにです」
「みんなって……この村に住んでる人全員にって事?」
それは尋常ではない話だ。興味を持ったジーナは、さらに詳しく話を聞こうとする。
「はい。この村では、大きな宗教が流行ってまして、その宗教から来た宣教師様に、僕の家の事情がバレたんです。そしたら……」
「家の事情?」
「僕の家のご先祖様は、怪物の奴隷だったらしいんです」
そんな話はデタラメだ、信じられない。そう思っていたダニエルだったが、マリアージュ達の姿を見て、否が応でも怪物が実在する事を認識するしかなくなった。今では、先祖が怪物に使役されていたという話も、本当だったかもしれないと信じ始めている。
「お前は……」
「マリアージュ様!」
と、マリアージュが目を覚まし、ダニエルに話し掛けた。ずっと彼女を見守っていたボブが、歓喜の声を上げる。
「お前は、ヴラディリアンか……」
「ヴラディリアン!? この小僧がですか!?」
マリアージュとボブは、ダニエルの先祖について何か知っているらしい。ジーナがボブに訊ねる。
「何そのヴラディリアンって?」
「大昔にある吸血鬼が、この世界を支配しようと台頭した事があってな。その足掛かりとして、良質な血を常に用意出来る生命力の強い人間を、遺伝子に術式を打ち込んで書き換える事によって創り出した。それが、ヴラディリアンじゃ」
吸血鬼にとって吸血行為は、絶対の本能。人間の血なくして、吸血鬼は生きられない。その最大の弱点を補う為に、生命力が高くてすぐには死なず、なおかつ高い栄養価を持つ血液をいくらでも、好きに生産出来る人間を、遺伝子を操作する事で創った。
それが、ヴラディリアン。吸血鬼の餌になる為だけに存在する、生まれながらの家畜である。マリアージュは血を飲んでいる途中で理性を取り戻し、ダニエルの血が持つ、現代の人間にはあり得ない血液の良質な栄養と味に気付いた。こんな血液の持ち主は、それこそ意図的に創りでもしない限りあり得ないと。
「そういえば、マリーさんに結構吸われたはずなのにすぐ起きて動けるし、ずいぶんタフな子だな~って思ってたけど……」
「ヴラディリアンが創られたのは大昔じゃ。その吸血鬼が倒された後は、世代交代を重ねる内に体質を失い、やがて滅んでいった。しかし、まさかその末裔がまだ生き残っておるとはのぅ……」
創られたヴラディリアンの数は数十人程度な上に、とっくに滅んだ人種なので、現物を見るのはボブも初めてだった。当然、マリアージュとジーナもそうだ。
「僕、マリアージュさんに食べられる為に生まれてきたんだ……」
ダニエルは、マリアージュに噛みつかれた首筋を触る。ヴラディリアンの特性の一つ、高い生命力と回復力のおかげで、彼女の牙の痕は綺麗に消えている。
「……わかったんです。さっき噛まれた時、僕はあなたに血を吸われる為に生まれてきたんだって」
それから、マリアージュの顔を見る。
「お腹空いてるのに妹さんと戦って、きっとさっき飲んだ量じゃ足りませんよね……?」
「ちょっと君何を……」
ジーナは心配になった。ダニエルの顔が紅潮しており、服の上着のボタンを外し始めたのだ。そして、顔を真っ赤にしながら目をつぶって、首を差し出す。
「ぼ、僕を、食べて下さいっ……!」
声が緊張している。恥ずかしくてたまらないし、怖くてたまらないという感じだ。いきなりの行動に、ジーナもボブも困惑している。
「これは……ヴラディリアンの隷属本能か……」
ボブは少し引いている。
生まれながらの家畜、ヴラディリアン。その本能は、常に主人に対して献身的でなくてはならない。その為、自分の血を吸った吸血鬼に対して、身も心も捧げてしまうという特性がある。
(まぁそれだけじゃないんだろうけどさ、ちょっと極端すぎない?)
もちろん、彼なりにマリアージュを助けようと必死だからというのもあるだろう。とりあえず、ジーナはマリアージュの反応を見る。
「いらん」
「え……」
ある意味当然な、拒否の言葉。ショックを受けたダニエルは、絶句してしまう。
「私はダンピールでな、純血種ほど吸血を必要としない。先程の量で充分だ」
「で、でも……」
「いらんと言ったらいらん」
理由からすれば、確かにもっともらしい理由だが、ジーナは懐疑的な視線を向けている。
「ほれ」
「あっ!?」
「!?」
ジーナは空中に浮かび上がると、ダニエルの頭を掴み、顔をマリアージュに近付けた。
「ほれほれ~。美味しい血だよ~」
「あ、ちょ、ちょっと!?」
見せつけるように近付けるジーナに、ダニエルは慌てた。マリアージュの綺麗な顔が近付いて、ダニエルの顔が赤くなる。
「よ、よせ……ヴラディリアンとはいえ、私は、人間の血など……!」
マリアージュは拒絶の言葉を投げかけながらも、その視線は食い入るようにダニエルの首筋を見つめている。
やがてマリアージュはダニエルの首筋に再び噛みつき、吸血を始めた。
「ほらほら、やっぱり無理してたんじゃないですか。しっかり飲むべきもの飲んでないと、勝てる相手にも勝てませんよ?」
いくらマリアージュが理性で拒否しても、弱った身体は栄養を求めている。栄養たっぷりのダニエルの首筋を見せつければ、マリアージュとはいえ耐えられない。
しばらくして充分な栄養が補給出来たのか、マリアージュは眠ってしまった。
「ごめんね。私としては、一刻も早くマリーさんに本調子を取り戻してもらいたかったからさ」
「……不本意ではあるが、感謝せねばなるまい。お前のおかげでマリアージュ様は落ち着かれたようじゃ」
「いえ。これくらいの事しか出来ませんし」
ジーナは無理矢理マリアージュに血を飲ませた事を謝り、ボブは不服ながらも、ダニエルがマリアージュの回復に一役買ってくれた事を感謝した。
「二人とも、ゆっくりして行って下さいね。自分の家だと思って下さって構いませんから」
「じゃあお言葉に甘えて、くつろがせてもらうわ。いくらなんでも疲れちゃってさ」
「わしはここを離れるつもりはないぞ。マリアージュ様の容態を見守るのも、わしの勤めじゃからな」
ジーナは遠慮無く休む事にしたが、ボブはマリアージュの安全を考えて、この部屋に残る事にする。もちろんマリアージュが負ける事など考えてはいないが、ダンピールの回復力を鑑みても、やはり彼女を守る役は必要だと考えたのだ。
「そういえばさ、君、この村では宗教が流行ってるとか言ってたよね? 何が流行ってんの?」
ふと、ジーナはダニエルが言っていた事を思い出し、この村で流行っている宗教について聞き出そうと考えた。ダニエルは家の周囲に誰もいないのを確認し、声を少し小さくして話す。
「レイアック教です」
その名前を聞いた瞬間、ジーナとボブは全身の血が凍りつくのを感じた。
「じゃ、じゃあ、この村に来てる宣教師っていうのは……」
「……ジャスティスクルセイダーズです」
どもりながら訊ねるジーナに、ダニエルは無情な真実を告げた。
レイアック教といえば、ジャスティスクルセイダーズが自分達に存在を布教する為に、小さな村などで使う名前である。つまり、この村に広まっている宗教の元締めは、ジャスティスクルセイダーズなのだ。
「小僧。レイアック教がこの村に広まってどのくらいになる?」
「えっ?」
ボブから奇妙な質問をされて、ダニエルは考えた。
「一年くらい前です」
「一年か……では小僧。お前はレイアック教の教えをどのくらい信じておる?」
「どのくらいって……」
続いて、難しい質問をされる。だが、ダニエルは自分が感じたままの答えを聞かせた。
「僕は、信じてません。あの人達の教えは、間違ってると思います」
この村には、悪しき魔物が、邪悪な思想が渦巻いている。自分はそれを消し去り、人々を正しく導く為に来たと、レイアック教の宣教師はそう言った。魔族は恐ろしいもの、忌むべきもの、消し去るべきもの。それに与する者、属する者も同類である。だから、村の総力を挙げて滅ぼすべきだと、この教えを守るなら必ず救われると、そう教わった。
あっという間にレイアック教の思想に染まった村人達は、かねてから怪しかったダニエルの家族を殺したのだ。ダニエルはまだ幼く、両親から必死の懇願があった為、生かされた。
優しかった両親が死んだ事に、ダニエルはどうしても納得がいかなかった。あの二人が、そんな恐ろしい存在の血を引いているとは思わなかった。それにダニエル自身も、他人を傷付けた事は一度もなかったし、やろうとすら思わなかった。
マリアージュ達と出会い、信じていなかった魔族の存在を信じる事になった。
「それでも、レイアック教の教えを信じる気にはなりません。だって、こんなにあったかい人達なのに……」
彼女らが人々を惑わし、苦しめ、痛めつける忌まわしき存在だとは、どうしても思えなかった。ジーナは少々口が悪いが、親切だし、とても素直な女の子だと思った。ボブは自分に気を許してはいないものの、主人想いのとてもいいおじいちゃんだと思った。マリアージュは、まだあまり話していないしよく知りもしないけど、ボブとジーナが何をしても一緒にいる事を許してくれている、優しいお姉さんだと思った。
ダニエルは、自分がずっと求めていた家族の温もりを、彼女らが持っていると感じていた。こんな暖かい者達が人間に害を加えるとは、とても思えなかったし、思いたくなかった。
「ふん! なーにがあったかいじゃ! マリアージュ様はな、この世界から人間を滅ぼそうとお考えなのじゃぞ!?」
「ちょっとボブじいさん!」
せっかくいい雰囲気だったのに、それをぶち壊そうとするボブに対して怒るジーナ。
「そうなんですか?」
当然ながら、ダニエルは訊く。
「お前達人間が異端狩りを生み出したのじゃ。人間さえいなければ、マリアージュ様も孤独にはなられなかった!」
「……そうですよね。わかる気がします」
マリアージュは、人間のせいで両親を失っている。ダニエルも両親を殺された時、どうして同じ人間なのにこんなひどい事が出来るのかと、憎んだものだ。人間でさえこれだけ憎み、悲しむのだから、魔族はもっとだろうと、ダニエルは思った。
「人間のお前に同情してもらっても嬉しくなんぞないわ!」
しかし、ボブの機嫌は直らない。
「……じゃが命を救ってくれた者に対して何もせんというのは、マリアージュ様の評判に関わる」
とはいえ、ダニエルに恩を感じているのは確かだ。
「そこで! マリアージュ様の為にお前に助言してやる! よいか! マリアージュ様の為じゃぞ!」
あくまでもマリアージュの為であると念を押すボブ。
「はい」
それを聞いてダニエルは可愛く思い、快く承諾した。
「……ダニエルじゃったな。お前、早いところこの村から逃げた方がよいぞ」
「え? どういう意味ですか?」
「レイアック教が広まっておるからじゃ」
ジャスティスクルセイダーズ、もとい異端狩りは、そもそも魔族を狩る存在ではなかった。元はといえば、教会や町の役人などの中でも、うだつの上がらないはぐれ者達が、自分達の所属する組織に対する愚痴をこぼし合う為に出来た、集会のようなものである。
組織に適応出来ない、または組織のやり方に納得出来ずにあぶれた者達というのは、捜してみれば結構な人数がおり、その集会はだんだんと規模を広げていった。
そして今から数百年前、彼らに転機が訪れる。ジャスティスクルセイダーズの首領、レイアック・シュレイドが、集会の噂を聞きつけて現れたのだ。
レイアックは神のごとき強大な力の持ち主であり、その力の一部を、魔族と戦う術の基本を、集会のメンバー達に与えたのだ。
力を得た集会は急速に勢力を増していき、自分達をジャスティスクルセイダーズと名乗るようになった。これが、ジャスティスクルセイダーズの始まりである。
元々組織を運用する力も、志も持ち合わせていない者達の集団。ジャスティスクルセイダーズの構成員に粗忽な者が多いのには、こういった理由があったのである。
「いくら子供とはいえ、自分達の教えを信じぬ者を、いつまでも生かしてはおかんじゃろう。きな臭い噂のある者ならなおさらじゃ」
「そんな事は……」
ないと言い切れないのが辛いところである。正直、まだこうして生きていられるのが不思議だと思った事が、何度かある。ボブの言う通り、賢い者ならすぐにでもこの村から逃げ出すべきなのだろう。
「……わかりました。考えておきます」
ダニエルはそう言い残し、自室に戻っていった。
「行く当てはあるのかしらね? あんな小さな子供に」
ジーナは呟く。この村から逃げるという意見には、彼女としても賛成だ。というか、マリアージュがこんな状態でさえなければ、今すぐにでも逃げ出したい。実質的にこの村は、ジャスティスクルセイダーズに支配されているも同然なのだ。
そう、彼女達はいい。腰を落ち着ける場所などないし、作るつもりもないからだ。しかし、問題はダニエルだ。生命力が強く、傷の治りが早いというだけでは、この世界を生き抜く事など出来ない。せめて身を寄せられる場所や力になってくれる者でもいればいいのだが、それはこの村に奪われてしまった。
「奴がどうなろうと知らん。わしは少しでも長生きしたいならこうした方がいいという、助言をしてやっただけじゃ」
確かに、この村に住み続けるよりは、そちらの方がいいだろう。ボブが言った事は、間違っていない。
「………」
ジーナは、ダニエルが去った方を見ていた。




