後編
「どうした。その程度か」
マリアージュは、ボロボロになったメアリー達を見下して言った。
(本当に、姉さんは強いな……)
この一週間、メアリーも鍛錬に励み、強くなったはずなのだが、それでも追い詰められている。いつも思っている事だが、乗り越えるにはハードルが高すぎる相手だ。
(でも、何でだろう?)
しかし、そう思っているからこそ違和感があった。マリアージュは強く、勝てる気が全くしない。実際追い詰められているのはこちらなのだが、彼女からは優位に立っているという余裕が、いつもより感じられない。何かこう、焦っているような気がするのだ。
マリアージュはメアリーの顔を見た後、溜め息を吐いてから言った。
「メルアーデよ。ディルザードを抜け」
「!?」
メアリーは自分の耳を疑った。今マリアージュは、あの剣を抜けと言ったように聞こえた。
「何を驚いている? お前が回収したフェリアの至宝は、私を傷付けられん。それは私が持つフェリアの至宝においても、同じ事……」
そう。フェリアの至宝は、フェリアが掛けた加護によって、ブラッドレッドの血族を傷付けない。つまりこの二人の戦いにおいてだけは、フェリアの至宝は何の役にも立たないのだ。
だからこそ、マリアージュはファントムタスクを作成した。ファントムタスクは、メアリーを殺す為に造った魔道具なのだ。
「しかし、一つだけ例外が存在する。お前が父上から受け継いだ、魔剣ディルザード……それだけがフェリアの至宝の中で唯一、私を傷付け打ち倒す事が出来る」
メアリーは黙った。フェリアの至宝の一つ、ディルザードがなぜマリアージュにダメージを与えられるのか、その理由を知っているからだ。
何もしてこないメアリーに対して業を煮やしたマリアージュは、ファントムタスクでジンとティルアの脇腹を撃ち抜いた。
「ぐあっ!!」
「がッ!!」
腹から血を流して崩れ落ちる、二人の異端狩り。
「これで邪魔者はいなくなった。さあ、出せ! 父上の形見を!!」
催促するマリアージュ。
仕方なく、メアリーはディルザードを召喚した。
「ようやく出したか。父上の魂を宿す、魔界最強の大魔剣ディルザード」
マリアージュは、恍惚とした表情でディルザードを見つめている。
「父上の真の後継者が持つべきもの……」
だが、その眼差しは憎しみの色を帯びて、メアリーに向けられた。
「なぜだ!! なぜ父上は貴様にそれを譲り渡した!? 力も、魔力も、技術も、魔族としての志も、何もかも私の方が上のはずだ!! にも関わらず、なぜ全てにおいて私に劣る貴様が、その剣を受け継いだのだ!?」
慟哭にも近い疑問を投げかけるマリアージュ。
ディルザードがどれだけ優れた魔剣であるか、知らない者はいない。故に、それを受け継いだ者こそが、大吸血鬼アグレオン・ブラッドレッドの後継者として相応しい。
アグレオンに憧れていたマリアージュは、自分がそれを受け継がせてもらえると思っていた。
しかし、実際にアグレオンがディルザードを譲り渡した相手は、メアリーだった。
これが、マリアージュがメアリーと袂を分かつ事になった最大の要因と言える。
「……そう。どういうわけか、父上は私を後継者とは認めて下さらなかった」
マリアージュの声が、大人しくなる。しかし、それは断じて、憎しみが消えたからではなかった。一度冷静になり、起こった事実を事実として、自分にはっきりと認識させる為だ。
「それどころか父上は私を拒絶した。ディルザードの守護対象から、私を外してな!!」
ディルザードに施されたフェリアの加護。その加護によるブラッドレッドの血族を守るという機能から、マリアージュだけが外されている。そして、そうなるようフェリアに指示を出したのは、他ならないアグレオン本人なのだ。マリアージュは、それがアグレオンに拒絶されたからだと思い込んでいる。
「違う!!」
しかし、メアリーは否定した。
「父さんは姉さんを拒絶なんかしていない! 姉さんがこれからやろうとしている事を、僕にやめさせる為だ!!」
瑠阿にも言った事だが、マリアージュは人間を滅ぼそうとしている。そんな事フェリアはもちろん、アグレオンだって望んではいない。アグレオンはマリアージュの危険思想を見抜いており、その考えを改めさせる為にディルザードをメアリーに譲ったのだ。
「ディルザードは、滅びをもたらす魔剣じゃない。大切な人を守る為の、守護剣なんだ!!」
「守る為だと? 下らん……この世界に必要なものは、敵対者を完全に滅ぼす為の力だ。だというのに父上は剣ではなくこんなものを寄越した!!」
マリアージュは服の下から、ペンダントを取り出した。
「あのペンダントは……魔道具……?」
ティルアは、マリアージュが持っているペンダントもまた、フェリアの至宝である事に気付く。
アグレオンはマリアージュにも、遺品となる魔道具を譲った。かつてフェリアが、死地へと赴こうとするアグレオンに贈った魔道具、アナザーフェリアだ。
「父さんが一番大切にしていた魔道具だね」
マリアージュがディルザードを欲していたように、アナザーフェリアはメアリーが欲していた魔道具である。それを譲ってもらうという事は、アグレオンが最も大切にしている相手という事だ。メアリーからすれば、それこそアグレオンの後継者が持つべきものである。
「こんなものは、いらん!!」
マリアージュは首から掛かっているアナザーフェリアの鎖を引きちぎり、投げ捨てた。しかし、捨てられたアナザーフェリアが光ったかと思うと、マリアージュの首に戻っている。
「これは呪いだ。守りの力などではない。そんなものは必要ない」
マリアージュの行動は全て読まれており、これもアグレオンの指示である。
「こうなれば、私の力で貴様とディルザードを破壊し、父上を超える魔族となった事を証明しよう!!」
「そんな事、させるもんか!!」
メアリーはディルザードを手に、マリアージュに斬り掛かる。マリアージュは発砲してくるが、メアリーはそれを全て弾き、マリアージュにディルザードを振り下ろした。
「ぐっ!!」
ファントムタスクを交差させて、それを受け止める。
「はあああああああああああああ!!!」
メアリーはディルザードを振り回し、ファントムタスクに叩き付け、マリアージュを押し込んでいく。
(やっぱりおかしい!)
メアリーの中の違和感がさらに大きくなっていく。いつものマリアージュなら、こんなに押し込んだり出来ないはずだ。
「く……」
メアリー一人を戦わせるわけにはいかない。そう思うティルアだったが、マリアージュの攻撃には不死殺しの霊力が込められており、自己再生能力を阻害され、復帰出来ない。
「……!?」
と、ティルアは気付いた。自分の体内を蝕んでいたダンピールの霊力が、徐々に薄まりつつある事を。
「あいつ、何かおかしいぜ……」
それは、ジンも気付いていたようだった。
「うあああああっ!!」
激怒したマリアージュがディルザードを跳ね上げ、メアリーに斬り掛かろうとする。
その時だった。マリアージュの両目の眼球が、真紅に染まった。
「うっ!」
マリアージュは自身に起きた異変に気付き、素早くメアリーから離れる。
「今のは……そうか……!」
だが、メアリーは今の反応を見逃さなかった。同時に、違和感の正体に気付く。
「マリアージュ様!!」
そこへ、ボブとジーナが。少し遅れて、瑠阿と真子が絵の中から出てきた。
「メアリー! 大丈夫!?」
瑠阿の問い掛けに、メアリーは答えない。マリアージュを見ると、息が上がっており、苦しんでいるように見える。
「もしかして、優勢、なの?」
「すごい! メアリーさんだって、強くなってるんじゃん!」
瑠阿は信じられないものを見たという顔をしており、真子はメアリーの方が勝っている事を喜んだ。
「違う」
しかし、メアリーにはわかっていた。彼女は、実力で姉より優位に立っているわけではないと。
「姉さん。血を飲んでないんだね?」
「えっ!?」
瑠阿は驚いた。メアリーの分析によると、どうやらマリアージュはかなり長い期間、人間の血を飲んでいないらしい。
「さっき一瞬だったけど、姉さんの両目が真っ赤に染まった」
「それって、吸血衝動!?」
「何なの? その吸血衝動って」
事情が飲み込めていない真子の為に、瑠阿が説明する。
「吸血鬼にとって人間から吸血する行為は、生きる為に必要な事。だから血が足りなくなると、本能的に血を求めるようになるの。それが吸血衝動よ」
生きる為に身体が栄養を欲しているのだから、放置すれば症状は悪化するし、力も衰える。それはダンピールであっても、例外ではない。そして眼球が赤く染まった時は、吸血衝動が極限まで高まっている状態である。こうなると理性が消失して手当たり次第に人間を襲うようになるし、この状態でさらに放置すれば命を落とす。
「じゃあ今あの人は、極限状態の一歩手前って事!?」
「もう立っているのもつらいはずだよ」
つまり、メアリーが強くなったのではなく、マリアージュが弱くなっていたのである。
「飲むものか……穢らわしい人間の血など……!!」
マリアージュは血を飲まねば生きられない。が、人間に対して抱く憎悪は深い。その憎悪から吸血行為を嫌悪しており、血を飲んでいなかったのだ。
「ほんと馬鹿だよねこの人。吸血行為は吸血鬼の血を引く者にとって絶対の本能なのに、それに抗おうとするなんてさ。だから強引にでも飲ませてやる役目が必要なんだよね」
罵倒するジーナ。しかし、吸血を拒否するという事は、己の存在を否定する事に等しい。これほど愚かな事が他にあるだろうか。
「マリアージュ様、ここは引きましょう。このままでは御身の命に関わります」
「うるさい!!」
ボブは撤退を進言したが、マリアージュはその手をはねのけた。
「今日こそは……今日こそはメルアーデを殺すと決めて来たのだ!! ここで引き下がりなどするものか!!」
彼女は憎しみを募らせ続けてきたのだ。父の娘としての自覚を持っていないのが許せない。父から後継者の証を渡されたのが許せない。人間とつるんでいるのが許せない。
許せない。許せない。許せない。
許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない。
「私は貴様の存在を、決して許さん!!!」
とうとうマリアージュの眼球が、完全に赤に染まった。
不退転。マリアージュは、本気でメアリーを殺すつもりだ。
「わかった。それなら僕も、全力を出す」
「メアリー、駄目よ!!」
「瑠阿は下がって。他の誰も、手を出す事は許さない」
瑠阿を無理矢理下げさせ、ジンとティルアを牽制するメアリー。ここまで強い意志を見せられてしまっては、説得など不可能だ。こうなってしまった以上、もうマリアージュを殺すしかない。
「こんな事になって、残念だよ。姉さん」
いつか必ず来ると恐れていたその日が、とうとう来てしまった。だが、メアリーにも譲れないものがある。もう、覚悟は決まった。
「マイティーチェンジ!!」
メアリーは自分の全力の姿、マイティーチェンジを使用する。
「何だ、その情けない姿は? そんな不完全なマイティーチェンジで、この私の相手が務まるなどと本気で思っていたのか!?」
しかし、マリアージュはメアリーの覚悟の姿を嘲笑った。
「メルアーデ。やはり貴様は死ぬしかない」
嘲笑の顔が、怒りに変わる。
「マイティーチェンジ」
そして、マリアージュの姿が変わった。メアリーと同じ姿だが、メアリーのそれよりも一回り大きく、しかも翼が生えている。
「マリアージュ様も、マイティーチェンジが!?」
瑠阿は再び驚いた。
マイティーチェンジは、魔女、もしくは魔道士を親に持つダンピールが身に付けている姿である。メアリーが出来るのだから、姉のマリアージュに出来ない道理はない。どころか、完成度はマリアージュの方が数段上だった。
「死ね、メルアーデ!!」
マリアージュは巨大化したファントムタスクを振るう。メアリーもディルザードを振り回すが、防戦一方だ。
「どうした!? 剣の扱いがなっていないぞ!! それでも父上の後継者のつもりか!!」
「くううっ!!」
力も速さも、マリアージュが遙かに上だ。メアリーは、全く歯が立たない。巨大な銃剣を発砲し、斬り付け、蹴り飛ばす。宙を舞い、弾丸を放ち、ひたすらメアリーを攻め立てる。
「ああ、マリアージュ様……!!」
「究極の持久戦だね」
ボブはおろおろしており、ジーナは戦況を分析する。言ってみれば、これは命の綱引きだ。一見メアリーが圧倒的に不利に見えるが、力を振るえば振るうほど、マリアージュも弱体化していく。こんな状態でのマイティーチェンジの発動は、命を捨てるようなものだ。
マリアージュが攻めきるか、メアリーが耐えきるか、これはそういう勝負になっていた。
「このままだと、メアリーは死にますね」
ティルアの見立てでは、マリアージュの方が先にメアリーを殺しきる。
「ふざけるなよ……こんなところで共倒れなんざ、俺は認めねぇぞ……!!」
メアリーもマリアージュも、ジンが殺したい獲物だ。この戦いでどちらかが死ぬというのは、望んでいない。だが、二人の戦いの次元が違いすぎて、割り込んで止める事が出来ないでいた。
「メアリー……」
瑠阿は、もうこの戦いを見ていられなかった。
「メアリー!!」
「瑠阿!!」
真子が止めるのも聞かず、二人の戦いに割り込む。
「もうやめて下さい!! 家族同士で殺し合うなんて、こんなの絶対間違ってます!!」
瑠阿は両手を広げてマリアージュの前に立ち、必死に説得する。
「どけぇぇぇ人間風情がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「きゃああああっ!!!」
だが、そんな言葉は、マリアージュの耳にも、心にも届かない。太い腕に殴り飛ばされ、瑠阿は美術館の硬い床の上を転がった。
「瑠阿!!」
「うぅ……」
駆け寄る真子と、苦しそうに呻く瑠阿。まだ生きている。
「る、瑠阿……」
だが、メアリーに衝撃を与えるには充分すぎた。
「よくも……よくも瑠阿を!!!」
マリアージュは憎悪のあまり、気付いていない。絶対に踏み抜いてはいけない、地雷を踏み抜いてしまった事に。
「うあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
咆哮と共に、メアリーの全身から魔力が溢れる。しかし、変化はそれだけでは終わらなかった。メアリーの身体が一回り大きくなり、翼が生えたのだ。つまり、マリアージュと同じ姿になったのである。
「何!?」
「はああああああああああああ!!!」
驚愕するマリアージュに、メアリーが斬り込んでいく。先程の劣勢が嘘のように、今度はメアリーが圧倒していた。
「やぁっ!!」
「ごあっ!!」
メアリーはディルザードでマリアージュを斬り上げた。マリアージュはファントムタスクでそれを防いだが、威力を殺しきる事は出来ず、美術館の天井を突き破って飛んでいった。それを追い掛けたメアリーが、マリアージュと壮絶な空中戦を演じる。
「まさかこの土壇場でマイティーチェンジを進化させるとはな」
これはマリアージュにとっても、予想外の展開であったらしい。
「今までの僕には、あなたを超えるという意思がなかった。どこかで僕は、あなたを避けていた」
ずっと思っていたのだ。いつか、自分の自慢の姉とわかり合いたいと。
「でも、もう迷わない! 僕は今日、あなたを超える!!」
メアリーはマリアージュを超えるという絶対の意思を込めて、ディルザードを五芒星状に切り、魔力を込める。
「ほざくな!! この出来損ないが!!!」
マリアージュも同じようにファントムタスクに魔力を宿し、十字状の魔力の斬撃を放った。
「うわあああああああああああああああ!!!!」
ディルザードの魔力を解き放つメアリー。激突する二つの力。
メアリーの力は、マリアージュを超えた。
「ぐわあああああああああああああああああああああ!!!!!」
ディルザードから放たれた魔力の奔流に飲み込まれ、断末魔を上げるマリアージュ。やがて、彼女の姿は、閃光の中へと消滅した。
戦いが終わり、メアリーは帰還する。
「メアリー……」
瑠阿は魔法でダメージを治癒していた。命に別状はなさそうだ。
「おお……マリアージュ様……何という事じゃ……」
ボブは嘆く。マリアージュはメアリーとの死力を尽くした戦いに敗れ、死亡したのだ。
「悲しむのはまだ早いよ」
と、思いきや、メアリーはボブに告げた。
「姉さんは死んでない」
「な、何じゃと!?」
そう、マリアージュは死んでいないのだ。消滅する寸前に、アナザーフェリアが発動した。あれは持ち主に命の危機が迫ると、持ち主を安全な場所に転移させる機能がある。瀕死の重傷を負っている事は間違いないが、マリアージュは転移したので、まだ死んでいない。
「どこに転移したのかはわからないけど、ジーナの力があれば追えるんじゃない?」
ジーナは一度魔力を覚えた相手を、転移で追い掛ける事が出来るという能力がある。体調を知る事も可能で、これでマリアージュが不調をきたしているとわかったのだ。ただし万能の力ではなく、相手が遠くに転移してしまった場合は、何度も転移を重ねなければならないが。
「行くよ、ボブじいさん。もうこいつらに構ってる時間はない」
「う、うむ。一刻も早くマリアージュ様を発見し、お救いせねば!」
ジーナとボブは、マリアージュを捜して転移していった。
「これで一安心だ。しばらくは、姉さんと顔を合わせる事もないよ」
フェリアの至宝が、敵対者のすぐ近くに持ち主を飛ばすというミスを犯す事はない。どこか、ものすごく遠くまで飛ばされたはずだ。第一大けがをしているし、すぐに再戦という事はあり得ない。
「そっちはどうする? まだ力は残っているから、やる気があるなら相手になるけど?」
メアリーはジンとティルアを見た。
「……次は勝つ」
「失礼します」
どうやら、マリアージュという強敵と戦った後に進化したメアリーと戦う気力は残っていないようで、二人とも引き上げていった。
「メアリー。これでマリアージュ様、諦めてくれるかしら?」
瑠阿は危惧している事を訊ねた。
「無理だね。僕が生きてる限り、どこまでも追い掛けてくるよ」
メアリーは遠い目をして答えた。




