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Blood Red  作者: 井村六郎
Episode16
32/40

後編

「いいじゃん。メアリーさんに大切にされてさ」


「全然良くないよ……」


 瑠阿は真子に昨夜の事を愚痴っていた。


「もうさ、OKしちゃったら? メアリーさんみたいな強くてかっこよくて綺麗な人のお嫁さんになったら、将来安泰だよ?」


「本当にそう思う?」


「思うって。もしエルクロスみたいな悪党に襲われても、絶対に守ってもらえるじゃん」


 エルクロスの話題を引き合いに出されて、瑠阿の顔が少し曇った。


「真子。本当にエルクロスには、何もされなかったの?」


「だからされてないって。眠らされたけどさ」


 ほんの僅かな時間とはいえ、真子はエルクロスに捕らえられていたのだ。本人は眠らされていただけだと言っているが、瑠阿は心配でならない。一応つい最近まで、ティルアに身体検査をしてもらっていたのだが、外傷や催眠魔法以外の魔法を掛けられていた様子もなく、健康そのものという診断結果が出ている。


「二人とも、私語はそれぐらいにして。そろそろ真面目に授業を受けたらどうですか?」


 二人に話し掛けてきたのは、ティルアだ。エルクロスの粛清を手伝ってもらいはしたが、瑠阿とメアリーはジャスティスクルセイダーズにとっての観察対象である。その任が解かれたわけではない。


 むしろ、瑠阿の秘めたる力が一部とはいえ解放された事で、その観察の目はより厳しいものとなっている。証拠として、ティルアが前よりも積極的に話し掛けるようになってきた。


 ちなみに今三人は、いや、瑠阿のクラスメイト達は全員、町立美術館に来ていた。何でも社会科見学の一環として、美術品について学ぶ事が目的らしい。


「女性たるもの、常に美的感覚を磨く事を心得なさい。清く、正しく、美しく在る為には、まず真の美とは何であるかを理解し、それに自身の感覚を近付ける事です。その為には、先人の美を学ぶ事が一番。さぁ、なぜその作品が世界に賞賛されているかを学ぶのです」


 女子生徒達が思い思いに美術品を鑑賞する中、担任教師が今回の社会科見学の主旨について説明する。彼女らが通う高校は女子校であり、誰もが羨む一人前のレディーを育成する事を目的としている。清く、正しく、美しく。それが、このリゾワール学院のモットーだ。


「と、言われてもねぇ……正直な話、こんな妙ちくりんな展示物のどこがいいのか、私にはさっぱりなんですわ」


 肩をすくめる真子。彼女にとって、美的センスというものは皆無であり、今回の社会科見学も退屈でしょうがない。


「瑠阿もそう思うでしょ?」


「あたしは、こういうの好きかな」


 だが、瑠阿にとってはそうでもない。何せ、彼女も魔道具職人志望なのだ。そうでなくても、魔女や魔道士というものは、センスが問われる。こういう独特な作品に多く触れる事で、どんな魔道具を造るか、どう魔法のイメージに結びつけるか、そういう感覚を養うのだ。


「……あっそ。ティルアさんは?」


「私は好きですよ。美術館はじっくりと思索を巡らせるのにうってつけの場所です」


「……なるほど、私の味方はいないってわけね。はいはいわかりましたよ!」


 自分には味方が一人もいないと勝手に判断した真子は、怒ってどこかに行ってしまった。


「ちょっと真子!」


「放っておいた方がいいですよ。彼女もいい加減、大人にならなければ」


 大人というものは、周囲と折り合いを付けて生きなければならない。彼女も一応義務教育は終えているのだから、そろそろ自分を抑え込み、周りの人間に合わせて生きるという事を学ぶべきだと、ティルアは言った。好きな事ばかりでは、生きられないのだ。


「心配しなくても、その内戻ってきますよ」


 ティルアの言う事に従うのは癪だったが、言っている事それ自体は間違っていないので、瑠阿は大人しく従う事にした。



「ん?」


 絵画の展示室を歩く真子は、一枚の絵の前で立ち止まった。


 その絵には閉じている扉が描かれており、それ以外には何も描かれていない。額縁の下にあるタイトルには、『扉』と書かれている。


「そんなもん見ればわかるっつーの。あーあ、ほんとこんな絵のどこがいいんだか」


 あまりにも直球すぎるタイトルを見て、真子は呆れていた。退屈極まりない空間だが、ここには学習の為に来ているので、時間が来るまでは帰れない。仕方なく、見たくもない他の美術品でも見て時間を潰そうと、背を向けた。


 ギ……


「……え?」


 真子は足を止めた。


 今何か、この場で聞こえるはずのない音が聞こえた気がする。現在この展示室には真子しかおらず、音も声も聞こえるはずがないのだ。


 ギギ……


 また聞こえた。その音は、ちょうど真子の背後から聞こえた。まるで、立て付けの悪い扉がゆっくりと開いていくかのような音だ。


 そんな馬鹿な。そう思いながら、真子は恐る恐る、背後を振り向く。


 音は間違いなく、絵画から聞こえていた。キャンバスに描かれた大きな扉が、ゆっくりと音を立てて左右に開いていっている。どこかの映画で見たような、そんなあり得ない現象が、真子の目の前で起こっていた。


「ま、まさかこの絵、魔道具か何か……!?」


 真っ先にそういう発想が出来たのは、瑠阿やメアリー達魔族と触れ合い、耐性と知識を身に付けたからだろうか。


「正確には、この絵を描く為に使った道具が、魔道具だ」


「!?」


 唐突に背後から、疑問の回答が返ってきた。


 驚いて振り向いた時に見えたのは、一人の女性。


「あ、あなた、確か……」


 真子は彼女に見覚えがあった。つい先日、上海でメアリーと激闘を繰り広げた女性。彼女が知る中で最も強い魔族を、赤子の手をひねるように叩きのめした女。


 奇跡の姉妹の片割れ。ダンピール、マリアージュ・ブラッドレッド。


「メアリーさんの、お姉さん……」


「やはりメルアーデから私の事を聞き及んでいたか」


 真子の声が震える。メアリーと真子から、マリアージュについて聞かされていたのだ。誰よりも強く、そして冷酷な、人間を殺す事を何とも思っていない非情な人物だと。


 マリアージュもマリアージュで、あの短い時間に真子の存在を把握し、現在まで忘れる事なく覚えていた。


「ど、どうしてこんな所に……」


「私はメルアーデの存在を目障りに思っていると、奴から聞いているか?」


 真子の疑問には答えず、問い掛けるマリアージュ。どう答えて良いか迷ったが、嘘をつくと殺される気がするので、頷いて答えた。


「奴がこの町を拠点にしていると、強魔六婦人の一人から聞いてな。そろそろ殺してやろうと思って来たのだよ」


「メアリーさんを殺す!?」


「お前は餌だ」


 マリアージュはゆっくりと距離を詰めてくる。それに合わせて、真子はゆっくり下がった。


(この事を瑠阿に教えなきゃ……!)


 捕まるわけにはいかない。魔道具に触りながら、瑠阿に呼び掛ける真子。


 と、真子は下がれなくなった。


(こ、この後ろって……)


 後ろに壁があり、これ以上下がれない。


 それに気を取られて、反応が遅れた。


 マリアージュがすぐ目の前まで迫っており、片手で真子の頭を押したのだ。


 自分の背後から、壁があるという感触が消えた。


 真子は失念していたのだ。自分の後ろにあるのは壁ではなく、あの絵だという事を。


 絵の中の扉は開ききっており、その奥には闇が広がっている。


 真子は絵の中に、扉の向こうに突き飛ばされた。


「――!!」


 悲鳴を上げる暇もなく、扉は素早く閉じてしまった。


「お見事ですマリアージュ様!」


 物陰からボブが、マリアージュを褒め称えながら出てくる。遅れてジーナも出てきた。


「何が見事だ。餌を一匹捕らえたにすぎん」


 マリアージュは辛辣な言葉を返す。


「大きな計画も小さな一歩からですよ、マリーさん。それが成功しなきゃ、何も出来ませんって」


 ジーナは言った。


「……本番はここからだ」


 姿を消すマリアージュ。


「お、お待ちをマリアージュ様!」


「せわしないなぁ……」


 ボブは杖で軽く床を叩く。ジーナは風を纏う。その瞬間に、二人の姿もまた消えた。


「真子!?」


 そのすぐ後に、瑠阿とティルアが駆けつけた。しかし、既に真子の姿はどこにもない。


「この絵に秘密がありそうです」


 ティルアは、絵画に残された魔力から、この場で何かが起こった事を知る。


「もしかして、真子はこの中!? 今出してあげるわ!!」


「お待ちなさい!」


 杖を取り出し、絵画を攻撃しようとする瑠阿を、ティルアが慌てて止めた。


「離して!!」


「今ここで事を起こせば、何が起こるかわかりません。まずメアリーに連絡して、事の次第を確かめなければ」


 この絵の中に真子が引きずり込まれたのだとして、もしこの絵を壊す事で真子が帰ってこれなくなったら大変だ。ここはまずメアリーに伝えて、真子を助ける方法を考えなければならない。


「……絶対助けに来るからね」


 今はとにかく耐える時。そう割り切った瑠阿は、とりあえずティルアと一緒に授業に戻る事にした。



 ☆



 家に帰った瑠阿は、美術館で起こった事を教えた。


「あなたが知っている魔道具の中で、動く絵ってない!?」


「……動く絵の魔道具は知らないけど、動く絵を作り出す魔道具は知ってる」


 やはり、メアリーは知っていた。動く絵の魔道具はないらしいが、近い魔道具の存在を。


「アニマの筆。母さんが造った魔道具の一つだ」


 どうやらそれは、フェリアの至宝の一つらしい。


 アニマの筆とは、魔力を込めて絵を描く事で、描いた絵を実体化させる魔道具らしい。絵を実体化させず、動くだけの絵に留めておく事も可能なようだ。


「まさかフェリアの至宝だなんて……」


「正直僕も驚いているよ。でもフェリアの至宝が相手なら、僕がいればどうにか出来る」


 例え既に他人の持ち物になっていようと、ブラッドレッドの血族は所有権を一方的に剥奪し、上書きする事が出来る。良からぬ輩が手に入れて使っているらしいが、メアリーが赴けば対処可能なのだ。


「早速今夜行こう」


「真子は助けられるの!?」


「行ってみない事には何とも言えないけど、今行動を起こすのはまずい」


 機会を待って、行動を起こす。瑠阿としては今すぐにでも真子を助けに行きたかったが、人目を避けなければならないので仕方ない。



 ☆



 そして、夜。


「来ると思ってたぜ」


 瑠阿とメアリーが美術館に駆けつけると、そこでは既にジンとティルアが待っていた。


「何で君らがいるわけ?」


「この美術館から嫌な気配がするのさ。あの時俺を一方的に叩きのめした、ダンピールの気配がな」


 ジンの発言を聞いて、二人は驚いた。美術館の中から、マリアージュの気配がするというのである。


「じゃあ真子を攫ったのは、マリアージュ様?」


「なるほどね。僕を引きずり出そうって魂胆か」


 メアリーは、なぜマリアージュがここにいるのか予想を付けた。上海で戦った時、マリアージュは真子の存在を覚えていたのだ。そして、メアリーを誘い出す為の餌として攫った。しかも、フェリアの至宝の一つである、アニマの筆で描いた絵を使って。


「アニマの筆……噂には聞いていましたが、まさか実在するとは……」


 流石のティルアも、アニマの筆については予想外だったようだ。


「瑠阿、気を付けた方が良い。姉さんが中にいるという事は……」


 メアリーはさらに予想を付けていた。


 アニマの筆は、正直言って戦闘の役には立たない。しかし、罠として使う事で凄まじい性能を発揮する。既にこの美術館の中の絵は、全てマリアージュが作ったトラップとすり替えられているはずだ。


「わかったわ」


 しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。このままでは、真子がマリアージュに殺されてしまう。真子を救う為にも、突入しなければならないのだ。


「ついてくるのは勝手だけど、僕達は君達を守らないよ」


 メアリーはジン達に言った。エルクロスとの戦いで、共闘は終わっている。ここからは、もう共闘するつもりはない。


「そりゃこっちの台詞だ。愛しのお姉様に殺されねぇよう気を付けるこったな」


 ジンもまた、減らず口をたたく。


 四人はそれぞれの思惑を胸に、美術館へと乗り込んだ。



 ☆



 中に入ってみると、警備員が全員殺されていた。銃の痕や、鋭利な刃物で切り裂かれたような痕が、そこかしこに残っている。これはマリアージュの武器、二挺銃剣ファントムタスクによるものだ。


「やっぱり、いるんだね。姉さん」


 彼女の武器と戦い方を最も良く知るメアリーは、ここにマリアージュがいる事を確信した。


 四人はマリアージュを、真子を捜して美術館内を進む。やがて、真子が行方不明になったという絵画の展示室に辿り着いた。


「あれよ!」


 瑠阿は扉の絵を指差す。


「間違いない。あの絵から、母さんの魔力を感じる」


 母さんの、という事は、どうやらあの絵はマリアージュが描いたものではないらしい。


 ちなみに、扉の絵は展示室の中央にある柱に展示してある。


「どうやらこの絵を描いたのは、母上のようでな。緊急時のシェルター用にでも作っておいたのだろう」


 その柱の後ろから、マリアージュが姿を現した。


「この絵が安置されていた村には、人間が近付くと時折開く奇妙な絵の伝説が伝わっていた。それを私が回収し、利用したというわけだ」


「姉さん……」


「やはり現れたな、メルアーデ。見習い魔女と、異端狩りどもも一緒か」


 マリアージュはメアリーを、それから瑠阿とジン、そしてティルアの順番に一瞥する。


「あなたが餌として捕まえた女の子は、何の力もない一般人なんだ。お願いだから、離してあげてくれないかな?」


「断る。人間は全て、この私の敵だ。お前達を殺した後で、頭を吹き飛ばして殺してやる」


 どうやら、マリアージュは真子を返すつもりはないらしい。それどころか、メアリー達もろともこの場で始末する腹づもりのようだ。


「そんな事はさせない。真子は命に替えても助けてみせる」


「フェリア様のご息女の方となんて戦いたくないけど、真子はあたしの大切な友達よ! 絶対に殺させたりなんてしないわ!」


 戦う決意を固めるメアリーと瑠阿。


「この前の借りを返させてもらうぜ!」


「あなたを討伐する許可は得ています。味方として引き込むには、あまりにも危険すぎる相手ですから」


 殺意を漲らせてデストロイカスタムを抜くジンと、ケースをセレモニーキャノンに変形させるティルア。


「私の敵として生まれた事を、後悔して死ぬがいい。愚か者ども」


 臨戦態勢を整えた四人に対して、マリアージュはファントムタスクを抜いた。


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