前編
「……っ!」
瑠阿は目を覚ました。
「……」
それから、隣を見た。瑠阿のすぐ隣では、美女が眠っている。昨夜、吸血鬼との交渉に失敗した自分を助けてくれた、ダンピールのメアリーだ。
「……!!」
そして、思い出した。昨夜、メアリーに救われた後、メアリーはこの家にホームステイする事になり――、
「~~~~~!!!」
その後メアリーにされた事を思い出して、瑠阿は今上げたばかりの顔をもう一度枕に埋め、赤面しながら悶絶した。
足をバタバタさせて、昨日の事を忘れようとする。だが忘れようとすればするほど、記憶は鮮明に蘇った。
「……っく!」
メアリーが瑠阿の左手の薬指に嵌めた、隷従の指輪。伝説の魔具職人魔女、フェリアが作ったこの指輪に身体を支配され、メアリーに辱しめられ、牙を突き立てられて、アレな姿を晒してしまった。
屈辱。恥辱。怒りに震えながら、瑠阿は指輪を外そうとする。しかし指輪は、瑠阿の薬指に食らいついているかのように、びくともしない。
魔力を込めて、解呪の魔法を全力で使ってみても、指輪の力は消えなかった。
「無駄だって言ってるでしょ?」
「!? あっ!」
いつの間にか起きていたメアリーが、瑠阿を押し倒した。
「サーヴァントリングを無理矢理外そうとするとね、マスターリングの持ち主に伝わるの。だから、君が外そうとするのを阻止出来るってわけ。さて、どうする? もう朝だけど、第二ラウンド始めちゃう?」
「や、やだ……やめて……!!」
綺麗な顔が近付いてくる。逃げられない。拒めない。このままでは昨夜のように、淫らな姿を晒してしまう。
「冗談だよ。冗談。泊めてもらってる身として、限度はわきまえなきゃね」
そう言って、メアリーはどいた。
(やめちゃうんだ……って! あたしったら何考えてるの!?)
メアリーから与えられた快楽が忘れられず、またそれを求めていた事に気付き、自己嫌悪に陥る瑠阿。
「さ、起きて起きて。今日も学校、あるんでしょ?」
「……うん……」
このままメアリーに付き合っていたら遅刻してしまうので、瑠阿は起きた。
瑠阿の朝食は、トーストとココアだ。朝はがっつり行く方ではない。メアリーもまた、同じものを食べている。
「じゃあメアリーは、三食血がいるってわけじゃないのね?」
「うん。純血の吸血鬼でも三食は飲まないし、ダンピールの僕はもっと少量でいい。昨日の夜みたいな、ね」
必要な血液の量を訊いただけなのに、メアリーはわざと昨夜の事を思い出させてきて、瑠阿は赤面しながらそっぽを向いた。
「まぁ。メアリーさんに吸血して頂いたの? なかなかない事じゃない。あなた、魔女として一つ泊が付いたわよ」
「母さん……」
泊が付くとか、そういうものなのだろうか。とにかく青羅はメアリーの事を気に入っていて、追い出すつもりはないらしい。
「メアリーったらひどいのよ!? あたしの血を飲む為に、こんな物を着けて! 抜けないの! メアリーが外してくれないのよ!」
瑠阿は隷従の指輪の事を説明した。吸血はもう終わった後だというのに、メアリーはこれを外してくれない。それは瑠阿の血を吸いたいからだ。今これを外してしまったら、もう二度と着けさせてはくれないだろう。そして、吸血もさせてくれない。
「僕は何が何でも君の血を吸いたいんだ」
「隷従だなんて……羨まし……じゃなくて、瑠阿。あなたメアリーさんに吸血させなかったんですって? 本当にあなたは……罰として、しばらくその指輪は着けたままにしてもらいなさい」
「そ、そんな……!!」
「ダンピールにとっては死活問題なの! 今は魔族が助け合って生きなきゃいけない時代だって、お父さんからいつも聞いてたでしょ!?」
「う……」
青羅に叱られてしまった。
「お父さん? そういえば、この家、お父さんがいませんね」
メアリーは気付く。この家には、瑠阿と青羅の二人しかいない。自室と呼べる部屋も、二人分しかない。
「……死んだの」
「……ああ……」
瑠阿が答えた。悪い事を聞いてしまったと思い、メアリーはバツの悪そうな顔をする。
「……もう行く」
瑠阿はそのまま、出ていってしまった。
「ごめんなさいメアリーさん」
「いえ。誰にも言いたくない事情はありますし……こっちもすいませんでした」
青羅が瑠阿の代わりに謝り、メアリーも謝った。
それから、メアリーは尋ねる。
「……もしかして、旦那さんは殺されたのではありませんか?」
魔女の一族である、青羅の夫。そんな人間が、簡単に死ぬとは思えない。メアリーの中には、一つの嫌な予感があった。
「……異端狩りですか?」
「……はい」
そして、その予感は的中していた。
☆
「へぇ、メアリーさん、瑠阿の家に泊まる事になったんだ?」
学院で、瑠阿は真子と話していた。
「あんな綺麗な人と同棲出来るなんて、最高じゃん。何でそんな機嫌悪そうなの?」
「……嫌な事思い出したから。父さんが異端狩りに殺された日の事」
「……異端狩り、か……」
真子はどうして瑠阿が不機嫌なのか、その理由を理解した。
魔族の存在は、少しずつ世界に認知されつつある。人間と一緒に生活している魔族もいると、噂されるほどにだ。
それと同時に、浮き彫りになってきた存在達がいる。それが、異端狩りと呼ばれる者達だ。
彼らが異端と呼ぶのは魔族。つまり、人間に害を加える魔族を狩る者達だ。公では、通常ならあり得ない超常的な事件を解決する為に借り出される、特殊部隊という扱いになっている。
それだけなら、まぁ仕方ないと言えば仕方ない。吸血鬼のような、人間を襲わなければならない魔族もいるが、人間だって黙って食われてやるわけにはいかないのだ。
問題なのは、異端狩り達の性格である。
彼らの行動は年々過激化しており、魔族と見れば問答無用で殺しに掛かる者や、特殊な力を持つだけの人間を異端として扱う者、挙げ句の果てには自分達に反抗的だったというだけで、無力な一般人を殺した者さえいるのだ。
異端狩りは一人一人が強い上に、とある方法で権力を手に入れているので、魔族のみならず、人間からも嫌われている、世界の鼻つまみ者達だった。
瑠阿達一家も、他人に害を及ぼさず、慎ましく、平和に暮らしていたというのに、魔法を使うというだけの理由で、異端狩りから襲撃を受けた。
瑠阿の父、劉生は、瑠阿と青羅を逃がす為に異端狩りと戦い、殺されたのだ。
だから瑠阿も青羅も、異端狩りを心から憎んでいる。自分達は何もしていないのに、どうして? いつもそう思い続けていた。
「今はまだこの町に来てないけど、いつかきっと来る。それが怖くて、あたしも母さんも、いつも怯えてる」
「異端狩りは私もやだな―。直接見たり、会って話した事はないけどさ、場合によっちゃ、私みたいな何にも出来ない一般人だって殺すんでしょ? そんなのに来てもらって喜ぶ奴なんかいないって」
真子からも嫌われている。というより、真っ当な感性の持ち主なら、絶対に異端狩りを好きにはならない。
「マジでさ、どーしてそんな連中がいるんだろーね」
「……必要とされてるから」
頭にきて仕方ないが、異端狩りが必要とされているのは事実だ。魔族の相手は、対処法も知らない人間には出来ない。異端狩りのような、魔族退治の専門家が必要だ。
「そんなのに頼らなきゃいけないとか、マジでこの世界終わってる感じ。ほんといやんなる」
真子の言葉には、本当に同意した。
「……異端狩りについてこれ以上話したって鬱になるだけだし、もっと楽しい話をしよ?」
「……うん」
そう言われて、瑠阿は話題を変える事にした。
☆
「ありがとうね、真子」
「何急に」
「あんたのおかげで、気分が楽になった」
帰り道、瑠阿は真子に礼を言った。
昔からそうだ。真子と一緒にいると、どんな嫌な事も忘れてしまう。
「どういたしまして。だって私、瑠阿の友達だもん」
友達。異端狩りに住みかを追われ、辿り着いたこの町で、一番最初に友達になってくれたのは、真子だった。
「本当にありがとう」
真子を絶対に大切にする。あの時みたいに、異端狩りに襲わせなんかしない。瑠阿は、そう固く誓った。
その時だった。
「あれ?」
真子がある事に気付く。
今までたくさん歩いていたはずの人々が、綺麗に消え去っているのだ。
時刻は、まだ四時。人通りがなくなるには早い、というか、今が一番多い時間帯である。
だというのに、町並みは不気味に静まりかえっていて、人の気配一つない。
「る、瑠阿! なんか、なんかおかしいよ……!」
「真子! あたしから離れないで!」
真子は言われる通り、絶対に瑠阿から離れないよう、瑠阿の手を握った。
「……結界ね」
普段なら絶対にあり得ない事態。考えられるとすれば、自分達は何者かが張った結界の中に、引きずり込まれたという事だ。
一体誰がこんな事をしたのだろうか。真子が怯えながら訊く。
「まさか……異端狩りじゃないよね?」
その可能性は充分にある。異端狩りは基本結界など使わないが、中にはそういう術が使える者もいるらしい。もっとも、それは事を荒立てたくないという、異端狩りの中でも変わり者しか使わないらしいが。
しかし、瑠阿はすぐに、これは異端狩り仕業ではない事を知った。
相手が現れたからだ。黒い煙が人間の形になったような怪物が、地面から、物陰から、呻き声を上げながら現れた。
「ま、魔女喰い……!!」
瑠阿は現れた怪物を見て、恐怖しながらその名を呼んだ。
☆
正確に言うと、この怪物達に種族名だとか、固体名だとか、そんな名前はない。彼らの正体は、この世に未練を残して死んだ者達の残留思念に、魔力が宿って誕生した怨霊だ。
そして彼らは、自分をこの世に残し続ける為に、魔力を摂取しなければならない。だから、魔女を襲って食べる。その有り様から、魔女喰いと呼ばれているのだ。
「ごめん真子。たぶんこいつら、あたしを狙ってるわ」
「えっ!?」
瑠阿は前にも、魔女喰いと接触した事がある。その時は青羅がすぐそばにいた為、助かった。そしてその時に、魔女喰いの生態(?)についていろいろ聞いた。
魔女喰いは常に複数で行動し、結界を張って狙った獲物を引きずり込んで襲う。
しかし魔女喰いは、結界を張る技術こそあるが、中に獲物を引きずり込む技術はあまり高くないらしく、魔女の近くに人間がいた場合、その人間も一緒に引き込んでしまう事がままあるそうだ。
だがただの人間とはいえ、当然生かして帰してはもらえない。その人間も、一緒に食べてしまう。食べたところで魔力は補給出来ないが、彼らは怨霊だ。自分達が死んでしまった鬱憤を、生者に八つ当たりする。
「……あたしだって魔女よ! こんな連中、何とかしてやるんだから!」
瑠阿は杖を取り出し、魔女喰い達に向ける。
魔力を喰う存在なので、そのまま魔法をぶつけても、喰われてしまうだけで効果がない。だから、
「はぁっ!!」
瑠阿は魔女喰いにではなく、すぐ近くの地面に魔力の弾をぶつける。
粉々になるアスファルト。見習いとはいえ、これぐらいの事は簡単に出来る。
「やぁっ!!」
次に、散らばったアスファルトの破片を、物を空中に浮かべる物体浮遊の魔法で操り、魔女喰い達にぶつけた。
これなら、魔力を喰われる事なく、魔女喰いに有効なダメージを与えられる。破片は魔女喰い達の手足や、頭に命中した。
「ウウ……」
「ウアア……」
だが、威力が弱すぎる。こんな小さな破片では、当たったところで少し動きを止める事しか出来ない。
「だったら!!」
瑠阿は魔法で破片を一つに集める。すると、バレーボール三個分ほどの岩塊が出来上がり、瑠阿はそれを魔女喰いにぶつけた。
岩塊をぶつけられた魔女喰いは四散し、消えた。これでようやく、魔女喰いを倒せるだけのダメージを与えられる。
「はっ! はぁっ!」
瑠阿は杖を振り回して魔法を行使し、次々に魔女喰いを倒していく。
だが、大人数を相手にする上で、この戦い方は非常に効率が悪い。魔女喰いは仲間が倒されても全く構う事なく、速度を緩めずに向かってくる。このままでは間に合わない。
「……!!」
何か手はないかと考えた時、ちょうど瑠阿の目に、建物が目に入った。その建物は、魔女喰い達の真横にある。
「はああああああああああ!!!」
瑠阿は建物に杖を向け、全力で魔力を込める。
すると、建物の壁、それも地面との接合部に、少しずつ亀裂が入っていき、
「ああああああああああああ!!!!」
瑠阿は思いきり杖を振り抜いた。
その瞬間、接合部が完全に壊れ、地面から離れた建物が、時速20キロほどの速度で吹き飛んだ。射線上にいた魔女喰い達を巻き込み、粉々にする。
「はぁっ、はぁっ……!!」
「瑠阿!!」
その場に座り込んだ瑠阿を、真子が抱える。
「やったね。すごかったよ」
まさかこんな方法で魔女喰いを全滅させるとは思わなかった。少し驚いたが、真子は瑠阿を労う。
「……まだよ」
「えっ?」
だが、瑠阿は警戒を解かない。
結界が消えていないからだ。魔女喰いが張った結界は、魔女喰いが全滅すれば消える。それが消えないという事は、まだ魔女喰いが全滅していないという事だ。
「る、瑠阿……」
怯える真子に釣られるように、瑠阿は後ろを見る。
そこには、先程倒したのと同じ量の、魔女喰い達がいた。
「まだこんなに残ってたのね……」
瑠阿はまた周囲を見る。魔女喰いの撃退に使える建物は、いくらでもあるのだが――、
「……くっ!」
魔力が足りない。試しに建物の一つを動かそうとしてみたが、びくともしなかった。先程の物体浮遊で、瑠阿は魔力を使い果たしてしまったのだ。
(このままじゃ、真子が……!!)
魔力のない魔女など、か弱い女子高生と同じだ。瑠阿の膂力などたかが知れているし、魔女喰いは素手の人間よりは強い。
瑠阿に真子を守る術は、ない。
だが、その時だった。
銃声が鳴り響き、魔女喰いが二体ほど、砕け散った。
瑠阿が、真子が、魔女喰い達が、その方向を見る。
そこにいたのは、メアリーだった。
「メアリー!!」
瑠阿の呼び声に応えず、メアリーはヘルファイアとナイトメアを乱射し、魔女喰いを全滅させた。
瞬殺。瑠阿が疲れ果てるほど戦っても倒しきれなかった相手を、メアリーは一瞬で終わらせた。
武器の相性もある。だが、あの武器はメアリーだからこそ扱える武器だ。
一方、瑠阿の武器は、一般的な魔女の杖。珍しくもなければ専用でもない、ただの魔女の杖だ。
強力な武器が使えるのは、強力な魔女だけ。瑠阿とメアリーの力の差は、それだけ離れているのだ。