後編
玉宮青羅は、彼女の本名ではない。日本人の遊女が、何の責任もなく男性と一夜を過ごし、それで生まれたのが彼女だった。
責任がなかったのでまともな教育を受けられず、常識も教えてもらえず、名前すら与えてもらえなかった。そしてギリギリ自力で生きていけるまで面倒を見られてから、スラム街に捨てられた。
今日も彼女は、己の命を繋ぐ為に、ゴミあさりに行く。死にたくなかった。どんなに無様でも、生きていたかった。
だが、薄々思ってもいた。こんな自分、生きていても意味があるのだろうかと。
そんな彼女が魔法と出会ったのは、いつものようにゴミあさりに出掛けた時の事だった。誰も入ってこないような路地裏に、一冊の分厚い本が捨ててあったのだ。文字など知らなかった彼女だが、なぜかこの本だけはすらすらと読む事が出来た。
本は魔道書だった。魔道書とは、魔法について書かれている本である。彼女が見つけた本は、初心者が魔法に触れる為の入門書のようなもので、内容こそ浅かったが、字が読めなくても理解出来るよう、翻訳の魔法が掛けられていた。
今思えば、あれを捨てたのは熟練の魔女か魔道士だろうと思う。初心者用でしかないあの本は、熟練者となった自分にはもう必要ないとでも、思ったのだろう。
そこから魔法について、それから一般常識について理解した彼女は、貪るように魔法の練習をした。初めて杖を造った時の感動は、今でも思い出せる。
彼女はどん底にある自分の人生を、どうにか逆転したいと思った。そんな矢先目を付けたものが、ギャンブルだったのだ。少ない掛け金を何倍にも増やす事が出来る上に、魔法でイカサマもし放題な彼女にとって、ギャンブルはまさしく天啓だった。
彼女は掛け金に使う元手を、魔法を使って手に入れた。そして、魔法を使って自分を身綺麗な女性に見せ掛け、カジノに入り、ブラックジャックに勝った。
一度勝負に勝つと、次は賞金を全額使って勝利し、それを三回繰り返した。そこでイカサマがバレそうになり、一度カジノから出た。
何をしても手に入れられなかった大金が一瞬で手に入り、彼女はギャンブルに嵌まった。だが、今度はバレないようにしなければならないと用心し、その時に造ったのが約束された幸運の手札だった。
いつものように出掛けたカジノで、たまたま計気づけとしてマジックショーが開かれた為、彼女はそれを見た。そして、マジックにも嵌まった。
頭の中で様々なマジックを考える。どれも魔法を使える彼女からすれば、簡単だった。それはそうだ。マジシャンがあたかも魔法を使えるように見せ掛けるのに比べて、彼女は本物の魔法が使えるのだから。
どんなマジックが一番強いインパクトを観客に与えられるか考えて、思い付いたのが、剣を使ったマジックだった。そして造ったのが、嘘吐きの剣だ。
何度も何度も練習して、初めてのマジックショーを敢行し、見事彼女は大成功を収めたのだった。
「素晴らしいショーだったね」
そんな時に出会ったのが、一人の男性だった。
「初めてなんだって? それにしてはいい出来だ」
「どうもありがとう。緊張したけど、喜んでもらえたようで何よりだわ」
男性は彼女に握手を求め、彼女はそれに応じる。
と、男性は唐突に切り出した。
「ところで、このカジノで最近有名になっているギャンブラーがいるって聞いたんだけど、知ってるかな?」
「知らないわ。どんな人?」
「とても美しい女性で、連戦連勝を重ねてるって」
「そんな人がいるのね。知らなかったわ」
男性の話に、彼女はとぼける。
だが、
「君、魔女だろ?」
男性からそう訊ねられた時、心臓が止まったかと思った。
「やっぱりね。件のギャンブラーも、君の事でしょ」
イカサマをしていると言われた時はポーカーフェイスを貫けたが、流石にこれはそうはいかなかった。男性は彼女が動揺したのを見逃さなかった。
「悪い事は言わない。こんなあくどい商売は今すぐやめて、真っ当な人間として暮らすんだ。大勝ちしてるんだから、それくらいの金はあるだろう?」
「出来ないわよそんな事!」
男性は、彼女にギャンブルをやめるよう言う。しかし、ギャンブルはもう既に彼女の生きがいだ。自分の生きがいを否定された彼女は、動揺しているのも手伝って、つい声を荒げてしまう。
「同じ魔道を生きる者として忠告してるんだ。頼む」
(この人、魔法が使えるんだ……)
彼女は自分以外にも魔法を使える者がいた事に驚いている。いや、あんな本があるくらいだからいるだろうとは思っていたのだが、実際に目の前に現れてみるとやはり衝撃は大きい。
「あなたからの忠告は嬉しいわ。同族に会えた事もね。でも、ギャンブルは私の生きがいなの。今さらこの生き方を変える事なんて出来ないわ」
彼女は男性の手を振り払って、人混みの中に消えた。
(そう。この生き方を変える事なんて出来ない)
今日も彼女は、いつものカジノでギャンブルに興じていた。スラムという狭い世界で生きてきた彼女にとって、自分が生きる世界はスラムとカジノしか知らない。彼女にとってカジノでの生き方をやめるという事は、スラムに戻るという事なのだ。
(そんなの御免よ! あんな場所に戻るなんて、死んでも嫌!)
一度華やかな世界を知ってしまったら、もう戻れない。彼女の中には、そんな選択肢はない。
とはいえ、あまりこのカジノに入り浸るのはまずいと思っていたのだ。あの男性の登場は、彼女にとって一つのきっかけだった。
(もうちょっとここで稼いでから、別の町に行こう。そこでまたギャンブルを楽しめばいいのよ)
ここにいるのがまずいなら、場所を移せばいいのだ。この勝負に勝ってから、そうしよう。そう思って、カードを取ろうとした時、
彼女は男の手に腕を掴まれた。
あの男性の手ではない事は確かだった。
彼の手はもっと綺麗だったが、この男の手は、ゴツゴツしている。いかにも荒事に慣れていると、物語っているような手だ。
その手が、彼女の手をねじ上げた
「痛っ!」
男は黒い装束に身を包んでいた。そして男は言う。
「私は異端狩りです。あなたは魔女ですね? 駆除対象と見なし、駆除します」
「異端、狩り……?」
男は異端狩りだった。あまりにも連戦連勝を重ねる彼女の噂を嗅ぎつけ、様子を見ていたのだ。そして、魔女だと見抜いた。
彼女は異端狩りの存在を知らなかったが、周囲がパニックになっている事からも、この男が只者ではないと理解していた。
だが異端狩りの力は強く、彼女は振りほどけない。このまま捕まっていたら、間違いなく殺される。それがわかっているのに、逃げられない。
その時、異端狩りの手が、手首から切断された。
「ぐわあああああああああああ!!!」
絶叫を上げる異端狩り。
彼女を救ったのは、あの男性だった。男性が手刀を振り下ろすと、異端狩りは真っ二つになる。そして男性は、彼女を抱えてそこから瞬間移動した。
「だから言っただろう? あくどい商売はやめろって」
男性から叱責を受けながら、彼女は異端狩りについて説明を受けていた。
「ごめんなさい。あなたの忠告を素直に聞いていれば……」
「……起こってしまった事は、もう仕方ない。急いでここを離れて、今からでも別の暮らしをすれば……」
「無理よ、そんなの」
「……えっ……?」
彼女は反省しながら、自分の身の上について語り出す。
「そうだったのか。すまなかった。君の事情も知らずに、自分勝手な事を……」
「いいのよ。あなたは悪くない。悪いのは、この世界に生まれてきた私だもの」
彼女は気に病んだ。自分が生まれてこなければ、魔法を知る事も、男性に迷惑を掛ける事も、あの異端狩りが死ぬ事もなかった。自分が生まれて来さえしなければ、と。
「……君は確か、名前がないんだったね?」
「ええ、そうよ」
話を黙って聞いていた男性は、女性に訊ねた。そして、男性は言う。
「じゃあ、俺が名前を付けてあげよう」
「えっ?」
それから、男性は彼女の目を見た。
「綺麗なサファイアブルーの瞳……君の名前は、今日から青羅だ。性は俺のを使うといい」
「青羅……それが、私の名前?」
男性は彼女に名前を付けた。ここまで大きくなってから名前を付けてもらうというのは、何だか変な感じがする。だが、決して嫌な気分ではなかった。
ここで彼女は、男性の名前を知らなかった事に気付く。だが彼女が訊くより早く、男性が答えた。
「俺は玉宮劉生。だから今から君は、玉宮青羅だ」
「劉生……青羅……」
男性の名前を、それから自分の名前を、確認するように呟く彼女。そんな彼女に、劉生は言う。
「どんな命にも意味はある。生まれてこない方がよかった命なんてものは、絶対にない。君が自分の人生に意味を見出せないというのなら、俺が意味を持たせてあげよう。君が自分の生き方がわからないというのなら、俺が生き方を見つけてあげよう」
だから、そんな悲しい事を言わないで欲しいと、劉生は言う。
「青羅。俺の女になってくれ」
「……はい」
彼女はプロポーズに応えた。
この日から、名無しのギャンブラーは、玉宮青羅になった。
(私に生きる意味を与えてくれたあの人)
劉生とともに生き、人間らしい生き方を学んだ青羅。そして彼との間に、瑠阿が生まれた。
足が付かないよう、ギャンブルで稼いだ金は、最低限を残して全額孤児院に寄付した。その為劉生と瑠阿との人生は、慎ましくなってしまった。
だが、幸せそのものだった。スラムでの生活はもちろんの事、ギャンブルで大勝ちする事よりも、マジックショーで脚光を浴びる事よりも、ずっと幸福だった。
そんな幸せな家庭を、エルクロスが破壊した。
(エルクロス。あなただけは、絶対に許さない!!)
倒せなくても、一矢報いてみせる。そう誓って、青羅はエルクロスが待つ最上階への歩みを進めた。
☆
「ぐああああ!! そ、そんな……!!」
一人の赤服が、血の海に沈んだ。その中には、黒服達もいる。
「赤服と黒服ごときが、俺に勝てるかよ」
この惨状を作ったのは、ジン・アルバトリア。ティルアは参加していない。ジンの希望で、彼一人のみが暴れた。
彼は腐っても白服だ。下位団員の黒服と赤服では、束になっても敵わない。
「さ、行こうぜ!」
「はい」
勇んで歩くジンの後ろを、ティルアがついていく。
これで、戦力は丸裸にした。
残る相手は、あと三人。




