後編
瑠阿は、自然を愛する心優しい少女だった。家の近くに森があって、その森の中にある泉のほとり、そこに広がっている花畑で、本を読んだり、昼寝をしたりするのが日課だった。
その日も瑠阿は、いつものように花畑で昼寝をしていた。他人が見れば、心洗われる、美しい光景だっただろう。
瑠阿は足音を聞いて目を覚ました。そこにいたのは、三人の異端狩りだった。足がすくんで動けなくなっていたが、劉生と青羅が駆けつけてくれたおかげで、逃げる事が出来たのだ。
異端狩りの一人が、エルクロスだった。大好きな父親を、エルクロスが殺した。ティルアが、そう教えてくれた。
「どうして……どうしてエルクロスは、お父さんを殺したのよ!?」
瑠阿には意味がわからなかった。自分達は誰にも迷惑を掛けず、穏やかに暮らしていただけだったのに、異端狩りに狙われるような事は、何一つしていなかったのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのかと。
「ここから先は、あなたを信用してお話しします」
「おい、ティルア!」
今からティルアは、話してはいけない事を話そうとしている。そう思ったジンはティルアを止めようとしたが、ティルアは片手でジンを制し、話し出した。
「コッペリオンハートの発動に最も必要な材料は、魔女、または魔道士の心臓です」
それを聞いて、瑠阿は目を見開いた。
瑠阿から、父の遺体の心臓が抜き取られていたと聞いた時、ティルアは嫌な予感を覚えていた。しかし、行方を眩ましていたエルクロスが動き出すまで、メアリー達から信頼を勝ち取るまで、エルクロスについての情報を与えるわけにはいかなかった。だから確認が取れず、今まで漠然とした予感しかなかったのだ。
それが、エルクロスが動いたおかげで、確認を取る事が出来た。
「……あたしのお父さんは、エルクロスが不老不死になる為に、殺されたっていうの?」
「……恐らく。そうでもなければ、わざわざ魔道士を狙い、心臓を抜くなどという残虐極まりない殺し方をしないでしょう」
「瑠阿……」
メアリーは、打ちのめされている瑠阿の肩を抱き、支える。
「……これでわかったよ。君は瑠阿に、お父さんの仇を取らせてあげたいんだね?」
「はい。何も知らないうちにいつの間にか親の仇が討たれていたというのは、不憫だと思いまして」
そしてメアリーは、ティルアが瑠阿の為を思って、彼女を同行させようとしていると知った。
「瑠阿、どうする? 僕はこの人達に同行するけど、つらい戦いになるのは間違いない。行けば死ぬかもしれない。それでも、お父さんの仇を取りに行くかい?」
メアリーは瑠阿に訊ねる。
(そうだ。ティルア達について行けば、エルクロスに会える。お父さんの仇が取れる……!!)
ずっと探し求めていた、父の仇。その所在が判明し、自分はいつでもそこに行く事が出来る。そう、すぐにでも。
「……少し、心の準備をさせて」
いろんな情報が入って来すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。心の中も乱されて、とても戦いになど出られない。
「……わかりました。ジン、今はひとまず帰って下さい。私と瑠阿は、学院に戻ります」
「いいのか? エルクロスのクソ野郎を逃がしちまうかもしれねぇぜ?」
「心配はありません。エルクロスにとっては、奇跡の姉妹の片割れを手に入れるまたとない機会ですからね」
ティルアも瑠阿の気持ちを汲んで、この場は収める事にした。エルクロスとしても、メアリーは絶対に手に入れたい存在。焦らなくても、そうそう逃げ出したりはしない。
「……お前の家庭事情なんか知らねぇけどな、お前のお友達が人質に取られてるって事、忘れるんじゃねぇぞ」
ジンは引き上げていった。
「……真子……」
「……あいつ、わざわざ瑠阿を追い詰めるような真似を……」
瑠阿は呟き、メアリーは去って行ったジンを睨み付ける。
「メアリー。あなたも」
「……そうだね。瑠阿の事、今回は感謝するよ。じゃあ瑠阿、またあとでね」
ティルアに指摘されて、メアリーも帰って行った。
「瑠阿」
二人が帰ってから、ティルアは瑠阿に言う。
「つらいでしょうね。ですが、真子は大丈夫です。私達の手で、必ず助けましょう」
「……うん」
瑠阿は頷いた。
☆
表向きは普通の学生である為、二人は学院に戻った。だが瑠阿は、勉強など全く手に着かず、授業の内容などほとんど頭の中に入ってこなかった。
理由はもちろん、頭の中が既に、エルクロスを倒す事と、真子を取り戻す事で一杯になっていたからだ。
「お母さん」
帰ってきてから、瑠阿は青羅に話し掛けた。
「おかえり瑠阿。どうしたの?」
青羅は台所に立ち、夕食の準備をしている。こちらに背を向けたままだ。
「……どこにいるかわかったの。お父さんを殺した異端狩りが」
「!?」
しかし、これには流石に驚き、瑠阿の方を振り向いた。瑠阿は、今日あった出来事を全て話す。
「エルクロス……それが、あの人を殺した異端狩りの、名前……その異端狩りが、あの人の心臓を……!!」
「あたし、明日メアリーと一緒に、上海に行こうと思う。行って真子と、お父さんの心臓を取り返してくる」
青羅と話す前に、瑠阿はメアリーから、コッペリオンハートの詳細を聞いた。コッペリオンハートは、特殊な処理を施した魔女、または魔道士の心臓を、術者が取り込む事で発動する。つまり、劉生の心臓は取り返す事が出来るのだ。
心臓を取り戻しても、劉生が生き返る事はない。しかしそれでも、劉生の心臓が異端狩りの道具として使われているという事は、耐えられない。だから瑠阿は、エルクロスから心臓を取り返し、弔う事にしたのだ。
「それなら、私も行くわ。私だって、あの人の仇を取りたいもの」
青羅も同行を願い出た。仕方ない。なぜなら彼女は、他ならない劉生の妻なのだから。
「ティルアは言ってたわ。エルクロスはジャスティスクルセイダーズから離れる時、自分の息の掛かった異端狩りを、何人も一緒に連れて行ったって。エルクロスだけじゃなくて、そいつらとも戦う事になるのよ? それでもいいの?」
「もちろんよ。それに、あなた一人を行かせられないわ」
瑠阿は青羅の意思を確認した。
「……わかったわ。じゃあ、一緒に行きましょ!」
「ええ!」
こうして、青羅もエルクロス討伐戦に参戦する事になった。
「メアリー!」
瑠阿は青羅を連れて自室に戻り、青羅も共に戦う事を伝える。
「戦力は多い方がいい。それに、やっぱりお母さんも一緒に戦わせてあげるべきだ。この戦いは、劉生さんの弔い合戦になるわけだからね」
メアリーも納得している。何もおかしくはない。ごく自然な話だ。むしろ、当然と言うべきである。
「じゃあ、明日に備えて、今日はしっかり休みましょう」
青羅は言った。相手は、元白服。ジンと同レベルの実力者であり、それ以外にも大勢相手にする事になる。可能な限りの準備をするべきだ。
とりあえず瑠阿が疲れているので、夕食を摂る事にした。
そして、就寝時間。
明日、瑠阿は学院を休むという事は伝えてある。ティルアに電話して、どこで落ち合うかも打ち合わせした。青羅は自室に隠してあった秘蔵の魔道具を取り出した。メアリーは、自分の魔道具の手入れを終えた。あとは、休むだけ。
という時に、瑠阿と青羅は瑠阿の部屋にいた。
「あの、青羅さん? 僕に用って、何ですか?」
「……恥ずかしい話ですが、私にはあなたほどの強い力はありません。不死身の異端狩りを倒す力なら、なおさらです」
今回の戦いは、間違いなくメアリーが戦力の中核となる。不死殺しの力はメアリーしか持っていないので、彼女が倒されれば終わりだ。
「ですから、あなたが少しでも強くなるようにしておかなければなりません。私に出来る事はあなたに私の血を飲んで頂く事だけです」
吸血鬼は、血を飲むほどに強くなる。食事という用途だけならそこまでの量は必要ないが、パワーアップとなれば話は別だ。
青羅は自分の血を飲んでもらう事で、メアリーのパワーアップを図っているのだ。
「わかりました。では、あなたの血を飲ませて頂きます」
「そ、それならあたしも!」
すると、瑠阿が対抗するかのように、むきになって申し出た。
(な、何であたし、これじゃまるで……)
メアリーを取られるかと思ってるみたいだと、瑠阿は思った。実際、そういう感情があったかもしれない。自分の目の前で、自分以外の人間がメアリーに血を吸われるなど、今までなかった事だ。メアリーに血を吸ってもらうのは、自分だけの特権。そう思っていたとしても、不思議ではない。
「……ありがとう。じゃあ、二人とも……」
メアリーは少し間を置いて、
「……頂きます」
二人の血を吸った。
☆
翌朝、瑠阿は青羅とメアリーを連れて、合流した。青羅も連れて行くという事は、もう昨日の電話で伝えてある。
「いい顔付きです。決心が出来たみたいですね」
ティルアも歴戦の異端狩りなので、顔を見ただけでわかる。今の瑠阿は、いつものか弱い少女ではなく、一人の戦士だ。
「うん」
瑠阿は頷く。覚悟は出来た。後は上海に渡り、エルクロスと戦って勝つだけだ。
「お前がその見習い魔女の母親か」
「はい。青羅と申します」
「……ふん。見習い魔女よりはマシな力持ってるみたいだが、赤服以上には通じねぇな。ま、せいぜい足手纏いにならねぇよう気を付ける事だ」
「……御忠告、痛み入ります」
ジンからのぶっきらぼうな忠告を聞き入れる青羅。そんな二人を見てから、ティルアは説明する。
「今回の作戦、ジャスティスクルセイダーズ側からの戦力は、私とジンのみです」
「へぇ、重要案件らしいから、白服を二、三人は連れてくるものと思ってたんだけどな」
「エルクロスの件は、ジャスティスクルセイダーズでも最重要の機密事項です。公にならないよう、少数で解決しなければならないのです」
「……ま、ジャスティスクルセイダーズが最高幹部を管理出来てない危険集団だって世間様に知れ渡ったら、世界大戦勃発待ったなしだからね」
既にジャスティスクルセイダーズの問題行動は、世界に知れ渡っている。ここでさらに白服が不死身になって離反し、世界征服を企てていたなどとわかったら、世界各国の首脳陣が、何が何でもオルベイソルを潰そうとするだろう。
それに、相手は不死身なのだ。メアリー以外の戦力を必要以上に投入したところで、徒労に終わるだけである。要するに、メアリーの不死殺しの霊力を、エルクロスに届かせる事が目的で、他は露払い役なのだ。
「とにかく、増援は期待出来ないと思って下さい」
「わかった。ま、必要ないけどね。僕一人で充分なくらいさ」
今までずっと一人で戦ってきたし、増援など最初から期待していない。相手が劉生の仇でさえなければ、メアリーは一人で戦うつもりでいたのだ。
「こっちだって、向こうが不死身でさえなけりゃ、てめぇの力なんて借りなかったんだよ。てめぇが俺と対等の立場に立ててるのは、ティルアのおかげだってわかってんだろうな?」
ジンは、実はエルクロスに対して、個人的な恨みがある。不死殺しの力が自分にさえあれば、ジンは自分一人でエルクロスを殺すつもりでいた。
「あれ? 対等なつもりでいたの? あれだけ僕にやられてたくせに? 君があの程度なら、エルクロスも他の白服の実力も知れたものだよねぇ」
「何だとてめぇやる気か!?」
互いを煽り合うメアリーとジン。これから決戦に向かうというのに、瑠阿と青羅は不安になる。
「……上海への渡航手段には、私のゲートカードを使います」
無視して話を進めるティルアは、異端狩りの紋章が刻まれたカードを取り出した。これは、様々な場所に転移する為の、異端狩り専用のポータルカードとも言うべきカードである。
「準備はいいですか?」
行けば、恐らく決着がつくまで戻れない。居場所を教えた以上どんな罠が仕掛けられているかわからない。戦いの準備は済ませたか、ティルアは訊ねる。
誰も問い掛けに答えない。それは、決して無視しているわけではない。沈黙もまた、一つの答えである。すなわち、そんなものとっくに済ませている。だから余計な質問をしないで、さっさと始めよう、と言っているのと、同じ事なのだ。
「では、突入!」
ティルアはゲートカードで、上海へ繋がるドアを作る。
一同はドアをくぐり、閉まると同時に、ドアは消えた。




