前編
「メアリーさん。あれ? 瑠阿、メアリーさんは?」
休日、青羅は瑠阿に、メアリーの居場所を訊いた。どうやらメアリーを探していたようだが、見つからなかったらしい。
「えっ? いないの? ……あ」
実を言うと、瑠阿はメアリーの居場所に、一カ所だけ心当たりがあった。アウトローホールだ。メアリーはよく、あの見せに入り浸っている。一応本人から、酒はイケる口だという話は聞いているが、飲む目的ではない。
実は、アウトローホールの奥の部屋には、魔道具を造る為の工房がある。言うまでもなく、店の主人レヴェナが使う工房だ。メアリーは、フェリアの至宝についての情報がない時、ここで魔道具を造っている。
メアリーの夢は、母のような魔道具職人になる事だ。彼女の銃であるヘルファイアとナイトメアも、彼女が自作した魔道具だ。だから、恩師であるレヴェナの元で修行を積んでいる。バーに本来の目的以外で入り浸るというのは変な話しだが、他ならないレヴェナが許可しているので、メアリーも構う事なく、魔道具作成に没頭している。
「何かメアリーに用? あたしでよかったら、伝えに行くけど?」
瑠阿はポータルカードを出して見せる。アウトローホールの事を知ってから、自分にもポータルカードが必要だと感じた瑠阿は、レヴェナに頼んで発行してもらったのだ。本当は審査や試験などが必要になるのだが、レヴェナのおかげでそれらの手間は省けた。まぁ、それでもブロンズカードだが、アウトローホール一カ所が登録出来れば充分だ。
「……じゃあ、お願いしようかしら」
「わかったわ。それで、何を伝えたらいいの?」
「実は、今夜の晩ご飯を何にしようか悩んでるのよ。メアリーさんは何が食べたいか、聞きたいと思ったの」
「今夜の晩ご飯ね。オッケー」
メアリーにとって一番のごちそうは瑠阿の血なのだが、それだけでは味気ない。というわけで、瑠阿はポータルカードを起動し、扉を出現させて、アウトローホールに向かった。扉は瑠阿が通った直後に消えた。
☆
「あら、瑠阿さん」
「こんにちは、レヴェナ様。メアリー、います?」
「メアリーなら、私の工房に」
やはり、メアリーはここにいた。
「入っていいですか?」
「はい、どうぞ」
瑠阿はレヴェナから許可をもらい、カウンターの中に入ると、奥にある扉から入っていった。
扉の奥には廊下があり、そこを一直線に通って広い空間に出る。
奥にあった空間には、そこら中に鉄クズのようなものが散乱しており、壁や天井に魔道具が飾ってあった。ここが、レヴェナの魔道具工房だ。
その一番奥にあるのが、金属を魔力で加工する釜、魔道炉。メアリーは、そこに魔力を注ぎ込む作業をしていた。
「メアリー」
「瑠阿。どうしたの?」
瑠阿の存在に気付いたメアリーは、作業を一時中断する。
「お母さんがね、今夜何が食べたいか、訊いてきて欲しいって」
「……ああ。じゃあ、今夜はステーキにしてもらおうかな」
最近日本食ばかりで、外国の味が恋しくなってきていたメアリーは、青羅にステーキを作ってもらう事にした。
「ステーキね? わかったわ」
要望を聞いた瑠阿は帰ろうとするが、はた、と思ってメアリーに尋ねた。
「何造ってるの?」
「これ? これは君へのプレゼントだよ」
「えっ? あたしの?」
何と、メアリーは瑠阿にプレゼントする魔道具を造っていたのだ。瑠阿にはいつも世話になっているし、これから自分の嫁になってもらおうと思っている相手だから、魔道具を造ってプレゼントするつもりでいるらしい。
「嬉しいけど、何を造ってるの?」
「それは教えられないなぁ。せっかくのプレゼントなのに、今から教えたりしちゃつまらないでしょ?」
「……確かにそうだけど……でも気になるわ」
「我慢我慢。そう焦らなくても、近いうちに必ずあげるって。さ、気が散るから帰って。完成が遅れたら嫌でしょ」
「……わかった。じゃあ、あんまり遅くならないうちに帰ってきてね?」
「うん」
メアリーの仕事の邪魔をしては申し訳ない。なので、根を詰めすぎないように言って、帰る事にした。
「レヴェナ様」
「もういいんですか?」
「はい。お邪魔しました」
瑠阿はレヴェナに礼を言って帰ろうとする。
「まぁ待って下さい。一杯どうぞ」
しかし、レヴェナに引き留められた。
「えっ? でもあたし、まだ未成年……」
「大丈夫ですよ。子供でも飲めるドリンクです」
ここはバー、アウトローホール。大人の為の店だ。瑠阿の存在は、本来場違いである。しかし、一応お世話になってはいるので、マスターに飲めと言われて、このまま帰るのは確かに悪い。
というわけで大人しくカウンター席に座り、一杯だけ飲む事にした。
「はい、当店専用の未成年用ドリンク、デイ・ドリームです」
そう言ってレヴェナが持ってきたのは、真っ白なドリンクだった。
「頂きます」
瑠阿は一礼して、デイ・ドリームというらしいドリンクに口を付ける。
味は甘く、まろやかで、甘党な瑠阿にはとても美味しかった。それに、頭がぽやぽやしてきて、何だか気持ちいい。まるで、夢の中にいるような気分で、心が落ち着く。
「美味しいですね、これ」
「ありがとうございます」
瑠阿は満足した。ここは大人の店だが、これ目当てに通ってもいいくらいの味だった。
「……メアリーは、どうして魔道具職人になろうと、思ったんでしょうか」
瑠阿はレヴェナに尋ねた。レヴェナなら、メアリーの過去について、何か知っているかもしれない。
「フェリアは、私が知る中で最も優れた魔道具職人です。そんな彼女の娘として生まれた子ですから、憧れが強かったんでしょう」
「やっぱり……」
母への憧れ。やはり、それが一番強い理由だった。それからレヴェナは、フェリアが教えてくれた、フェリアとアグレオンの馴れそめについて、語っていく。
「元々アグレオンは、魔界の吸血鬼の大貴族で、フェリアはそんな彼に雇われた給仕係の一人でした」
魔族同士の抗争で両親を失い、孤独な身となっていたフェリアは、魔女である事を売り込み、ブラッドレッド家の給仕係として雇われた。その頃のフェリアは、まだ家事が得意なだけの平均的な魔女で、魔道具職人としての優れた才覚は発揮していなかった。
ただ、魔道具造りを趣味にはしており、アグレオンの屋敷で魔道具を造っていた他の魔道具職人から、余った材料を分けてもらい、休憩時間に自室で造っていたらしい。
ある日、アグレオンがフェリアの部屋を訪れる機会があった。その時、アグレオンはフェリアが使っていた材料を見て、とても驚いたようだ。
「何だこれは?」
「はい。私、魔道具造りが趣味でして、他の職人様から材料を分けて頂いていたんです」
アグレオンは材料の一つを掴み取り、調べる。魔族が造る道具と書いて魔道具なのだから、材料にも当然、魔力が込もっていなければならない。
この材料にも、ちゃんと魔力は込もっている。しかし、とても小さい。魔道具の材料として使うには不適切というよりなく、他の材料も全て、同じようなものだった。
「ゴミ同然じゃないか。これでは力のある魔道具なんて、とても造れないだろう? 可哀想に……」
「いえ……あくまでも趣味ですから……」
フェリアは謙遜する。余った材料といっても、使いきれなかった材料、もしくは魔道具を造ったあとに排出されたものなので、アグレオンの言う通り、ゴミ同然の、材料とすら言えないものだった。
「……よし、わかった。お前の為に材料を手配しよう」
「えっ!?」
フェリアは驚いた。アグレオンはフェリアの為だけに、魔道具作成の材料を用意する事にしたのだ。
「そんな、専属の職人様方を差し置いて、私がそんな……」
「俺はこれでも、魔道具について多少の知識がある。その知識と照らし合わせてみたところ、お前には魔道具職人としての優れた才能があると結果が出た。だが才能だけあっても、材料がゴミでは何の意味もない。だから、まともな材料を好きなだけ使って、思うように造ってみるといい。責任は全て俺が取る」
アグレオンの力強い説得を断れず、それからフェリアは取り寄せてもらった材料を使い、魔道具を造る事にした。
主人の期待に応えようという強い気持ちもあって、フェリアは魔道具造りに本格的に取り組んだ。すると、彼女の眠っていた才能が瞬く間に開花し、優れた魔道具を次々と製作していき、アグレオンはそれに助けられた。
そしていつしか二人の間には、主従の関係を越えた、確かな恋愛感情が生まれていた。
ある時、ブラッドレッド家は、魔界の大きな戦争に巻き込まれ、没落した。そんな中でも、アグレオンとフェリアだけは、フェリアの造った魔道具のおかげで生き残る事が出来たのだ。
「実はな、俺はもう、貴族として生きる事に疲れていたんだ。誰か信用出来る伴侶を一人連れて、屋敷を飛び出したい。あらゆる全てに煩わされない所で、二人きりで生きていきたい。そう思っていた」
廃墟と化した屋敷を見ながら、アグレオンは告げた。貴族としての今までの自分を投げ捨てて、人生をやり直したい。ブラッドレッド家の没落は、そのきっかけとしてちょうど良いと。
「フェリア。俺と一緒に、来てくれるか」
「はい、喜んで!」
仕事も、帰る家も失ってしまった。完全なゼロからのスタートだったが、フェリアに恐怖や不安はなかった。アグレオンと一緒なら、二人でなら、どんな困難も乗り越えられる。そんな予感があったからだ。
それから二人は、何のしがらみも存在しない場所、すなわち、人間界へと移住し、二人の娘を授かった。その一人が、メアリーである。
「フェリア様って、波瀾万丈な人生を歩んで来られたんですね」
「ええ。魔女の中でも、彼女ほど数奇な人生を歩んだ者はいないでしょうね」
フェリアの人生の過酷さは、レヴェナも認めるほどだった。そして彼女は、夫とともに異端狩りに討たれるという最期を迎えたのだ。
「瑠阿さん。今あの子は、一人なんです。あの子のお姉さんは、あの子を大事にしようとしません。ただ一人残った肉親であるという情さえ、少しも抱いてはいないのです」
レヴェナの話によると、二人の仲は瑠阿が思っている以上に険悪であるらしい。メアリーは今でも大切な姉だと思っているそうだが、姉の方は大切な妹と全く思っていないそうだ。両親を失った今、姉妹で支え合って生きて行かなければならないというのに。
そう思うと、瑠阿は悲しくなった。
「だから、あなたがあの子を支えてあげて下さい。あなたの存在が、彼女にとって唯一の心の拠り所なのです」
レヴェナは、メアリーが瑠阿の事を話す時、とても楽しそうな顔をしているのを覚えている。瑠阿と出会うまでは、あんな顔をした事などなかった。いつも無表情で、何をしていても憎悪しか感じない。そんな女性だった。
瑠阿はメアリーにとって、家族以上の大切な存在なのだ。
「……はい」
瑠阿は頷いた。
☆
家に帰ってきた瑠阿。
青羅は瑠阿からメアリーの希望を聞くと、買い出しに出掛けていった。
「あたしが、メアリーの大切な人、か……」
瑠阿はベッドの上で、枕を抱えて寝転んでいた。
今日はとてもいい話を聞いた。メアリーの家庭事情について知る事が出来たし、来るべき決断の時に備える心の準備が出来たのだ。
メアリーにお嫁さんになって欲しいと言われた時、今度ははっきり答えようと思った。メアリーの、お嫁さんになると。
そんな時だった。チャイムが鳴ったのだ。
「誰だろう?」
郵便や宅配にしては、少し時間が遅い。もしかしたら、真子が来たのか、それとも青羅が忘れ物を取りに戻ってきたのかと思い、玄関に行く。
「はい」
瑠阿は何の警戒もなく、ドアを開けた。
真子の顔は見えなかった。青羅の顔も見えなかった。誰の顔も見えなかった。
見えたのは、手のひら。その手のひらが瑠阿の首を掴み、凄まじい力で、背後の壁に瑠阿を叩き付けた。
「がっ!?」
肺から空気を吐き出す。喉を締め付けられ、声が出ない。痛みで意識が飛びそうになったが、どうにか意識を保ち、相手の顔を見る。
「よお。久しぶりだな」
見た瞬間に、背筋が凍った。
瑠阿の首を掴んでいるのは、異端狩りのジンだったのだ。
「あ、あんた……ジン・アルバトリア……!!」
喉を掴まれているので、かすれ声しか出ないが、その名前を呼ぶ。
「ここがお前の家で間違いないらしいな。だが、お前に用はねぇ。わかってんだろ? メアリーを出しな」
ジンが瑠阿のような弱小魔女を、歯牙に掛けるわけがない。目的は、メアリーだ。メアリーに用があって、この家を探していたのだ。
「メアリーに、何する、つもりよ……!?」
瑠阿は苦しみながらも、ジンを睨み付けて、精一杯の抵抗をする。
「お前には関係ねぇ。っつーかよ、わかるだろ? 俺が何しにここに来たかなんてよ」
その言葉で、瑠阿はジンの目的を察した。異端狩りが異端に対して行う事など、一つしかない。ジンは、メアリーを殺しに来たのだ。
当然、ティルアにこの事は言っていないだろう。言えば、彼女なら確実に止める。完全に、ジンの独断だ。こんな事をしてタダで済むはずはないが、この男にとって組織が決めたルールなど、何の意味もない事をすっかり忘れていた。
「わかってて、呼ぶわけ、ないでしょ!?」
「お前、自分に拒否権があるとでも思ってんのか?」
そう言うと、ジンはデストロイカスタムを一丁抜いて、銃口を瑠阿の額に押しつけた。
「呼べよ。知ってんだぜ? お前はメアリーがどこにいても呼べるんだろ? どんな術使ってんのか知らねぇけどよ」
隷従の指輪については知らないようだが、瑠阿がメアリーを呼び出せるという事は知っているようだ。
「さぁ、呼べ! じゃねぇと殺すぞ! お前が死んでも、俺は全然困らねぇからな!」
さらに強く銃口を押しつけ、引き金に力を込める。この男、本当に躊躇いがない。
瑠阿が恐怖に飲み込まれそうになった、その時だった。
「その汚い手を離しなよ。その子は僕の許可なく触れていい相手じゃないんだ」
ジンの右のこめかみに、白い銃の銃口が押しつけられた。
「メアリー……!!」
隷従の指輪を通じて、瑠阿の危険を知ったメアリーが、魔道具作成を切り上げて戻ってきたのだ。
「……やっと来やがったか。待ちくたびれたってんだよ」
ジンは瑠阿を離して、デストロイカスタムを下ろす。瑠阿はその場に座り込み、喉を押さえて咳き込んでいる。メアリーはヘルファイアをしまい、瑠阿を抱き寄せた。それから、瑠阿の身体を壁に預け、ジンと向かい合う。
「で? 僕に何か用があって来たんだろ?」
「話が早くて助かるぜ。来い、ツラ貸せ」
ジンは親指で、外に出るよう言うと、家から出て行った。
ついて来いと言っている。ここで断れば、何をしでかすかわからない。
「瑠阿。すぐ戻ってくるから、いい子で待っててね」
「メアッ……!」
瑠阿はメアリーを呼び止めようとしたが、咳き込んでしまい、彼女の姿を見送る事しか出来なかった。