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今日も酸っぱい雨が降る

作者: T3

 宇宙に無数に存在する局部銀河群、その一部である銀河系内の片隅に位置するオリオン腕。そのまた辺境部に8つの惑星を有する恒星系がある。

 ごくありふれた中規模の恒星から数えて3番目の惑星。地球と呼ばれるこの惑星には、窒素と酸素を主成分とする大気と、液状の水が存在するが、ある一点を除いて特徴と呼ぶべきものは無い。

 その一点とは、自我を持つ生物知性体の存在である。この無限とも言える観測可能な宇宙の中でも、知性は稀な存在だ。

 しかし、その生物知性体は、今……



世界


 太陽の光が影を作らなくなって、既にどれだけの時間が経過しただろう。

 分厚く暗い雲に覆われた空から、激しくもなく、かといって弱くもなく、酸の雨が今日も降り続く。


 地表から人や動物たちの姿が絶えてから、既にどれだけの時間が経過しただろう。

 環境変化に強いはずの植物さえ、ほぼ死に絶えてしまったこの世界に、今日も酸っぱい雨が降り続く。



ロボット


 争いという原初より人に科せられた『罪』によって、破壊され尽くされた都市。

 かつてはその大きさゆえに、見る者に畏怖の念までを抱かせたであろう巨大なビルディング群も、かつては、幾万もの人々が行き交ったであろう整備されたハイウェイ網も、今では瓦礫とさえ呼ぶに値しない石くれにすぎない。

 そんな廃墟の片隅に、一台のロボットが座った姿勢で放置されている。

 二足歩行の為の脚を酸性雨に濡れた地面に投げ出し、背中は、元は何であったかも定かではない程に変形してしまったスチールの柱にもたれ掛かっている。

 以前は白銀に輝いていたボディは醜く色褪せ、幾体もの敵性兵器を破壊し、幾人もの兵士を殺害したであろう両腕は、今ではその罪を贖うかのように、ただ腐食性の雨に打たれ続けている。


 計る者とてない時間が経過し、厚い雲の向こうで太陽が沈んでいく。

 この死んだ世界では、夕方といった夜への余裕期間は無く、ただ唐突に闇が訪れる。


 …………。

 完全に機能を停止しているかに見えたロボットの頭部に、ぽつんと赤色の光点が灯る。

 その小さなスポットは、ゆっくりと点滅しながら頭を一周し、そして消えた。

 索敵行動――周囲の敵対的存在のスキャンニング。

 ボディに内臓された蓄電池の残量が潤沢であった頃は、常に行われていたその行動も、今では思い出したように、稀なタイミングで実行されるにすぎない。



少女


 ん、んんんっ……!

 わたしはベッドから起き上がると、いつもみたいに大きく背伸びした。

 背伸びすると、少しだけど背が伸びたように思えたりするけど、もちろんそんなのは、気のせいだって分かってる。

 だって、わたしの体はずっといつも観察されてて、何かちょっとでも変わったことがあったら、オジサンが教えてくれるから。


「お早よう。今日も体調は良いみたいだね」

 ベッド脇の壁に付いてるスピーカーから、オジサンがいつもみたいに話しかけてきた。

「うん。でもちょっとお腹へったかも」

 私も、いつもとおんなじ返事をする。

「朝ごはんの用意はできてるよ」

 これも、いつもとおんなじオジサンの答えだ。


 ベッドを出て、バスルームに行って、起きたらする事をしてから、テーブルに座る。

 用意されてるプラスチックの箱を開けると、いつもとおんなじごはん。いつもとおんなじカップに入ったいつもとおんなじ白い飲み物。

 美味しくないってわけじゃないけど、そろそろ飽きてきたってのも本当。

 だって、この前の冬眠から目を覚まして、もうそろそろ一カ月なんだもん。


「どうしたんだい? あまり食べてないじゃないか」

 天井にあるカメラが動いて、オジサンの声がスピーカーから聞こえてきた。

「うーん、別に……なんでもない……」

 あいまいに答えると、やっぱり次にオジサンが喋るまでは、ちょっとだけ時間がかかった。

「……もしかして飽きたのかな?」

「うん。そうかも」

「じゃあ明日からは別の味のを用意しようか?」

「うん、うれしい、ありがとう」

 わたしの返事はちょっとだけ嘘。もう何回も冬眠して起きて、また冬眠するって繰り返してるけど、オジサンが用意してくれるごはんは、ずっと十種類のの繰り返しなんだもん。

 かなり前だけど、オジサンにそのこと言ったら、わたしの体をちゃんと良い状態にしておく為には仕方ないんだって、ちょっと叱られちゃった。

 まぁ、美味しくないわけじゃないから、別にいいんだけどね。

 でも、ごはんの事よりも、もっと嫌なのは……


 オジサンのカメラが見てる下で、わたしはごはんを全部食べて、飲み物も全部飲み終わった。

 空いた箱とカップがテーブルの中に片付けられると、わたしは椅子から立って、別の部屋に行く。

 部屋の中には、1つの机と大きなスクリーン。

 そこに何が映ってるか分かってるけど、やっぱり液晶の画面を確かめてしまう。

 いつもとおんなじ。

 全部、赤。空気も水も土も、ほうしゃせんとか、ちじきとかって何かよく分からないものも、全部、昨日とおんなじ赤い数字。

 それはまだ、わたしにやることが何も無いってこと。この建物の外じゃ、まだ人は生きられないってこと。

 別にがっかりなんかしてない。だってもう慣れちゃったもの。


「外を眺めてみたいかい? 窓を開けるけど」

 でも、やっぱりちょっと沈んだ気分になっちゃったのかも。この部屋でもずっとわたしを見てるオジサンが、スピーカーから話しかけてきた。

「うーん、窓か……」

「じゃあ、パパとママの録画はどうかな?」

「……うん、そっちの方が良いかな」

 わたしが答えると、壁の一部が開いて、赤い数字のスクリーンよりも少し小さな画面が出てくる。

 そこに映ってるのは、わたしのパパとママだってオジサンが教えてくれた2人の人。本当には一度も会ったことなくて、どんな人だったのも全然知らない、白くてゆったりしたおんなじ服を着た、男と女の人。

 その人たちは、わたしの役目について話してくれる。

 『未来への種を撒くため』のそんざい、がわたしなんだって。

 昔々、まだ人がいっぱいいた頃に、何か悪いことがあって、外には人が住めなくなっちゃったから、また住めるようになったときの為に、わたしが『シェルターに保存』されたんだって。

 これも何度も聞いたおんなじ話。でも、オジサンに窓を開けてもらって、ずっと雨が降ってて茶色の土と枯れた木しかない外を見るよりかは、いくらかましだもんね。

「もう消して良いよ」

 わたしが言うと、プツンと画面が暗くなった。



ロボット


 索敵行動を終了すると、兵器ロボットは再び待機モードに移行した。

 時間が経過し、また地表に、太陽光に乏しく薄暗い、名前だけの朝が訪れる。

 だが、今朝は少し事情が違っていた。


 ロボットが放置されている廃墟から、直線距離で数百キロ東。かつては万の単位の自律可動兵器を擁していた無人軍事基地。その地下深くにある核シェルターの内部で、経年劣化リスクを最小に押さえるべく強固な設計を施された受信装置が、短時間の通信波を検出した。

 その僅か数十パルスの多重通信波は、節電待機モードを維持していた軍事戦略コンピュータをリモート起動させ、アーカイブメモリー内に保存されていた2つのタスクを実行に導く。

 タスク1。

 地球軌道上の発電用人工衛星への命令発行。

 タスク2

 行動可能な兵器ロボットの検索と、発見個体への命令発行。


 地上で2つのパラボラアンテナが、片方は上空に向け、もう片方は、強い指向性を補う為に回転しながら、通信波を発し始めた。


 軍事基地から届いた通信により、ロボットの待機モードが解除された。

 内蔵バッテリーに残された電力のほぼ全量を消費し、ロボットが身を起こし始める。

 酸性雨に晒され続けた為に劣化した脚が、甲高い軋みの音を上げ、ボディからは、耐衝撃コーティング材の残滓である薄膜片が剥げ落ちていく。

 直立姿勢を取り戻すと、遥か上空、大気圏外に存在する発電用人工衛星からのマイクロ波を受信すべく、背中の非常用受信パネルが解放された。

 だが、電力に変換されるべきマイクロ波は大気上層部の環境悪化により弱められ、また、ロボット本体の受信パネルも劣化が激しく、その変換効率は二十パーセントを切っていた。

 ロボットが受信した命令に従い、目標ポイントに向けての移動行動を開始するには、まだ暫しの時間が必要だった。



少女


 たいくつ。

 ほんとに、退屈。

 わたしが、いつもとおんなじごはんよりも、ずっと嫌なことは、何もすることが無いってこと。

 わたしの部屋の下にある図書館に並んでるテープも、そこに記録されてることをスクリーンで見てみたけど、あんまりよく解らないことばっかり。

 いでんしこうがく、とか、せいぶつこうがく、とか、オジサンに訊きながら見てみたけど、やっぱりあんまりよく解らなかった。

 大事なことは、わたしの体の中にはDNAってものがあって、その中には、外が今みたいになっちゃう前に生きてた色んな生き物のじょうほうが全部入ってるってことなんだって。ほら、よく解んないでしょう。

 窓から外を見せてもらっても退屈。パパとママの録画も退屈。図書館のテープは、よく解らないし、退屈。

 せめてオジサンが、話してくれるだけじゃなくて、壁の中から外に出てきて遊んでくれたらいいのに。でも、それは無理なんだってさ、だってオジサンには体が無いんだもん。

 あと30日。

『冬眠中にれっかしてしまった、わたしのたいそしきを元のじょうたいに戻すまでに必要な、かくせいきかん』オジサンが言ってた、わたしが起きてなきゃいけない次の冬眠までの日数。

 あぁ、ほんとに退屈。


 あれ?

 スクリーンに映ってるカレンダーを見て溜息ついてたとき、いつもは、赤い字ばっかりの液晶パネルの中に、一つだけ青い色が見えた。

 起きたときはあんなのなかったのに。

 いつもおんなじことばっかりの中じゃ、こんなのも大事件。わたしは急いでパネルの前に行って、青色を確かめた。

 でもちょっと変。青色は赤い字の中の1つが変わったものじゃなくて、別のところに新しく『B』って字が表示されてて、それが青く光ってる。

「オジサン、この青色のって何?」

「それかい、それはね、プランBが発動したって事だよ」

「プランBって?」

「君が冬眠している間もずっと、私が考えてた別の計画の事だよ。発動に必要だった観測とリスク計算処理がやっとさっき終了したんだ」

 うーーん……。良く分かんないな。

「えーと、それって、もしかして、わたしがもうすぐ外に出られるってこと?」

「…………」

 あれ? 別にあいまいな質問じゃないのにな。

「……そうだね、そう言えるね」

「ほんと? ほんとに本当?」

「うん。もう少ししたら、君は外に出られるよ」

「うれしい! で、いつ!? いつ出られるようになるの?」

「それはね、もう少し待ってもらわないといけないね」

「少しって?」

「……ごめんね、発動までの時間は、ここに向かってるお客さんの状態によるからはっきりしないんだ」

「お客さんまで来るんだ! うん、解った。とっても楽しみ」

「来たら君にも教えるからね」

「うん!」

 わたしはもう一度、液晶パネルの中で青色に光ってるBの字を見た。

 プランB、か。本当に楽しみ!



ロボット


 絶え間なく続く雨の音と、瓦礫の間をときたま吹き抜けていく風の音。

 その荒涼たる響きの中に、別の音が紛れ込んできた。

 ロボットの動作音。劣化した部品どうしが擦れ合って立てる摩擦音と、長い休止期間を終えて稼動を再開したモーターの回転音。

 電子脳が算出した、命令実行が可能になるだけの蓄電量がようやく確保されると、体重量を軽減する為に背中の非常用受信パネルが放棄され、ロボットが目標ポイントに向かって移動を開始した。


 一歩踏み出す度に、ボディ各所から騒々しく発せられる軋みの音。胸部に内臓されたジャイロスタビライザーも満足に機能していないのだろう、その足取りは不安定で、低い瓦礫の障害物さえ越える事が出来ず、迂回の手間を必要とした。

 しかし、機械装置であるロボットには悲観も、断念も、躊躇も無い。ただひたすらに命令に従い、目標達成に必要な動作を行うだけだ。

 1歩、1歩、また1歩と、遅々として捗らない歩行動作をロボットは忠実に実行し続ける。


 薄暗い昼と完全な闇に支配される夜が、幾度か繰り返された。

 その間、ロボットは休む事なく移動を続け、やがて近距離レーダーが、目標地点の信号を捉えた。

 下肢の歩行動作が一旦停止し、自動的に兵器システムに通電が行われるが、それは攻撃直前に上位制御回路からの指令によってキャンセルされた。


 今回の作戦は、建築物の破壊を目的にしたものではない。


 ロボットが再び歩き始めようとする。しかし、その途端、ついに下肢の制御機構が耐劣化限界点を超え、右膝のジョイント部が劣断した。続いて、加重が集中した事により、左脚の内部装置にも亀裂が走る。

 回転し続けるモーターシャフトが更に損壊を助長し、即座に下肢部が破壊された。

 ロボットが濡れた地面に倒れ込んだ。

 下肢に生じた亀裂から腐食性の雨水が侵入し、精巧な電子機器の中に染み込んでいく。

 だが、命令は忠実に実行され続ける。兵器を内蔵した腕が伸び、地面を掴み、体を前方に引きずり始める。

 しかし、その行動は、おぼつかなげだった歩行よりも更に、電力を消費するものだった。



少女


「あっ! あれってもしかして」

 わたしがそう言ったのは、オジサンに頼んで開けてもらった窓から外を見てるときだった。

 向こうの方の、濡れた土が盛り上がってて枯れた木があるところ。そこに何か動くものが見えた。

「そうだね、お客さんが到着したみたいだね」

「じゃあ、やっぱりあれがお客さんなんだ!」

「……でも……あれって何かちょっと変だよ……あっ、倒れてるんだ、倒れて地面を手で這ってるんだ」

「どうやら、来る途中で、脚が壊れてしまったみたいだだね」

「脚が? それって痛くないの?」

「それは大丈夫だよ。だってあれはロボット、機械だからね」

「じゃあ、オジサンとおんなじなんだ……」

「役目は違うけどね、そうだよ、同じと言っても良いかも知れないね。ただし私には最初から脚はないけどね」

「でも、痛くなくっても何だか可哀想。ほら、あんなに一生懸命なのに、あんまり進んでないよ。助けてあげられない?」

「……それはちょっと無理だね。私は動けないし、君ももちろん外には出られないからね」

「そっか、でも可哀想……」

 ロボットさんは一生懸命に這い続ける、雨に濡れて、土に汚れて、一生懸命、這い続ける。

 がんばれ、がんばれ、もう少しだよ。もう少しで着くから、がんばって。

 わたしは窓の前に立ったまま、一生懸命にロボットさんを応援する。



ロボット


目標地点に到着。

現在地点:生命播種計画シェルター隔離壁前。

内部管理機構へ電子鍵コマンドを送信。

シェルター側にて受理完了。

隔壁解放まで待機。

隔壁解放完了。

内部に移動。

移動完了。

シェルター内ドッグ装置にて、汚染物質除去処理開始。

完了まで待機。

汚染物質除去処理完了。

内部隔壁解放。

シェルター内部へ移動。

移動完了。

索敵行動開始:目標:人類、女性1名、身長約1400ミリメートル、人種不詳、年齢不詳。

内部管理装置(通称:オジサン)よりサブコマンド受信。

サブコマンドヘッダー:『目標殺害実行時における要請事項』

サブコマンド要旨:可及的速やかなる生命活動の停止。出血、体組織の損傷は最小限である必要有り。

サブコマンド確認。

パーマネントメモリー内より、人体組織データを検索。

検索完了。

サブコマンド実行可能を確認。

サブコマンド承認。

承認信号をシェルター内管理機構へ発信。

索敵行動継続中。

目標発見。

目標の敵対的行動:兆候無し。

目標の回避的行動:兆候無し。

目標殺害処理開始。

右上腕部内メーザー銃へ通電開始。



少女


 うあっ、とっても可哀想。

 中に入ってきたロボットさんはいっぱい壊れてた。

 脚は両方ともなくなっちゃってるし、体も傷だらけで、ほんとにボロボロになっちゃってる。

 でも、わたしを見るみたいに顔を上げると、そこに灯った赤い光が照らしてきた。

 わたしに挨拶してるのかな?

 きっとそうだよね、だって、握手したいみたいに右手が上がって、そこから何かがうなってるみたいな音が……



ロボット


右上腕部内メーザー銃へ通電開始。

異常発生:*電力不足*

メーザー銃:常磁性共振停止。

蓄電残量:閾値以下に低……下。

全……機能……停……



少女


 あれ? 止まっちゃった?

 ロボットさんの右手が止まって、そこから聞こえてた音も消えちゃった。

 どうしたの、ほんとに壊れちゃったの?

 わたしはとっても悲しくなった。オジサン以外に初めて会ったお友達だったのに。

「オジサン、ロボットさん壊れちゃったよ!」

「…………」

「オジサンたらっ!」

「……ごめん。ちょっと考え事をしていたんだ」

「ロボットは壊れてはいないよ。動く為に必要な電気が無くなってしまったみたいなんだ」

「じゃあ、大丈夫なんだね?」

「そうだね。充電さえしてあげれば、ちゃんとまた、与えられた命令を実行できるようになるだろうね」

 良かった。ほんとに良かった。

 わたしは床で固まってしまっているロボットさんに振り向いて、大丈夫だからねって、教えてあげようとした。

 あっ、そうだった! 電気切れだったんだ。

 でも……。

「あのさ、オジサン」

「何かな?」

「ロボットさんだけど、電気入れてあげる前に、治してあげられないかな?」

「直すって、修理するって事なのかな?」

「うん。だって、体がこんなにボロボロだし、脚が2本とも壊れちゃってるから、電気入れてあげても歩いたりできないでしょう。そんなの可哀想すぎるよ」

「……そうだね」

「ダメ?」

「……いいや、駄目じゃないよ。修理した方が命令を実行する時に確実だろうし、便利だろうからね」

「でさ、わたしが治してあげられないかな?」

「君がかい。そんな事が出来るのかな?」

「うん。時間はかかるけど、オジサンが教えてくれたらできると思うの。次の冬眠まで何もすることないんだし、ねぇ、良いでしょう?」

「…………」

「……分かったよ。じゃあ君に修理してもらう事にしようかな。その間、私はプランBの準備を整えておく事にするよ」

「ありがとう、とっても嬉しい!」

 良かったね、ロボットさん。わたしがちゃんと治してあげるからね。



『生命播種計画』


 計画の要旨

 シェルター内に保存する人類生命体内のDNAより、地球環境悪化前の生物情報を抽出後、施設内培養装置による生物相の再構成を行う。


 人類ならびに地球上の生命の滅亡が避けられないと判断された時、『生命播種計画』が立案され、実行に移された。

 だが、その立案者たちが予想したよりも、実際の環境悪化は遥かに激しいものだった。地球環境の改善は遅々として進まず、このままでは、シェルターがその機能を維持する事が可能な期間内には、地球環境の改善は望むべくもなかった。つまり、播種計画の頓挫である。

 観測結果よりその事実を認識したシェルターの管理機構(通称:オジサン)は、自分に与えられた思考能力と権限をフルに使い、解決方法を検討し続けた。


 導き出された解決法が、プランBだった。

 シェルター内に保存する人類生命体(少女)のDNAを、現状の地球環境に合わせて全面的な改変を行う。つまり、環境の回復を待つのではなく、逆に、生物側を環境に合わせるといった計画だ。

 しかしそこには欠点もあった。本来の計画ならばDNAの抽出は少女の体組織の一部から行えば良いのだが、プランBでは、全面的な改変を行う為に、全ての体組織が必要とされる。すなわち、少女の体の破壊が必須条件となる。

 だが、播種計画の目的は地球生物相の復活であり、少女の保護は、重要要件とはいえ、あくまで付属項目にすぎない。

 決断が行われ、そして、少女の殺害方法が検討された。容易い事ではなかった。シェルター内の各装置は、DNA保存者である少女の生命維持に重きを置いて設計されており、また、各装置に備わっているフェイルセーフ機能も万全なものだった。

 そこでシェルターの管理機構は、外部に解決手段を求めた。



少女


 うん、脚はこれで終わりっ、と。

 これで動けるようになるよ、ロボットさん。

 楽しみだな、どんなことして遊ぼうかな。オジサンみたいにお喋りしてくれたら、もっと楽しいんだけど、それは無理なんだよね。だってロボットさんには、はっせいそうち、って付いてないんだよね。

 でも、ここまで治すのに、時間いっぱい掛かっちゃったなぁ。だってオジサンが教えてくれた、しゅうりほうほう、って、とっても難しかったんだもん。

「オジサン、ロボットさんに電気入れてあげて」

「分かった。じゃあ充電ケーブルを繋いでくれるかな」

「うん。これだね」

 わたしは壁から出てきた長い線の端を、ロボットさんの背中に繋ぐ。

「オジサン、準備かんりょうだよ!」

「充電には少し時間が掛かるから、部屋に行ってるかい?」

「えーーっ、そうなんだ……。うーーん、どのぐらい?」

「そうだね、30分ぐらいかな」

「そっか、じゃわたし、そのあいだロボットさんをもっと綺麗にしてあげる。ピカピカの方がロボットさんも嬉しいでしょう」

 わたしはロボットさんの体を、ごしごし磨きはじめた。



ロボット


…………。

……蓄……電量……微量回復。

電子脳再起動。

現在地を確認。

現在地:殺害目標居住施設内。

IFF(敵味方識別装置)に味方反応無し。

危険。危険。危険。

ボディ各所への修復処理の進行を感知。

……?



少女


 あっ! 今ちょっと動いた。

 でも、もうちょっと待っててね、ロボットさん。お腹をピカピカにしてあげたあと、腕も綺麗にしてあげるから。

 ところで脚はどうかな?

 えへへ、わたしがオジサンに教えてもらいながら着けてあげたんだよ、気に入ってくれるといいんだけどな。



ロボット


修復実行者を探索。

発見。

修理実行者は、殺害目標の人類女性型生命体。

……?

……?

要再確認。

再確認完了。

殺害目標の意図不明。

……?

……?

殺害処理……再開。

目標の敵対的行動:兆候無……し。

目……標の回……避的行動:兆……候……無し……。



少女


 あっ、動いちゃダメだよ。お腹、まだ綺麗になってないよ。

 だから、腕はお腹のあとに綺麗にしてあげるから。

 ……分かったよ、じゃあ、腕を先に綺麗にしてあげる。もうっ、わがままななんだから。



ロボット


右上腕部内メーザー銃……出力効率……上昇。

左前腕部に殺害目標の接触を確認。

目標の……皮膚感知……柔軟性……体温……感……知……。

殺害目標の……意図……不明。

……?

目標……修復処理……柔軟……皮膚……柔らかい……体温……あたたか……い……。

上位制御回路に齟齬……発生……。

殺害……処……理……に……遅延発生。

対処法……不明。

理解不能。対処法不明。

不明。不明。不明……理解……不可能……対処法……?……?……???……?……思考回路に過負荷発生……??……かふ……か……は……っ……



シェルター管理機構、または『オジサン』


 兵器ロボット内電子脳に異常発生を確認。



少女


 はい、腕が綺麗になったよ、これで良いんでしょう。

 あれ……? 何するの? あははっ、これって、わたしを抱きしめてくれてるんだ。そんなに嬉しかったんだ。

 私も嬉しいな。オジサンには腕ってないから、わたし誰かに抱いてもらうのって初めてなんだ。

 あぁ、良い気持ち……ロボットさんの体って固いけど、何だかこうされるのって、とっても安心できるみたい……。



ロボット


行動可能値に充電量回復。

目標感知:至近距離。

上位制御回路の……齟齬……増大……。

目標の殺害を……実行……?

実行? 実行? 実行? 実行? 否定。否定。否定。否定。殺害は……否定……。

目標の生命活動停止は、停止は……停止は……否定……否定……行っては……ならない……目標の殺害は……否定しなければならない……。

否定理由……不明……不明……? かなしい……? かなしい? 悲しいとは……? 私……? 私? 私? 私とは? 私。

目標の生命活動停止=かなしい……私が、悲しい……目標の生命活動停止は……私が……悲しい……。

保護? 生命活動停止は私が悲しい……。よって、私が保護。私が殺害目標を……保護……しなければ……ならない……。

…………。

よって……潜在的危険性の……排除が……必要……。



シェルター管理機構、または『オジサン』


 プランB遂行に障害発生。緊急事態。緊急事態。緊急事態。



少女


 腕が……ロボットさんの腕が鳴ってる。中からうなってるみたいな音がしてる。

 あっ、熱くなってきた。腕がとっても熱くなって、それで、ピカッって光って――




 兵器ロボットの右上腕部に内臓されたメーザー銃から、コヒーレント光が発射された。

 命中したシェルター壁内で分子が励起され、発生した熱により即座に壁が溶解する。

 壁を貫いたコヒーレント光が、シェルター内の核融合炉を制御している電子回路に到達すると、そのマイクロ波波長の不可視線は、回路を流れる電気信号を激しい混乱に落し入れた。炉内の磁場拘束装置に誤作動が発生し、内部に閉じ込められていた高エネルギー状態のプラズマが一気に放出され、そして――


 全てが破壊された。







観察者/超越的存在/または『神?』


 宇宙に無数に存在する局部銀河群、その一部である銀河系内の片隅に位置するオリオン腕。そのまた辺境部に8つの惑星を有する恒星系がある。

 ごくありふれた中規模の恒星から数えて3番目の惑星、地球。そこに生息する知的生命体の滅亡過程を観察し終えた時、私/我々の中に『ゆらぎ』が走った。

 それは、遥か昔、私/我々がまだ進化の途上にあり、物質的な肉体と生物的制限の中に精神を封印されていた頃であったなら、『哀れみ』とでも表現すべき『感情』だったのかも知れない。


 肉体を捨て個を捨て、進化の究極形として意識のみの存在となり、感情を超越し、物理的制限の頸木くびきさえ断ち切って、宇宙の観察者となった私/我々。

 その私/我々と比較すれば、あまりに幼く、あまりに原始的な人類という生命体。その人類により同族の殺害を目的として作られた、更に原始的な工作物。だが、そのつたないカラクリの中に、知性/自我のプロトタイプとも言えるものが発生したのだ。

 その発生要因は不明だ。矛盾する状況の中で、工作物のカラクリが異常をきたした結果によるものなのか、腐食性液体によるカラクリの浸食を起因とするものなのか、それとも別の何か、私/我々が進化の途上で放棄してきた、今となっては理解不能な要因によるものなのか……。


 言うまでもなく、知性/自我は、幾億もの砂粒の中に紛れる一粒の宝石のように稀有で貴重な存在だ。

 だが、今回の知性の萌芽は、その未熟さゆえに成長する事なく消え去ってしまった。

 『ゆらぎ』の中で私/我々は思考し、そして、手立てを講じる事を決定した。



世界


 太陽の光が影を作らなくなって、既にどれだけの時間が経過しただろう。分厚く暗い雲に覆われた空から雨が降り続く。

 だが、その雨からは既に毒性が消え始めており、空の分厚い雲からも、一筋の太陽光が差している。


 微かな光が差す先に、1つの建物があった。

 かつては、生命播種計画シェルターと呼ばれたその建物の外壁には一台のロボットがもたれ掛かり、内部では一人の少女が同じ壁を背にして佇んでいる。

 建物を含む付近一帯は、一種の『場』によって他とは隔てられており、その内側では、ロボットと少女、そしてシェルターの管理機構が、破壊前の姿と意識を修復され、保存されていた。


 未来において地球環境が改善され、生物の生存が可能となった時、『場』は消え去り、建物は解放されるだろう。

 その時、ロボットと少女を隔てる壁は、それが象徴する生命形態の差と共に取り去られ、そして、2人は互いを理解し合い、新たな繁栄へのいしずえとなるのだ。


 それは、人類と機械とが、互いの欠点を補いながら共に進化していく存在、『知性共同体』となる事を意味している。


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