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よろしくお願いします。
この街の構造は、この領地を治める領主の館―まるで城のような様相の建物を中心にして、円状に広がっている。中心に近いほど身分の高い者が住み、町の外周に住むほとんどの者が身分を持たない一般市民である。城を含んだ身分の高い者が住む場所を貴族街、それ以外を下町と呼んだ。下町と貴族街の間には堀と塀があり、一般人の貴族街への侵入を拒んでいる。
街から外に視線を向けると、北側には南東から北西方向へ川が流れ、街から見て北から西までその川から引いた水を用いた麦畑が広がり、春になると地平線まで緑に染まる。街の高いところから景色を眺めれば、運のいい日になると海が見えることもある。しかしその反面、北東から南東までの景色は、急峻な山々が連なる大山脈が鎮座している。山頂付近の雪は消えることは無く、雪解け水が川を成し、その水が木々を育て森を作り、その恩恵が我々の生活を支えている。そのため、人々は常日頃から山の恵みに感謝を捧げ、山脈に守られながら生活をしていると言う意識がある。春になると、その年の豊穣を祈り、山の中腹に建てられている社で祭祀が執り行われる。南側、西側には北側ほどではないが農場がちらほらと見え、それ以外はほとんど草原と森である。
街の北側から南側に抜けるように、主要な街道が通っており、北へ行けば海に、南に行けば王都に行くことができる。
俺たちが住んでいるのは、このような場所であった。
そして、この街には、街の治安を維持したり、有事の際に戦うために騎士団や一般兵団が組織されていた。貴族としての身分を持っている者のみで構成されたのが騎士団で、身分を持たない者で組織されたのが一般兵団である。
俺は、騎士団に所属し、下町の治安維持を一任され、隊長として組織をまとめている。この治安維持を目的として作られた組織のことは、治安維持隊と呼ぶのでは少し長いという、身もふたもない理由で、警邏隊と呼ばれている。
治安維持といっても、仕事は決して多くない。下町といっても、人々の暮らしは至って穏やかである。人の往来が多いし、たまに喧嘩は起コリもするが、それも自然に解決してしまうことがほとんどのため、警邏隊が出張ることはほとんどない。
だが、何もしていないわけではなく街に出入りする門で検問を行ったり、貴族街へ侵入しようとする不審者がいないか見回ったり、火事や空き巣などの軽犯罪に対する注意喚起を行ったりしている。
しかし、それらの仕事は隊長に与えられた仕事ではなく、隊員に与えられた仕事である為、隊長の出番はほとんどない。あるとしても、貴族が関わる事件が起こった時に、場を収める為にちょこっと指示を出しに行くだけである。それ以外には、部下からの報告書を読み、重要なことをまとめて城に報告したり、定期的に各部隊の隊長の集まりに顔を出さなければならなかったりするが、下町では目立った事件はほとんど起こらないし、集会も形式的なものなので、仕事は無いに等しい状態になっている。
つまり、今日も俺は警邏隊の詰所で、のんびりと椅子に座りながら、いつもと代わり映えのしない隊員からの報告書を眺めているだけであった。隊員たちは与えられた仕事をしているため、詰所にはいない。ここにいるのは俺の他に、1年前に異動してきた貴族出のシャルロット嬢がいるだけである。
シャルロット嬢、とても仕事ができて優秀な娘なのだが、ただでさえ仕事が少ない職場であるのに、恐れ多くも隊長であるこの俺に物申してくるお嬢さんなのだ。まぁ、彼女は副隊長ということらしいので、その権利はあるのだろうが、だとしても煩わしいことである。今日もすでに3回は、真面目に仕事をしろと注意を受けている。あー、うるさくて仕事に集中できないわこれ。
はっきり言って仕事は面倒だ。そもそも、ただでさえ仕事量が少ないこの部隊で、そのように急かさなくとも、1日2日放っておいたところで大した問題にはなり得ない。こんなところで、暇を持て余すのであれば1日中娘と一緒にのんびり暮らしいたい、というのが本音である。だが、仕事を怠って、気を抜きすぎるとすぐに街の治安が悪くなり、休日でさえものんびりと過ごすことができなくなってしまう。俺は、娘との平穏な日々を守るために、仕方なく毎日律儀に出勤して、したくもない仕事をしているのだ。
隊員の幾人かは、俺の仕事ぶりを見て羨ましがるが、書類仕事も楽ではないし、そもそもこれは適材適所というやつで、俺も隊長として責任のある仕事を与えられている身である。決して暇ではないのだ。
そう隊長には、隊長に与えられた仕事がある。そして、俺は隊長と同時に父親でもある。隊長として、父親として、その両方の仕事をしていかなくてはならない。
故に、今考えるべき問題は、娘のこと。優先順位は常に娘が第一。仕事は二の次、三の次である。
結論が出たところで「さて」帰るか。と、いすから立ちあがった。――と、そのとき、僅かな殺気を感じて動きを止める。それと同時に、首筋から無機質な冷たい感触が伝わってくる。
それは、抜き身の剣であった。
それが、俺の首筋に当てられているのだった。
こんなことをする奴は、1人しかいない。
「おい、シャルロット。軍法会議にかけられたいのか?」
そう、こいつは、俺の直属の部下。副隊長のシャルロット嬢である。
このシャルロット嬢は、俺の部下であるのにも関わらず、殺気を飛ばしさらには剣を首筋に突きつけてくるような女なのである。
「いやですわ。隊長。冗談も度が過ぎれば、相手を傷付けることになるのですわよ」
「なら、この剣はなんなんだ.?軽い冗談のつもりか?それとも、お前の言う、度が過ぎた冗談とやらなのか?たちが悪いぞ」
そう、この女。いわゆるキチガイなのだ。気に入らないことがあれば、すぐ暴力で解決しようとするし、この世に生きる人間は自分の下僕か何かだと勘違いしている節もある。それは、隊長である俺にも適応されているようで、シャルロットが口にする「隊長」という言葉からは、仕方がないからそう呼んでやる、といった感情がどことなく伝わってくるのである。
「隊長。今の冗談は、笑えますわ。私、いつでも本気なのですわよ」
なおさら、たちが悪い。
「なら、なぜ、こんなことをする?」
「隊長。あなた、帰ろうとしていましたね?」
――なぜ、わかった!?化け物か、こいつ。もしや、言葉に出していたのか?だったら、なんて間抜けなことをしてしまったのだっ。くそう。
俺のこめかみを一滴の汗が伝うが、それをふき取ることもできない。
首筋に、剣がある状態で動けるはずもない。この女にかかったら、動こうとした瞬間に、頭と体が着脱可能な状態にされてしまう。その際、俺はもちろん死んでいる。
「そ、そんなことっ――」
ない、と続けようとしたところで、剣に力がこめられる。
「そんなこと。なんですか?」
やばい、やばい、やばい。この女、本気だ。シャルロットは、言葉を続ける。
「いい忘れていましたけど、私、冗談はあまり好んではいませんのよ。隊長」
きっと、シャルロットは俺の背後で、背筋の凍るような微笑を浮かべているに違いない。それが、この女の癖の1つなのだ。
俺の隊員の中では、笑顔で暴力を振るうこの女の虜になり、下僕となった奴が何人かいる。そいつらいわく、ご褒美なのだと、笑顔を浮かべていた。今まで、俺の元で真面目に働いていた隊員たちが、従順な下僕と化すところを1年間、俺は見ていることしかできなかった。
黙ってしまったのが、まずかったのか、シャルロット嬢は「ふふっ」と底冷えのする微笑をしてから「隊長」と呼んだ。その声の響きは聖女のような慈しみの心が感じられた。「すごい汗ですわね。私が、汗をかけない体にして差し上げましょうか?」
ああああああぁぁぁぁぁ――。なにか、何かいわないと、殺られてしまう。
「まぁ、待て。話せば分かる。そう、話し合おう。そのために、とりあえず剣を置け。いや、置いてくれ、頼む」
怒ったシャルロット嬢の前では、隊長としての威厳もへったくれもない。とりあえず、命を守ることに全力を尽くすしかないのだ。そう、これはいわば、作戦。作戦の前では、貴賎の問題や上下関係などあってないものなのだ。
「まさか、逃げたりは致しませんわよね?」
「しないっ、するわけないっ」
即答をして見せた。この反射神経こそ、戦場を生き延びるコツである。
「ふふ。で、何をするつもりでしたの?」
こいつぅぅぅ――。楽しんでやがるっ。くそうっ。
「それは――」
「それは、なんですの?」
なにか、思いついてくれっ。俺。思い出すんだ、あの時のあの戦場をっ。
「そ、そう。見回りに行くつもりだったんだっ」
ナイスだ。俺。
「…そうでしたの」そこで、ようやくシャルロットは剣を鞘に戻した。「私、勘違いをして、とんだ無礼を致しましたわ」
「ああ、わかってくれたか」
「はい。そのお詫びに、私もお供いたしますわね」
「ああ――。は?」
俺は、完全に油断していた。ここは、拒否すべきとろなのに、了承をしてしまうとは。最後の最後で、致命的なミスを犯してしまった。剣を戻してくれたことに安心してしまったのだ。
俺は、振り返ってシャルロットの表情を伺う。
おそらく、何も知らない人であれば、誰もが魅了されてしまうだろう。まさに、聖女のような微笑であった。
「まじで?」
答えなど分かりきっているのに聞いてしまう俺がそこにいた。