Epilogue「眠り姫」
怪物騒動から3週間後、日和、香澄、さくらの3人は、以前愛達と来た日和行きつけのドーナツ屋に集まっていた。
「いらっしゃい。どれにする?」
日和は既に注文するものを決めているので、財布を取り出して早速注文しようとしていたが、さくらはショーケースの中を興味深そうに見ていた。
「このドーナツ屋さん。色々あるんですね。マックスフレアとか、ファンキースパイクとか、結構ユニークな名前のものも多いですね」
日和は注文を言おうとしていたのだが、店主が調子に乗って自分のドーナツの自慢を始めた。
「そうでしょう?なんてったってうちのドーナツはバラエティ豊富なのが一番のウリなのよ!見てみなさい!この新作のディメンションドーナツを!」
そう言って店主が取り出したサンプルは二重に重なった黄色いドーナツだった。真ん中に黒い線が入っているように見えて、ボリュームはかなりありそうだった。
「わあすごいですね!じゃあ私は---」
「プレーンシュガー3つで」
さくらは別のドーナツを頼もうとしていたが、日和はそれを遮るようにプレーンシュガーを注文した。
「ちょっと!そこの人が頼みかけてたじゃない!」
「いいのいいの。今日はちょっと集まって話をするつもりだったし、ドーナツを食べにまた来ればいいし」
日和は不満そうなさくらをなだめるべく、ポケットからメモ用紙の切れ端を取り出してさくらに渡す。
「はいこれ。ここの電話番号。ここの店はこの辺のエリアで商売してるから、頼めば家まで配達ぐらいまではやってくれるはずよ」
「私、新幹線に乗ってここまで来てるのですけど……」
さくらは少々困り気味だったが、とりあえずメモ用紙を受け取ってこの場を収める事にした。
「それじゃプレーンシュガー3つね……。コーヒーも付けるかしら?」
「ええ、お願い」
店主は少し不満そうだったが、店の奥に戻り、ドーナツの調理を始め、日和達も近くのテーブルに座った。
「さくらさん。愛さんの容態はどうなの?」
3人が席に着くなり間髪入れずに口を開いたのは香澄だった。とりあえず現状把握をするつもりのようで、口調もどこか機械的である。
「えっと、最近目を覚ましたんですけど、でもまだ意識が朦朧としてるみたいで、はいいいえで答えられる質問に答えられる程度にしか回復してないみたいです」
突然の名指しにさくらは驚いて、少し口調もおかしなものになってしまった。
「ありがとう。私の通院生活もそろそろ終わりそうだし、まあちょっとずつだけど、この騒動も終わりが近づいてきたわね」
「はいコーヒーお待たせー。ドーナツもすぐ持ってくるから、ちょっと待ってね」
話を遮るように店主がトレーに乗ったコーヒーを持ってきた。間もなく店舗であるトレーラーに戻るとすぐにドーナツ3つを持ってきた。
「はいどうぞ。ごゆっくりどうぞ」
店主は長い金髪を翻し、店の中へと戻っていった。
「あの、本当にここでいいんですか?外で話すにしても、カラオケ屋さんとかじゃダメなんですか?店主さんに聞かれちゃうと困りますし……」
さくらが日和達に小さい声で話しかけた。さくらは、今回の一連の騒動については、愛が入院して数日後に日和の口から知らされている。
「あ、その点なら大丈夫。あの店長も一応私の知り合いで口が固いから別に問題ないわ。ベラベラ誰かに話したりすることもないでしょうし」
日和は悠々と運ばれてきたコーヒーを飲むが、さくらは日和の言葉を信じられず、店主の方を向く。店主はこちらの目線に気付くと、日和の言葉を肯定するかのようにサムズアップをした。
さくらから見て、大國日和という人物は謎でしかなかった。愛の担当医も彼女が手回ししたようで、日和と同じぐらいの女性だった。当人曰く日和とは腐れ縁らしいが、それでも日和が急に呼びつけて駆けつけてくれる所に優しさを感じていた。
(もしかして、大國さんっていいところのお嬢様だったりするのかしら……?)
「とりあえずドーナツを食べてしまいましょう」
香澄に促されてさくらはドーナツを食べる。既に日和はドーナツを頬張っていて、少々品に欠ける所に目を瞑ればかなり美味しそうに食べていた。
「そんなことより、とにかく今は現状把握をした方がいいんじゃないですか?」
「さっさと食べないとせっかくのドーナツ冷めちゃうわよ?いらないなら私が貰うけど」
さり気なく話の本筋を逸らそうとしている日和に、さくらは少しばかりの怒りを感じているようで、少し不機嫌そうにしていた。日和はそんなことを気にせずにさくらの手元のドーナツに手を伸ばすが、さくらはすぐにドーナツを引っ込めて不機嫌そうな顔のままドーナツを口に放り込んだ。
「まあ、呑気にドーナツ食べてる場合じゃないのは確かよね……」
さくらの気持ちを汲む気がほぼ無い日和を見てやや呆れかけている香澄は、ポケットから携帯電話を取り出して番号を呼び出して電話をかける。数十秒経ってから香澄はため息混じりに電話を切ってポケットに戻す。
「やっぱりダメね……。涼ってばどこに行ったのかしら」
涼は愛を助け出してからというものの、香澄との話し合いの末に一応の和解はしたものの、その翌日に愛へのお見舞いに行くと言い残してどこかへ行ってしまったまま消息を絶っているのだ。愛の世話をしている看護師曰く、たまに涼と思われる見舞客の姿が目撃されているらしいのだが、それ以上の情報はない。
「まあ何かあれば私の所に来るだろうし、そん時は連絡ぐらいするわ」
日和は慌てている様子はなく、コーヒーを飲んでいる。
「私ももう一度涼さんとお話したいです。愛の命を2回も助けていただいたのに、全くお礼を言わないというのはいささか失礼ですし……」
ドーナツを食べ終えたさくらもコーヒーを一口飲んだ。涼の身を案じる香澄の一言で思わず周囲の空気が重くなった。
「はいはい。そこまで暗くならないの。他のお客に迷惑でしょ」
そんな空気を遮るかのように店主がやって来た。そして3人の前に頼んでもいないのにドーナツを差し出した。
「はいこれ。新作のドーナツの試作品。いつもは妹分に試食させてるんだけど、特別に試食させてあげるわ。これが、まずスピードドーナツ、次にワイルドドーナツ、そしてテクニックドーナツよ」
店主が取り出したドーナツは全部チョコで固められたものだったが、それぞれ赤、白、緑のラインが横に入っていた。それぞれは店主に促されるままそれぞれのドーナツを口にする。
「どう?美味しいでしょ?」
「ええ、まあ」
それからは店主のドーナツの自慢話に付き合わされ、いつの間にか重い空気は取り払われ、元の明るい空気が戻ってきた。
「さてと、じゃあこの辺にして帰りましょうか。あなたのドーナツへのこだわりも分かったことだし」
店主の話を遮り、香澄は財布を取り出して千円札を店主に渡す。話を遮られた店主はかなり不満そうではあったが、一度店の方へ戻り、お釣りを持って戻ってきた。
「はい。お釣りの300円。またいつでも来てね。しばらくはここにお店を開いてるから」
さくら達は店主に見送られ、店を後にする。店主は店の方へ戻るとトレーラーの運転席の方を覗きこむ。
「ねえいいの?あなたのお姉さん行っちゃうわよ?顔見せて安心させてやりなさいよ」
ドーナツ屋のトレーラーの運転席に座っていたのは涼だった。非常に分かりにくいものの、店の裏側に隠すようにして涼のバイクも置かれている。
「いやいい。姉ちゃん心配症だし、下手に戻るとかえって姉ちゃんを不安にさせるかもしれないし」
涼の膝下には1台のノートパソコンが置かれていて、『クレイロイド・ボード』なる怪しげな掲示板のサイトを開いている。
「で、その怪しげな掲示板に報告は無いの?」
「まあこの前一度潰したばっかりだし、しばらくは安泰かもね」
涼が開いているページには済マークが押されている投稿で埋め尽くされており、新規の書き込みは今のところ無い。
「しっかし、アンタも物好きねえ。怪物作ってた黒幕はもういないんでしょ?なら知らぬ存ぜぬでスルーしちゃえばいいのに。もしかして、正義の味方のつもり?女の子にチヤホヤされたいとか?」
「いや、別に俺はそんなつもりじゃねえよ。ただ気に入らないから潰してるだけ」
茶化す店主に対し、涼は最初から練習でもしていたかのように反論をした。元々、涼が立ち上げたこのサイトは、表向き上は愛が襲われた事件の情報を涼なりにまとめたものとなっている。しかし涼の目的はあの事件についての意見が集まりやすい場所を作ることで、怪物に関する情報も集まるのではないかということだった。まだ知名度の低さ故に涼が思っている通りの機能は発揮できていないものの、『あの事件の後、変な怪物に襲われたんです』と言った具合の書き込みは着々と増えている。
「さあて、どうなるかな……」
店主のドーナツ屋を隠れ蓑のようにして生活している涼は、ドーナツ屋の運転手兼バイト店員扱いである。香澄達が近くを通り過ぎる時はこうして隠れているものの、それ以外の客にはちゃんと接客をし、割と良い評判をもらっている。
「はいはい。ま、今日はこうしてるならさっさと制服着て働いてちょうだい。コーヒー豆買ってきたりとか、ドーナツの練習とか、やることは一杯よ?」
店主は涼のノートパソコンを閉じて取り上げる。涼は適当に返事をして助手席に置いてあるエプロンを手に取り身に付ける。そしてやる気のない体にエンジンを入れてドーナツの支度をし始めた。店主もそれを見て一息つくと、香澄達が食べていった皿の後片付けを始めた。
涼がドーナツの調理にかかってから十分後、運転席とは逆方向にある調理場から焦げ臭い匂いが立ち込めてきた。店主は急いで調理場ヘ向かい、匂いの正体を確認すると、真っ黒に焦げたドーナツが姿を現した。
「あー!ちょっとアンタ!なんてことしてくれてんのよ!これじゃせっかくのドーナツが台無しじゃない!」
既に涼は身の危険を察知し、バイクに跨って逃げ出そうとしていたが、店主が急いで追いかけて持ち出してきたトレーで殴りつける。ヘルメット越しの為あまり痛みはないものの、店主にくっつかれてかなり迷惑そうにしていた。
「別にドーナツの1つや2つどうなったっていいじゃない。また作ればいいんだしさ」
涼は適当なことを言って店主を黙らせようとしたものの、ドーナツを軽視するその一言が店主の怒りに触れてしまった。自慢のドーナツを台無しにされた挙句、ぞんざいに扱った涼はバイクから引きずり下ろされ、店主に延々と説教をされるという憂き目にあった。
それから時は流れ3ヶ月後、かつてはどこもかしこもあの事件ことを扱っていたものの、時が経つに連れて段々とその規模も縮まっており、今ではテレビで時たま見かける程度になっていた。さくらも学校へと戻り、以前と変わらず教鞭を執っている。しかし、気を抜くとすぐに愛のことで頭が一杯になってしまい、さくらの中であの事件が片付くのにはまだまだ時間が必要だった。
2週間に一度と頻度は減ってしまったものの、今でもこうして病室で眠る愛を見守るために病院を訪れている。日和から彼女の技術で愛をすぐに目覚めさせる事はできると言っていた。しかし、彼女の体に得体のしれない機械を埋め込むと言われてさくらは断った。だがこうして病床に伏せている愛を見ると、そういう選択肢もありかもしれないと思い始めてしまう自分がいるのも事実で、頭に宿る邪念を取り払う。
夕日に照らされた病室には虚しい機械の音だけが存在し、さくらが口を開くことはなかった。さくらは手元の腕時計で時間を確認し、そろそろ新幹線の時間が近くなっていたので愛の頭を撫で、また来ることを告げて病室を後にした。
それから数十分後、花束を持った涼がやってきた。その後ろに物珍しそうなドーナツ屋の店主もおり、入ってすぐに愛に駆け寄った。
「なるほど、この娘が愛ちゃんなのね……」
「そう、あの事件が終わってからずっとこの調子らしいけど」
涼はなれた手つきで花瓶の花を取り替える。愛は一向に目覚める気配がなく、一枚の絵画かと見まごうかの如く静かである。店主が色々と愛の体を興味深そうに観察している事を除けばこの病室には一切の変化がない。
「一回ウチに来た時は分からなかったけど、結構こうしてみるとかわいいじゃない。回復したらウチで働いてもらおうかしら」
店主は日和に興味津々のようだったが、涼はあまり気にしなかった。士朗を倒したあの夜以降、進化した涼は完全に怪物を撃破できるようになったため、愛のような犠牲者は出ていない。しかし、愛だけは救うことが出来なかったという後悔の念となってこの事が涼に引っかかり、こうしてこっそりとお見舞いを続けているのだ。
「この娘を救えなかったって後悔してるようなら、お門違いだと思うけど?」
涼の不安を汲みとったのか、店主が口を開いた。店主に心を見透かされているようで涼は嫌がるように顔を背けた。
「今までは助けられなかった命だったかもしれないけど、この娘は今こうして生きてる。いつ目を覚ますのかわからないけど、それでも、助けた命は助けた命。あなたは胸張ってなさい」
「はいはい。まあ、頭の片隅にでもとどめとくよ」
涼が窓の外に目をやると、既に日は沈み空も薄暗くなり始めていた。病室の時計は6時を指していて、面会時間の終わりが見え始める時間である。
「さてと、帰りましょうか。明日の準備とかしなきゃいけないし」
店主に連れられ、涼は病室を後にしようとした。しかし、後ろで布団が擦れる音が聞こえ、涼が振り返ると、眠っていた愛がゆっくりと起き始め、少し寝ぼけた目で自分の腕に取り付けられた点滴を外し、周囲を見渡す。涼はすぐに駆け寄り、店主は急いでナースセンターへと向かった。
愛は涼が近寄ってきた事に気づいたのか、安心して愛は涼にもたれかかってきた。
「……ありがと」
少し寝ぼけていてあまり頭が回らないのか、愛の言葉のどこかに幼さが見え隠れし、無意識的に発せられたもののように聞こえた。しかし、そんな言葉でも涼の胸の中の後悔を拭い去るには十分なものであり、涼の心が一気に晴れたような気がした。涼は少し顔が緩だものの、愛に対して特に言葉をかけたりせず、優しく抱きしめて愛の頭を撫でた。