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EP4「素材」

 愛達の買い物は比較的順調に進んでいた。愛としては別に服なんぞ自分が気に入ったものを適当に組み合わせて着ていれば良いと思っていたのだが、香澄にそのことを告げたら商店街中のブティックというブティックを連れまわされた。

 そして香澄によって全身コーディネートをやらされ、無事開放される頃には肩やあっちこっちが痛みだしていた。

「それじゃ、私はこれから今晩の夕食の買い物してくるから、ちょっとそこら辺ブラブラしてていいわよ。誰かが一緒にいれば、の話だけど」

 そう言って笑顔で香澄はスーパーの中へと入っていき、店の前には日和、涼、愛の3人が残された。

「どうします?これから」

「俺は別に車で待っててもいいよ?暇潰しできる道具は持ってきてるし」

「うーん、そうねえ……」

 日和は悩みながらポケットからスマートフォンを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

「あー、もしもし。あなたまだ日本で店開いてるの?……そう。あ、そこなら私達3人が今から行くわ。うん、じゃあまた後でね」

 日和はどこかで暇を潰す場所を見つけたようで、電話を切ってスマートフォンをポケットにしまった。

「さてと、知り合いのドーナツ屋さんがこの近くに来てるらしいから、そこで時間つぶしましょ。大丈夫。味は保証するわ」

 日和は嬉しそうに愛達2人を連れて歩き出した。愛達は半信半疑だった上に、あの日和の知り合いということで何かとんでもない人物でも来るのかとソワソワしながら日和ついていった。

 日和について行くこと数分。商店街を抜けた所にある公園の中に一台のワゴン車が止まっていた。かなり派手に装飾されていて、ちゃんとドーナツ屋であることを示すのぼりも立っている。

「来たわね、待ってたわよ」

 ワゴン車から姿を現したのは金髪碧眼の女性だった。顔立ちからして明らかに外国人なのだが、妙に日本語が堪能だった。

「今日のオススメはこのベガスドーナツだけど、どうする?」

 店主はそう言って手元から3つの白いドーナツが繋がった大型ドーナツのサンプルを取り出した。ドーナツ一つ一つに『7』がデコレーション所に手間がかかっているようにも思える。

「うーんとね……。プレーンシュガー3つ。あとコーヒーも付けてくれるかしら?」

「全く、ブレないわねえ。まあいいわ。待ってて。今すぐ用意するから」

 店主はそういってワゴン車の中へと入っていき、店の前に置かれている2つのテーブルに日和と愛、涼という組み合わせで座る。

「ここの店長さん、外国人でびっくりしたでしょ?」

「え?」

 日和はドーナツを心待ちにしているのか、どこか嬉しそうで、そのさまはまるで子供だった。愛へそう問いかけたのも自分に外国人の友だちがいることを自慢したいようにも見えた。

「あの店長は昔からの友達なの。元々はいいとこのお嬢様だったんだけど、今じゃ落ちぶれてこんなことになったんですって」

「聞こえてるわよ」

 ワゴン車の中から店主の声が聞こえた。日和に茶化されて少し怒っているようだったが、程なくしてドーナツ3つとコーヒー3杯を持った店主がやって来て、一度愛達の座るテーブルに置いた後、涼にドーナツとコーヒーを渡した。

「あなたもこっちへ来たらどう?1人じゃ寂しいでしょ?」

「いや、俺は1人で落ち着いて食べたいから遠慮しとくよ」

 店主の提案を涼は断り、1人で黙々とドーナツを食べ始めた。何かに警戒しながら食べているようで、どこか落ち着かないように見える。

「さてと、食べましょ。お腹すいちゃったわ」

 日和はそんな涼を無視してドーナツを食べ始め、日和も涼を気にしながらもドーナツに手を付ける。最初の方は涼が気になったものの、すぐにドーナツの方に味が気が行った。

「これ、結構おいしいですね」

「でしょ?ここまで作るのに結構苦労したのよ?言わばプレーンシュガーは最初の希望みたいなものね。今の今までお店をやってこれたのもこれのお陰だし」

 店主はこのドーナツにかなりの思い入れがあるらしく、どこかはしゃいでるようにも見えた。愛はドーナツに対して興味が無いため、適当に相槌をしながらドーナツを頬張る。

「そう言えば、日和、アンタまだ研究とか続けてるの?何かこの前信号機みたいな斧作ってるって聞いたんだけど?」

 ドーナツの魅力を一通り語り終えた店主は今度は日和に興味を向けた。日和は既にドーナツを食べ終えてコーヒーをゆっくりと飲んでいるようだった。

「もうやってないわよ。前の仕事の後始末で忙しいのに研究なんてできるわけじゃないじゃない。それに、もう色々と厄介事に巻き込まれるのはごめんだし」

「なるほどね……。アンタにも色々とあるのね」

 店主は一瞬日和から目線を逸らしたものの、すぐに日和の方に視線を戻した。それからすぐに涼も愛もドーナツを食べ終え、それと同じぐらいに香澄から電話がかかってきて日和達は手早くコーヒーを飲んだ。

「それじゃ、お会計お願いできるかしら?」

「あーはいはい」

 日和はこの店に通い慣れているお陰か会計はすぐに終わり、日和達は香澄の待つ商店街へと向かうことになった。その最中、1人の男と方がぶつかってしまった。

「あ、すいません」

 愛は反射的に謝るが、男の方は何も言わずに愛の顔をまじまじと見つめていた。その男はどこかで見たことがあるような顔つきで、指をこすり合わせるような仕草をしながら愛の顔に手を伸ばす。愛は無意識的にその男から距離を取ろうとしたが、男の方は愛に手を伸ばして愛の首をガッツリと掴んだ。

「なるほど、やはりか」

 目の前の男はそれだけ呟くと口元を歪め、愛を更に引き寄せようとしたが、その直後に涼が2人の間に割って入り、男を殴り飛ばした。

「おい!お前何やってんだよ!」

 涼は珍しく怒りをあらわにしており、男を強く睨みつけた。しかし、目の前の男はまったく意に介していないようで、まるで目標を見つけた獣のように笑っている。

「失礼。そちらのお嬢さんが少々魅力的だったんでね。ついつい手が出てしまった。以後気をつけるよ」

 男はそのまま笑みを浮かべたまま立ち去っていった。当然男に詫びる姿勢は見られず、ますます気味が悪かった。

「大丈夫?」

「はい……。さっきの人にちょっと首のあたりに何か付けられたみたいですけど……あれ?」

 愛は男に触られた部分が少し濡れているような感触がしたので触ってみたが、何もついていなかった。

「どうしたの?」

「いえ。気のせいだったみたいです……」

 愛は多少の違和感を覚えながらも、日和と合流して商店街へと向かう。さっきまでドーナツを食べてかなりいい気分だったのに、変な男のせいで全てが台無しにされた気分だった。



 その日の夜、野澤宅は非常に慌ただしかった。ただ単に慌てていたとかそういうものではない。愛がいないのだ。夜、さくらが目を覚ますと愛がいなくなっていることに気づいたのがきっかけだった。

 確かなのは、さくら達が止まっている部屋の窓が開いていて、そこから愛が出て行った事だけだった。

「それじゃ、私が来るまでちょっと出てくるから、涼は日和と一緒に犯人の候補を出しといてちょうだい。愛さんを狙うなら、あの怪物のボスってことも考えられるわけだし」

 愛の捜索を真っ先に申し出た涼を制し、香澄が支度して愛の捜索に出かけていった。

「姉ちゃん大丈夫かな……。犯人がいるいないにせよ、愛ちゃんが突然いなくなるってよっぽどのことだし……」

 涼は少し不安ながらも隣の日和を見やる。日和は何か思い当たるフシがあるようで、何かを考え込んでいるようだった。

「どうしたの?」

「いや、こんなことをする奴に1人だけ、思い当たる奴がいるの。言っちゃえば、この騒動の元凶になるやつなんだけど、まさかまだ動いてたとは思わなかったわ。とりあえず、これからの対策を考えましょ。これまでの事を考えると、さくらさんも狙われる可能性も考えられなくはないんだし」

 日和は涼を連れて階段を登る。涼は階段を登って2階へ上がる寸前、居間で不安そうなさくらの顔が見え、涼はさくらにとって愛という少女がどれだけの価値を持っているかが伺い知れた。

 日和に連れて行かれたのは2階のかんぬきが設けられた部屋の前だった。日和はなれた手つきでかんぬきを外し、ドアノブに手をかける。しかし、その途中である異変に気づいたようだった。

「どうしたの?」

「ううん。なんでもない。ちょっとこれ形が変かなって思ったけど、そうでもないみたいだし」

 日和はそのまま中に入っていき、涼も不思議そうに考えながら一緒に階段を降りる。そして、地下室へ辿り着くと日和は電気をつけてすぐに迷わず一つの棚に向かい、そこから一冊のファイルを取り出す。それは、まったくここの資料に関する理解がない涼でも、確実にこれまでのものと違うと断言できるほど言えるほどの異様な雰囲気を放っていた。

 日和はそれを空いている机の上に広げ、乱雑にページをめくって目的の場所を探す。

「あった!」

 日和が閲覧していたのはかつての研究施設のスタッフの名簿だったようで、その男の履歴書が綴じられたページだった。しかし、大分ボロボロで名前と顔ぐらいしか分からない。

「コイツが、多分まだ活動してるとしか考えられないわ」

 日和が指差したページに書かれた男の名は『荒木あらき 士朗しろう』という男だった。涼はその男の風貌に少し見覚えがあった。

「コイツ、昼間の……!」

「なるほど、ちょっと遠目で見えなかったけど、愛さんに言い寄ってたのはコイツだったのね。コイツは荒木士朗。私の元同僚の中で一番の過激派にして、心理学のエキスパートといったところね。てっきり実験の事故で死んだと思ってたけど、随分としぶとく生き残ってたみたいね」

 日和はこの男にかなりの嫌悪感を抱いているようで、露骨に嫌そうな顔をしていた。涼にしてみても、あんな気味の悪い男とずっと一緒にいると考えると、日和の気持ちも多少は理解できた。

「でもさ、コイツがもしあの怪物を操ってるなら、なんで愛ちゃんばっかを狙うのさ?これまでは一回撃退したらさっさと他に鞍替えしたのにさ」

「それはきっと逆ね。今まで適当に襲ってたんじゃなくて、愛ちゃんみたいなのを探してたんだと思う。怪物の体として事足りるようなのをね」

 日和は何かを探すようにページを乱雑にめくり、すぐに目的のページを見つけた。

「あったわ。もし愛さんが集中して狙われる理由があるなら、ここしか無い。愛さんはあの怪物自分のが体として利用するのに最高の素材になりうる特異体質なのよ」

 日和が指差すページには人間の体ともやのようなものを線で結んだ図が描かれていて、それが特異体質に関する説明のようだった。

「あなたも知ってるとは思うけど、あの怪物は実体化できる媒介を取り込んで『脱皮』することで完全に実体化するの。でも実体化できるまでの時間は素材になった人間によって違う。長くて1年、短くて10分ぐらいって所かしらね。けど愛さんと怪物を融合させた場合、ものの1分も経たないで実体化するわ」

 涼はその話を聞いて背筋がぞっとした。現在、怪物の中に取り込まれた誰かを救出する術は一切ない。早い話、取り込まれる前に倒すか、脱皮する前に倒すしか無い。中に人間が入っていた場合は、その中身ごと、ということになるのだが。

「アイツは思い立ったら即行動ってタイプだから、きっと愛ちゃんを何らかの手段で操って連れ去ったんだと思う。何か心当たりとかない?アイツに何かされたとか……」

 涼はそこまで聞いて何も言わずに資料室を飛び出していった。昼間、愛が少し不思議そうに首のあたりをさすっていたのを思い出し、愛が連れ去られたカラクリを推理する。涼は少しの後悔を感じながらも、急いで支度をして家の外に出てバイクに跨る。すると急いで日和が追いかけてきた。

「待ってよ。行く宛はあるの?」

「無いけど、何もしないよりかはマシだろ?姉ちゃんが探してるとはいえ、1人より2人で探したほうが効率だって良い」

 日和は涼を見て少し考えこんだ後、ポケットから一枚の紙切れを取り出す。そして、それを少し眺め、涼に見せるか少し悩んだ後に涼にそれを渡す。

「荒木がいるとしたらここしか無いわ。かつての研究所跡地の地図よ。ここなら機材も一式残ってるだろうし、今は閉鎖されてるから人が近づく事も考えにくい。隠れてコソコソ研究するなら絶好の場所のはず」

 涼はそれを受け取って、地図を見る。場所自体はここからそう離れていないようで、大まかな道は涼にも分かった。

「ありがとう。姉ちゃんには黙っといて。怒られるのはゴメンだし」

「ええ……。そうね……」

 涼はバイクのキーを入れてアクセルを踏み込み、バイクを走らせる。あの怪物の親玉がどういった人物なのかはまったく分からないが、涼はとにかく前に進むしか無かった。



 日和に渡された地図を頼りに目当ての研究所の近くへ辿り着くと、見覚えのある香澄の車が丁度目の前で停まった。そして向こうもこっちに気づいたらしく、香澄が降りてきた。

「涼……。家で待ってなさいって言ったじゃない」

「そんなこと言わないでよ。こんな所に姉ちゃんがいる方が危ないよ。愛ちゃんの場所はわかったからさ、安心して帰りなよ」

 涼は香澄がこの場所を知らないという前提で話を進める。少し心配性なところがある香澄がこの事を知ったら大変だと判断しての事だった。

「いいえ。涼こそ帰りなさい。私が全部終わらせるから」

 香澄には全く話が通用する気配がなく、ここがどういう場所かを知っているようだった。

「姉ちゃんこそ、どうやって愛ちゃんを助けだすっていうのさ。何の力もない姉ちゃんには何も出来ないだろ?」

「いいえ、十分に力はあるの。あなたが思ってる以上にね」

 香澄はポケットからベルトのバックルのようなものを取り出し、腰にかざす。するとベルトが伸びて香澄の腰を巻くベルトになった。そして香澄は目玉のようなアイテムを取り出し、スイッチを入れ、そのバックルに装填して即座にバックルのスイッチを入れる。

 香澄はみるみるうちに黒い鎧に覆われ、その上にベルトから飛び出た白衣のようなパーカーが覆いかぶさる。そしてのっぺらぼうのようだった香澄の顔に2本の角と幾何学模様が浮かび上がった。

「もういいわ。どうしても帰らないっていうなら、教えてあげる。あなたの弟しての立場を」

 香澄は既に涼を叩きのめすつもりでいるらしく、涼も仕方なしに体を変異させる。真っ黒な外殻に包まれた涼の体は未発達の羽のようなものを広げ、構えを取る。

「いいわ。さあ、叩きのめしてあげる」

 涼は『仕方がない。姉を倒さなければ自分がやられる』と躊躇する自分に必死に言い聞かせて香澄に立ち向かう。

 一方の香澄は相手が実の弟だというのに全く躊躇というものがなく、涼の動きの隙や死角を的確について着実にダメージを与えていく。

 涼は香澄に仕返しと言わんばかりに香澄を殴り飛ばす。涼と比べて軽いであろう香澄の体はボールのように飛んでいき、地面を転がった。

「姉ちゃん!?」

「心配してる暇はあるのかしら?」

 涼は一瞬姉を傷つけてしまったのではないかと手を止めてしまったが、香澄は全くと言っていい程ダメージを受けておらず、心配して近づいてきた涼の頭を蹴り飛ばして立ち上がる。涼は少し怯み、蹴られた顔を覆うが、既に香澄は動き出しており、ガラ空きになった涼の胴を殴り飛ばし、更に足払いをして転倒させる。涼は起き上がろうとするも、香澄は涼を踏みつけて動けなくした。

「これで分かったかしら?私のほうがあなたより強いの。強いほうが愛さんを助けに行く。それでいいじゃない」

 香澄の言う通りだった。しかし、それでも涼はここで頷いたら全てが終わりだと感じた。

 涼は香澄の足を払いのけ、立ち上がり、構えを取る。香澄はまだ抵抗を続ける香澄に呆れたような仕草をし、涼に襲いかかる。

「お姉ちゃんの言うことが聞けないっていうの?大人しく帰りなさい。どう頑張ったって私はあなたに勝てないじゃない。そんな力で人助けなんてできるわけないじゃない。あなたは今まで通り、私の言う通りに怪物退治をしてればいいの」

「俺は姉ちゃんの人形じゃねえ!俺は、俺がやりたいようにやる、ただそれだけだ!」

 涼の思いに呼応してか、涼の右半身が白金色に変化した。香澄はその輝きに一瞬目がくらみ、涼はその隙に香澄を殴り飛ばし、構えを取る。それは香澄との決別を示すものだった。

「随分と、生意気ね……」

 涼が浴びせた拳は香澄にはあまり効いていなかったらしく、平然と立ち上がって襲いかかってきた。涼も覚悟を決めて迎え撃つ。

 それからはほぼ互角の戦いだった。これまでは涼が覚悟を決めきれていない所もあってかその実力の差は一目瞭然だったが、涼が覚悟を決めたこと、そして涼の体が少し変化したことでその実力の差は埋まりつつあった。むしろ、涼のほうが実力を上回りつつあり、香澄が少しずつ押されつつあった。

 香澄はこのままでは不利と感じたのか、少し涼から距離を取り、周囲を見渡して何とか利用できないものがないかを探しているようだった。

「悪いが姉ちゃん。ここは姉ちゃんの方こそ帰ってくれねえか。こればっかりは俺がケリを付けたいんだ」

「そう。随分と強くなったのね。それぐらいあれば、きっと勝てるかもしれないわね……。念の為に、私のこのベルトを渡すわ。こっちへ来てちょうだい」

 香澄は両手を上げて降参のポーズを取ると、涼に降参を示した。涼は何とか自分の実力を思い知らせたと安心し、香澄に近づく。しかし、香澄はベルトを外すを見せかけて、ベルトのスイッチに手をかけて押して一気に跳び上がる。そして香澄は両めがけて飛び蹴りを放ち、ついでに涼を撃破してしまおうとした。

 涼は咄嗟の判断で体をそらしてかわすが、わずかにかすってしまい、外殻が僅かに削れてヒビが入った。

「汚えぞ!降参するフリなんかしやがって!」

「勝てば官軍って言葉を知ってるかしら?聞き分けのない子供をしつけるには手段を選んでいられないの」

 涼は舌打ちをして香澄との距離を一気に詰める。狙うは一点。香澄の腰のバックルだった。もし香澄のあの状態を制御している場所があるとすれば、そこしか考えられなかった。

 涼は腰を落として香澄のバックルめがけて殴りつけるが、香澄は一歩引いて蹴り上げる。少なくとも人間には反応が難しい領域まで加速をしていたつもりだったのに、涼の攻撃はいとも簡単に回避された。

「本当、単純ね。私がいなければ何も出来ないくせに」

 香澄は涼をあざ笑うかのように回避と攻撃を繰り返し、着実に涼の体力が削られていく。まるで向こうは未来予知でもしているかのような動きで、完全に涼の動きが読まれていた。

(このままじゃ埒が明かねえか……。なら……!)

 涼は一度香澄から距離を取り、周囲の壁や香澄が乗っていた車を足場にして飛び上がり、羽をグライダーのようにして滑空する。背中の羽はまだ羽ばたくことは出来ないが、それでも少し変化したことで多少なりとも空中でも自由に動けるようになっていた。

 香澄は腰を狙ってくるかと思って腰を落として迎え撃とうとしたが、涼が狙うのは腰ではなく、香澄の首だった。涼は香澄の首を掴み、そのまま香澄を引きずり回す。香澄は予想だにしない攻撃故に涼の手を掴んで必死に振りほどこうとするが、涼は両手で香澄の首を掴み、全体重をそこに乗せる。

 どれだけ技量で香澄が涼を上回っていようと性別の壁というものは越えられず、涼の足が地面につく頃には香澄の息も絶え絶えになり、抵抗しなくなっていた。

「悪く思うなよ。姉ちゃん」

 涼は動かなくなった香澄の腰に足を乗せ、香澄にダメージを与えないようにかつ、香澄のベルトを破壊するだけの力を乗せてバックルを踏み砕いた。案の定それだけで香澄の体を覆っていた鎧は砕け散り、満身創痍となった香澄が姿を現した。

 涼も元の人間の姿に戻り、香澄を背負って歩き出す。涼が香澄を引きずり回したせいで結構離れてしまい、香澄を連れて戻るには遠い道のりだったが、涼は香澄をほうっておくことが出来なかった。

 香澄の車まで辿り着くと、助手席のドアを開けて助手席に座らせる。そしてポケットから携帯を取り出し、日和の番号に電話をかける。

『もしもし。どうしたの?』

「さくらさんは寝たのか気になってさ」

『ええ。何とか寝るように言い聞かせて寝かせたけど、それがどうしたの?』

「今研究所跡地の前なんだけどさ、姉ちゃんとちょっと喧嘩しちゃってさ。怪我させちゃったんだ。後で回収しといてくれる?」

『分かったわ。後で行くわ。これからが本番だけど、大丈夫?』

「平気平気。こっそり忍び込んで愛ちゃん連れて帰るだけなんだから。問題ないって」

『そう……。じゃあ、頑張ってね』

 涼は電話を切ってポケットに携帯をねじ込む。研究所跡地の門は固く閉ざされていたものの、鍵がかけられていなかった。

 涼は音を立てないようにして中に入り、研究所の扉に手をかける。そして、中に入ると、エントランスが姿を現した。まるでダンスホールであるかのような高い天井と、広いエントランスで、豪華なシャンデリアが下がっている。天窓から注ぐ月明かりだけが頼りだった。涼は愛がいる部屋を探してとりあえずエントランスを散策するも、薄暗い故に自分の手を確認するので精一杯の明るさしか無い。仕方がないので涼は携帯電話の画面を懐中電灯代わりにして探すことにした。すると今度は逆にどこもかしこも鍵がかかっていて、またしても行き詰まってしまった。

「全く、最近のコソ泥は随分と堂々としているんだね」

 その声とともに天井のシャンデリアに明かりが灯り、一気に視界がクリアになる。突然視界が明るくなり、涼は思わず視界を覆う。そして、目が慣れてくるとその声の主をはっきりと確認することが出来た。

「てめえ!」

 その声の主は、荒木士朗その人だった。昼間と同じ胡散臭い風貌で、気味の悪い笑みを浮かべている。

「まあ落ち着きなよ。君の目的はあの娘だろう?しかし君はいいものを見つけたね。アレほどの逸材、中々いないよ」

 士朗は笑みを崩さず、涼にお礼を言った。何を考えてるかわからないという面はあるが、発言からある程度その人間性をうかがい知ることができる日和と違い、目の前の男は本当に何を考えているのかが分からなかった。

「御託はいい。さっさと愛ちゃんを返してもらおうか」

「さあ?それはどうだろうねえ。彼女が帰りたいと言うなら、彼女の意思を尊重して上げてもいいけどね」

 士朗が指を鳴らすと、士朗の背後から愛が姿を現す。涼は声をかけてすぐに帰ろうかと思ったが、愛の表情が人形のような無表情なのに気づいて、一瞬声をかけるのをためらってしまった。

「彼女程の逸材を見たら居ても立ってもいられなくなってね、早速実験をしてみたよ。素晴らしいね。もう完全に適応している。本当にいいものだよ。彼女は」

 士朗は愛の顎を愛おしそうに撫でた。愛の方も全く抵抗しないどころか、それを受けている節もあり、涼は内面から怒りが湧き上がるのを感じた。

 涼の怒りに呼応してか、涼の体も醜い怪物の姿へと変貌し、跳び上がって士朗の顔を殴りつけようとした。それと同時に愛が士朗を庇うかのように躍り出た。涼は背中の羽を広げ、殴りつける勢いをどこかで殺そうとしたが、回避は間に合いにそうにもなかった。

 しかし、愛の体は既に人間ではないものに変異しており、涼がどうするか悩んでいる間に涼を殴り飛ばして撃墜させた。

「ふぅ。危ない危ない。本当に僕は素晴らしいものを作ったとつくづく思うよ」

 愛の体は馬の仮面を付けた怪物へと変わり果てており、体中に縛り付けるように巻きつけられた鎖が鳴る音が体の節々から聞こえてくる。その姿は、馬の面をかぶせられた女囚人という風にも見えなくもない。

 愛は人間の姿に戻ると士朗の背後に戻り、士朗は体についたホコリを払った。

「てめえ、愛ちゃんに何しやがった!」

「別に僕は種をまいただけさ。イドの怪物だのクレイロイドだの散々呼んでる僕の子供の一部を塗らせてもらっただけ。アレは帰巣本能が強いからねえ。ほんの少し水に溶かして塗るだけでも効果がある程度出た。いやあ、結構結構」

 士朗は全く詫びる気配もなく、それどころか愛の変貌っぷりを喜んでいるような節さえ見受けられた。

「僕はないもしてない。彼女が自ら僕の所へ来たのさ。後は簡単。君たちが壊しそこねた核を移植するだけ。それだけの簡単な手間でこれだけ忠実な奴隷の完成ってわけさ。何なら昼の放送で流そうか?3分とかからないよ」

 士朗は涼をおちょくるような態度で、接してくる。涼は今にも士朗の顔を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、背後に控えている愛の存在がそれを躊躇させる。

「しかし意外だね。君は嬉しくないのかい?彼女は世界で唯一の同族なのに……」

「同族って、どういうことだよ」

「別に比喩でもなんでもないさ。君も、彼女も言ってしまえば同じものさ。人間の心から作った怪物と融合した元人間。言ってしまえば、怪物君と怪物ちゃんって所かな?最も、君みたいな羽化できないものと、羽化する才能に恵まれた彼女とでは天と地程の格差があるのだけれどね」

 士朗が言った言葉によって、涼の思考が一瞬だけ静止した。目の前の男は、要はこう言いたいのだ。『お前が今まで倒してきた怪物とお前は全く同じ生き物なのだ』と。

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