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EP3「姉」

 城戸愛とその姉さくらの母親、城戸亜紀あき殺害事件は非常に妙としか言いようがなかった。事件発生から数日が経過しているというのに、死体が全く見つからないのである。この事件が失踪事件ではなく、殺害事件として扱われているのは状況証拠に因るものが大きく、本当に死亡しているのかはハッキリしてない。

 しかし、城戸亜紀が死亡している可能性は極めて高いだろうというのが世間一般の見方だった。城戸家跡の現場検証を重ねた結果、明らかに致死量とされる量の血痕が発見されたのである。まるでトマトを握りつぶしたような血痕は人が死亡していると結論付けるのに十分なものであり、採取された血液型はA型の血液であった。娘の愛、さくらの両名はAB型であり、夫の城戸哲也てつやはB型であり、残されていた血痕は亜紀のものであったと裏付けられた。

 そして事件発生時、城戸愛を除いて家族全員にアリバイが存在し、城戸愛も時間的には犯行は不可能であり、自宅に突っ込んだトラックの所有者にも十分なアリバイが存在する。その結果、必死の捜査にも関わらず容疑者の候補すら挙げられないという有様だった。

 いつしか、この事件は人間ではない怪物の仕業とネット上で騒がれ、その怪物像も勝手に作り上げられて、ただ漠然と、泥人形のような物クレイロイドと騒がれるようになっていた。

『以上、城戸亜紀殺害事件の謎でした。警察では容疑者が死体を持ち去り、どこかに保管しているとの見解を示しています。当番組では、専門家の美杉先生をお呼びして---』

 涼はそこまで聞いてテレビの電源を切った。そしてソファに項垂れるようにもたれかかり、深くため息を吐いた。

「あー、面倒くせえなあ」

 愛とさくらは現在警察に行って事情聴取を受けている。香澄はその付添でおらず、今この家には涼と日和しかいない。

「まあ、もう乗りかかった船じゃない?最後まで行きましょうよ」

「はいはい……」

 日和は後ろで自分で淹れたコーヒーを飲みながら余裕たっぷりの様子である。涼は日和という人間が苦手だった。黙っていれば大和撫子というべきほどの完璧な容姿、そして整ったスタイルと文句はないのだが、口を開けば特撮ヒーローの話ばかり。その上勝手に他人の家に上がり込んで自由気ままに振舞っている。日和は言ってしまえば世界でたった一人だけ存在する涼専属の医者なので、邪険には出来ないのだが、それでも涼は大國日和という人間を好きにはなれなかった。

「にしても、クレイロイドっていうのは一体何が目的なのかしら……。全く行動が読めなくて困るわ」

「早速その名前使うんだ……」

「え?だってこっちの方がかっこいいじゃない。イドの怪物なんて小難しい感じがして私好きじゃないのよね。ネット様々ね」

 日和はクレイロイドという変な名前を使うことに全く抵抗感を感じていないようで、とぼけるような仕草をしていた。

「はぁ……」

 涼が日和という人間を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだった。

「それで、姉ちゃんの方は大丈夫なのか?その……怪物に襲わ---」

「クレイロイド」

「はい?」

「クレイロイドよ。良い直しなさい。今すぐ」

 涼の発言に訂正を求める日和の表情は珍しく真剣そのもので、説得が難しいと判断した涼はため息混じりに言い直すことにした。

「まあその……クレイロイドとやらに襲われても大丈夫なのか?俺が向かうまでにあいつらが無事って保証はないんだし」

「まあ、大丈夫でしょ。前回の戦いでコアにダメージを与えることはできたんだし、そう簡単に再生はしてこないでしょ」

 日和は話を逸らすかのように目を背けた。釈然としない答えに涼は少し心配になったものの、自分がどうこうできる事じゃないと分かっていたので、特に行動は起こさなかった。



 警察の事情聴取は特に問題もなく進んでいた。香澄は警察署の前に停めた自分の車の中で、近くの自販機で買ってきた缶コーヒーを飲んでいた。

 愛やさくらと一緒に警察署の中へと向かっていった警察官に同行を勧められたが、香澄は断って今ここにいる。

『香澄!正気なの!?それは涼のものよ!?』

『私はどうなったっていいわ。これで全部が終わらせられるならね』

 香澄の脳裏に日和に言われた言葉が脳裏をよぎる。誰も座っていない助手席には、日和が持ってきたアタッシュケースが置かれている。本来なら、涼の体に取り付けて戦力強化を図るための機械が入っていたものである。

「ふふっ……」

 香澄の口から思わず笑いがこみ上げる。まだ完成して間もない為、実戦での性能は不明だが、それでも香澄は涼の代わりに戦うことができる力を手に入れられて悦に浸っていた。

 香澄は飲みかけの缶コーヒーをドリンクホルダーに置き、アタッシュケースの蓋のロックを1つ、1つとゆっくり外して中を開ける。中に入っていたのは、ポケットルーペのようなバックルだった。しかし、本来レンズが存在し、モノを拡大して見るための部分が空洞になっていて、そこにはめ込めと言わんばかりに青い瞳の目玉がその隣に入っている。眼球は黒いフレームに嵌めこまれ、横はスイッチのようになっている。

 香澄が念のためサイドミラーを確認すると、ゾンビのようなおぼつかない足取りで向かっている影が見えた。それは、ガリガリに痩せたネズミのような外見の人型の怪物だった。しかし、最も特徴的なのはその体の中央で、真っ二つに突き破るようにして木製の車輪が突き出しているのだ。

「ちょうどいいわね。実戦テストと行きましょう」

 香澄がバックルを腰に当てると、端から帯が飛び出して香澄の腰を一周して香澄の腰を覆うベルトになった。

「さてと、行きますか」

 香澄はアタッシュケースから眼球を取り出し、車を降りる。そして車の前に立ち、その目の前の怪物を見据える。

「さあ、始めるわよ」

 目の前のクレイロイドは香澄には最初から全く興味を示しておらず、ゾンビのような足取りでゆっくりと警察署の方へと向かっている。

 香澄は眼球のスイッチをゆっくりと押す。すると、青い瞳に『C』の文字が浮かび上がり、香澄は間違えないようにベルトのバックルに眼球を装填する。

『Corpus Loading』 

 香澄がバックルに眼球を装填した時、その音声と共にバックルから真っ白な裾の長い半袖のパーカーのようなものが飛び出した。

 クレイロイドを遮るように現れたそれはクレイロイドの周りを漂い始め、クレイロイドがやっとこちらに気づき、香澄の方を向いた。

「変身……」

 だが香澄は目を閉じて集中し、ベルトの中央にセットされたスイッチを入れた。すると、眼球をセットしたスロット覆うようにバックルからレンズが飛び出し、クレイロイドの周囲を漂っていたパーカーも即座に香澄の所へ駆けつけた。

『Aiming 』 

 その音声を合図に香澄の体を漆黒の鎧が覆い、香澄はその上にパーカーを纏う。それと同時に香澄の顔も仮面に覆われ、2本の角を持った白衣の戦士が姿を現した。香澄はフードを脱ぎ、目の前の敵に集中する。

 既に眼前まで迫りつつあった怪物は既にその鋭い爪を振り上げており、香澄は静かに受け流した。そしてその隙に無防備になった背中に一発蹴りを浴びせる。

(なるべく早く終わらせた方が良いわね)

 クレイロイドは体の中央の車輪を激しく回転させ、香澄に向けて発見時の遅さがまるで嘘であるかのような速さで突っ込んできた。香澄は纏っているパーカーの内側から別の眼球を取り出し、スイッチを入れてもう片方のスロットに装填し、スイッチを入れる。

『Simulation Newton』

 香澄の両手に七色の光が宿り、香澄は両手を合わせて弓を引き絞るような動作をすると七色の光も自然と弓と矢の形へと変わる。そして香澄は矢尻を握る手を離すと光の矢が放たれ、クレイロイドの体を貫き、クレイロイドは全身から黒い蒸気を吹き出しながら倒れた。

 そのままクレイロイドの体は風化したように消滅し、中からコアが姿を現し、青い空へと消えていった。

「これでもダメなのね……。もっと出力を上げないと話にならないわね」

 香澄がバックルを腰から離すとベルト部分が一気に収納され、纏っていた鎧もパーカーも霧散した。同時に変身後に入れた眼球も消え、香澄がバックルから取り出した眼球は1個だけだった。

「ま、今の段階でも涼と同じぐらいにはなれてるんだし、及第点といった所かしらね」

 香澄は手元のバックルを見つめ、安堵の笑みを浮かべる。それはずっと心の中で渦巻いていた、『弟の涼を戦わせている』という後ろめたさから解放された証拠だった。



 涼が日和がテレビでビデオを見ているのを横目にテーブルで本を読みふけっていると、香澄達が帰ってくる声が聞こえてきた。

「ただいま~。ごめんなさいね。ちょっと買い物をしてたから遅くなっちゃったわ」

 香澄はビニール袋を持っており、その後ろにもさくらがいくつかのビニール袋を持っており、そのまま台所の方へと向かっていく。そして、その後ろからかなり暗い顔をした愛が姿を見せた。

「どうしたの?元気ないけど」

 愛は少しおぼつかない足取りで涼の前に座った。かなり精神的に疲れているようで、見ている涼も不安になった。

「お母さんの死体、まだ見つかってないらしいんです。一応お葬式はできるようなんですけど、ちょっとお別れが言えないのが辛くて……」

「なるほどね……」

 涼が何となく振り返ると、そこには香澄が立っていて、涼と目が合うと手招きをした。

「ごめん、ちょっと席外すわ」

 涼は香澄と共に2階の廊下へと向かい、周囲にさくらの姿がない事を確認する。

「ねえ涼。あの時の死体、見つかってないってことは、もしかして……」

「まあ、そんな気はしてたさ。脱皮寸前だったし、まあそうなるっちゃそうなるな」

 涼は半ば諦めたような表情で目の前の香澄から目をそらす。本人は表情にこそ出さないものの、どこか後ろめたさを感じているようだった。

「でも特に本人にこの事を伝える必要はないでしょ。その必要もないし」

「それはそうだけど、でもおかしいわ。あの怪物が誰か1人に執着するなんて……。何かあるかもしれないわ」

「まあ、俺は誰が相手だろうと倒すだけだけどな」

 涼は自分の表情を見せないように一階へと降りていき、香澄はポケットの中で眠っているバックルを強く握りしめた。あの姿への変身が涼にどれだけの負担を与えるかがわかっている以上、香澄はこれ以上涼を戦わせるわけにはいかなかった。

 香澄はそれからすぐに下に降り、台所で夕食の準備を始めていたさくらに代わって夕食の支度を始めた。さくらは「お世話になる身ですし、これくらいはさせてください」と夕食の支度をやりたがっていたが、香澄もせっかくの客にそういうことをさせることは気が進まなったので、半ばさくらを台所から追い出すような形で香澄はその日の夕食の支度を始めた。

(もっと強くならないと……。もっと、もっと強く……)

 これから来るであろう戦いに備える涼を見て、香澄は涼が手を出さなくても済むようにと心の中でそう願うのだった。彼女が力を手にした今、涼を守る為だけに戦うということが彼女の戦う理由となった。

 夕食の調理自体は香澄があまり集中してなかったのもあって、特段褒められたような出来ではないが、決して失敗したものではないので誰も文句を言わなかった。しかし見方によっては食卓を包む空気は重が重たいので、食事中誰も口を開こうとしなかったとも見えるような食事だった。

「……ごちそうさま」

 愛は食事を殆ど残したまま食卓を離れ、2階へと姿を消した。さくらも愛を心配してか、手早く完食してすぐに愛を追いかけた。そんな2人を気にも留めない日和とは反対に、涼と香澄は2人を気にしていた。その後残った3人はほぼ同じようなタイミングで完食し、ただ淡々と香澄は食事を片付け、愛が残した食事はラップをかけて冷蔵庫にしまった。

 涼は普段通りに風呂に入り、ドライヤーを適当にかけて自分の髪を乾かして自分の部屋行き、ベッドに飛び込み眠りにつく。しかし、少しまどろむような浅い眠りにはつけるものの、どうしても深い眠りへと入ることが出来ず、結局涼は起きて少し夜風に当たることにした。どういうわけだか涼の脳裏に愛の深刻そうな顔が焼き付いて離れないのだ。

 涼は一階に降りて庭の方に出ようとしたが、既に窓が空いていて外に誰かが出ているようだった。少し警戒しながらもベランダの方を覗くと、愛が窓のさんから足を投げ出してぼうっと空を眺めていた。

「どうしたの?眠れないの?」

 涼に声をかけられて少し慌てて愛が振り返り、声の主が涼だとわかると少し安心したようだった。

「涼さんも、ですよね?」

「ま、そんなとこかな。隣いい?」

「どうぞ……」

 涼は少し愛と距離を取って座り、夜空を眺める。ここは街中で、山中ではないので殆ど星が見えず、辛うじてオリオン座のようなものが見える程度だが、見ていると少し気が楽になった気がした。

「私、これからどうなっちゃうんでしょうか……」

 涼が空を見上げていると、愛が自分の悩みをこぼしはじめた。

「ずっと憧れてた水泳選手の夢も怪我をして遠のいて、お母さんも死んじゃって、オマケに変な怪物には襲われて……。それに---」

「んなこと考えたってどうにもならないって。考えるだけムダムダ」

 愛の話を遮るかのように涼が口を開いた。愛は話を遮られて意外そうな顔をした。

「俺にだって、医者になりたいって夢があったよ。でも、俺こんなだしさ、そんなことできるわけないんだよね」

 涼は半ば自棄になったような口調で、心の何処かに未練がまだ残っているようにも見えた。

「でもさ、愛ちゃんはそんなことないじゃん?夢を叶えるのに早いも遅いもないわけだし、とりあえず進むだけの目標があるんだからさ、その……やりたいようにやればいいじゃん?」

 涼は少しぎこちない喋り方で愛を励まそうとしていた。こういったことに慣れていないのか、不慣れ故の苦労も浮き彫りになっている。それを見た愛の口が思わず綻んだ。

「どう?少しは楽になった?」

「ええ、まあ」

 涼は咳払いをして、佇まいを直す。愛の表情もいくらか柔らかいものになっていて、少し楽になったのが目に見えて分かった。

「良かった。俺こういうの不慣れでさ、悲しませちゃったらどうしようかって思ってた。こういうのはいつも姉ちゃんがやってたし」

「涼さんは、ずっと香澄さんと一緒だったんですか?」

「まあな。物心ついた時からずっとこの家で姉ちゃんと一緒だったし、ずっと姉ちゃんに言われるがままに暮らしてきたって感じかな」

 涼は少し空を見上げていたが、すぐに起き上がって大きく伸びをした。

「ま、いつまでもこんな話してても仕方ない。そろそろ家の中に戻ろっか。この話の続きはいつか、するからさ」

 涼は愛に家の中に戻るように促した。愛はその話の続きが気になっていたようだが、涼の言うことを素直に聞いて家の中に戻っていった。そして涼もその後に続いて家の中に戻った。そして誰かの気配を感じ、廊下に出た所で立ち止まった。

「いつから聞いてたんだ?姉ちゃん」

 涼に呼ばれて階段からは死角となる場所から、少し満足そうな顔を浮かべた香澄が姿を見せる。その様子を見るに、まるで最初から見ていたようだった。

「全部、ね。結構打ち解けられたみたいで良かったわ。愛さんは涼のあの姿を怖がってたみたいだから……」

「そう?ちょっと驚いてたかもしれないけど、俺はそんな風には見えなかったけどな。彼女なんかにするにはああいう感じが良いかな」

「ちょっと!」

「冗談冗談。姉ちゃんも早く寝なよ」

 涼は茶化すようにして階段を登っていく。香澄はなんでも茶化したがる涼の性格にため息しかもれなかった。



 翌日、野澤宅にはさくらだけが残されていた。他のメンバーは愛の着替えを買い揃えるということで出かけている。しばらく愛とさくらがこっちに留まることが確定したので、今のうちに家が潰されて失くなった衣服の代わりを買い物に出掛けておこうという目的だった。

 さくらは元々一週間程度で済むと思っていたので、多少の衣服の不自由こそあるものの、今すぐ買い足す必要があるわけではなかった。

 ここに来てからというものの、この家に1人でいるのは初めてで、かなり新鮮みを感じている。昼食の支度は既に香澄が支度していったのでそういった部分の心配はないが、どうしても落ち着かない。

 それに、1人だとこの家にある違和感にどうしても目が言ってしまう。異常なほど置かれた野澤姉弟とその家族の写真。2人暮らしをするには異様なまでに大きい家。最初は目測程度だったが、何日か過ごしてさくらは確信していた。この家は、4、5人が生活してちょうどいいように設計されている上に、冷蔵庫や食器の数が用意されているのだ。

 さくらはその違和感の正体を探るべく、ある場所へと向かう。それは、かんぬきが取り付けられた部屋だった。さくらは客という立場をわきまえて敢えて聞かなかったのだが、どこか気になっている自分がいる。

(ちょっと、見るだけならいいわよね……。失礼だとは思うけど、あまり荒らさなきゃバレないはず……)

 その扉に取り付けられていたかんぬきは、まるでさくらを招き入れるように外れていて、さくらはゆっくりと扉に手をかけて中に入る。中は長いハシゴと僅かな照明だけというシンプルな構造で、さくらは吸い込まれるようにハシゴを降りていく。

 長いハシゴを降り切ると真っ黒な部屋にたどり着き、さくらはポケットから携帯を取り出してライトを付ける。周囲には無数の資料が積まれた棚が見え、部屋の中央にはデスクトップ型のパソコンも見える。

 さくらのライトが部屋の照明のスイッチらしきものを照らし、さくらはそれをオンにする。すると部屋の照明が一気に点いて部屋の全貌が明らかになる。

「何……これ……」

 目の前に広がったのは、かなり広い研究室だった。さくらは最初、この部屋は一階に設けられた隠し部屋のようなものだと思っていた。しかし、今いるこの部屋はとても小部屋と呼べるサイズではなく、玄関からこの家の最奥部ぐらいと同じぐらいに広かった。

 さくらはあまりこの部屋にいた痕跡を残さないようにと考えていたので、あまり資料には手を付けないようにしようとしたのだが、1つだけ、さくらの目を引いた物があった。

「これって……」

 さくらの目に留まったのは1枚の写真だった。それは、この家の前で撮られた写真のようで、脇のほうに『さらば我が家!』と書かれている。その写真に写っているのはセーラー服を着た今と比べるとどこか幼気に見える香澄、今と比べて新成人独特の初々しさが見え隠れする日和、そして、人形のように無表情の涼だった。

(でも、これ……)

 さくらは写真の脇に書かれた『さらば我が家!』の一文が気になった。この家は今も野澤姉弟が住んでいるし、さらばというのはおかしい。背景に写り込んでいる家の周囲も、今と比べて特に変化があるようには見えない。

 しかし、よく見てみると、家の表札が『野澤』ではなく、『大國』となっていて、『第三寄宿舎』という看板が後ろに捨てられている。

 さくらは、とんでもないものの片鱗を見てしまったような気がして、慌てて写真を元に戻す。さくらは背後から何かを感じ、思わず振り返る。するといきなり回し蹴りが飛んできて、さくらは咄嗟にしゃがんでそれを回避する。

「……」

 蹴りを放ってきた主は、愛とそんな変わらないような少女で、機械的な目線でこちらを睨んでいた。さくらは目の前の人物がとても人間のようには見えず、アンドロイドといった方がしっくり来るような気がした。

「あなたは?」

「日和の助手。書類の回収に来た。あなたこそ何をしてるの?」

「私は……その……」

 日和の助手を名乗る少女は、さくらの答えにはあまり関心を持っていないようで、機械的に資料棚から資料を回収した。そして資料を集め終えて持っていたバッグに全て収納すると、ハシゴがある方へと向かう。

「1つだけ警告しておく」

 その途中で少女は振り返り、さくらに警告するような目線で睨んだ。

「不容易に私達の研究に立ち入らない方がいい。気になるなら日和はいつか説明してくれるはずだからそれまで待って欲しい。あなたがここにいたことは黙っておくから」

 少女はそれだけを言うと、スムーズにはしごを登っていった。さくらには、何が起こったのかさっぱりだった。

 しかし、『何か恐ろしいもの』の片鱗を見てしまったような気がして、今この場では何も見なかったことにし、部屋にも入っていないことにした。

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