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はじめまして。虎辰と言います。遅々として更新されない&駄文であると思いますが、一人でも多くの方に読んでいただければ幸いです。
毎夜の様に、その場所を訪れるようになったのは、果たしていつ頃からだっただろう。
一週間前、もしくは二週間前だったかもしれない。ひょっとしたら、一年以上前からかもしれない。
そう、その光景を目に焼付け、耳に捉え、鼻で知り、感触を感じ始めたのが、いつからなのか、本当に定かではないのだ。
夜毎、その場所を訪れたいと願うようになってから、一体どれくらい経つのだろう。
最近。少し前。いや、最初からかもしれない。
そう、その光景が、目に焼付き、耳に纏われ、鼻が覚え、心が焦がれ始めたのが、いつからなのか、全く見当もつかないのだ。
人工物の圧倒的に少ない、広大に広がる大地。
聞こえてくるのは、吹き抜ける風音、生命の声。
届くのは、どこまでも澄み渡り、強く生きる土の、水の匂い。
たとえ、その場所に訪れることが可能なのが、一日の終わりから、次の日が始まる、短く儚く夢幻のごとき時間の間だけだとしても、五感の全てが知らせてくれる。
そこが、それが、真実であることを。現実であることを。
それが、《夢の中》だったとしても。
一陣の風。それが、この世界での自分だ。
何かに導かれる様に、意識が、感覚が、一直線に風となって駆け抜ける。
何時の頃からか、この夢であると確信できるのに、同時に紛れもない現実であることを認識できる、と言う矛盾を孕んだ世界を風となって駆けるようになった。
不思議と、困惑も逃避もなく、すんなりとそれを受け入れ、望むようにもなった。
それは、日常とかけ離れた、ここの光景に、理由があるのかもしれない。
風として駆け抜けるこの世界。
眼下を流れ行くのは、日常見られるアスファルトに固められた地面でも、無愛想な近代建材で造られた建物ではない。
命に満ち溢れた、としか言いようのない、広大な大地。草原が広がり、森が生い茂り、湖が点在し、時折見える人が住む村でさえも、生きている。
高速で流れ行くそれらと共に、感じるのは空気。
穢れない、けたたましさのない、無垢な空気は、触れ合うもの全てを慈しみ、受け入れるやさしさをも連想させる。
全てを感じ、駆けるこの身は、やがて終着点を見つけた。
風であるままに、恐れることなく、駆ける足は緩めずに、そこに向かって矢のごとく飛び込み、
そして、
音を聞いた。