9話 猫パンチ
基本的に獣の声帯だと魔法の詠唱ができないので獣の姿だと魔法が使えないのだけれども、たった一つだけ魔法を使うことができる。
それが、治癒。
素晴らしい効果が出るものではないけれど、地道に舐めてれば治る。
逆に言うと、舐めれない怪我や病気は治せない。
深すぎる怪我も、治癒が追いつかないので治せない。
まぁ、簡単に言うと、猫の喧嘩でできた外傷程度なら治癒可能ということ。
『まぁ、こんなところかな!』
最後にひと舐めして、体を離して傷の具合を見る。
うん、完璧!
ちょっと時間が掛かっちゃったけど、綺麗に治った。
この顔に傷跡っていうのは、はまり過ぎてて笑えないわよね!
よかったわ、綺麗に治って!
頬の辺りの傷は結構深めに入っていた為、放っておいたら跡が残ること請け合いだった。
「終わったか?」
じっと治療を待っていてくれた魔法剣士に訊ねられ、『ばっちり!』と短く応える。
機嫌良く応えたあたしを魔法剣士が抱き上げ、柔らかなわき腹の毛に頬擦りされる。
う、くそっ! 暴れたいが、さっきの事もあるので我慢するしかないじゃないか!
洗いたての毛はふかふかして気持ちいいのか、魔法剣士はあたしのお腹辺りに鼻を埋めて満足気な吐息を漏らす。
ムカつくので、爪は立てずに肉球パンチ。
てしっ、てしっ、てしっ、てしっ!
「……何をなさっているんですか旦那様」
声と共にするりと執事さんに持ち上げられ抱っこされる。
ごく自然な動作で喉を撫でられるが……あまりにも自然な動作なので、思わず普通に喉をならしてしまう。
恐るべし、執事さん!
「愛の語らいを邪魔しないでくれ」
そう言いながらあたしの方へ両手を伸ばす魔法剣士。
愛の…語らい……。
ざわりと鳥肌がたったよ!
愛なんて単語を当たり前のように使わないでほしい、猫相手に愛語るなんてあんたのキャラじゃない。
「猫が怯えています。 旦那様はもう少し猫の扱いを学んでからこの子と戯れると良いでしょう」
そう言って一冊の冊子を魔法剣士に渡す。
魔法剣士はあたしに向けて伸ばしていた手でそれを受け取る。
「”図解:猫の飼い方”」
本の題名を読んだ魔法剣士とあたしと目が合い、互いに微妙な顔になる。
いやいやいや、あたしこんな姿してても人間だし、猫本は役に立たないよ。
「セオロス…言っておくが、彼女は猫じゃ」
『言うなー!!!』
危うくばらそうとしやがった魔法剣士の言葉を、大声でさえぎる。
『アンタは、さっきあたしが執事さんから受けた屈辱を忘れたのかー!! まるっと洗われたあたしが人間だったなんて! どんなに屈辱だったかあんたにわかるかぁぁ!!』
ふーふー唸るあたしを執事のセオロスさんが宥めるように撫でながら、呆れたように魔法剣士を見る。
「……嫌われておいでですね、旦那様」
「ち、違……そうじゃないんだ。 今はまだ説明できないが……」
言い掛ける魔法剣士をギンっと睨む。
今はじゃなく、一生説明するんじゃないわよっ!
あたしの視線を受けて、魔法剣士が口を噤む。
「では、今晩はわたくしがこの子をお預かりいたします」
『はぃ!?』
「ちょ、ちょっとまて! 彼女はこの部屋でっ!!」
慌てる魔法剣士をセオロス執事が一瞥したが、魔法剣士の発言を聞かなかった事にしたようで、そのままあたしを抱っこして魔法剣士の部屋を退出した。
いや! まずいから!!
「セオロス! 待ってくれ! 本当に彼女は駄目だっ!!」
油断していた執事さんの腕の中から、あたしを追って部屋を飛び出してきた魔法剣士に飛び移る。
「おや……」
ちょっと呆然とした執事さんだったが、苦笑を浮かべて、魔法剣士にひっつくあたしの頭を撫でた。
「残念ですね振られてしまいましたか。 では、旦那様の寝室に”彼女”の寝床を整えておきます」
そう言って廊下を歩いていく執事さんのちょっと寂しげな背中を見送りながら、魔法剣士に抱っこされて部屋へと戻った。




