皇子様の後悔
好奇心からだった……教育係になった人から、王である父が子供の頃やんちゃで、よく城を抜け出していたと聞いたことや、今度の夜会でボクの許婚を決めるという話が持ち上がったせいもある。
ボクは、ほんのちょっと自由になりたかっただけだった。
一人の時間が欲しかった。
だから、ボクは城を抜け出して……悪い人達に捕まり、そして、黒狼の姿をした彼女に助けられた。
悪い人達に麻の袋に入れて運ばれ、やがてどこか家の中に入ったと思ったら、そのまま地面の上に転がされた。
男たちが相談している声もしたけど、猿轡をかまされ、両手足を縛られて運ばれてぐったりしていたボクにはよく聞き取れなかった。
麻袋の中でぼうっとしていると、突然大きな音が響き、それから男の叫び声、そして男が逃げだしたのを音で知った。
ぐるるるる…… 唸り声で、男を襲った獣がまだ近くに居ることを知り、ボクの体はガタガタと震えた、口に布を噛まされてなければ、きっと叫んでいたと思う。
獣の足音が、どんどん近づき、ボクが入っている袋にたどり着く。
袋の口をぐいぐいと数度引っ張られたけど、そこは固く閉ざされたままで、ボクは冷や汗でびっしょりになりながらも、ほっと胸を撫で下ろした。
すると、今度は麻袋の方を強引に引きちぎられた。
ボクは、なぜ目隠しをしてくれなかったのかと、悪い人達を恨んだ。
袋を破り裂いたのは、立派な体躯をした漆黒の狼だった。
その堂々とした風体に、一瞬ボクは見とれてしまった。
狼はボクを見ると、少し首をかしげ、それからボクに近づいてきた。
ボクはあまりの恐怖に必死に目を瞑り、ガタガタ震える。
すると狼はボクの頭をその大きな手で押さえ……ボクの口を塞いでいた布を、口で器用に取り去った。
「え?」
狼の行動に驚いて目を開けると、緑色の目をした黒い狼は、ゆっくりと一回ボクに頷いて見せた。
もしかして……この狼、ボクを助けに来てくれたの?
ボクがびっくりしている間に、狼はボクの後ろにまわると、一生懸命ボクの手を縛る縄に牙を立てた。
だけど、縄は頑丈に縛られていて、狼が幾ら頑張っても外れる気配がない。
こうしている間に、あの悪い人達が戻ってくるかも、そうしたらこの狼が殺されちゃうかもしれない!
ボクは狼に逃げて、と言おうとしたけれど、その前に、狼の大きな手がボクの頭を押さえた。
え?
何をされるかわからずに、言おうとした言葉を飲み込んだボクの頭に触れていた狼の黒い手が、不意にほっそりとした人間の手に変わった。
びっくりして振り返りかければ、その手に邪魔された。
「こっちは見ないで」
若い女性の声に、ボクはビクッと竦んでしまう。
「わ、わかりました。見ません」
ボクはそう約束して、彼女がボクの手足の縄を外してくれるのを待った。
彼女はやっぱりボクを助けに来てくれた人だった、勿論ボクが皇子であることも知っていた……ボクはなぜか、ちょっとガッカリした。
そして、ボクか掛けた迷惑を叱り飛ばしてきた。
ボク、基本的に良い子だから、あんまり叱られたことは無いんだけど、彼女にとってはボクは悪い子らしくて、ポンポン叱り飛ばされる。
そんなに怒らなくてもいいじゃないか、と、ボクが思っても仕方ないと思う。
思わず言い返そうと振り向くと「約束のひとつも守れないのか」と更に怒られた。
でも、ボクは一瞬で見ちゃったんだ。
ボクを縛る縄を一生懸命解こうとしてくれる、黒髪の彼女を。
服を身に着けていない彼女の、ふっくらとした胸まで、見えちゃった。
慌てて謝罪したけれど、ボクの目には彼女の姿が焼きついてしまった。
魔法で狼に変化した彼女と一緒に城に戻る中で、ボクは“悪い子”だから、彼女にいっぱいグチをこぼした。
彼女は合いの手を入れてくれてたけど、なんて言ってるか判らないから、ボクは自分の良いように解釈して、勝手に喋り続けた。
そして、ボク達はアクセラレータと合流する。
狼姿の彼女が、あからさまにホッとしたのに気が付いて、ボクの胸がジリッと痛くなった。
アクセラレータは大きくて、男らしい。
確かに頼りがいはあると思うけど、でも顔はおっかないし、ぶっきらぼうで、ボクや双子の妹のレビンに対しても容赦がない。
なのに、彼女はアクセラレータを見て安心するんだ。
そして、アクセラレータにとっても彼女は大切な人なんだ。
ボクが彼女を見たのかと、本気で怒るし……ボク皇子なのに。
そして、野宿することになって、ボクはすっかり疲れてしまって、彼女……アルトさんの取って来てくれたお魚を食べたら、早々に眠くなってしまった。
ボクが横になると、狼姿のアルトさんがボクに寄り添って温もりを分けてくれて、ボクは幸せな気持ちで目を閉じた。
眠りの中から、フッと意識が浮き上がったのは、きっとはじめての野宿で緊張していたからだと思う。
ボクの傍に居てくれたアルトさんがいつの間にか居なくなっていて、ボクの上には大きな服が掛けられていた。
そして、ぼそぼそと男女の会話する声が耳に届いた。
女性は、アルトさんのもので、ボクも起きて一緒に話しに混ぜて欲しかったけれど、体が疲れてきっていて起き上がれなかった。
「ねぇ、怪我してないか、アクセルが確かめてみる?」
囁くようなアルトさんの声が聞こえ、ボクの心臓がドキリと大きく鳴った。
ぱちぱちと薪がはぜる音の中に、がさごそと布が動く音がして、幸せそうなアルトさんのため息が聞こえた。
「アクセル、温かい」
溶けるような、甘い声でアルトさんがアクセラレータに囁いている。
ボクの胸がドキドキと大きな音を立てる。
二人に聞こえたらどうしよう!
二重にドキドキしたけれど、二人はボクが起きていることに気付かなかった。
「お前は……俺の理性を試して楽しいか?」
憮然としたアクセラレータの声がした、だけどその声もいつもボク達に掛ける声より全然優しい感じがした。
その後、小さくアルトさんの笑う声が聞こえる。
「そんなに楽しくはないわね。でも、こうやってくっついてるのは気持ち良いわ」
そう言って、肌を擦る音が聞こえて、ボクの胸は破裂しそうにドキドキした。。
いったい、アルトさんとアクセラレータは何をしているんだろうっ。
「……お前は、まったく……っ」
吐き棄てるように、言ったアクセラレータの声に、思わずビクッとしてしまったけど、起きてるのは気付かれてないと思う。
「アクセル」
不意に、アルトさんの引き締まった声が聞こえて、バクバクしていたボクの胸も、すこし収まった。
「皇子様を探してる人たち? それとも」
「わからん。来る途中で探索隊に声は掛けてあったが……。犯人が追ってきたのかもしれんな」
「わかったわ。“我が内に宿る魔力よ、我が体を組み替えよ、狼へ”」
不穏な会話と、アルトさんが魔法を使ったので、何か重大な問題が発生したのがわかった。
ボクの傍に来たアクセラレータに肩を揺すられる。
「たぬき寝入り、ありがとうございます」
アルトさんに聞こえないほどの小声で、アクセラレータにそう言われた。
そして、少し大きな改まった声を掛けられる。
「誰かが近づいてきます。アルトの傍に」
「は、はいっ」
いま目が覚めたばかりの顔をして起き上がれば、アルトさんを背にしたアクセラレータが、僕を見てニヤリと笑った。
僕は本当に、心から、目が覚めたときに邪魔しに行けば良かったと後悔した。
獣な彼女
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
2016.6.26 こる.