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「チャンスをあげる」
「チャンス・・・?」
「そう。そこまで言うのなら力づくで私を止めるチャンスをあげる」
「何様だよ・・・・・・」
力づくで、と言われても僕が麻香を止める術はない。
腕力で適う相手ではないのである。
妹だけど。
「・・・・・・文字通りラストチャンスってわけだな。やるよ。そのチャンス、ありがたく貰っておくよ。それで、僕は今からお前と取っ組み合いでもすればいいのか?」
「兄貴がそれで良いなら良いけど。別に物理限定じゃないよ。頭脳戦でも何でも」
「何でも? 結局僕はどうやってお前を止めればいいんだ?」
死にゆく妹を。
どうやって救えばいい?
「ルールは簡単。兄貴が私に勝負を挑み、私に勝てば兄貴の勝ち。私は兄貴の言うことを聞く。でも、私が勝ったら、今後の事は勝手にさせてもらう」
「僕にかなりアドバンテージがあるけど?」
それも圧倒的な。
「これで対等でしょ?まだ少し私が有利なくらいかな」
麻香は続ける。
「さあ、勝敗が決すれば何でもいいよ。兄貴の一番自信があるもので挑んできなさい!」
そこに立つ妹の姿は、とても今から死のうとする人間の風格ではなかった。
純粋に格好いいと思わせるような。
雲より遠くにいた自身を態々地に足を付けさせて、兄を真正面から迎え撃つ女子中学生の姿がそこにあった。
「お前が妹で良かったぜ」
僕は本心から言うことが出来た。
「私はそうは思わないな」
そう言った麻香の目には少しだけ寂寥の想いが混じっている様だった。
それも一瞬で消え、
「さあ、兄貴」
と、僕を急かした。
僕が妹に挑むゲームはもう決まってる。
この前茅ヶ崎と話題にしたばかりだ。
それに現実性は欠けているものの、アイデアは悪くないと結果的には褒められた。
対麻香用。
僕の妹限定の必勝法。
―――『例えば』って奇跡的な言葉だよな。あらゆる無理難題も『例えば』を付ければ在り来たりなものになってしまう―――
その仮定が、今の現実だ。
僕は言う。
「麻香、勝負だ」
「うん」
「ルールは簡単。互いに知らないことを言い合って、先に知らないことが無くなった方が負け」
麻香を真似て、わざと幼稚に言ってみた。
「・・・・・・」
麻香の表情は変わらない。
当然だ。
知っていたのだから。
麻香はこの勝負で挑まれることを知っていたのだから。
必然だ。
知らないことの無い麻香にとって戦う前から負けは確定している。
自己申告でのゲーム進行だが、この天才に限って嘘を吐くことは許されない。
どんなことを言っても一発でダウト。
ならば何故、麻香は僕に勝負を振ってきたか。
「麻香・・・」
つまりこの妹は。
死にたくは―――
「さあ、先行は兄貴だよ」
「・・・・・・」
「何も言わないなら私の勝ちだけど?」
天才のまま死ぬか。
天才を捨て生きるか。
麻香はその史上最大の選択を、ただの凡人の僕に委ねたのだ。
ずるいやつ。
僕がお前を殺すわけないと知っているのに。
「僕は―――
お前が生きたがってることを知っている。
お前が死を恐れていることを知っている。
お前が孤高の天才だという事を知っている。
お前が本当はこの世界を愛していることを知っている。
お前が茅ヶ崎の事を愛していることを知っている。
お前がずっと僕を守ってくれたことを知っている。
お前が僕の全てを知ってることを知っている。
僕がお前のことをどうしようもなく愛していることを知っている。
でも―――」
麻香、僕は結局これ位しか知らない。
お前と違って何も知らないんだよ。
既知と無知。
四捨五入すればきっと百とゼロだろう。
僕は知らない。
何も知らない。
「―――僕は知らなきゃいけない。まだ知らないことを。麻香、お前は僕にどうしてほしいんだ?お前の口から聞いてないよ。僕と生きるのかお前だけ逃げるのか。どっちだ?」
僕は言った。
駄目なんだよ。
そんなんじゃ。
いくら僕でも、お前のことを決める事は出来ない。
いくらお前が、僕の妹でも。
麻香、お前が決めなきゃいけないんだよ。
「・・・・・・」
沈黙。
僕は当然、死んでほしくない。
「・・・・・・生きる」
妹の声は小さいが、はっきりと聞こえた。
彼女の意志を僕はちゃんと聞き取った。
「僕は妹を直接助ける術を知らない」
でも。
お前は知ってるんだろう?
この勝負、お前の負けだ。
「大人しく生きろ。そして僕の隣に戻ってこい。お前が天才じゃなくったって、僕は麻香の兄だよ」
麻香の顔を見て言った。
・・・・・・!
僕は。
生まれて初めて妹の瞳が潤んだのを見た。
そして。
目の前が真っ暗になった。
次に僕が目を覚ましたのは、いつもと変わらない自分の布団の中だった。
「・・・・・・麻香?」
身体を起こすと、窓から差し込む光で今がもう朝だという事に気が付いた。
起き上がり、隣の妹の部屋に向かう。
理由はなかった。
ただ、何となく。
そんな気がした。
妹の部屋は最早空き部屋と化していた。もぬけの空という言葉が最適である。塵一つ残らず、完全に自身の存在を抹消していた。
元々誰もいなかったかのように。
天才の研究室があった記憶を疑うようだった。
「夢・・・・・・じゃあねえよな・・・」
夢落ちなんて馬鹿らしい。
僕は夢落ちが物語の結末として嫌いである
最上級の読者の侮辱とさえ思う。
「そもそも現実だっつーの」
僕は空っぽの部屋にそう言い残し、朝食を食べるべく一階に降りた。
この日は夜になっても麻香は帰ってこなかった。
次の日も、また翌々日も。
麻香から僕への連絡は一切なかった。
その状態が一週間続き、いよいよ行方不明という事になっていた。
両親に相談すると、麻香の事なら心配要らないと取り合ってもらえない。
茅ヶ崎も同じような判断で、いつしか僕も麻香の事は心配しないようにしていた。
もしかしたら夢落ちよりも酷い、お粗末な結果だが、麻香が何をしているのかなんて僕の知る由もないことだ。
日本中を旅していたとしても。
海外を歩き回っていたとしても。
月に行ったと言われようと、僕は興味を示さないだろう。
何故なら僕は知っているからだ。
麻香が生きていることを。
音沙汰無いのに彼女の生死を断言するなんてちゃんちゃらおかしいと思われるかもしれない。
死んでいる?
くだらない。
理由を問われるまでもない。
僕は麻香の兄で、麻香は僕の妹。
これ以上の理由は不要である。




