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妹の暇潰し  作者: 王手
妹の手間潰し
31/45

213

垂れ幕が下りきったのと同時に、鬼怒川夜見世は膝から崩れ落ちた。


生気が抜け落ちたように。


人形と化したように。


しかし、目には大粒の涙を浮かべ、その場に座り込んだ。



「き、鬼怒川先輩・・・・・・!」


「お兄さん! この人のことは私に任せて、麻香と一緒に利根を追って下さい」


「! 分かった!」



僕が駆け出す頃には、麻香は既に校舎の中に入っていくところだった。


それを見てすぐに僕は脚のリミッターを外した。


僕が全速力を出すのは、ゆうに中学校の体力測定以来である。


そうは言っても麻香に追いつけることは適わないが、それほどまでに僕に本気を出させるには十分の状況だった。



「麻香! この校舎には階段が二ヶ所ある! 何処から降りてくるか分かるか!?」


「あいつは降りてこないよ! もう逃げるのは諦めてる! 人が集まったところで飛び降りる気なんだよ!」


飛び降り!?


一体何なんだ、あいつは!



「っ。冗談じゃねえ! 麻香、エレベーターがあるぞ!」


「知ってる! 早く来てよ!」



麻香はエレベーターを無視し、階段を駆け上って行った。


確かに、麻香の場合そっちのほうが早いかもしれない。


僕はというと、全力で最上階まで走る体力が無いので、エレベーターに乗り込んだ。


今は馬鹿にされたって構わない。


先のことを考えれば極めて冷静な判断であることが分かるだろう。


チンッ。


と、最上階到着の音が鳴り、扉が開いた。


僕はそこから飛び出て、そのまま屋上に向かった。



「麻香?」



そこでは麻香が精神統一をしているところだった。


フーッ。


深く静かに息を吐き出している。


例えば弓道で矢を射る時、彼らの胴体は軽く押したぐらいでは微動だにしないほど堅甲に直立している。


今の浅香はまるでそれだ。



「・・・・・・何やってんだ? お前」



その場、その空間に縫い付けられたように麻香は動こうとしない。


僕さえいなければ、小鳥が麻香の肩に止まりそうだ。


僕は麻香を避け、屋上へと繋がる扉のドアノブを回した。


ん?


開かない?


外から鍵を掛けたのか?


何度ドアノブを回そうと、開く気配は無い。


麻香が背後で再度、フーッと息を吐いた。


まてよ。


このシーンはどこかで見たことがある。


具体的に言うなら、その道を究めた格闘家が目の前に積み上げられた瓦を今から叩き割る時のような・・・・・・。



「ま、まさか、蹴破ろうと・・・・・・!?」



咄嗟の判断が功を奏した。


僕が素早くしゃがんだおかげで、麻香の空を切るハイキックは無事に扉に命中した。


グアンッ!


きっと鉄パイプや金槌ではなく、車などが鉄板にぶつかって響く音だろう。


まして生身の人間が自分の身体(からだ)だけでこの音を作るのは、僕の妹以外いないだろう。


途轍(とてつ)もない音と共に扉は屋上のほうに吹っ飛んだ。


まさに人の所業ではない。



「お前!? あれが僕に当たったらどうなってたと思ってる!?」



明らかにスクラップ確定である。


下手したら上半身が消し飛んでいたかもしれない。


利根どころの話ではない。



「結果オーライだよ、兄貴」


「日頃から命の天秤で僕を量ろうとするな!」



でも。


まあ、しかし。


屋上に来れた事は感謝せざるを得ないだろう。


僕の力じゃどうすることもできなかった。


麻香の行動は結果的には正解だったのかもしれない。


僕はそう考えながら屋上に出た。



「来ましたよ、利根先輩」


「蹴り破るなんて聞いてないぜ、おい。ん? 家庭科室で会った中学生じゃねえか」



利根越人は麻香に臆することなく、そこに立っていた。


右腕は無事にその形状を保っている。


つまり、麻香の話は嘘だったということだ。


家庭科室で実際は何があったんだろうか。



「今回は見逃しちゃくんないわけ?」


「残念だけどそれは無理。何て言っても私の兄貴を怒らせちゃった訳だから」


「はっ。ちょうど良い。お前は死ぬ前に殴っておきたかったからな」



何の根拠があってなのだろうか。


まったく意味が分からない。



「どうした。俺を倒しに来たんだろ?」



利根が手招くが、不思議なことに僕はそんな挑発に対して怒りが沸いてこなかった。


勝手に歩が進む。


一歩一歩ゆっくりと、僕は屋上を利根に向かって歩いていた。


歩いていくうちに挑発への無関心の意味が分かった。


怒りは頂点に達していたのだ。


利根と僕が直接顔を合わせるのは今が初めて。


これまでに麻香の話に出てきたり、電話越しに声を聞いたりしていたが、それはあまりに間接的だった。


顔を合わせて、初めて実感する。


僕は利根の発する憎悪に真っ向から迎え撃った。


鬼怒川先輩を困らせ、挙句学園祭を最悪なものにしたこの男を、僕は許すという選択を思い浮かべることが出来なかった。



「言っておくけど、僕は妹とは違うから」


「戦闘に関しては素人なんだろ? それとも何? 妹と違って夜見世の為なら命張れますって言いてえの?」


「違う」


「ああ?」


「手加減できないって言う意味だ」



言い終えるか否か、右脚の爪先が利根のこめかみを捉えた。



「がっ!?」



利根は受身を取って後退する。


僕はそれを肉食獣がうさぎを狩るように敵意をむき出しにして追った。



「くそっ!」



利根は急ぎ、腕を構える。


そして右腕を僕の顔に向かって突き出した。


僕は避けなかった。


本当は避けようとしても、格闘技を習っていた利根の右ストレートを僕なんかが避けれるはずが無い。


運動系の部活に所属していない僕にそんな反射神経が備わっているはずも無かった。


ガンッと左頬に重い衝撃を受けた。


しかし、今は痛みなど感じる暇は無い。


当然、痛みは感じた。


しかしそれを痛みと感じるまでのタイムラグが僕の次の反撃を手助けした。


それを反射神経が鈍いと言うかは人それぞれだが。


僕は攻撃して隙の出来た利根の首を狙って蹴りを放った。


渾身の。


今日は浅香におぶってもらって帰るのも良い、と思うぐらい自分の脚を、相手を致命傷に追いやる鈍器のように振るった。


僕が仰け反らなかった事が予想外らしく、利根は脚を受け止められずに吹っ飛ばされ、気絶した。








脚は腕の数倍の筋力を有する。


鍛えていない僕の腕なんかで殴ったところで大したダメージは期待できない。


それを考慮しての蹴りだった。


勝因はもう一つある。


はっきり言えば筋力がどうとかなどという前者は、勝利の起因としては不十分である。


僕が始める前に言った言葉は嘘ではないということ。


僕は麻香と同じように相手の急所ばかりを狙ったが、麻香の戦い方(ファイティングスタイル)とは決定的な違いがある。


今回の場合に限るが、僕は手加減をしていなかった。


つまりは。


殺す気で戦ったということだ。


とは言っても、ひ弱な僕が素手で人を殺すなんてことは困難を究める。


しかし、それほどまでに。


今まで以上に僕は相手を倒そうと思った。


倒したいという願いではなく。


倒そうという決意。


麻香の出番を必要としないほど僕が怒っていたなんてことは、きっと初めてのことである。










「兄貴、お疲れ」


「ああ」


「ほっぺ、凄い青くなってるよ」


「だろうな」



あの時は守ろうとは思わなかったからな。


クリーンヒットだよ。



「少しかっこよかったよ」


「そうでもないさ」


「?」


「僕だって喧嘩で勝った余韻に浸ってるってわけじゃない。主人公として活躍できたとも思ってない。こんな方法でしか復讐出来なかった―――」



だって。


口を動かすとと頬の痛みが増す。




「―――僕の負けだよ」




僕らはフェンスを乗り越えて、下を覗き込んだ。


昇降口の前は数分前とは大違いで葬式のように静まり返っていた。


ここからでも鬼怒川先輩が抜け殻のようになっているのが良く見える。


僕は先輩の携帯に電話を掛けようとしたが。


ここで追い打ちをかけるように。


静かに雨が降り出した。


小粒の雨は、しだいに勢いを強くし、全てを濡らしていった。


雨足が強くなろうと、静かになった観客たちは動けない。


まるで鬼怒川先輩が皆をその場に縫い付けているかのようだった。



「・・・・・・天気も崩れたか」



振り向くと利根が目を覚まし、仰向けのまま雨を浴びていた。



「残念だったな。そのゴミに塗ったのはペンキだ。そう簡単には落ちない」



彼の目線の先にはペンキの缶があった。



「利根・・・!」


「兄貴」



麻香は僕の再沸する怒りを抑え、静かに言った。



「ペンキで書かれてしまえば、雨なんかじゃあの落書きは消せないよ」


「くそっ!」



僕はフェンスを殴りつける。


なんでこんなやつに・・・・・・。


鬼怒川会長は何も間違っていないのに・・・・・・。



「まあ―――」






「―――ペンキだったらね」







「?」


「もし私がそのペンキの缶の中身を私の『特性水落絵具(ペンキ)』に取り替えていたとしたら、そろそろじゃない?」



タイミングを見計らったように下のほうで歓声が上がった。


何が起きているのか、麻香の言葉で見るまでもない。



「私が態々(わざわざ)調合したんだから、完璧に落ちるわ。それこそ何も書かれていなかったように」


「麻香・・・・・・!」


「てめえ・・・・・・!」


「そうそう聞くのを忘れていたわ」



麻香は利根の近くに寄って、見下ろしながら言った。



「右腕と左腕、どちらが惜しい?」














鬼怒川夜見世。


彼女は自分の選択したもの全てが自分の中で最善だと思っていた。


思った通りにすれば、楽しく生きていけると思っていた。


しかし。


それは間違いだった。


今までが上手く行き過ぎてしまったのだ。


時間と共に重なる歯車の歪みは、ついに彼女の唯一の生きがいに支障をきたしてしまった。


全ては運命の悪戯。


彼女が悪いわけでは決して無い。


なのに、残酷なほどに原因はそこにあった。


彼女、鬼怒川夜見世は正し過ぎた。


この現世に生きるには、その正しさは異端であった。


そして―――気付くのが遅過ぎたのだ。


人生を楽しむだけの生き方は、この世の中では不可能であることを。


高校生らしく、もっと悩んで良いことを。


―――自分が既に負けの烙印を押されていることに。


自分の選んだ道がハッピーエンドに繋がるということが勘違いであるということを、自覚すべきだったのだ。


勘違いは決して悪いことではない。



だが。



それは間違いであるということに、気付くことが大切なのだ。


麻香は利根越人を叩きのめすという簡易な解決法よりも、ペンキを摩り替えるという手の込んだことをした。


妹は鬼怒川夜見世に現実を気付かせたかった。


麻香は鬼怒川夜見世が自身で目を覚ますという手間を踏み潰したのだ。


おかげで。


彼女は―――進化した。


この現実に―――適応した。


鬼怒川夜見世は長い夢から目を覚ましたのだ。


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