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体育館の中は圧倒されるような熱気に包まれていた。
人数は百人を超えるかどうかわからない程度だが、勢いでそれは数倍の人数にも見えた。
閉め切った体育館はそれだけで暑いのに、ステージの前に群がる人々の熱と湿度でサウナ状態だ。
大音量の演奏と観客の盛り上がりで、外とはまるで別世界のようである。
「近付きたくないですね・・・・・・」
「確かに、あの汗だくの大衆の中に埋もれたくはないよな・・・・・・」
「それにしても下手くそなバンドですね」
「ん? お前聞いてて分かるのか?」
今、演奏してるのは確か三年生のバンドである。
三年間も軽音部に入っていれば、上手くなると思っているのだがどうなんだろうか。
「分かりますよ。私バンド組んでますもん」
「はあ!? 初耳の耳初だぞ!」
何だそのカミングアウト!
驚いて少し跳んじゃったじゃないか。
「言ってませんでしたっけ? 私はベースで麻香がドラム、会長さんがギターボーカルです」
「えええええええええええええええええええ」
麻香は兎も角、鬼怒川先輩までメンバーだと!?
お前らいつの間にそんな仲良くなってんの!?
「バンド名はThe fool brotherです」
「そんなところでも僕を馬鹿にしてんじゃねえよ!」
その三人で兄がいるの麻香だけじゃねえか!
「因みにバンド名を決めたのは私よ」
「お前しかいないだろ・・・・・・うわっ!?」
目の前に立って失礼な告白をしたのは僕の妹だった。
ステージの方からやって来たのだろうが、突然過ぎて驚きを隠せない。
まさにそこから湧き出たように麻香は現れたのだ。
「何よ。人を見て、お化けや蛙が飛び出してきたかのように驚くなんて」
「驚くだろ、普通。つか今まで何処にいたんだ?」
「私が何処にいようと兄貴には関係ないでしょ。学園祭だから兄貴に会いに来なきゃいけなかった?」
「別にそういうことじゃねえよ。てっきり茅ヶ崎を探しているのかと・・・・・・」
あれ。
何かの仕事をしてたんだっけか。
そういえば茅ヶ崎自身も頼まれ事があるようなことを言っていた気がする。
「何を言ってるんですか、お兄さん。私のやるべき事は既に完遂していますよ」
「そうだよ、兄貴。栄はしっかりと私からの仕事を終わらせてるよ。お疲れ様、栄。本当に疲れたでしょ?」
「そうでもないよ」
「お前ら何を言ってんだ?」
毎回そうだが、蚊帳の外って言うのは辛いもんなんだぜ?
「いずれ分かるよ。それより兄貴さ、私が何処にいたんだって聞いたよね?」
「おう」
「家庭科室にいたんだよ」
「・・・・・・は?」
あれ?
兄貴は日本語が伝わらないのかな? と麻香は首を傾げた。
「高校生になっても実習ぐらいするでしょう?」
「んなことは分かってる!」
問題は何故お前がその特別教室にいたのかって話だ。
今日家庭科室では何の出し物もしていないはずである。
「何故って・・・・・・悪者退治?」
「悪者退治!?」
何を言ってらっしゃるんだこの妹は!?
「具体的に言うと、鬼怒川会長のストーカーが家庭科室を爆破しようと企んでたから私が止めてきたの」
「雨が降ってきそうだな。洗濯物をしまってこなきゃ」
「お兄さん、いくら脳のキャパシティの限度を超えたとしても現実逃避はやめて下さい」
「仕方ないよ、栄。兄貴の脳の容量は500ギガバイトが良いところ・・・・・・」
「家庭用パソコンと同じじゃねえか!」
やかましいわ!
1テラ無いんかい!
増設が必須じゃねえの!?
・・・・・・・・・。
いや、そんなことより。
「麻香、それは本当か!?」
「うるさいな、本当だよ。そして沈んで」
「どこの海底に!?」
付け加えられた余計な一言が怖すぎて、本題に集中出来ないんだけど。
「仕方ないなあ。詳しく話してあげるよ」
「た、頼む・・・・・・」
一時間前。
カラカラッ、と静かに家庭科室のドアが開いた。
そして忍び込むように足音を隠し、一人の男が教室の中に入った。
身に着けているのは何の特徴も無い地味なTシャツと、これまた普通のジーンズである。
学園祭といえど、生徒に普段着の着用は許していない。
九分九厘、校外から来た一般人だろう。
彼は教室の電気は付けず、机のガスコンロの部分に近づこうとする。
その瞬間、家庭科室の電灯が点いた。
「こんにちは。利根越人さん」
先ほど彼が侵入したドアの所から、今度は女性の声が掛かった。
電気もついて、逃げ場であるドアに人がいることが分かってか、彼、利根越人は自分に話しかけてきた女性、麻香に対峙した。
「よく俺のことが分かったな」
「当然よ。私は何でも知っているもの」
「へえ。じゃあ俺の歳は?」
「18」
「身長」
「174cm」
「住所」
「鬼怒川邸正面のアパート『水無月』202号室」
麻香は利根が話す質問に間髪入れずに答えた。
利根は口角を上げ、感心して見せた。
「はっ。よく調べてきてるじゃねえか。つーことは今から俺がしようとしていることも
」
「知っているからここに来たんだけど?」
麻香は表情を変えず答える。
「それで、止めに来たと?」
「まさか。良い事を教えに来たのよ」
「あん?」
「あなたはガスの元栓を全開にして、ガスが教室に蔓延した所で爆破する予定だろうけど―――」
ここでようやく麻香は表情を変えた。
それは相手を嘲る笑み、まさに嘲笑を浮かべていた。
「―――それ、ガスなんて出ないよ?」
「?」
「そもそも学校の設備が目に見えているものが全てなわけがない。そこからガスを出すには事務室にある元栓を開いてこなきゃいけないわけ。この部屋の鍵は盗めたみたいだけど、ガスの元栓を事務員に気付かれずにいじるのは私でも至難の業だと思うよ」
「つまりこの計画自体が破綻するってことか?」
「その通り。極小サイズの脳みそにしては理解が早いじゃん」
「・・・・・・・・・」
「ところでストーカーさん。私の兄貴のボディガードはどうだった?」
「・・・・・・ボディガード。あの男はお前の兄か」
利根は急に態度を豹変させた。
さっきとは打って変わって敵意をむき出しにしている。
「完璧にマークさせてたでしょ。私も会長さんを一人にするなって、きつく言っておいたからね」
「なかなか危ないことさせるんだな。家の中まで付いて行ったら殺さなきゃいけないところだったぜ」
「人間の屑ごときがでかい口きいてんじゃねえよ。そんなことしようとすれば私がお前の肢体を分断するっての」
これを聞いて利根は数秒声を失ったが、すぐに声を上げて笑い出した。
「君さ、大胆だよね。肝が据わってるって言うか。この状況分かって喋ってんの?」
利根は簡単に教室を見渡し、フッと笑う。
「そもそも北館一階のこのフロアは進入禁止なんだぜ? それに加えて本来閉まってるはずの家庭科室。俺がここでお前をどうしようと誰も気付いて助けになんか来てくれない・・・・・・」
「逆を言えば、私があなたをここでぶちのめしても学園祭の進行には子細無いという事だけど―――」
パキポキと、麻香は指を鳴らしながら言った。
「―――気付いてるかな?」
その場の空気が。
一瞬にして凍り付く。
利根の顔からは笑みが消えていた。
「よく知らんけど俺は格闘技をそれなりに嗜んでるぞ?」
「それがどうしたの? 弱い犬ほどよく吠えるってあれ、本当なんだね」
「いい加減頭にくる」
「人間弱い部分にくるらしいよ」
ザッと。
利根が動いた。
地を蹴り、驚異的なスプリングで麻香に飛び込む。
左の腕を後ろに引き下げ、右腕で麻香の顔にストレートを打ち入れた。
「躊躇なく女子の顔を殴ろうなんて」
麻香はその右腕を掴んで軌道をずらし、足を払って中へ浮かせた。
「異常だね。あの人が拒絶するのも分かる」
利根のスピードを利用して、麻香は廊下の方へ投げ捨てた。
「俺の拳を冷静に受け流すのも十分に異常だがな」
利根は受身を取って着地し、再度標準を麻香に合わせた。
そこから瞬時に飛び出す。
「驕らないでよ、魚雷。その遅いスピードで私に対抗できると思うなんて愚考としか思えない」
麻香は、今度は受け流すことなく体をくねらせ、利根のラリアットを避け、脇腹に正拳突きを加えた。
続き鳩尾に肘を埋め、利根を床に叩き付ける。
最後に利根の右腕を踏みつけた。
「本来私に喧嘩を売れば骨の二、三本は覚悟してもらうところだけど、今回はここが学校ということで勘弁してあげるわ」
「うぐ・・・・・・」
「・・・・・・一本で」
「!?」
家庭科室のある北館一階のフロアに苦痛に悶える悲鳴が響いた。
しかし、それを聞く者は一人の女子中学生だけだった。
「うおい!」
「何? 折角私が態々(わざわざ)回想を語ってあげたというのに」
「何?、じゃねーよ! お前はヤクザか!?」
制裁が、恐ろしいどころの騒ぎじゃねえ。
戦い方も急所を的確に狙っているという面で、普通に恐怖だが、そんなことはこの際関係ない。
「あれ? 中学で喧嘩を売られたら骨を折り返しなさいって教えられたのに」
「その教訓を教えた教師の名前を言え。今からぶっ殺してくるから」
「その発想の方が恐ろしいですよ」
「まあ、さっきの話、結構盛ったけどね」
「盛ったんかい!?」
本気でびびったわ!
兄をあまりドキドキさせるんじゃありません!
「まあ良いじゃん。ストーカーを退治してきたわけなんだから」
「ここでお前を許したら何か大切なものを失うと思うのは僕だけか?」
この予感は色濃いのだが・・・・・・。
杞憂であってくれ。
「それじゃあ閑話休題。会長主催の暗号ゲームに戻ろうか」
「まるでお前がさっきまで参加してたみたいに言うな。・・・・・・あれ、お前も参加してたの?」
「当然。兄貴たちが中庭いるところを横目に見ながら暗号を解き回ってたよ」
「嫌な奴だ!」
言ってくれれば良いじゃないか・・・・・・。
おかげで茅ヶ崎と一緒にいられたのだけれど。
「・・・・・・それで? 今回の暗号も瞬殺だったんだろ?」
「誰に口を利いているのかしら?」
「普通に答えろよ」
「家庭科室に行きたいの?」
「何で喧嘩腰なんだよ!?」
兄と喋るときくらい落ち着いていろや。
「話を戻すけど、たぶん次が最後だよ。場所は生徒昇降口正面。あそこは出店も無いから行けば何があるか分かると思う」
「ふうん。それじゃあ行くか」
「兄貴が何で仕切ってんの? 家庭科室に―――」
「その台詞流行ってんのか!?」




