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我が妹、麻香は人並み外れた頭脳を有する。この「人並み外れた」という言葉の人並みは、普通の人間が使うものとは次元が違う。
別に妹の脳の容量が平均以上なわけではない。
そもそも頭脳はそんな簡単な代物ではない。寧ろ妹は頭が小さい方で――――七頭身であるわけで――――人より脳が小さいという見解ができる。
常識だが人の脳は頭の大部分を占めている。
これでも妹が天才として僕の遥か頭上に君臨するのは妹曰く脳を使う才能にある。
どんなに大きな脳を持っていようが、一割程度しか機能しなければ平均を下回るのは至極当然。実際に人間の脳は一割程度しか有効活用されていないと過去に提唱されたらしい。まあその説はまだ科学が発展していない為の思い込みだったが。
最近では脳の大部分は有効的に活用されているといわれている。しかしそれでもあまり使われていない部分があり、脳の一部分が破損など何らかの機能的障害が発生した場合にあまり使われてない部分が代わりに活用されている可能性があると考えられている。それに有効活用といっても実は60%がその限界である。80%の使用で精神的・身体的な障害が生じ、もし100%完全に使い切れば脳細胞は焼き尽き死滅。脳が死んでしまう訳である。
因みに妹は自分の脳を過不足なく自由に使える特殊な能力があるらしい。つまり、全ての脳を100%を使用することができ、さらにその使用率を故意に調整できるということだ。どんなに脳に負荷を与えようと脳細胞はそれを留まる。
本当はもっと詳しく妹から説明されたが、これ以上は理解することができなかった。それにしてもざっくばらんな説明で申し訳ない。言い訳だが、元々人間の脳ははっきり解明されている訳ではないだ。僕に簡単に理解できるほど科学的に、正解にできているわけではないである。
ここでもう一つ重要事項を説明したい。
妹の持つ能力ならぬ脳力だ。
脳の力を大きく分けると計算、感情、記憶、行動処理の五つに分けられる。
妹は全ての能力値が特異的な値を示すが、その中でも特に発達しているのは記憶能力である。
記憶には三種類あるとされている。
一番短い感覚記憶は、映像や音が保たれる最大1~2秒ほどの記憶。
次に短い短期記憶は、感覚記憶の10倍の約20秒間保持される記憶。
半永久とも取れる長期記憶は、忘れない限り、死ぬまで保持される記憶。人間の全ての記憶は長期記憶の貯蔵庫、長期記憶貯蔵に蓄えられる。
この記憶の忘却条件は時間の経過による老化、記憶同士に起きる干渉、検索時の糸口が消失する検索失敗と諸説ある。
――――妹の記憶の凄さはここにある。
妹の記憶は忘却されないのだ。
つまりどんなに時間が経とうと、記憶同士が干渉し合っても、チラッと目にした素人が書いた出来損ないの詩の一句でも、それは妹の脳から無くなる事はない。
――――瞬間記憶能力。
他に完全記憶能力とも言われるが妹は自分自身の能力をそう呼んでいる。
一瞬。
一瞬間。
ほんの刹那に起きた出来事でさえ、見境なく妹は記憶する。逆に言えば、悪いように言えば妹はどんなことでも忘れることはできないと言うことである。この超人的記憶能力を安易に利点と言えるかどうかは僕には皆目分からない。
妹の能力を全体的に且つ具体的に説明すると――――正確さに大きく欠けてしまうが――――妹の才能が大体分かるはずだ。
敢えて正確さに欠けると伏線を敷いたのは、僕はまだ妹の能力の全貌を知らないからである。八桁乗法の暗算も、この街の公図と全ての住民の氏名を暗記しているのも結局、生活に支障がない程度のものなのである。
例えば十桁百桁の乗法ができたとして、普段の日常でそれを使用することが何回あるだろうか。よほど特殊な職業でない限り、こんな常人離れした業は使われないだろう。
と言うより他人には使えないだろう。
それに妹は女子中学生。
異常計算の使用頻度は皆無と言える。
よって妹がそれをできるかどうかなんて知らないし、知ったところで僕は今更驚くことではない。この時点で驚愕の範囲内にある妹の計算能力が、加減乗除何桁になろうと同じ驚愕の域にあることに変わりないのである。
もう一つ特化的才能が妹にはある。今までの能力とはまったくの別物だが、妹に言わせれば瞬間記憶能力のただの副産物らしい。
――――読心術。
顔の表情、筋肉の微妙な変化により相手の思念を察知するというもの。しかしこれは普通の人間でも修行すれば会得できないこともない能力である。
妹の読心術は一般なそれとは別格だ。
僕のような妹と親しい人間は、交わした会話、表情、行動を何通りも暗記されている。妹はその様々なパターンを現在の対象に対照させて相手が思案していることを推理する。(決して狙った駄洒落ではないことを弁明しておく)
それは100%ではないものの正答率は九割を超え、少なくとも僕の考えていることは妹には殆どお見通しなのである。
申し訳ないが兄の妹紹介にまだ、しばしお付き合い頂きたい。
僕が妹を(滅多にないが)自慢する時は決して頭の良さを挙げることはない。態々自分から兄より妹のほうが秀才であるという醜態を晒すのは勘弁だ。
僕が誇るべき妹の長所は、性格でも乙女らしさでもなくその容姿である。彼女の性格が長所といえば一般的な優しさが短所に分類されてしまい、彼女には乙女らしさからは遠からず距離がある。
よってその美しい顔立ちと腰近くまで伸びる黒曜石の如き漆黒の長髪、それに前述した七頭身に相応する長身。
認めたくないがそれを総合的にも一般的にも美女と言うはずだ。本当に僕の妹ならチンパンジーにチンパンジーを足して2で割ったような容姿になるはずだが、結局そういうところも常識を超越している。
妹は乙女ではないと言ったことの真意について弁明を述べてみる。このままだと怒らないとは思うが一時間罵詈雑言を聞くことになるのは確実だ。
県内でも随一の偏差値を誇る私立撫子大学付属中学校第三学年に在学する妹はそれなりにその名が知られている。撫子大学付属中の「大和撫子」と言えば県内に知らない学生はいないほどである。定期試験では全教科満点。所属部である柔道部で全国大会で優勝した。100回以上の告白を即答で断った。その武勇伝は数え切れないほどである。単純が故にそれらの正否は定かではないが、僕の思うにその殆どが既成の事実だろう。
麻香の才能は、嚢中の錐とは言うように麻香と言う小さな器に仕舞われる様な代物ではないのである。
漫画や小説に出てくる完璧超人は必ずと言っていいほど弱点が一つや二つある。
かの英雄アキレウスでさえ唯一の弱点として踵があるように、話を盛り上げるための弱点が用意されている。読者にとって格好良い登場人物でもチートプレイで話を無茶苦茶してくれれば流石に愛着は失くなってしまうだろう。
これを考慮してこの作品を自虐しているわけでは決してない。
無論、話の流れから分かるように妹にはウィークポイントが存在しないのだが。
妹の生きてきた人生で僕の見る限り心底困ったところは一度たりとも目にしたことはないのである。
――――ここまで数ページを丸々使って妹を抽象的に(・・・・)解説してきたが一度話を戻すことにする。ここで説明し切れなかったことはまた折を見て知ってもらうことにしよう。
「桔梗自衛団って何なんだよ・・・」
狭い自室のドアを開けて僕はわざわざ声に出して今の疑問を自問した。
自問自答・・・・・・ではない。
始めて聞く固有名詞に対して自答できる想像力は僕にはない。
あれから妹は僕がカツアゲされた場所を私たちの縄張りだと家を飛び出していった。そもそも妹が玄関に居たのはその為だったのかもしれない。
縄張り・・・って。
正確にはそれに「テリトリー」とルビを振らなくてはいけないものを僕は妹を下等哺乳類が如く扱ってやることで、耳にしたことがない組織の名称を忘れようとしていた。
チンパンジーか。
また何か不思議単語を口にすれば僕の脳内でゴリラに昇格させてやる。
僕は悪態をつきながら布団の上に寝転んだ。
今時ベッドに寝ないのは、ベッドを部屋に置くと逆に寝る空間が無くなるからである。何次元空間にいるのかと思われるかもしれないが、単純にガラクタが部屋を埋めているのが原因である。僕は物に囲まれないと落ち着かない性格なので致し方ないのだ。
「・・・・・・寝るか」
今朝はわりと早起きだったのでまだ眠気が覚めない。休日は十時まで寝てないともたない厄介な体なのだ。
言うほど遅くないが、僕はゆっくりと瞼を閉じた。




