201-P
初めての方は初めまして。
知っている方は久方振りで御座います。
前作から五ヶ月。長い間音信不通の状態で申し訳ありませんでした。
六月に更新と予告していましたが、予定が伸びに伸びて八月中旬です。
pcの故障でデータが消えるなんてこともあり、心も折れた時期もありましたが、無事に書ききることができました。
これからまた一週間とちょっとの間、宜しく御願いします。
「妹の手間潰し」です。
例えば僕が、在学校である壬生高校の生徒会に所属していることは読者諸君にとって雀の涙ほども興味が無いことだとしても、僕が鬼怒川夜見世のことを話すとなると、この事実が必要になる。
鬼怒川夜見世は有名な生徒会長であった。
同じ時期に生徒だった人間に「生徒会といえば」という質問をすれば必ず「鬼怒川夜見世」と返ってくる。
他に「学園祭といえば」といっても「鬼怒川夜見世」と返答されるだろうし、挙句の果てには「君」と訊いた時でも「鬼怒川夜見世」と返ってくる。
これについては喜ばしくは無いのだが・・・。
それにしても全校生徒にこの「鬼怒川夜見世」の名前にしても、顔にしても、行動にしても、ここまで印象付いていることは普通ではない。
一生徒が男女合わせて八百人近い全校生徒に注目されるなんて事はあったとしても、それは一瞬であり、その後、関わりを持たない人は直ぐに記憶から抹消してしまうからだ。まして学年も違えば尚更だ。
容姿はそれに適う。
容姿端麗。それだけで十分。
姿形以外に毎年変わる生徒会長の中で一際目立ち輝くには、非常で、つまりは常軌を逸した行動・言動をとる他無い。
鬼怒川夜見世はその条件を満たしていた。
自分勝手。
傍若無人。
自由奔放。
そんな行動を繰り返す。
自分の自由に行動する。
―――だが。
それでいて快刀乱麻に物事をこなし。
それでいて意思堅固の心の強さで。
それでいて一心不乱に努力する。
異常と非常の溝が上手く中和され、ある意味でバランスのとれた人間を確立している。
正義の味方か悪の怪人かは紙一重。
彼女はどちらにも当て嵌まる。
楽しみたい一心で周囲に働きかけるし、それが周囲のメリットにもなる。
彼女は喜びを分かち合う楽しさを知っているからだ。
自分の楽しみという概念に他者の喜びが組み込まれているのだ。全員で一つのことを成し遂げる事を、彼女は楽しみとして定義しているのである。
鬼怒川夜見世は。
ただ、人生を楽しみたいだけに生きている。
青春を謳歌するためだけに今を生きている。
その過程で多少の苦しい努力をしたとしても、味わった苦しみが感動となって返ってくる時を感じるためだけに生きている。
まさに人間の究極。
世界に彼女以上に生きる事を楽しむ人間がいるだろうか。
どんな困難が現れようとそれを楽しみに変換し、打破する。
彼女にとって敗北という結果は存在しない。
道別れする人生の全ての分岐は、最終的に必ず勝利とリンクする。
彼女に負けはない。
―――と。
彼女自身はそう思っていた。
彼女の周囲もそう考えていた。
―――しかし。
鬼怒川夜見世はこれより未来は自覚しなければならない。
自分はただの人間である事を。
彼女自身は―――
―――非常でも異常でもないと言う事を。
彼女には非はないが、勘違いは間違いでしかない事に気付かなくてはならない。
―――そう。
彼女は負けた。
鬼怒川夜見世、高校二年生の学園祭。
―――それは困難ではなくて。
僕の妹でもなくて。
当然、僕なわけもなく。
鬼怒川夜見世は自分自身に負けたのだ。




