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結局、僕はあの後駅に停まった電車に救われて、壊れた水道管の様に吐き出された憎体口の言葉に返答を待つことなく別れ、茅ヶ崎は彼女の目的地である学習塾へと向かった。
一方僕は茅ヶ崎に着いていく勇気と気力は到底無いので、妹がそろそろ怒るだろうなどと言って電車を乗り換え、帰路に発った。
元々は茅ヶ崎に着いて行くつもりだったのだが。
これ以上の八つ当たりは、いくら妹の友人であろうと御免だった。サンドバックも良い所である。
よって僕は街への往復の電車賃を茅ヶ崎の話と言うお釣りを貰いつつ溝に捨てたわけだ。
こんな事なら勉強していた方がマシだった。
それでも。
そうは思おうと。
僕は茅ヶ崎の話を聞いて何も感じなかった訳ではない。
言うまでも無く茅ヶ崎の現状に同情した。
許嫁か。
僕はこの言葉を口の中で何回か反芻する。
結婚相手が決められているって言うことは、恋愛は出来ないんだよな。
中学二年生。
これからが青春だって言うのに。
いくら経っても春が来ない僕とは違い、茅ヶ崎は可愛いし、性格も良い。そう言う所では勝ち組の筈なのに、勿体無い。
高校生になれば猶の事だ。
話に聞く高校生ライフの楽しみは恋愛でもあるらしい。
当然、僕の様な人間は対象外だが。
茅ヶ崎ともなれば対象内どころか、中心点だろう。
・・・・・・。
ここで僕の性格は歪んでいるとまた再確認。
年下の女子を羨ましがった所で何もならないが、僕は彼女がそれを出来ないと言う事実に、どこか優越感を覚えているのかもしれなかった。
*
「勉強をサボったりするから」
開口一番、麻香は玄関(そういえば玄関のシーンがやたらと多い小説だよな。この小説って)で僕を迎えた。
「・・・・・・ああ」
そうか。
サンドバックはこれの代償か。
「本当に間が抜けてあるよね。私が兄貴を見逃すかってーの」
「返す言葉も無い」
「疲れたでしょ?」
ニヤリ、と僕を見て言った。
シテヤラレタ。
「最近、ストレス溜まってたからなあ。栄の奴、随分と吐き出したでしょ。きっと許嫁の話まで」
「お察しの通りだ」
僕は力尽きて寝転んだ。
「ドンマイドンマイ」
麻香が上のほうから僕の顔を覗いて言う。
如何にも楽しそうだ。
「あ、そうそうお母さんが呼んでたよ」
「んあ? 何だろ」
僕は重い体を無理やり動かし起き上がり、母の居るであろう台所に行く。
「何か用? お袋」
「買い物行って来て。リストそこにあるから」
「おいおい、受験生に御使い頼むんですかー?」
「麻香に今日あんた勉強休みって聞いたけど?」
っ。
あいつ、余計なことを。
「あ、ついでにお隣さんにそこのミカン、お裾分けって言って渡してきて頂戴。宜しく」
休ませる気無いんですね・・・。
僕はビニールのミカンを持って玄関に戻る。
何とそこにはまだ麻香が残っていた。
丁度いい。
「お隣さんに行ってきてくれないか?」
「何で? ピンポンダッシュ?」
「このミカンを届けるんだよ!」
何で悪戯に行かせなきゃいけないんだよ。
どんな兄だ。
「あ、ついでにスーパーにも言って来てくれ」
「何で? ピンポン奪取?」
「ボールだけ万引きする気か!?」
急に卓球やりたくなった親子が居たら気の毒だろうが。
「その突っ込みはどうかと思うよ・・・」
ま、同意である。
「はあ。分かったよ。行ってくる」
そう言って再度玄関を出ると麻香が、
「私もついて行ってあげるよ」
と、言って上着を着て出て来た。
「・・・・・・僕は一人で行けるんだけど」
「話し相手が居ると退屈しないでしょ」
「まあ、そりゃそうだがな・・・」
はっきり言って嫌なのだが。
こいつと居ると兄の威厳と言うものが(元々無かったかもしれないが)風の前の塵に同じなのである。
せめて、茅ヶ崎と同じ身長ならいいのに。
「身長が低いヒロインって結構居るじゃん。 私の背が低かったらそんなのと被るでしょう?」
「え、何? ヒロイン?」
つか僕の心を読むなっての。
「あれ知らなかったの? 私この小説のヒロインなんだよ? 因みに兄貴は通行人G」
「地の文語ってるのに通行人!?」
全ての場面に登場する通行人G恐るべしだな。
「安心して。通行人GのGはゴキブリのGだから」
「人じゃないのか!?」
ゴキブリ語りの小説って想像しただけでも寒気がするな・・・。
ああ、何か何処からともなくカサカサって聞こえてきたよ。
「大河、ルイズ、くりむ、シャナ、イカ娘、インデックス、ミナ、ゆの、ぽぷら。ほら、考えるだけでも小さなヒロインはこんなに居るよ」
「こらこら。さも普通にキャラクター名を表記してんじゃねえよ。せめて伏字で出せ」
「イカ●くり●む」
「何か美味しそうになっちゃった!」
クリームは無理矢理だけどな。
イカスミか?
「今言ったアニメの中でもイカ娘は強敵ね」
「キャラ名な。ま、確かに最近じゃあ、イカ娘人気が凄いもんな」
え、対抗してるの?
「確かに可愛いけど人気出過ぎじゃなイカ?」
「絶対そうくると思ったでゲソ」
もうお約束みたいなもんだ。
特にイカが使い易い。
流行語になってもおかしくなかったと思う。
「体が小さなキャラと言えばさ。釘宮ってイメージない?」
「だから伏字使えって言ってんだろ!」
実名をそうやたらと明言するなっての。
因みに声優さんね。
「くぎゅうううってイメージない?」
「ギリギリ大丈夫か・・・」
これだと分からない人が出てくるとは思うが・・・。
「それで?」
「それは僕も思う。そんでツンデレって言うのがテンプレートだよな」
「そのイメージはツンデレカルタのせいなんじゃない? ほら、あの豆腐の角にぶつかって死んじゃえって奴」
「ああ。そうかもしれない」
あの独特の声は、聞いたら忘れられないし。
釘宮病ってのもあるらしいしな。
「ツンデレといえば最近のは度の越えた暴力ってあるでしょー? それしたら死んじゃうだろーって言うの。―――はい、そこであからさまに私の顔を見ない―――やっぱりツンデレってそれ位しないと、ツンデレって認められないのかな?」
「認められるとか、そういう問題じゃないと思うけどな」
というか、お前まさかツンデレキャラ目指してないだろうな・・・。
お前は無理だぞ、麻香。
デレを想像し難い。
まったく思い浮かばない。
「暴力と言えばさ。発見された女性の遺体に沢山の火傷や痣があって、問題になる事件が時々ワイドショーか何かで話題になるでしょ?」
「あるな。DVに悩まされたって思うと、とても傷ましいよ」
「不謹慎かもしれないけど、それって女性がドMで、そういうプレイを日常的にやっていたという可能性はないかな?」
「あるかもしれんが、不謹慎すぎるだろ!」
少しは死者を労われ!
「その内、女王様プレイのオヤジが・・・」
「止めろ止めろ」
それは流石に労われねえわ。
ミミズ腫れの遺体とか想像したくない。
ああ、ちょっと想像しちゃったよ・・・。
引くわ・・・。
全力で引く。
そうしているうちに、ふと、僕は右手のビニールに気付いた。
「あ、やば。ミカン渡すの忘れちゃったよ」
話しながら歩いたので忘れていた。
そしてここは家からは大分離れた場所。
話している間に、結構歩いた。
「ホントに馬鹿だよね。死にたいとか思わないの?」
「幸い誰かさんが鍛えたお陰で、この程度で自殺心願するような精神は持ち合わせてないんだよ」
「それじゃあ、その誰かさんに感謝ね」
「つか、麻香。気付いてたなら教えろよ」
「はい来ました責任転嫁! 本日二回目」
「何故お前が一回目を知っている!?」
電車の中での会話なのに・・・。
僕の体のどこかに盗聴器が仕掛けられているのかもしれない。
「壁に耳あり商事にメアリーだよ」
「壁に耳あり商事と言う会社には、メアリーさんが勤めてるって言うことだな?」
「専務よ」
「意外とキャリアウーマン!?」
メアリーは努力家だった。
いや、誰だよ。メアリー。
「とにかくここまで来ちまったんだし、スーパーに行くか・・・。ミカンは帰りに届けよう」
「万引きに間違われないように気を付けてね。私はピンポンしか狙ってないから関係ないけど」
「本当に盗む気か!?」
まだ諦めていなかったのか。
一体ピンポンの何に執着してるんだ?
「卓球って英語でテーブルテニスでしょう。と、言ってもテニスと卓球は別物じゃん。共通点はラケットで玉を打ち合うことだけだよ? これでテニスとかいう単語に机の上でやるからってテーブル付ければいいってことじゃないでしょうが! 反射神経とか打ち方とか全然違うし、そもそも発祥とされる国から違うし、何で同じような名前にしちゃうわけ? どうしてそういう所で手を抜いちゃう訳よ? バドミントンの方がラケット似てるし、そっちからシャトルテニスとかに改名すべき。それに・・・」
「分かった。お前が何に執着してるかよく分かったから読者が読み飛ばしているだろう内容の無い話はしないでくれ。後、万引きもするな」
あれ・・・。
こいつはこんなに卓球大好きだったか?
麻香はスポーツ万能ではあるが、一種目に熱中したのは格闘技である柔道ぐらいだった気がする。
「趣味は生け花とお琴」
「真顔で嘘吐いてんじゃねえよ!」
乙女か。
お前はバリバリの格闘家だろうが。
特例黒帯野郎。
「嫌いなスポーツは球技」
「あれ!? 卓球の球は、球技の球じゃねえの!?」
そしてジャンルが広い!
大半のスポーツが当て嵌まっちゃうよ。
「大体球技って面倒なんだよね。まずボールに慣れないといけないからさ。やっぱり自分の身体だけでできるのが一番」
「台詞だけ聞いてれば漢だよな」
球技など外道!
みたいな。
「スポーツは得意だけど、好きな物が多いわけでもないよ」
「その才能を多くの人に分け与えてやれよ」
「好きこそ物の上手なれって言葉があるけど、反対の下手の横好きって結構残酷な言葉だよね。必死に努力しても、ばっさり切り捨てられるし、まだこれは成長過程ですよって言い訳も出来ないし」
「その為に好きこそ物の上手なれだろ」
「それは与えられた逃げ道だって。若しくは、才能がある人のための言葉。これで海底撈月の自分を誤魔化す人間と、現実をしっかりと見据える人とは雲泥の差があるよ」
「厳し過ぎないか? 確かに麻香の言う事も一理あるが、好きだから止めた方が良いなんて、極論だと思うぞ」
効率思考の麻香から言えばそうなんだろうけど。
でも。
麻香の言うことって本当に、好きでもないのに上手になった奴が言えることだよな。
元々才能があるとか。
無理矢理押し付けられた努力の末の結果だとか。
好きな事に努力を惜しまないのは当然だと思う。
もし下手の横好きであっても、努力を止めない。
それこそ、好きこそ物の上手なれと言う存在自体が半透明のような言葉を信じても罰は当たらないだろう?
なんて。
そんな話をしている内に、いつの間にか、スーパーに着いてしまった。
「それで何を買うの?」
「ちょっと待て」
僕は買い物リストを取り出し、項目を読んだ。
「ジャガイモ、人参、玉ねぎ、豚バラ」
「本日の夕飯が容易に想像できるね」
「今、家にはカレールウしかないって事じゃないよな・・・?」
「確か白米はあった筈だよ」
「それは最低防衛ラインだろ」
米がないとか、戦時中かよ。
それ以前に、米が無いとカレーがポタージュスープみたいな感覚で食卓に出されるかもしれない。
・・・・・・。
明日は大丈夫なんだろうな・・・。
「それじゃあ、兄貴。さっさと買って帰りますか」
「そうだな。まずは野菜コーナーで豚以外だ」
麻香の放り投げる買い物カゴを辛うじて受け取り(落とすならまだしも、他のお客さんに当たる所だった)、お目当ての野菜を探す。
「はい、春菊、チンゲン菜、縮れホウレン草」
「立派な中華料理が出来上がるじゃねえか!」
一つも合ってねえよ。
値段の高い野菜ばっか持って来やがって。
普通のカレーが食べたいわ。
「はい、人参、じゃがいも、玉ねぎ」
「その野菜の羅列を聞くと、どこと無くキャンプを思い出すな」
「次は肉だね」
あ、これは拾わないんだ。
話題の提示が麻香任せって言うのも難だな。
つか、興味の問題か?
僕は基本、何気なく、話の展開を一切気にすることなく話振ってるから、どうしても麻香任せになりがちなんだよね。
どんな話題であろうと話の引き出しが無数にある麻香は、対応に困らない。
「さて、肉も買ったし、麻香は何か買うものあるか?」
「買うものは無いよ」
「盗むものも無いな。それじゃあ会計に行こう」
と、まあ。
こんな風に簡単に買い物のシーンを切り上げるのであった。
何行でスーパーの場面が終わった?
「帰りはミカンをお裾分けに行くのを忘れないようにしないとな」
「そして帰ったら勉強だね」
「帰って夕飯を食べて、7時頃か?」
「今日は九時までやるよ」
「え? 九時でいいのか?」
随分早い時間に終わるんだな。
二時間程度じゃないか。
「何言ってるの? 明日は日曜日だよ?」
「そんなこと。今日が土曜なのだから当然・・・」
―――あ。
「お前、まさか徹夜で翌朝まで机に向かわせる気か!?」
「そんなことしないよ。馬鹿じゃないの?」
「だ、だよな・・・」
このパターンは、笑顔で「そうだけど?」って言うパターンだと思ったが、違うようだ。
どうでもいいが、助かった。
「えっと・・・26時間?」
「一日超えちゃった!」
遂に、受験勉強で命の心配が必要になってきた。




