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妹の暇潰し  作者: 王手
妹の時間潰し
10/45

102

土曜の朝、それも身も心も凍える二月の季節に、通学に使うスクールバッグに勉強道具を入れて、図書館に向かう機会があるなんて思いもしなかった。いくら高校受験の真っ只中(まっただなか)にいるとしても、自宅で勉強すれば図書館の自習室を利用する事は無いと思っていた僕は溜息(ためいき)を漏らした。するとそれが聞こえたのか、それとも心を読んだのか、背後で殺気が感じられる。それでまた僕は溜息をつく事になる。


僕の友人全員が同じ高校を受験すると聞いて、僕もその高校を希望しようと決心したのはつい二ヶ月前である。教師にも少し頑張れば受かると曖昧で適当な太鼓判(たいこばん)を押され、多少自分よりレベルの高い高校だが、調子に乗って挑戦しようとしている。


現在、教師や両親に言われた通りに今まで頑張ってきたのだが、昨夜に実施された妹の特製入試予想問題といわれる入試出題率八割越えの模擬試験で見事不合格点を取ってしまい、妹の命令でスパルタ教育を受けるべく、図書室に向かっているとこである。冒頭に心も凍えるとあったが、もしかしたら凍り付く心の原因は後ろを歩く妹のせいかもしれない。



「自分が悪いんでしょ。いつもいつも勉強すると言っては舌先三寸(したさきさんずん)の兄貴が、珍しく熱心に勤勉に励んでるなあ、と思って態々(わざわざ)予想問題を作ってあげたのに、兄貴は全然解けないんだから」



この二ヶ月何やってたの?

と、中学二年生で僕の妹、(あさ)()が僕の隣に並んで言った。


175cm近い麻香と僕が並ぶととても兄妹には見えない。(敢えて明言(めいげん)しないが)妹よりも一回り低い身長の僕と妹が一緒に歩くのを傍から見れば、姉弟に見えるに違いない。


黒いコートに身を包み、首元をこれも黒いマフラーで隠す麻香の姿は、さながらモデルの様である。

この評価は僕の身贔屓(みびいき)では決して無い。


僕は(むし)ろこの小生意気な妹を(けな)したいぐらいなのだが、その顔貌(がんぼう)風姿(ふうし)を見て非難する方が難しいだろう。七頭身の小さな顔と高めの身長、黒く輝くストレートの髪、整った顔立ちを総合すればそれはもう、美女の部類に入ってしまう。

その兄ならば兄も美形なんだろう?


なんて安易な考えは直ぐに捨てる事をお勧めする。DNAが何と言おうと僕と麻香の血縁関係はあるのに、この兄妹は似ても似つかない。まるで美的要素を全て妹の方にいってしまった搾りかすのような僕を、麻香の兄と他人(ひと)に信じさせるのは至難の業だ。


それに加え、妹には知能指数まで吸い取られている。


人外を逸した計算能力と記憶能力は最早、特殊能力や超能力といっても過言ではない。


まるで何桁まで加減乗除できるのかと言うような計算は、桁だけではなくスピードまで尋常な速さである。どんな計算問題であろうとコンマ一秒で答えを算出することが可能だという麻香の言葉は未だ嘘ではない。


記憶能力もそれはそれで異常で、麻香は一度見たものは決して忘れない瞬間記憶能力を持つ。


会話した相手の表情をそれによって全て暗記、パターン化して相手の心を読む読心術まで使える。ここまでくると彼女は人間ではないかもしれない。

それら故に彼女の知能指数は学校の成績では表しきれず、今迄に定期試験で全教科満点以外は取った事がない。


またまたそれに加えて、麻香は運動神経も良い。


超人宜しく中学に入学して始めた柔道部では、去年、全国を制覇したと、まるで朝の挨拶である「お早う、兄貴」のように自然に報告されたのはまだ記憶に新しい。相手が弱すぎるといって二年次に進級してからは退部している。


私が居なくなれば真面目な部活少女たちの全国制覇の夢も叶うことでしょう、とその後他人事のように言われた僕でも、退部は麻香の優しさなのか、それとも哀れみなのかは分からない。


これらのせいで完璧過ぎるこの妹には―――本人は好いてない様だが―――あだ名がある。


公立中学在学の僕とは違う中学校、私立撫子(なでしこ)大学付属中学校に在学中の妹は、その容姿などその他諸々から撫子大学付属中の「大和(やまと)撫子(なでしこ)」と呼ばれている。


その大和撫子がずっと黙って頭の中で妹を紹介している僕に同じ台詞で話しかけてきた。



「二ヶ月なにやってたの? 兄貴」



さっきもそうだったが、この失礼な発言には少しムッとする。



「いや、遊んでいた訳じゃない」



そう。

遊び好きで飽きやすい僕でも、決して遊んでいたわけではない。



「確かに机に向かってたみたいだけど?」

「勉強してたんだよ。志望校に合格すべく」

「兄貴の部屋さ、受験勉強始めてから、綺麗になったよね?」



ここで紹介する。

僕の部屋は汚い。

物(俗に言うガラクタ)が沢山あって寝るスペースしか無いほどに。



「そりゃ掃除したからな。汚い部屋だと何事にも集中できないものだろう?」



再度紹介する。

僕の部屋は最近、生まれ変わったのである。

なんと、布団以外の空間の他に勤勉に励むエリアができたり、まるでジェンガで誰かが積み上げられた塔を緊張の中崩してしまった様な惨事の模様が映し出されていた机上は、今は参考書しかない。



「二十三回」

「えっ?」

「この二ヶ月中の兄貴が部屋を掃除した回数だよ。その内、家具の移動だけの模様替えが五回」

「うっ、ぐ」

「確かに分からないわけじゃないよ。テスト勉強中に部屋の掃除がとても(はかど)るなんてことよくある話だからね。漫画とかでよく見るあるあるネタでは高い確率で採用されるし」

「あの・・・」

「兄貴は定期試験勉強の時も掃除をしてたよね。兄貴にとっては、高校受験は定期試験と同じ感覚なんだね。神経図太くて見直しちゃったよー」

「あ、麻香・・・」

「そうやって試験前ギリギリに徹夜してその場を乗り切って生きてきた兄貴は一生―――」

「すみませんでした! 勉強に集中していませんでした!」



僕は妹に対して勢いよく頭を下げた。

そりゃもう、土下座の勢い。



「今日はその分集中させるから覚悟しておいてね」

「二ヵ月分ですか・・・?」



容赦ねえ・・・。

何倍に薄めれば元に戻るんだよ・・・。



「それは簡単でしょ。六十倍だよ」

「はあ!? 今、有り得ない数字聞き取ったけど空耳だよな!?」



今日一日で時を駆ける気か、貴様は!?

本当に二ヵ月分じゃねえか。



「ん?」



突然麻香が立ち止まった。

そこは24時間営業で全国チェーン経営の某コンビニエンスストアの目の前。

日本のコンビニにおける最大手のこの店は、田舎であるこの郊外県にも何店もチェーン進出しているのだ。

個人的にはファミマが好きだが。



「コンビニ寄っても良い?」

「何か買うのか? ・・・まあ・・・僕は勉強を教わる側だし別に構わないが・・・」

「歯切れが悪いなあ。何?」

「いや、この時期の図書館の自習室って混まないか? 俺みたいな受験生が沢山いるだろう?」

「兄貴にしては珍しく勘が鋭いね」



大きなお世話である。



「それなら心配する必要はないよ。予約してあるから」

「え? でも自習室って予約制じゃなかった気がするぞ」



友人が言ってたから間違いない。

それにもし予約制だったとしても昨日、図書館に出向く事が決定されたんだから、予約席は満席だろう。



「またまた鋭い。今日は冴えてるよ、兄貴。このまま勉強も同じぐらい冴えてると私としては楽なんだけど、そう簡単にはいかないんだよねえ・・・。そういうのっていい感じにバランス取れてるもんだし。シーソーと同じだよ。釣り合う事なんて滅多にない。釣り合わぬは不縁(ふえん)(もと)とは言うけど、そう首尾よく相互が釣り合うなんてないよねえ」



何を言っているのだろう。

後半は全く意味が分からない。



「二週間前に頼んだんだよ、館長に」

「?」



館長に?

二週間前?



「そう。今日自習室使うこと分かってたから二週間前に館長さんと交渉したわけ。だから昨日模擬試験を実施したんだよ。結果は予想を大きく下回り、ある意味予想外だったけど」

「俺の二週間はどこに行ったんだ!?」



末恐ろしい妹だ・・・。

こうなることを予想していたならもっと早く対処して欲しかった・・・。それ以前に館長と交渉ってどういうことなんだよ・・・。

しかも麻香でさえ予想外って、どんな脳を持ってるんだ、・・・僕は。



「それは冗談。兄貴の馬鹿さ加減は私の予想範囲内だよ」



そう言って笑顔を向けられる。



「益々(ますます)(へこ)むっつーの」



何だ、馬鹿さ加減って。



「兄貴の学力は取り敢えず平均であるストライクゾーンの下方面に予想張ってれば大体当たるんだよねえ」

「俺の成績はフォークか!」



あながち間違ってはいないが。



「違うよ。ゴロだよ」

「キャッチャーまで届かず!?」



キャッチボールさえも危うい僕の頭だった。



ウィーン。


僕らがコンビニの入り口まで行くと静かに自動ドアが開いて、外気とは違う暖められた空気が外に逃げた。


麻香は入ってすぐに、迷わず目的の場所に向かったようだか、僕はいつも通り雑誌売り場に吸い寄せられた。

癖と言うか、なんと言うか、基本的にコンビニに入ると雑誌コーナーで週刊誌を立ち読みするのが常だからだ。


今週は忙しかった所為(せい)で、今週号の漫画雑誌を読んでいないことにふと気付き、それを探した。

やっと見付けたと思ったら店内の奥にいる麻香から「兄貴、ちょっと来て」と、声が掛かった。

僕は無言で頷き、雑誌を置いて麻香がいる清涼飲料水の冷蔵ブラインドに向かう。



「今から2分以内に自分の昼飯と飲み物選んで来て。時間内に決めなきゃ自腹だよ」

「えっ? (おご)ってくれるのか?」

「お母さんから貰ってきてるの。兄貴を高校に合格させることを条件に」



麻香はそう言って千円札を二枚、取り出す。



「随分と安い家庭教師代だな」



あるいは裏口入学金か。



「お母さんだもん。こんなもんだよ。・・・私はもう決めたんだから早くしてよ」

「・・・了解した」



僕は悩むことなく手軽に食べられるおにぎり二個とお茶を選んだ。



「お前、こんなものを買うのか?」



買い物かごにおにぎりを入れるときに、既に入っていた、小学生など子供向けの日曜の朝に放送されているアニメの食玩が一つ入っていることに僕は気が付いた。


確かタイトルは「タヒチに向かった猫」だっけ?


・・・・・・・・・・・。


どんなアニメだよ・・・。


少し視てみたいかも。

僕は自分にツッコミを入れて麻香の言葉を待った。



「これは兄貴の勉強に必要なの。因みにタイトルは『タピオカを愛した猫』、通称『タピ猫』ね」

「俺の受験勉強には日曜朝枠の子供向けアニメの食玩が必要なのか!? 何をする気だ、お前は!?」



しかもタイトル惜しい!


内容も益々気になってきたし!


タヒチじゃなくてタピオカが好きなんだ!



「まあまあ。後のお楽しみってことで会計済ませちゃうけど、まだ何か買うものある? あっても買わないけどね」



買ってくれないなら聞いてくれるな。

麻香がレジで精算しているときに、僕はガラスから見える外を覗く。

うう、寒そうだ・・・。

コンビニを出たら早く、もう一度室内に入って暖をとりたい。



「ありがとうございました」



店員の挨拶と共に麻香がレジ袋を持って、さっさと外に行ってしまった。

僕も慌てて後に続く。



「僕が持とうか?」

「いいよ。図書館、後少しだし」



僕の好意は麻香に一瞥(いちべつ)もされずにそう断られた。

よく見ればさっきまではポケットに突っ込まれて分からなかったが、麻香が身に付けている手袋までも黒い物だ。

黒尽(くろづくめ)の麻香は、ある意味不気味である。


そう思っていると麻香がこっちを横見して言う。



「白とか黒の無彩色がファッションとしては何も考えなくていいから無難なの。特に黒は私に似合うから」

「魔女かよ。だからと言って頭から爪先まで黒で統一することはないだろう」



確かに黒は似合っているが。



「安心して。このコートを脱げば来年の夏用に買ったビキニ姿を拝めるから」

「俺達は何処に行くつもりだ!?」

「真っ赤だよ」

「色なんか聞いてない!」



一体図書館のどこで泳ぐつもりだよ!

室内プールじゃねえんだぞ!



「本の森、字の海で遊泳する」

「上手くねえよ!」



最初森って言っちゃってるじゃねえか!



「水着姿の私に溺れなさい」

「溺れねえよ!」



それに妹の水着姿に溺れたら大変じゃねえか!



「冗談はともかく、こんなに寒いのに白を身に付けるのは気分的に無理。よって衣服が黒で統一されるのは必然」

「普通、黒の方が寒いと思うのだが・・・」



確か色の作用とかで、青や黒は寒色系の色だった気がする。



「私の中だと白って薄いイメージがあるの。衣服において薄いっていう心象は、薄着ってことでしょ。つまり私は白い衣類ではなく、少しでもこの寒さを誤魔化す為に黒に統一してるんだよ」



麻香が話し終わると同時に、僕らは赤信号で立ち止まった。

赤は危険を表す、STOPサイン。

この信号を過ぎれば図書館は目と鼻の先だ。

僕は携帯を取り出し時刻を確認する。


9時58分。


開館まで2分もない。

恐らく麻香の計算通りだろう。シュミレーションゲームの様に、きっと入り口に着く頃には丁度入場が許可される。



「そういえば麻香。さっき館長と交渉したって言っていたが、どういうことだ?」



忘れていたが、思い出してしまったからには気になってしまう。

よくよく考えればとんでもないことを言っていなかったか・・・?



「ああ。それなら蔵書の整理を提案したの」

「お前が選別するのか?」

「そうだよ。本って時が経つにつれて内容が古くなっていくでしょ。不要と考察できる本は奥に移されたり、廃棄されるわけ。私は全ての蔵書の内容を把握してるから簡単に出来るの。現代においてあまり必要が無さそうな本を選んで、リストにして提出するっていうこと」

「悪いな。俺の為に」

「いや、私があそこの図書館が使い(にく)いからさ」



ああ、そう・・・。

刹那の感動だった。



「一石二鳥って言うのはこの事だよ」

「県内で有名なお前だから出来る芸当だがな」



蔵書の内容を知って()つ現在の情報を把握しているお前じゃなきゃ図書館も条件を飲まないだろうし。



「ほら、早く行くよ」



いつの間にか信号が青に変わっていて、麻香に急かされた。

言われて横断歩道を渡る。


―――と。



「・・・あれ?」



今日は休日で一通りのお店が開店する時間帯でもあって、図書館がある通りは車が行き交っていた。

その交通量の所為か、僕が鈍感なのかどうかは定かではないが、図書館前で感じる違和感に首を傾げる。


あれ。


何かおかしくないか?



「おい、麻香」



いくら考えてもはっきりしないので、麻香もこの違和感を覚えているかどうか確かめることにした。



「何?」

「この図書館、何か違和感が・・・」

「んー。開館直前なのに並ぶ人が居ないとか?」

「あっ」



それだ!


この時期、何人もの中学生や高校生が受験の為に図書館を使う筈である。特に自習室は数が限られているので、朝早く来ないと満席になってしまうのもザラだ。


なのに、この時間に誰もいない。

違和感の原因はこれだったのである。


―――しかし何故(なぜ)



「そりゃ今日が休館日だからでしょう」

「僕らは何しに来たんだ!?」



僕は驚愕(きょうがく)の真実を知った!

驚き過ぎてドラえもんみたく数ミリ浮いたんじゃないかとすら思った。



愚問(ぐもん)だなあ。勉強でしょうが」

「そんなことは百も承知だよ! 僕が聞いてるのは休館日の図書館に態々来てどうやって勉強するんだ、ということだ!」

「・・・」



あ、無視した。


麻香は僕の決死の突っ込みを無視して、休館日の為に電気が通っていない自動ドアの隣にある事務室の窓口に向かった。



「すみません」



窓口で麻香が言った。

職員が顔を出した。



「はい」

「自習室を使用したいのですが」

「大変申し訳ありませんが、本日は休館日となっておりますので」



当然の返答である。



「知っています。館長さんから話がありませんでしたか?」

「はい?」



職員が首を傾げる。



「・・・面倒なので館長さん御願いします」

「いえ・・・あの、・・・お名前御願いできますか」



イライラしている麻香の迫力に負け、職員が机にある電話機の受話器を(つか)んだ。

確かに怖い。



「『大和撫子』です」

「は・・・? あの・・・」



職員はあからさまな偽名に、なおも首を傾げ怪訝そうな顔を向ける。



「そういって頂ければ伝わります」



職員も諦めたように電話の番号を押し始めた。


麻香が振り向いて腕を組んだ。見るからに不機嫌そうな顔で、僕は少し肝を冷やす。

ここで失言すれば終わりだ。

具体的に何がという訳ではないが、僕の何かが終わる気がした。



「やっぱりそうだろうと思った」



僕は慎重に言葉を選ぶ。



「そりゃそうだろ。まさか休館日にやってくるとは予想していなかったと思うぞ」

「二週間後に来るって言ったんだけどね」

「でも今日とは思わないだろ、普通」



選んで休館日に来るなんて迷惑な利用者である。



「あ、館長来たっぽいぞ」



図書館の裏の方から、背広に身を包んだ中年の男が現れた。恐らくこの人が館長だろう。



「お早うございます、麻香さん」



館長の一礼に冷静に礼を返した麻香につられ、僕も頭を下げる。

いやいや、丁寧過ぎるだろ、館長さん。



「お早うございます、館長。本日は約束の件で来ました」



と、いつの間にか何処から出したのか、麻香の右手には厚い大きな封筒があった。



「これがこの図書館の蔵書整理参考資料です」



館長は麻香が差し出すそれを両手で受け取った。



「ありがとうございます。麻香さんでなければ何ヶ月掛かっていた事か分かりません」



そう仰々しくお礼を言って、封筒を脇に挟む。



「大袈裟ですよ。・・・それで館長。自習室を使用させて頂いても良いですね?」

「そのことなのですが、麻香さん。本日は休館日なので・・・」

「丁度二週間前の土曜に、二週間後に使うと言った筈です。休館日であろうが例外はありません」



言い切りやがった。



「ですが、麻香さん。これは決まりなので・・・」



館長は心底困った顔をしている。

この無理難題を本当なら一言、二言で跳ね除けられるのに、今回は約束がある。

断りきれないし、許可もできない。そんなジレンマに陥っているはずだ。

そんな館長に尚も、麻香は畳み掛ける。



「口約束であろうと、契約は契約。守っていただきます。大丈夫です、本は弄りません。場所と机と椅子を貸して頂ければ結構ですので」

「しかし・・・」

「あ、あの・・・?」



ふと、後ろから声がした。

振り向くと子供連れの母親が心配そうにこちらを眺めている。子供は四歳か五歳くらいの男の子で母親と手を繋いでいる。



「どうか致しましたか?」



それに対応したのは館長だ。



「図書館、今日はお休みなんですか・・・?」

「はい、真に申し訳ありませんが本日は休館日となっております。また後日ご来館ください」

「そうですか・・・ありがとうございます。残念だけど今日は図書館休みだって、りょう君」



りょう君と呼ばれた男の子は驚いて母を見る。



「ええ!? ほん、かりられないの!?」

「そうよ。また明日来ましょう」

「ええーやだー。きょうかりるー」



りょう君はお約束のように駄々を()ね始めた。



「無理なものは無理なの。帰るわよ」

「いーやーだー」

我侭(わがまま)言わないの」

「やーだーよー」



遂にりょう君はその場に(うずくま)ってしまった。

母親はこちらを気にして腰が低くなる。



「すみません。聞き分けのない子・・・で・・・」



母親の言葉が最後まで続かなかったのは、麻香が突然りょう君に近寄り、しゃがんで話しかけようとしたからである。



「りょう君」

「ふえ?」



いきなり知らない女性に話しかけられたからなのか、りょう君は声にならない音を発して絶句した。



「今日はこれで我慢しようか」



そういって自分で持つといったコンビニの袋から、例の日曜朝枠のアニメ「タピオカを愛した猫」の食玩を取り出した。



「ああ! タピねこ!」



これにりょう君は反応した。

母親も、館長でさえも目が点だ。



「欲しい?」

「ほしい!」



早くもりょう君の頭からは本の事より、目の前にある食玩しか無いようだ。



「これで明日まで本は我慢できる?」

「できる!」

「それじゃあ、あげるよ。はい」

「わあ! ありがとう、おねえちゃん!」



りょう君は歓喜の声を上げた。



「あの・・・」



脇で母親が困った顔をした。


そりゃそうだ。


赤の他人である麻香が自分の子供に玩具(おもちゃ)をあげて困らないわけが無い。どうしようもないので僕が謝っておいた。



「すみません。うちの妹が勝手な事をして」

「妹!? ・・・え、ああ、こちらこそありがとうございます。りょう君、しっかりお礼言いなさい」

「ありがとう! おねえちゃん!」

「どういたしまして」



妹と聞いて驚いていたと言うことは、姉だと勘違いしていたか・・・。


僕は内心、本日何回目かの溜息を吐く。


それにしても麻香の奴、これを予想して「タピ猫」を購入したのか・・・。

何をどうすればこんなシナリオを予測できるのだろうか・・・。


いつもの事ながら感心するところばかりである。


親子は最後に深々とお辞儀して帰って行った。

それを見届け、麻香は館長に向き直る。



「それでは自習室をお借りしますね」

「何が『それでは』だ! 脈絡も何もあったもんじゃねえよ!」



つい我慢出来ずに突っ込んでしまった!

これまでの麻香の横暴な発言は―――少なからず他意が含まれているだろうが―――僕の為に言っていることだろうから口出ししないように決めていたのに!

つい先ほどの幼児が―――食玩と言う等価交換があったが  休館日ということで図書館を諦めたと言うのに、この妹は平然とそれを無視したのである。

自己中過ぎるぞ、麻香・・・。



「ごめん、兄貴。今は兄貴の相手をしてる程気持ちに余裕が無いの。後でしっかり相手してあげるから黙ってて」

「相手ってどうい・・・!?」



―――威圧感、殺気と言うものが、ただの女子中学生から発せられるわけがないという持論をお持ちの方がいたら、身をもって体験できるこの立場を替わろう。


いや、寧ろ替わってほしい。


肉親に向ける威嚇(いかく)どころか、人間自身の畏怖(いふ)の限度を遥かに超える気迫が麻香から放たれた。

全身の細胞が硬化したように思えた。


地雷踏んだ!


それを館長も感じたようである。

隠しているだろうが顔が恐怖に引き()っているのが一目瞭然(りょうぜん)だ。


せめて額の冷や汗をどうにかしないとこの冬の朝には不自然過ぎるだろう。


麻香は館長へと向き直る。

僕を威嚇した表情から一転して、不気味なほどの満面の笑みを浮かべる。悟りを(ひら)いたような、アルカイックスマイルとも見える。



「あのまま騒がれても迷惑でしたね」



と、一言。


そして―――



「自習室、拝借します」



有無を言わせぬ口振りで断言するように言った。



「・・・分かりました。それではこちらにどうぞ」



ついに館長は折れ、僕らを館内に促した。



「あ、お待ち頂けますか。もう一人参加しますので」

「え? 俺達だけじゃないのか?」

「あれ、言ってなかった? 兄貴の家庭教師も一人だとかったるいから、お喋りしながらやろうかなと思って、友達を呼んだの」

「友達!?」



友人と言うものを一切作らない麻香の口から「友達」という言葉が突然出てきて、僕は叫んでしまった。

その異常なほどの能力により、恐れられ、気持ち悪がられる麻香は、友情と言うものに興味がなかった。それに加え他人と力を合わせなくとも全ての事において、自分だけで解決する事ができる。


喜びを分かち合う相手は兄妹である僕が居る。

両親にさえ心を閉ざす麻香の唯一の自然な人間関係は兄だけなのだろう。

これは僕が自意識過剰なわけではない。

その証拠に、例えば今だって表面では嫌々言っても僕の高校受験の手伝いをしてくれる。


「いや、それは世間体。自分の兄貴が高校受験如きに落ちるとか、恥ずかしくて外も歩けないし」


・・・・・・。


これは無視するとして。


つまりそんな麻香が友達なんて居るというのは信じられない。



「ま、確かに驚くのも無理ないよね。私が休日に友達と話をするために時間を割くなんて何年振りかだろうし」



麻香はニヤリと笑って言う。



「現れたみたいだよ」

「まるで人を神出鬼没の化け物のような扱いをしないでよ、麻香」



自分の背後、直ぐ後ろで突然声が上がった。

僕はいきなりの登場に驚き、殆ど反射神経で振り向いた―――が。



「あ、あれ・・・?」



僕の目には僕と麻香が歩いてきた歩道と車道を走る車しか映らなかった。


誰も居ない場所から声が聞こえるっていよいよオカルト染みてきた。


この小説はフィクションであってもファンタジーとか夢物語のストーリーではなかった筈である。


例えば僕の特殊能力が突然開花して、霊魂の言葉が聞こえるようになった、みたいな。

例えば話しかける肩に乗る程度の小さな可愛い妖精と壮大な魔法と冒険の学園物ストーリーが始まる、とか。

はたまた僕のもう一つの人格が目覚めた、のような不可思議な展開もあるかもしれない。


なるべく、どんなストーリーでもバットエンドにはならないで欲しいな。

その時の主人公である僕への対応が恐ろしいし、そもそもバットエンドは嫌いだ。


感動物に持っていくなら白血病などの重い病気だし、それ以外なら狂気に満ちた人の死に繋がる暗い話しだし。

結局、オチはどれも一緒で飽き飽きしているのである。



「何一人でブツブツ言ってるの?」

「え、ああ」



僕は妄想から目覚めた。

危ない危ない。



「それにしても私の友達をそうあからさまに侮辱するなんて許せないわ」



麻香が僕を睨む。



「は? 友達なんてどこに・・・?」



と、麻香に言うと更に恐ろしい顔で睨み返された。


こえーよ。


蛇どころじゃなく、ライオンに睨まれた蛙のようだ・・・。ビビるって言うの・・・。


不意に、振り返って道路を見渡す目線の先で先程と同じ声がした。



「下だよ、下。もしかしてわざとやってる?」

「え? ・・・おお!?」



僕が今度こそ声がした方向に目線を動かすと、そこには濃い黒の頭があった。

僕は驚きの声を上げる。



「初めまして、麻香の兄貴。私は麻香の同じクラスの茅ヶ崎栄と―――」



中学生女子の全国平均身長は何センチなのだろうか。それが麻香の身長ではない事は確かだが、少なくてもこれだけは言える。

茅ヶ崎の身長はそれよりも低かった。


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