ウエダ精神分析論
寝れる訳がない。知り合いが多く積もる話も有るだろうと一泊していく事になったのだが、外は一向に日が暮れる様子も無く、日すら無い。時間と言う概念が無い世界なのですと、レッドラート元北方騎士団長は語った。我々はただただ、存在するだけの存在だとも。
此処での再会の無い事とシールテカの睨みが酷い事で、俺とウエダさんが居辛い空気から散歩に駆り出したのだが、目の前には何をするでも無く漂う存在達。
「俺も死んだらこうなるのかと思うとわびしいもんだな。酒も食い物も煙草も望めば簡単に手に入る。だからこそ、やる事、やりたい事が無いってな。死にたくないもんだな」
ウエダさんの呟きに黙って首を縦に振っておく。
「ウエダと言ったな、その通りだ。此所には進歩は無く、過去に存在する者しか居らん。死んでいるのだよ、我々は」
「あんた、居たんかい!」
死んだ人間に気配と言うものは無いのか、いつの間にか俺たちの背後を取っていたシールテカに、ウエダさんが恐るべき素早く応対。
「ハハハ…良いのだよ。どうせ我は娘と再会しても、妻に女同士の秘密の話と言われ追い払われ、そのやるせなき気を晴らす為に出た先で声を掛けたら、存在を否定される言葉を投げ付けられる…。そんな存在なのだよ、どうせ」
妻子に冷たくされて拗ねてやがる。
「まぁまぁ、落ち着けよ、お父さん」
「貴様にお義父さんと呼ばれる筋合いは無い!」
ウエダさんの付け足した親切の一言に敏感に激怒する元魔王。俺には思春期の娘を持つ敏感な心の父親の相手は務まりそうに無いので、申し訳ないがここはウエダさんにお任せしよう。
「昔は、我の姿を見ると、羽根を喜びにはためかせながら、世界一の笑顔で飛び付いて来たのに、今はシルビーばっかり。あれか、我が仕事ばかりでイルサに構ってやらなかったのが悪いのか?我は、家族を守る為に精一杯働いていたのだぞ!その結果がこれなのか!ちょっと眼を離した隙にどこの馬の骨か分からん男を作って、久々に顔を合わしたら避けられる……」
父上のお得意の冗談だと思っていた。嫁を貰ってマイホームパパになってしまった魔王など。何だかカッコ悪いと言ったら、父上に、そんなことは無い、夫兼父親は偉大な職業だと力説された。
「まぁ、シールテカさん。年頃の娘なんてそんなもんだって。まだクソオヤジとか、近寄らないでとか言われないだけマシだと思うぜ」
「イルサからそんな事を言われたら我は…死ぬ」
心配するな。イルサはそんな事を言いっこ無いし、あんたは既に死んでいる。
「そうそう、あんたはまだ娘さんに愛されってるって」
「そっそうか、本当か?適当な慰めでなかろうな?現に我はさっき、イルサを妻に持ってかれたんだぞ」
ウエダさんに詰め寄るシールテカ。その勢いにウエダさんが一歩後退る。
「あぁ、え~と、俺の住んでた世界に心理学って学問が有ってな、そこでエレクトラコンプレックスって概念がある」
「シンリガク、えれくとらこんぷれっくす?何なのだ、それは」
慌てて考えたように語り出すウエダさん。娘に溺れる者は藁では無く、ウエダさんの襟を掴もうとする。
「ちょっ、落ち着け。あれだ、女の子は父親に無意識に惚れちまうもんだってことだよ」
「適当な事を言うな!現にイルサは我よりもシルビーを選んだぞ。我は納得せんぞ!」
今回は俺の身近な女であるルクは父親に惚れてるようには決して見えんぞ。
「あぁ、面倒くせぇ!良いか、エレクトラコンプレックスには段階ってもんが有ってだな。幼い頃は父親の気を惹こうと娘はベッタリ。でも、その内に無意識に気付いちまうんだよ。父には既に母という最愛の人が居ることに。そうすると娘は次なる父を愛する手段を無意識に取る。母親のような人間になれば、父に好かれるではないか?そうすると、母と仲良くなり、父に辛く当たってしまう。これは、父を愛する気持ちが大きければ大きくなる。万人に当てはまるとはいかねぇけど。どうだ、シールテカさん、イルサの行動に思い当たる節はあるだろう」
「ある!そうか、イルサは我を愛するが故にシルビーのような女性になろうと、まったくイルサはしょうがない奴だな」
ウエダさんに丸め込まれて、浮かれる魔王。ルクにも当てはまる節がある。遥か昔はジンさんにベッタリだったからな。
「それでウエダ、イルサはシルビーのような美女に育って我の元に戻ってくるのだな」
眼を期待に輝かせ聞くシールテカ。
「あぁー、うん、言いにくいんだけどね。その頃には実の父と付き合う事が出来ないってのを知るって言うか」
ウエダさんの歯切れの悪い答え。
「なっ!はっきりと言え!我はどんな結果にも……」
「父親への愛を諦めて、別の父親と似た所のある男性を愛するようになる」
元魔王、異世界人の学問の前に、地にひれ伏す。
つまる所、イルサはこの魔王のような男に惚れ、ルクはジンさんのような男性に惚れるってことか?眉唾物だな。だが、どことなく当たるような気がしないでも無い。
「あー、シールテカさん。子供は親を離れて行くもんだからさ。あんたもそろそろ子離れしないと。あぁ後、これは類型論、大体の人に当てはまるだけでイルサがそうやって成長するかはだな…」
ウエダさんの最もな提言を耳に入れず、シールテカは白黒の床を眺めながら何やらぼやいている。と思えば急に立ち上がる。
「つまり、我はそこの小僧と似ていると言うことか!どこが似ておる!そうだ、これはでたらめなのだ」
いや、俺とあんたが似ても似付かないことは認めるが、別にイルサは俺に惚れている訳では無いからな。
しかし、もしもイルサが惚れる男性はこういう情けない男なのか?
イルサの兄代わりとしては、こんな男との付き合いは絶対に認めん!
二週も開けてしまい申し訳ない。
さらに今回はコメディに。
ちなみに、エレクトラコンプレックスの男の子バージョン、エディプスコンプレックスってのがあります。母親を愛し、その内に父親に似ようと努力するようになる。誰かさんの事ですね。
これって無意識の中の作用で誰でも起こっているらしいのですが、どうなんでしょう?