風の吹く地へ
機嫌が良いことは良いことである。それが他人の機嫌を損ねなければだ。
「イルちゃん、これあげるね~」
言っておきたいがそのハムを調理したのは俺だからな。
「わぁ、ありがとう」
「はい、あ~ん」
ルクがフォークに差して出すハムを躊躇い無く餌付けされるイルサ。
昨日の離婚直前の冷めた夫婦関係から激変、俺たちの目の前で新婚ホヤホヤの夫婦生活を展開してくれる二人。
「ルクちゃん、美味しいよ」
それは俺が調理したハムだ。もう一度だけ堪えていてやろう。
「もお~、イルちゃん、口の下にケチャップが付いてるよぉ」
イルサの口元を指で拭うルク。本当の姉妹みたいだな。
俺の隣で含み笑いが聞こえる。この笑いは、決して良い意味のものでは無いだろう。
「ルク君、いい加減にしてよ。姫にベタベタしやがって」
「アレレ~、クレちゃんは私に嫉妬かなぁ~?」
堪忍袋の緒が切れて凄むクレサイダに、にっこりと挑発するルク。
「この尼がぁ。リセス、セレミスキー貸せ!この性悪を送り返す!いや、やっぱり良い。この場で火刑にしてやる!」
「ありゃりゃ、クレちゃんに出来るかなー」
「おい、クレサイダ落ち着け!ルクの挑発に乗るな。ルクも拳銃を取り出すな!」
そして、セルツ。みんな若いなぁ~とか爺臭い事言ってないで止めろ。
「二人とも喧嘩したら駄目だよ!」
「姫、これはですね。姫の御身をそこの性悪女から守る為でして」
「そんな事しないよ~。ちょっとしたジョークだよぅ。クレちゃんは本気にしたみたいだけどねぇ?」
「君はまだ言うのかい?」
「とにかく、二人とも座るの!ご飯はしっかり食べなきゃいけません!」
魔王の教育的格言に、萎れるクレサイダとルク。俺の隣から、あの女はいつか絶対に消す、と聞こえたのはおそらく幻聴だ。
「ハッハッハ、イルサ嬢はこの中で一番強いね」
いや、クレサイダやルクがイルサに対して弱すぎるだけだ。全く情けない奴らだ。あまりこの魔王様を甘やかし過ぎるなよ。
「まったく、リセスが美味しいご飯作ってくれたんだから、味わって食べないと失礼だよ」
ナ、何!こいつは何で真顔でそういう恥ずかしい事を言いやがるんだ。
全くしょうがない奴だな。晩飯は少し豪勢にしてやるか。
「ハッハッハ、リセス坊もイルサ嬢には敵わないようだね。全く魔王様々だね」
うるさいぞ。
メンバーの気分が良くなるとチームの指揮が上がる。行軍の速度も昨日と比べると格段の差を感じられる。
太陽が真上に差し掛かった頃に少しずつ空飛ぶ樹も目立た無くなり、地上の樹も姿を消して来た頃、セルツは木の国の終わりを告げた。森を抜けた先には大草原があった。
「ここが風の国なのか?」
「正確では無いけど違うよ。この草原はどちらの国でも無いのさ。そこの丘を登ると見えるよ。ちょっとイルサ嬢、おじさん気持ち悪くなって!」
セルツの話を聞いた途端に示し合わせたように駆け出すイルとルク。
「あいつらは子供か?」
「全くだね」
一人言を言ったつもりだったが、もう一人の置いてきぼりから賛同を得てしまった。煙草を取り出しのんびり歩きながら向かうことにしよう。
「今回は、イルサを連れて行かれても怒らないんだな?」
「僕だっていつも苛ついてる訳じゃないよ」
そう言い、俺が差し出した煙草を受け取り火を付けて、やっぱりこれは不味いねと文句を垂れるクレサイダ。
こいつとの友好的な会話を試みた俺としてはなかなか良い感触だ。
「たまには、姫も気を紛らわして欲しいしね」
クレサイダの言葉が俺の知りたく無かったイルサとカイムの関係を思い返させる。勿論、クレサイダはこの二人に関して俺以上に知っているだろうな。クレサイダは、俺がイルサからこの事を告白されたと事実を知っているのだろうか?
「とても悔しいけど、ルクが姫の気を紛らわす存在だってのは認めるよ」
不味いと言いつつも、白い煙を吐き続けるクレサイダ。その言葉は哀しさにも寂しさにも聞こえる。可笑しなものだな。俺たち二人はイルサの哀しみの根源をルクよりも知っている筈だ。でも、そのイルサの哀しみを一時でも忘れさせているのはルクなのだ。俺たちはイルサに何をしてやれるのだろうか?
「クレサイダはイルサとの付き合いは、やはり長いのか?」
何気無くそんな当たり前の事を聞いていた。
「愚問だね。僕は姫が御出生に立ち会って、その直後にシールテカ様、前魔王様に姫の教育係に任命されたよ。それから、二十年間、ずっと姫に仕えていたよ。僕は姫がお産まれになった時から知っているよ」
クレサイダは煙草を口でぶらぶらと遊ばせながら、既に丘の頂上に立ち、感嘆の声を上げているイルサを見詰めていた。不思議とクレサイダがクーレで大虐殺を行った大奸雄には見えない。二十年間、手塩にかけて育ててきた娘を見守る父親。まるでそうだった。
おい、待てよ!
「クレサイダ、イルサは二十年前に産まれたのか?」
「そうだけど、それがどうしたんだい?」
「いや…大した事じゃない」
クレサイダが怪訝そうに眉を潜める。
本当に大したことでは無い。無いのだが…
「リセス~!クレサイダ~!早くおいでよ!」
子供の如く興奮しながら俺たちを呼ぶ声。クレサイダは少し歩みを早めた。
俺の歩みはそれに反して遅くなっていた。
本当に大した事ではないのだが俺は少なからず衝撃を受けていた。あのイルサが俺よりも年上だったことに…。
俺の中で妹みたいな存在だったのにな…。
というか、俺がこのメンバーで一番年下なのか?
「何、ボケッとしてるのさ。姫がお待ちだ。早く行くよ」
丘の上では、イルサが大きく手招きしている。
確かにこんな小さい事で悩む必要は無いな。俺の方がイルサより精神的にお兄さんなんだ。そういう事にしておこう。
コメディに始まりコメディに終わる。どうでしょうかね。たまには良いんじゃないですか。
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