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第三話

第三話


 磨き抜かれた大理石の床。

 遠くで鳴る楽団の音。

 甘ったるい香水の残り香。


 喧騒から逃れたアルフレッドは、二階の回廊で夜空を仰いでいた。

 今夜も黒い軍服ベースの式服に身を包んでいる。ユリウスからは喪服のようだと渋い顔をされたが、知ったことではない。

 令嬢に怖がられるのは服の色だけが理由ではないのだから。

 髭は剃り、髪も整えた。礼は尽くしている。文句はあるまい。


 回廊からは庭園が見渡せる。

 どうやらここは逢瀬の名所らしい。ガラス戸ごとに設えられた椅子では、男女が肩を寄せ合っている。


「彼女は見つかったのか、アル」


 今は家臣ではなく幼馴染の子爵令息、ユリウス・フェルゼンとして隣に立つ男が気安く話しかけてくる。


「ああ。あそこだ」


 庭園を歩く二人の令嬢を顎で示す。

 月光の下、ロイヤルブルーのドレスが揺れる。話し声は聞こえないが、彼女たちが笑っているのは遠目にも分かる。


「美しい」

「確かに」


 素直に口を出た言葉に、ユリウスが珍しく同意する。アルフレッドはついユリウスの顔を見下ろした。


「なんだよ」

「やらんぞ」


 ユリウスの言葉にかぶせるように言うと、一拍おいて笑われてしまった。


「閣下はまず名乗るところからでしょう」

「ぐ……」


 アルフレッドはアイリスに対してまだ一度も名乗っていない。

 おそらく冒険者と勘違いされたまま、この日を迎えてしまった。


 例の書状が届いてからすぐにヴァレンシュタイン家との婚姻について国王陛下の許可を取り付け、急ぎ承諾の返事を出した。

 救国の英雄とも言われるアルフレッドの祖父ジークフリートに強い憧れを持っている現国王陛下が実に乗り気で、今夜の夜会で顔合わせを、と半ば父親のような顔で段取りを整えられた。あの様子では顔合わせだけで済ませるつもりはないように思える。

 喜ぶべきか頭を抱えるべきか分からなくなる。


「あの方たちは、きちんと内容を確認したんでしょうかね」


 ユリウスが眼鏡を指先で持ち上げながらニヤリと笑う。実に人の悪い笑みだ。

 アルフレッドも同じ気持ちだったが、口には出さないでおいた。

 アイリスが会場に戻るようなので、アルフレッドも階下へ向かう。ユリウスは一歩後ろをついて来る。


 ダンスはまだ続いていて、会場の賑わいも変わらない。

 アルフレッドの姿を認めた令嬢たちが、小さく悲鳴を上げる。だが、そんなものは耳に入らない。視界に入るのは、ただ一人。


 扉付近で立ち止まり、中の様子をうかがう。

 目と鼻の先にヴァレンシュタイン家の三人が揃っているが、まだ合流前なのかそこにアイリスの姿はない。

 小柄な金髪の令嬢が、父らしき男に詰め寄っている。


「嫌よ! 魔獣だらけの辺境なんて! それに、怖い人だってみんな言ってるわ!」

「リリアーヌ、少し声を抑えなさい……」

「お父さまはリリを怪物に売る気なの? 私の白馬の王子様は王都にいるのよ!」

「でもお嫁に行けば何の不自由もないのよ、リリ」

「嫌ったら嫌!」


 声が高く、よく通る。

 このような場所で何という醜態か。


 アルフレッドは無言でこめかみを押さえた。

 隣でユリウスも小さく息を吐く。


 そこへ王の書記官が衛兵を伴い、三人へ声をかけるのが見えた。別室へ案内するらしい。

 腕を組んだアルフレッドは思わず殺気を込めた目で近くを通る三人を見下ろしてしまう。金髪の令嬢は涙目で怯えているが、気に掛けてやる理由がない。


 三人の後ろへ、ロイヤルブルーのドレスを着た彼女が続いた。儚げな背中だが、背筋はピンと伸びている。

 彼女の後を追い、王の用意した部屋へ向かう。


 面々が室内へ入っていくなか、アイリスが扉をくぐる直前、アルフレッドは声をかけた。


「アイリス嬢。少し、時間をもらえるだろうか」

「は……はい」


 藤色の瞳に見上げられ、アルフレッドの鼓動が速くなる。

 窓際に移動したアイリスの前に立ち、アルフレッドは胸の前に手を置いて頭を下げた。


「お、おやめください、閣下」


 止めようと慌てて近づいてくるアイリスの左手を、アルフレッドが優しく包んだ。

 まだ名乗ってもいないのに、彼女はアルフレッドが誰なのかを認識したようだ。


「このような形で名乗ることを許してほしい。アルフレッド・アイゼンガルドだ」

「アイリス・ヴァレンシュタインと申します。……お会いするのは三回目、でよろしいのでしょうか」


 少し戸惑った様子でアイリスが見上げてくる。だけどほんの少しだけ、口端が上がっているように見える。


「ああ。だが秘密にすると約束したからな。今日が初対面としておこう」


 白くて薄い手の甲に、そっと口づける。アイリスの手は小さく震えているが、拒絶はされていないようで安堵する。

 この手がアルフレッドの傷を癒し、裂けたシャツを直したのだ。

 なかなか離せなくて、握ったままで言葉をつなぐ。


「そなたの父親から書状が来たとき、伯爵家について調査をさせてもらった。領地や家のことをそなたが切り盛りしている。それに間違いはないな」

「……ええ、おっしゃる通りです。私の力不足でこのようなことになり、申し訳ございません」


 アイリスは恥ずかしそうに顔を伏せ、だけどアルフレッドに握られた左手はそのままにしている。


「まずはそなたがどうしたいのか、聞いておきたい」

「……私は、母や祖父が守ってきた領地とそこに生きる人の生活を守りたいのです」


 アイリスの視線はまっすぐにアルフレッドに突き刺さる。それを受け、アルフレッドは胸が高鳴るのを自覚した。


「今夜、陛下もここへ来られる」

「え」

「そなたが一人で背負ってきたものを、俺が下ろしてもいいか」

「閣下、それは……」

「そなたには少し無理をかけるかもしれないが」

「私にできることであれば、なんだっていたします」


 覚悟の色が、瞳に宿る。アルフレッドはうなずいた。


「ならば、共に守ろう」


 もう一度、手の甲に口づける。今度は誓約のように。


 彼女をエスコートし、扉へ向かう。扉の前でユリウスが待っていた。頼もしい右腕の背中を叩き、扉を開けた。

 

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