第二話 (四)
(四)
領地から馬車で西に約二時間のところに王都がある。
素朴な印象のリンデンとは違い、夜は魔石を使った魔導灯の光がきらびやかに街を彩る。
王都の建物は基本的に白大理石が多く採用されていて、太陽が昇ると街全体が白くひかり、朝も夜もキラキラと輝いている。
ドレスや靴などのファッションは流行の最先端で、女性に人気の菓子店も多く立ち並ぶ。劇場や舞台では、人気の劇団、楽団が連日のように公演をしている。
街道は整備されており、多くの人が行き交い、一日中賑わっているという。
そんな王都と対照的なのが、大陸の北部に広がるアイゼンガルド。
辺境伯が治める広大な領地だ。リンドヴァルド領がすっぽり収まるほどの森と、高い山に囲まれている。
領都は王都よりも華やかだというが、一年の半分近くが雪に覆われた厳しい環境ということもあり、人口はそこまで多くない。
一般的な動物以外に魔獣も出るので、森に一人で入ることは原則として禁止されている。
深い森にあるダンジョンや遺跡を目指し、冒険者たちが出入りすることはあれど移住するものはほとんどいない閉ざされた僻地という話だ。
そしてそこを治める辺境伯が、アルフレッド・アイゼンガルド。
社交界にはほどんと姿を現さず、新聞でも写真などが載ったことはなく、兄の代わりに爵位を継いだ戦闘狂の怪物だという噂以外、その素性を知るものはほぼいない。
標高の高い山が多いために不毛の地とも言われているが、キャスの情報によればアイゼンガルドのガラス工芸や毛織物は王都にも卸されるほど一級品だという。
スピカで扱っている魔石も、一部はアイゼンガルド産のものだ。
リリアーヌは辺境の地のことをどこまで知っているのだろうか。
経緯はどうあれ婚姻を申し入れたのはこちらだ。知らないとはとても言えないはずだが、愛され、甘やかされて育ったリリアーヌが噂以外で他貴族についての情報を頭に入れているとは思えない。
だがどうすることもできない。両親はもらえるお金の額とリリアーヌを嫁がせる以外のことは考えていないだろう。
アイリスは気づかれないように深く息を吐き、膝の上で静かに拳を握る。
御者の手を借りて、最後に馬車を降りる。ほかの家族はアイリスを待つことなく王城へと歩き出している。
廊下ですら想像以上の煌びやかさで彩られ、あちこちに飾られた灯りは光の洪水のようだ。
ヴァレンシュタイン家の順番が来て、会場となる大ホールへ足を踏み入れる。
天井は高く解放感があり、大きなシャンデリアが眩しいほどにキラキラと輝いている。
各地の貴族が勢ぞろいして、談笑に花を咲かせ、夫人や令嬢たちの装いは華やかに競い合っている。
リリアーヌは目を輝かせて辺りを忙しなく見回していて、カサンドラはどこか険しい表情で周りの婦人をねめつけている。ギルバートがそれを咎めることはない。
ややあって、令嬢たちのざわつきの声が大きくなった。
「見て、クリスティン様よ」
「お美しいわぁ」
「はぁ、素敵……」
視線のほうへ目をやると、濃い紫色のドレスに身を包んだ一人の令嬢が、赤みを帯びた金髪の男性にエスコートされて入場したところだった。男性の衣装は南部王族伝統のものだ。
ということは彼女が、建国の功臣と言われるアデラート侯爵家の令嬢、クリスティン・フォン・アデラート。
キャスとは仲がいいと聞いたことがあるが、姿を見るのは初めてだった。
濃紺色の髪は艶があり、綺麗にまとめ上げられている。髪飾りには宝石がちりばめられていて、アクアマリンのようなブルーの瞳もその美しさは負けていない。
誰もが遠巻きに憧れや畏敬の念を持って彼女を見つめている。
もちろん誰も格上の貴族令嬢に自分から話しかけるような真似はしない。しかも彼女の横にいるのは隣国の王子だ。みな弁えている。
アイリスも、美しく高貴な佇まいのクリスティンを尊敬のまなざしで見つめた。
同い年で隣国の王族へと嫁ぐ彼女は誰よりも凛と立っていて、だけど冷たい印象もない。
不躾に見すぎたのか、クリスティンと目が合った。アイリスは慌ててスカートをつまんで膝を落とす。
「あなたがアイリス嬢ね」
「お目にかかれて光栄です、クリスティン様」
突然話しかけられ、緊張で手に汗がにじむ。姿勢を正すと、目の前のクリスティンは優雅に微笑んでいる。
「クラリスからよくお名前を聞いています。わたくしもぜひお会いしたかったの」
「そうでしたか。でもなぜ私がアイリスだと……」
「良い布は姿を変えても価値を失わぬ。なあクリス」
隣のグラント・アラン・ウッドフォード殿下が気さくに会話に入ってきたことに、驚きを禁じ得ない。
クリスティンはほんの少しだけ眉を寄せて扇子を口元に広げた。グラント殿下をたしなめる仕草だ。
「その色、やはりよくお似合いですわ」
その一言で、このドレスの元の持ち主である名もなき令嬢が彼女なのだと察した。
クリスティンのために仕立てられたドレスだから、この高級な絹の生地が使われていたのだ。
もしかしたらキャスが間に入ってくれていたのかもしれない。
王家主催の夜会に出席するに足るドレスを、アイリスに負担をかけない形で手にできるよう、骨を折ってくれたのだろう。
そしてクリスティンもまた、キャスの気持ちに応えてくれた。
「お心遣いに感謝いたします」
面識のなかったアイリスに対してなぜ。そんな思いが頭をもたげるものの、ありがたく享受したことの礼を告げる。
「まあお姉さま! よかったわねそんな地味なドレスでも褒めてくださるなんてとても優しい方ですわぁ。初めまして、ヴァレンシュタイン家のリリアーヌと申します」
鈴を転がすような声が、会話の流れを強引に断ち切った。
突然割り込んできたリリアーヌに、アイリスは言葉を失う。
さすがのクリスティンも一瞬目を瞬かせ、グラントは反射的にクリスティンを庇うように半歩前へ出た。
「申し訳ございません、殿下、クリスティン様。リリアーヌ、およしなさい」
抑えた声でたしなめる。
「どうして? 王子様にもご挨拶しなくては失礼でしょう?」
無邪気を装った声音が返る。
「こちらからお声をかける立場ではないわ」
「まあ、お姉さまは、私のことがお嫌いだからそんな意地悪をおっしゃるの?」
リリアーヌは駄々をこねるように声を大きくする。いかに自分が可哀相か、周りに知らしめるためだ。そして周囲はその声の大きさに、何ごとかと注目してくるのだ。
ただでさえ令嬢たちの憧れの的であるクリスティンがいるだけでも目立っているのに、余計に注目を浴びてしまう。
────恥ずかしい。
そんな気持ちであふれ、アイリスは羞恥に顔が赤くなる。アイリスに止められたことで、リリアーヌは余計に意地になってしまうことを失念していた。
「妹の無礼をお詫びいたします」
アイリスはリリアーヌを後回しにしてグラントとクリスティンに謝罪した。
隣ではまだグラントに話しかけようとリリアーヌが鼻にかかった甘い声を出している。
ほかの令嬢の婚約者に対しての態度とは思えないが、リリアーヌにそんなことは関係がない。
「クリス、挨拶をすべき方が見えたようだ。ではアイリス嬢、失礼する」
グラントが穏やかに、しかし明確に場を区切る。クリスティンはリリアーヌに対して一言も返事をせず、アイリスに目配せをしてからグラントとともにこの場を辞した。
「あぁん、行っちゃった」
不満げに唇を尖らせたリリアーヌは、くるりと踵を返す。すれ違いざま、わざとらしくアイリスの肩にぶつかった。
軽い衝撃はあるが、しかし痛みよりも、周囲の視線のほうが刺さる。ひそひそと囁きが交わされるのを、唇を噛んでこらえる。
リリアーヌは何事もなかったかのように、母カサンドラのもとへと戻っていった。




