第二話 (三)
(三)
「あなた、顔色が悪いわ。どこか具合でも」
「い、いや、大丈夫だ」
ヴァレンシュタイン伯爵家のダイニングルームで、明るい日差しの中、カサンドラがワインを片手にギルバートに寄り添っている。
深夜に帰宅したギルバートは、眠れぬまま一夜を明かし、昼になった今でも血色を失うほど消沈している。
有り金を全部失ったどころか、負けを取り戻そうとして結局は莫大な借金を作ってしまった。このままでは夜会に出ることもできないかもしれない。
だがそんなこと、カサンドラとリリアーヌに言えるわけがなかった。
(そうだ、あの守銭奴ならまだ金を隠し持っているはずだ)
この時間なら当主の執務室でギルバートの代わりに仕事をしている。ギルバートはどこを見るでもなく一人うなずきながら、アイリスのもとへ歩き出す。
ノックもせず扉を開けると、驚いたように顔を上げるアイリスと目が合った。
忌々しい黒髪をひっつめて、みすぼらしい身なりだ。ギルバートは舌打ちを隠さない。
「金はどこだ」
「……え?」
「隠し持ってるんだろう」
「何をおっしゃるんですか、お止めください、お父さま……きゃっ」
制止も聞かずにアイリスを突き飛ばし、引き出しを漁って鍵を取り出す。伯爵家にある金庫のものだ。
「はは、ほら、鍵があるのは知ってるんだ」
ガチャ、と重い音を立てて扉を開く。以前に見たときは中にまだ紙幣が入っていた。だが今は数枚の紙があるだけだ。
内容を見るとすべてがギルバートやカサンドラ名義の請求書、督促状、借用書といった類のものばかりで、金目のものなど何もない。
「どこへやった! 出せ、ほら金を出すんだ」
叫び威嚇し、アイリスを睨みつける。
アンナに支えられたアイリスは苦しそうに胸を押さえて、それでもまだギルバートを止めようとしている。
「再来週には最初の返済日が来る。まとまった金がいるんだ」
「ど、どういうことですか、まさか……」
ギルバートの言葉に、アイリスの声が震える。
「おまえの稼ぎが悪いから、俺が代わりに運用してやろうとしただけだ! そうだ、ろくに税の徴収もできないおまえが悪いんだ」
実の娘を罵りながら、まだ金庫の中をガサガサと漁っている。そして隠し引き出しを見つけたギルバートが中から取り出したのは、古い封筒だった。
「ん、なんだこれは」
アイリスもその封筒の存在は知らない。
ギルバートが乱暴に封を破り、中身を取り出す。中に何が入っているのか見当もつかないが、一通の手紙のようだった。
「『アイゼンガルド家は、ヴァレンシュタイン家の危急に際し、一度だけその願いを叶える』……なんだ、はは……ああ、これだ! これで借金が消えるだけじゃない、最強の盾と、無限の金が手に入るぞ!」
父の瞳に狡猾な光が宿るのを、アイリスは胸のつぶれる思いで見つめた。
そこへカサンドラと寝起きらしいリリアーヌもやってきた。
「何の騒ぎなの、お父さまぁ」
「どういうことなの、いったい」
「これを見ろ、カサンドラ」
手紙を見せられたカサンドラの顔が、醜悪さを持った笑みに変わっていく。
「アイゼンガルドといえば帝国で一番のお金持ちという噂よ。すぐに手紙を送りましょう。結婚すればドレスの心配もいらないわ。よかったわね」
「ふふっ、次はどんなドレスにしようかしら」
三人のやり取りを聞きながら、アイリスはぎゅっと目を閉じた。
他人を金蔓としか思えないこの人たちと、これ以上家族でいたくない。そう思ってしまった。
わずかに残っていた父親への家族としての情が、今にも消え、心が干からびそうになっている。その事実に、アイリスは向き合うときがきたのだと覚悟する。
父親がその場に捨て置いた封筒の中に、添え書きが残っていた。そこには祖父の筆跡でこの誓約書が手に入った経緯と、「つつがなく伯爵家が続くことを願っている」という一言が書かれていた。
その一文を見た途端、アイリスの藤色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。次から次へとあふれて落ちていく。
アンナもアイリスの後ろで洟をすすっている。
ギルバートもカサンドラも、振り返りもしなかった。
***
ヴァレンシュタイン家からの書状は、夜会の二日前にアイゼンガルドのタウンハウスへ届けられた。
ユリウスはその内容を確認しつつ、窓から見える風景にため息を吐く。
広い敷地に演習場を作ったのは先々代だが、その演習場を壊さんばかりに暴れまわる現当主がそこにいる。
敷地のあちこちに氷の剣や槍、柱までが刺さり、暴風によって木がなぎ倒され、屋敷のガラスは割れて壁が一部吹き飛んでいる。
これでもまだ、暴れまわっている当主の魔力は半分も出ていない。
手紙を受け取ってすぐ、このありさまだ。
部屋の隅では使用人数名が全身を震わせて嵐が去るのを待っている。
「無理もない」
借金の肩代わりと永続的な資金援助の要望、その対価として娘を差し出す。そんな内容が慇懃無礼に書かれていた。
仮にも格上の貴族に対し、肝が据わっているのか手紙の書き方も知らない馬鹿なのか。
間違いなく後者なのだろうと早々に結論付けて演習場へと下りていく。
「アルフレッド様。これ以上は王都に魔獣が出たと噂になりかねませんよ」
「……相手をしろ、ユリウス」
現在も、アステリア王国の軍や近衛騎士が使う剣は刺突に特化した形状のものが主流だ。だがアイゼンガルド領は魔獣討伐が主戦場なため、刺突よりは切断力や斬撃に優れた剣が重宝される。
目が据わっているアルフレッドが今まさに手に持っているのがその剣だ。
「今のあなたとはごめんです。まだ死にたくないので」
ユリウスの冷静な一言に、アルフレッドは盛大な舌打ちとともに、切っ先を振って納刀する。ゆっくりと深く息を吐き、気を鎮めている。
「首を斬って城壁に吊るすか社会的に抹殺するか……どっちならアイリス嬢は許してくれるだろうか」
「さあ、どうでしょう。返事はどうしますか」
「……まずはビリーに会いに行こう。庭師の仕事を増やしてしまった」
仕事が増えたのは庭師だけではない。ユリウスはその一言を飲み込んだ。
────生涯に一度、願いを叶える
そもそもなぜヴァレンシュタイン家との間にあのような取り決めができたのだろうか。
アルフレッドは祖父ジークフリートの顔を思い出していた。
豪快で、酒が好きで、剣の腕は王国一と謳われていた。今は隠居して気ままに一人放浪の旅に出ている。
現在よりもっと魔獣は凶暴で、近隣国も強敵だったが、それを物ともしない力があった。その祖父に、いったい何が。
***
夜会当日。
恐れていたカサンドラからの妨害はなく、アイリスはできあがったロイヤルブルーのドレスを身につけてアンナにヘアメイクを施されているところだった。
扉がノックされ、入室を許可すると侍女長のマーサが顔を出した。
「お嬢様、旦那様がお呼びです」
「そんなに待たせたかしら」
「お話があるとのことで」
アンナと目を合わせ、立ち上がる。
アップにしたヘアスタイルは、アイリスのすらりとした長身をより際立たせる。
細いうなじと華奢な体をカバーするように、濃い色のレースを使ってデコルテから首元を覆うデザインにし、袖は肘の長さまでとした。
手持ちの小さい宝石のついたネックレス一つでは、ドレスとバランスが取れない気がしたためだ。
髪をまとめているリボンと扇子の飾り房はドレスと同系色のものだが、それ以外に飾りはなく、きわめてシンプルな仕立てになっている。上等な絹であることが、より引き立つ一着だ。
「とてもお似合いです、アイリスお嬢様」
マーサが柔らかく微笑んでくれる。アイリスも微笑みを返し、父のもとへ向かう。
玄関ホールではギルバートとカサンドラ、リリアーヌが揃ってアイリスを待ち受けていた。
「お待たせして申し訳ありません」
「遅いぞ」
「まあ、何その地味なドレス」
「いつもの、じゃないのね」
カサンドラが扇子で口元を隠し、眉根を寄せる。彼女に生地の良し悪しを見極める目はない。
リリアーヌはアイリスが新しいドレスを着ているという事実だけで不満そうだ。
「クラリス嬢のご厚意で」
それだけを告げると、ギルバートが会話を打ち切るように口をはさんできた。
「アイゼンガルドからは是と返事が来てな。今日はいい顔合わせになるだろう」
返事、というのは金庫で見つけた誓約書の話なのだろう。
どんな内容の手紙を送ったのかは分からないが、辺境伯が承諾した。機嫌のよい父を見るに、それは事実だろう。
持参金も用意できず、金蔓にしようとしている。まるでたかりではないか。
アイリスは頭によぎった言葉をすぐさま打ち消し、リリアーヌへ視線を移す。
淡いピンク色のドレスを纏ったリリアーヌは、釣鐘のようなスカートの裾を翻すように回ってすっかりご機嫌だ。胸元にも袖にもリボンやレースといった装飾がたくさんつけられたデザインは、小柄なリリアーヌを人形のように見せている。
「リリアーヌの邪魔はするなよ」
釘を刺したかっただけなのだ。そう理解し、リリアーヌは無表情で「承知しております」と答える。
その後は無言のまま馬車へ乗り込み、王都へ向かう。




