第二話
(一)
「ユリウス」
シャツの修繕を終えて屋敷に戻るというアイリスを店の外で見送ったあと、冒険者然とした男は川のそばに立ち、流れに目をやりながら側近の名前を呼ぶ。影のごとく後ろに控えた男が忠誠を誓うように頭を下げている。
「彼女の名はアイリスだ」
「はっ」
「セダムを使って明日までに情報をまとめさせろ」
セダムは彼の指揮下にある諜報部員たちの組織名だ。
指示を受けた金色に近い茶髪の男は怪訝そうに顔を上げた。眼鏡の奥で深い青色の瞳が揺れている。
「アルフレッド様」
「アルだ」
「……アル。まさかとは思うが」
「美しい人だった」
うっとりとため息をついた大男。名はアルフレッド・アイゼンガルド。堂々たる体躯はシャツの上からでもしっかりと分かる。
北の大地の覇者とも言われるこの男が、どうやらあの令嬢に一目ぼれしたらしいと、ユリウスは瞬時に理解した。
「おまえも見ただろう、あの瞳の色。図鑑と同じだ。いや、実物はもっと綺麗な色だ」
「ああ確かフジの花、だったか」
アルフレッドとユリウスは主君と家臣という間柄ながら乳兄弟で、小さいころから勉強も剣術の授業もずっと一緒に受けてきた。
図書室にあった図鑑という図鑑を二人で読破し、冒険に出ることを夢見て語り合ったこともあった。
アルフレッドは古い書物に載っていた、東の果てにあると言われる国の伝統的なフジという花がひときわお気に入りだった。何が琴線に触れたのか、ユリウスはいまだに分からない。
「さっき何を渡したんだ?」
「コインだ」
「コイン。……当主だけが持つ、あの?」
「ああ」
「宝物庫の鍵にはめ込まないと使えない、あのコイン?」
「ああ」
「アイゼンガルド家の全部が詰まったあの宝物庫のためだけに作られた鍵専用の、あのコイン?」
「だから、そうだ」
「何考えてるんだよ」
「いずれ彼女のものになる」
「は?」
「俺は宝石に興味はないしな」
そういう問題ではない。そう言いたかったが、ユリウスは飲み込んだ。
アイゼンガルド辺境伯家。
少し前までは侯爵と同等の家格だったが、魔獣討伐や近隣諸国との戦争での勝利、和平交渉の締結などで次々と軍功を上げており、アルフレッドの代でついには公爵に匹敵する力をつけた貴族家だ。
鉱山を多く所有しており資源が豊富で、今や王家よりも資産があるのではないかと噂されている。
そんな家門の現当主、アルフレッド。
家門を継いで三年、今年で二十六歳になるが、いまだ独身。
家臣たちからは妻を娶れ、北部に女主人をとせっつかれている。
本人は社交から逃げているため、アイゼンガルド家とつながりたい各貴族からの求婚状や釣り書きが届くものの、いざ実際に謁見となると、令嬢たちがアルフレッドの風貌に怯え、北部の厳しい寒さに耐えきれず、滅門覚悟で泣いて辞退する家門も数知れず。
辺境伯家からの求婚状であれば、通常は格下の貴族家から断ることはできない。だが逆の立場という形式を崩さないからこそ、辞退を問題なく受け入れている。
アルフレッド自身は、誰も不幸にならないのが何よりだと辞退を喜んでいるほどだ。
高い身長と鍛え上げられた分厚い筋肉、討伐の際に負った傷。眼光鋭い黄色の瞳は光の加減によっては金色にも見える。
アルフレッドの見た目を怖がらなかった。
少なくとも怯えを見せようとしなかったアイリスを、アルフレッドは感激の思いで見つめていた。
そんな令嬢を、初めて見たからだ。
社交嫌いなアルフレッドと令嬢が公で会するのは基本的に王城の夜会のみ。
アルフレッドの式服は軍服をベースに作られているため、しかも好んで黒を選ぶせいで、どう頑張っても厳めしい仕上がりになる。
遠くから目が合うだけでサッと目を逸らされたり、あからさまに避けられたりすることもある。
慣れたこととはいえ、まだ若いころはそれなりに傷ついたものだ。
ますます社交から遠のき、魔獣討伐や密猟者捕縛、近隣国のスパイ殲滅などに没頭することになったが、国益にも領地のためにもなるのなら悪いことでもない。
王都にはほとんど姿を現さないことから憶測が憶測を呼び、今では「容赦のない冷血漢」だとか、「戦争好きの戦闘狂」とまで言われているらしいが、ダンスより討伐が好きなのは事実だから、大きく外れてはいない。
「アル、名乗ってないよね」
「……え?」
幼馴染の一言に、思考が現在へと戻ってくる。
「コインだけ渡したって、どこの誰かも分からないんじゃ不気味だし意味ないよね」
「ユ、リウス」
「貴族だってことも伝わってないんじゃない。その格好だし」
はた、と己の全身を見る。
旅装束用に仕立てた黒いシャツに黒いパンツ、ついでに革のブーツも抱えたマントも黒。銀髪も数日の野営によりくすんでいるし、無精ひげも生えている。冷静に考えて、怪しさしかない。
アルフレッドは呻き声をあげながら豪快に頭を抱えた。
まるでクマが悶えている様は、子どもたちの恐怖をあおる効果は抜群だったようだ。木の向こうからちらちらと覗いていた数人が慌てて駆け出していく。
「何たる不覚」
悔しそうに唇を噛むアルフレッドをよそに、ユリウスは数人の部隊を集める。
アイゼンガルドの武においてこの国で右に出る者はいない。そして辺境伯の直属部隊は直接的な武力だけではなく、諜報調略にも優れている。
国内のあらゆる場所に辺境伯の部隊員が潜んでいる。それはこの地、リンドヴァルド領も例外ではない。
すでに数人は料理人や鍛冶職人、貴族家の使用人としてこの地で暮らしている。
戦において情報より価値のあるものはない。それがユリウスの持論だ。アルフレッドはその情報をもとにしながらも、戦場では圧倒的な武力と魔力をもってその地を制する。
通常、魔力は一人に一つの属性しか発現しない。
だがアルフレッドは風魔法と水魔法、その上位属性である氷を操る。
二つの属性というだけでも稀有な存在だが、さらに上位の属性が発現するのは数百年に一人とも言われるほどの逸材だ。
魔力量も天井知らずで、アルフレッドの敵はこの地上にはいないとまで言われている。
武力、魔力、財力は揃っているが、アルフレッドは社交が苦手だ。
ユリウスの仕入れた情報によると、令嬢にとっては笑顔も怖いらしい。
体の大きさが圧迫感や威圧感を与えるし、下手なことを言って怒らせてしまえば命の危険を感じるという。
ありのままのアルフレッドを受け入れてくれる女性が現れることを祈るばかりだ。ユリウスが笑いをこらえてそう言ったことを、アルフレッドは昨日のことのように思い出す。
「残りの人員は引き続き調査を続ける」
ユリウスが右手をさっと払い、待機していた部下たちを動かしていく。
アルフレッドは自領の騎士団長であり、ユリウスは副団長を務めている。
このところ、辺境の地に出没する魔物の質が変わった。
調査の結果、王都近郊の古い森や山脈から魔力が流れ込んでいる可能性が浮上したのだ。
まだ確たる証拠はないうえ、王都へ襲撃の兆候はない。
要人警護に特化した王都の近衛兵には魔物対処ができないため、現時点では王家への報告は宰相だけに留めている。
アイゼンガルド以外で魔獣が出る古い森があるのは、このリンドヴァルド領だ。
森の奥深くに銀色に輝く湖があるという言い伝えもあるが、眉唾物だ。
とはいえ可能性を否定しきれない以上、調べる必要がある。
夜会までの二週間で調べられるだけ調べつくそうと、騎士団を率いてこの地へやってきたのだ。団員はみな旅人や冒険者へなりすましている。
村と言って差し支えないほどこじんまりとした街だが、アイゼンガルド領に続く森の、唯一の入口でもある。
川や橋が多く、景観は悪くない。王都にあるアイゼンガルド家のタウンハウスにも行きやすくて都合がいい土地だ。
「今日は宿でも取るか」
アルフレッドの提案に、ユリウスは一拍おいてからうなずいた。
昨日は調査のために野営だったからか、屋根のある部屋で寝られるのはありがたい。




