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第一話 (三)

(三)


 翌朝はよく晴れ渡り、済んだ空気と日の光が気持ちいい。

 日課の祈りを終えたあと、いつもの植物採集には向かわず、アンナとともにてきぱきと身支度を整えて商会が経営する店、スピカへ向かう。

 あの三人は午前中に起きてくることは少ないので気にすることもないのだが、なるべく音を立てないように家を出る。


 中心街の店が開く時間は午前九時以降が多いが、冒険者たちが立ち寄る武器屋や食堂はもっと早くから営業している。

 宿屋でも食事はできるが、メニューの多い食堂を好むものは多い。

 街が活気づくのを自分の目で確かめるこの時間が、アイリスは好きだった。

 施策が効果を生んでいるか、修繕が必要なインフラ設備はどこか、生活に関して不便はないか、店主や住人との会話から探る。

 父親は街へ視察になど来ない。本来、自分が管理すべき領地にまるで興味がない。

 頭を占めるのは上がってくる税収の額と、それを何に使おうかということだけ。カサンドラとリリアーヌに何を買ってやろうかということだけ。


(ああ、また……)


 もう期待するのはやめよう、諦めようと思うのに、つい、拳を握り締めてしまう。

 リリアーヌへ向ける視線の一部さえ向けてもらえないことが、いまだにつらいと思ってしまう。

 母にあんな仕打ちをした男なのに。

 この十九年間、愛情を向けてくれたことなど一度もないのに。

 こんな自分を変えたい。そう思うのに、どこかでまだ家族の情を期待してしまう。


(なぜ、私はこんなに弱いのだろう)


 アイリスはうつむいたまま店の裏口へ回り、中へ入る。売り子であるマチルダはすでに開店準備の真っ最中だ。


「アイリス様、おはようございます」

「おはようございます、マチルダ」


 明るい声に促され、顔を上げる。目の前のはつらつとした笑顔につられて口角が上がる。

 そうだ。キャスやマチルダは生命力あふれる明るさを持っている。そんな人と一緒に仕事ができるのは、何より励みになるし、幸せだ。


 マチルダはキャスが連れてきた三十四歳の女性で、エバンス家御用達のブティックのスタッフだった。

 貴族相手の立ち居振る舞いも見事だし、もちろん平民相手でも手を抜いたり傲慢な態度を取ることもない。

 そして、お客が望むものと似合うもの、そのどちらをも汲んだ提案をする技に長けている。アイリスが領主の娘だと知っても、接する態度は変わらない。口が堅く、信頼がおける人物であるのはキャスのお墨付きだ。リンデンにある鍛冶屋の職人と結婚している。


 作業場の机に今日仕上げる予定の品を並べ、道具をチェックする。

 針の本数を数え、鋏の研ぎ具合を確認する。トルソーに着せてあるドレスに汚れや不備がないかも細かく見ていく。

 少し下がってドレス全体を見ていると、体の内側から力が湧いてくる。


 このドレスは、とある令嬢がもう着ないからと寄付してくれた生地を使用したものだ。

 ロイヤルブルーが美しい発色で、動くたびに煌めきを放つ。高級な絹の生地であることは一目瞭然だ。

 持ち込んだ侍女に買い取りを申し出たが、「主に叱られてしまうから」と令嬢の名を明かさないことを条件に下賜された。

 ありがたく受け取ったものの、そのままでは豪華すぎて街の女性たちには宝の持ち腐れだし、元の持ち主が不明のお下がりとなると貴族や中産階級の令嬢にはあまり受け入れられない。

 そこで装飾を外して別の小物へ作り変えた。バッスルやスカート部分にふんだんに使われている生地に別の生地を足して工夫すればシンプルなドレスができそうだったので、縫製を解いて新たな一着に仕立てている途中の品だ。


「やっぱりアイリスの作るドレスは素敵ねえ」


 すぐ後ろから、うっとりした声が聞こえてくる。アイリスは叫び声を何とか堪えて振り返った。


「もう、脅かさないでよ、キャス」


 キャスはいたずらっ子のような笑みを浮かべて立っている。燃えるような赤毛は今日は高い位置で結われていて、キャスが動くたびに毛先も踊るように揺れている。


「今度の夜会、アイリスがこれを着ていくのはどうかしら」

「ええ?」

「だってこのブルーは色白のアイリスにぴったりだもの」


 キャスは顎に手をやり、名案だというように一人で頷いている。


「でも新しいドレスなんてあの子に……リリに何と言われるか」

「私が貸してあげたことにすればいいわ」


 キャスは、アイリスの家の事情をよく理解してくれているし、リリアーヌの性格もお見通しだ。


「この色はあの子に似合わないうえ、装飾が少なくてラインもシンプルだからあの子の趣味でもないし、とてもじゃないけどあの子には着こなせない。借りたと言えば嫌味ひとつくらいで済むんじゃないかしら」

「それは……そうかもしれないけど」


 何か言われるのは確定事項だというのが、二人の共通認識だった。

 被害を最小限に抑えるための対策というわけだ。


「本当は何も言える立場じゃないってことを理解させたいけど、話が通じないのよね、ああいう人種は」


 キャスのほうが、アイリスよりも忌々しそうに口にする。ぷりぷりと唇を尖らせるキャスは、怒っているのに愛らしい。おかげでアイリスは心が軽くなる。


「ね、そうしてよアイリス。私のドレスをお願いしたのに断ったでしょ。その代わりと思って」


 夜会の開催が公示されてすぐ、キャスからドレスの制作を打診された。

 さすがに王家主催の夜会に着ていくドレスを作るのは、ほかに針子のいないアイリスには荷が重く、エリオットと合わせた衣装となると時間的にも厳しかった。

 何よりエバンス家お抱えの職人を差し置いてでしゃばることはできないと断ってしまった。キャスはまだそれを根に持っているのだ。

 アイリスの仕立てるドレスを本当に気に入ってくれているからこそ、気負う必要はないのにと残念がってくれている。


「もし、どこのドレスか聞かれたら私の名前を出して強引に着せられたってことにしてくれていいの。それならスピカの宣伝にもなるし」


 ラヴェンデル商会の歩く広告塔。自他共に認めるキャスの役割だ。

 表向き商会の代表者であるキャスとは対称的に、アイリスは職人としても前に出ず、名前も出さずに作業場にこもっている。

 強引だが憎めない。愛らしい親友からの頼みを、二度も拒めない。

 アイリスは観念したように、だけど心からありがたくキャスの言葉を受け入れた。


「キャー! 嬉しい! 当日、本当に楽しみにしているわ」


 キャスがアイリスをぎゅっと抱きしめながら嬉しがってくれる。アイリスもキャスの背中に手を回して目を閉じた。


 キャスはドレスの代わりにオペラグローブと、扇子用の飾り房を依頼してくれた。ドレスから外した装飾で作ったものだから、アイリスと一部はお揃いというわけだ。

 それらの出来栄えを確かめ、満足そうに帰っていった。「エリオットと観劇に行くの」と笑う彼女の何と美しいことか。

 幸せに満ちた親友を見ると、アイリスも幸せな気持ちが胸に広がる。その気持ちを糧に、ドレスを仕上げにかかった。


 夕方近くまで作業を続け、ドレスを八割がた完成させたあと、インクを買い忘れていたことに気づいた。インクがないと帳簿の続きができないのだ。

 マチルダに声をかけてからアンナを連れて行きつけの店へ向かい、目当てのものを買い求めた。

 必要最低限のものしか買わない生活に慣れ切ってはいるが、店に並ぶ商品を見るのは楽しい。

 この街の職人の技術は確かで、品質もいい。

 もっといろんな人に手に取ってもらえるといいのに。

 どうすればそれを形にできるか、適切なやり方がなかなか思い浮かばない。


 川沿いを歩きながら街の風景を見つめる。

 夕飯の買い物帰りだろう親子が手をつないで歩いている。その光景は胸を締め付け、眩しいほどに幸せに映る。


(……お母さま)


 もう二度と一緒に歩くことはできない母を思う。

 隣にいることも、顔を見ることも、声を聞くことも叶わない。


 どうも今日は感傷に浸ってしまいがちだ。

 アイリスは思い切って両頬を手のひらで叩き、気を入れ直す。

 少し後ろでアンナが目を見開いているが、アイリスには見えていない。


 ふと前方に人だかりを見つけて立ち止まる。二番街の端にある花屋の付近だ。


「何かあったのでしょうか」


 アンナが心配そうに呟いた。

 近づいてみると、若い男女数人が警備隊と話しているのが見えた。

 その周囲を囲むようにいる見物人の一人に話を聞いてみると、荷馬車の事故があったという。

 物損はあったものの幸いにも怪我人はなく、馬もすでに見つかっているようだ。


 人だかりのなかに、屈強な影を見つけた。ほかにも数人、彼を中心に立ち並んでいる。

 彼ほどではないがみな鍛えられた体つきで、その周辺だけは物々しささえ漂っている。


「彼だわ」


 小さくつぶやいたアイリスに、アンナが身を寄せる。


「お嬢様、あの方ですか」

「ええ」


 アンナには森での事の顛末を話していたため、すぐに話しが通る。袖が裂けたままなので、昨日と同じ黒いシャツなのだろう。

 自分から声をかけるのは勇気がいるが、命の恩人に対してそうは言っていられない。

 アイリスはスカートをぎゅっと握り、一歩を踏み出した。


「何用か」


 彼に近づこうとすると、そばにいた男に制された。後方からだったのに、すぐに気づかれて驚く。

 金色に近い茶髪に深い青色の瞳。眼鏡と整った顔立ちのせいで、迫力も段違いだ。

 アイリスは震える手でスカートの端をつまんで足を引く。


「昨日、そちらの方に助けていただいたものです」


 優雅な挨拶に目をむいた茶髪の男は、隣の男を肘でつつく。ゆっくりと見下ろしてくる淡黄色の目は、昨日と変わらずに鋭さを孕んでいるが、剣吞な雰囲気は微塵も浮かんでいない。


「ああ、昨日の綺麗なご令嬢じゃないか。怪我はなかったのか」


 むしろ人懐っこさを感じさせる笑みで、彼がそう言った。

 眼鏡の男は隣でさらに目を見開いている。


「はい、おかげさまで。それよりそのシャツ、お店に預けていただけなかったのでしょうか」

「ああ、これか。昨日は時間が取れなくて行かなかったんだ」

「ですが繕うお約束ですわ。私は命を助けられたのですから、そのお礼をしないわけにはまいりません」

「……うーん。たいしたことはしてないのだがな」


 魔獣でもない、たかが猪一匹。言外にそんな空気が混じる。

 隣の男が片手で額を抑えて、ため息をついている。


「お忙しいなら無理は申せませんが……」


 アイリスは顔を伏せ、しんみりと引き下がろうとした。


「そんなことないです。全然、この人とっても暇ですからどうぞどうぞ」


 眼鏡の男が慌ててアイリスを引き止め、大きな男の背中を叩く。解せぬという顔を浮かべながらも、男はアイリスの後をついていくよう促されたことを受け入れた。


 再び店に戻ったアイリスはマチルダに声をかけ、店の奥の作業場で彼に椅子をすすめる。

 シャツを脱いだ彼は、代わり真っ黒なマントを羽織っている。身につけているもののほとんどが黒く、まるで喪に服しているようだ。

 アンナにお茶の準備を指示したあと、受け取ったシャツの修繕に取り掛かる。幸い、大きく布が裂けて足りないということもなかったため、数十分もあれば、綺麗に綴じられそうだ。

 一針一針に想いを込めて縫い進める。

 真剣なまなざしのアイリスを、彼がじっと見つめていることなど何も気づかないまま。


「お待たせしました」


 最後の糸を止めて仕上げ、彼に手渡す。座った彼を少し見下ろす格好になった。

 窓から差し込む夕日に銀髪がきらめいていて、淡黄色の瞳もとても綺麗だ。


「そなたの目の色は、俺のよく知る花に似ている」

「……えっ」


 突然の言葉にアイリスはぱっと体を起こした。薄い紫色の目をそんな風に言われたことなどなくて、返事に窮する。


「お褒めの言葉として受け取っておきますね」


 何とか笑みを浮かべて言葉を返す。頬や耳が熱い気がするが、きっと夕日のせい。手の甲で頬を押さえつつ、着替える彼に背を向けて道具を片付ける。


「見事な腕だ。すばらしいな」


 シャツを羽織った彼が素直に称賛してくれる。飾り気のない言葉が、スッと心に入り込んでじわりと温かなものが広がっていく。


「あの、……大変勝手なお願いだと分かっていますが、昨日の、魔法については内密にしていただきたいのです」

「ああ。承知した」


 彼は笑顔を見せ、一切の詮索をせずにアイリスの要望を受け入れた。

 聖魔法を持つ者の行く末を知っている。そんな気遣いを感じて、感謝の言葉とともに深く頭を下げる。


「そなたの名は聞いてもいいか?」

「私は……アイリスと申します」


 魔法が使えるのなら貴族だろう。

 そう意図された問いだと理解しながら、アイリスは家名を名乗らなかった。それでも彼は深く追求してこない。


「アイリス嬢。俺は聖魔法を見たのもこの身で感じたのも初めてだ。貴重な経験をさせてもらった礼にはならないかもしれないが、もしそなたに何かあれば力になると約束しよう」


 約束の証だ。そう言って腰袋から古いコインを取り出し、アイリスの手に握らせた。

 ほんの一瞬触れただけだが、大きくて温かく、力強い手だった。


 ***


 寝衣のままベッドに座り、手渡されたコインを眺める。

 古いもののようで、汚れのせいか意匠も見えにくくなっているが、どうも狼らしき動物と人、そして絶壁のようなものが彫られている。

 貴族名鑑で見た覚えがあるような気がするが、思い出せない。紋章だとしたら、どこの家門だろうか。


 聖魔法について口止めできたものの、彼は名前も名乗らなかった。身なりは旅人に見えたが、話し方や所作はきちんと教育を受けた人のものだ。

 命を助けてもらったのはアイリスのほうで、そのお礼に治療と修繕をしたはずなのに、さらにそのお礼とは。

 それにあの服の生地。決して並みの冒険者に買える代物ではない。体格に合わせて仕立てられたものということはすぐに分かった。


(あんな大きな人は、初めて見た。背も高くて体に厚みがあって手も大きくて……何よりあの目が印象的だった)


 野生動物を思わせる鋭さがあり、だけど笑うと目じりに少し皴ができて、人懐っこさを感じさせる不思議な魅力だ。


(人を動物に例えるなんて、失礼よね)


 ユキヒョウはアイリスが好きな動物の上位三位以内に入る。

 その見た目からクールに見られるアイリスだが、ハンカチに刺繍を入れるくらい、可愛いものと動物が好きなのだ。

 だからきっと、自然と彼のことも好意的に見てしまっているのだと思う。

 そう思いながら、恥ずかしくなって枕に突っ伏した。


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