第1話 平均値を下げるゴミ
薄暗い洞窟の奥底に、剣戟の音と魔物の断末魔が響き渡った。湿った空気が、鼻をつく血の臭いと焦げ臭さを含んで澱んでいる。ここは難攻不落と謳われるS級ダンジョン『奈落の顎』の第九十九層。地上から遥か深く潜ったこの場所には、もはや太陽の光など届かない。ただ、壁面に生えた発光苔の青白い光と、俺たちの前を歩く勇者の剣が放つ聖なる輝きだけが、視界を確保する頼りだった。
「ふん、他愛もない。これが深層の守護者か? 笑わせるな」
黄金の鎧を身に纏い、豪奢な装飾が施された大剣を肩に担いでいる男、勇者レオンが鼻で笑う。その足元には、巨大なキメラが黒い煙を上げて消滅しようとしていた。本来であれば、熟練の冒険者パーティが複数で挑んでも全滅しかねない凶悪なモンスターだ。それをレオンは、たった一撃で葬り去ったのだ。
「さすがですわ、レオン様! まさに神に選ばれし勇者の御力……。見ているだけで痺れてしまいます」
うっとりとした声でレオンに擦り寄るのは、聖女のソフィアだ。純白の法衣は泥一つついておらず、彼女の周りだけ別世界のように清浄な空気が漂っている。
「全くだ。俺の攻撃魔法を使うまでもない。レオンの剣圧だけで吹き飛ぶとは、魔王軍幹部とやらも大したことがないな」
呆れたように杖を弄んでいるのは、宮廷魔導師筆頭の肩書きを持つベルン。彼は知識と魔力を誇示するように、常に尊大な態度を崩さない。
彼ら三人は、王国最強と謳われるSランクパーティ『栄光の剣』の主力メンバーだ。若くして圧倒的なステータスを誇り、数々の伝説を打ち立ててきた英雄たち。その輝かしい姿は、国民の憧れの的であり、冒険者たちの到達点でもあった。
そして、その英雄たちの遥か後方で、自分の体ほどもある巨大な荷物を背負い、息を切らして歩いているのが俺、アレンだ。
「はぁ……はぁ……、まっ、待ってくれ……」
背中のリュックには、パーティ全員分の食料、予備の武器、ポーション、野営道具、そしてドロップアイテムがぎっしりと詰め込まれている。重量にして百キロは軽く超えているだろうか。俺の低いステータスでは、ただ歩くだけで体力が削られていく。
「おい、遅いぞアレン! いつまでモタモタしているんだ。これだから無能は困る」
レオンが振り返り、眉間に深い皺を寄せて怒鳴った。その視線には、仲間を見るような温かさは微塵もない。あるのは、道端の石ころを見るような無関心と、汚いものを見るような侮蔑だけだ。
「申し訳……ない。でも、この荷物の量だと、どうしても……」
「言い訳をするな! 俺たちはSランクパーティだぞ? 荷物持ち風情が足を引っ張ってどうする。さっさと回収を済ませろ」
「……はい」
俺は痛む足を引きずりながら、キメラが消滅した後に残された魔石と素材を拾い集めた。手は泥と血で汚れ、爪の間には黒い煤が入っている。ソフィアやベルンは、そんな俺を冷ややかな目で見下ろしていた。
「本当に、見ていてイライラしますわね。どうしてこんな役立たずが私たちと一緒なんですの?」
ソフィアがハンカチで口元を覆いながら囁く。
「仕方あるまい。ギルドの規定で、ダンジョン探索には最低四人のメンバーが必要だからな。数合わせにはちょうどいいカカシなんだろう」
ベルンが嘲笑う。その言葉は、俺の耳にもはっきりと届いていたが、反論する気力さえ湧かなかった。彼らの言うことは、ある意味で事実だったからだ。
俺のステータスは低い。攻撃力も魔力も、一般の村人と大差ないレベルだ。唯一持っているユニークスキル【一蓮托生】も、鑑定の結果は「詳細不明」のハズレスキルと判定されていた。だから俺は、雑用や荷物持ちとして必死に働くことで、なんとかこのパーティに置いてもらっていたのだ。
幼馴染だったレオンが勇者として覚醒した日、俺は彼に誘われた。「お前も来いよ、アレン。俺が守ってやるからさ」。あの時の言葉を信じて、ここまでついてきた。どんなに罵られても、どんなに過酷な扱いを受けても、いつかまた昔のように笑い合える日が来ると信じて。
だが、現実は残酷だ。階層が進むにつれてレオンたちは増長し、俺への扱いは酷くなる一方だった。食事は残飯のようなものしか与えられず、ポーションの使用も許可されない。俺の役割は、彼らが輝くための踏み台でしかなかった。
「おい、アレン。魔石の回収は終わったか?」
レオンの声で、俺は現実に引き戻された。
「あ、ああ。終わったよ。特級魔石が一つと、キメラの爪が三本……」
「よこせ」
レオンは俺の手から乱暴に魔石をひったくると、満足げにそれを光にかざした。
「ふん、悪くない質だ。これで新しい剣の素材になるな」
「あの、レオン。俺の分の報酬は……」
「あぁ? お前の分だと?」
レオンが信じられないものを見るような目で俺を睨んだ。
「お前、何もしてないだろうが。戦ったのは俺、回復したのはソフィア、援護したのはベルンだ。お前はただ落ちているものを拾っただけだろ? なのに報酬を要求するのか? 盗っ人猛々しいにも程があるぞ」
「で、でも、荷物を運んだり、野営の準備をしたり……それに、俺のスキルだって……」
「詳細不明のゴミスキルのことか? 笑わせるなよ。お前がいるせいで経験値の分配が減るんだ。感謝してほしいくらいだ」
ベルンが横から口を挟み、ソフィアがクスクスと笑う。俺は唇を噛み締め、黙り込むしかなかった。
そうだ、彼らには見えていないのだ。俺のスキル【一蓮托生】の真の効果が。
このスキルは、パーティメンバーの中で「最も高いステータス数値」を全員に共有し、底上げする能力だ。レオンの圧倒的な攻撃力も、ソフィアの尽きることのない魔力も、ベルンの鉄壁の防御力も、すべては俺のスキルによって同期され、強化されたものだ。正確には、俺も含めた四人のうち、誰か一人でも特定のステータスが高ければ、それが全員の「基礎値」となる。
レオンは攻撃力が高いが、防御力は低い。ベルンは魔力が高いが、体力は紙同然だ。しかし、今の彼らは全てのステータスがカンストに近い状態で安定している。それは、それぞれの長所を俺のスキルが繋ぎ合わせ、最強の状態を維持しているからに他ならない。
けれど、それを説明しても彼らは聞く耳を持たなかった。「俺たちが強いのは才能だ」「女神の加護だ」と信じて疑わない。俺が何か言おうとすれば、「無能の妄言」と切り捨てられるだけだ。
「行くぞ。次はボス部屋だ」
レオンが踵を返し、巨大な扉の奥を指差した。その先には、第百層への階段を守るフロアボスが待ち構えているはずだ。
「待ってください、レオン様」
不意に、ソフィアが足を止めた。彼女は慈愛に満ちた(ように見える)笑みを浮かべ、ゆっくりと俺の方を振り返った。その瞳の奥には、冷酷な光が宿っている。
「ボス部屋に入る前に、少し整理をしておきませんこと?」
「整理? なんだそれは」
「お荷物の整理ですわ。……ねえ、アレンさん?」
心臓がドクリと跳ねた。嫌な予感が背筋を駆け上がる。
「ど、どういうことだ、ソフィア」
「単刀直入に言いますわ。貴方、ここでパーティを抜けてくださいな」
時が止まったような感覚だった。言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
「……え?」
「聞こえなかったのか? 追放だよ、追放。お前はクビだ」
レオンが吐き捨てるように言った。その顔には、長年の友人を切り捨てる躊躇いなど微塵もない。むしろ、厄介払いができて清々したといった表情だ。
「な、なんで……今、ここで? ここは九十九層だぞ!? 一人で地上に戻れるわけがない!」
「それがどうした? お前の事情など知ったことではない」
ベルンが冷たく言い放つ。
「理由を教えてやろうか、無能。お前のレベルが低すぎるんだよ。俺たちの平均レベルは今や80を超えている。だが、お前一人がレベル10のままだ。そのせいで、パーティ全体の『平均ステータス評価』が下がり、ギルドからの特別報酬ランクが上がらないんだ」
「そんな……俺のレベルが上がらないのは、お前たちがトドメを刺させてくれないから……!」
「実力不足を人のせいにするな! 醜いぞ、アレン!」
レオンの怒号が洞窟内に響いた。彼は威圧的に俺の胸ぐらを掴み上げ、壁に押し付けた。黄金の鎧がガチャリと音を立てる。至近距離で睨みつけられる双眸には、俺への軽蔑しか映っていない。
「いいか、アレン。俺たちはこれから『神話級』の領域に足を踏み入れる。お前のような雑魚がいていい場所じゃないんだ。むしろ、ここまで連れてきてやった慈悲に感謝しろ」
「レオン……俺たちは、幼馴染だろ……? 約束したじゃないか、一緒に……」
「過去の話をするな。鬱陶しい」
ドンッ、と強く突き飛ばされ、俺は無様に地面へ転がった。背中の荷物が重くのしかかり、呼吸が詰まる。
「さて、アレンさん。そのリュックを置いて行ってくださる? それはパーティの共有財産ですもの」
ソフィアが見下ろしながら手を差し出した。
「え……? でも、これがないと食料も、水も……」
「貴方には必要ありませんわ。どうせ、ここの魔物に食われて死ぬんですもの。物資を無駄にするのは女神の教えに反します」
「装備もだ。その剣、俺が予備で貸してやったやつだよな? 返せ」
レオンが俺の腰から錆びついた鉄の剣を引き抜いた。それは俺の唯一の自衛手段だった。
「まっ、待ってくれ! 武器まで取られたら、本当に何もできない! せめてナイフ一本でも……!」
「うるさい!」
レオンの蹴りが腹部に突き刺さる。激痛に呻きながら、俺は泥水を啜るようにうずくまった。意識が遠のきそうになる中で、彼らが俺の荷物を漁り、必要なものだけを魔法の鞄に移し替えているのが見えた。
「汚い服……。こんなの要りませんわね」
「ポーションは回収だ。あと、こいつが隠し持っていた小銭も貰っておこう。迷惑料としてな」
身ぐるみ剥がされるとは、まさにこのことだ。数分後、俺の手元に残ったのは、ボロボロの衣服と、壊れかけのランタン一つだけだった。
「じゃあな、アレン。来世ではもう少しマシな人間に生まれ変われよ」
レオンが嘲笑いながら背を向ける。
「さようなら、ゴミ虫さん」
「精々、魔物の餌として役に立ってくれ」
ソフィアとベルンもそれに続き、三人は巨大なボスの扉へと歩き出した。
俺は泥にまみれた手で地面を掴んだ。悔しさで涙が滲む。怒りで体が震える。
なぜだ。なぜ、こんな仕打ちを受けなければならない。俺が何をした? ただ、仲間のために尽くしてきただけじゃないか。睡眠時間を削って武器の手入れをし、彼らが快適に過ごせるように雑用をこなし、戦闘中は喉が枯れるほど周囲を警戒してバフを送り続けた。
それに対する答えが、これか。
「……ふざ、けるな……」
絞り出すような声は、誰にも届かない。
彼らの背中が遠ざかる。巨大な扉の前で、レオンが立ち止まった。
その瞬間、俺の視界の端に浮かんでいたパーティステータス画面に、無機質なシステムメッセージが表示された。
『パーティリーダー:レオンにより、メンバー:アレンの除名が確定しました』
『ユニークスキル【一蓮托生】のリンクが強制解除されます』
プツン。
頭の中で、何かが切れる音がした。
それと同時に、俺の体から重苦しい鎖が外れたような、奇妙な浮遊感が押し寄せてくる。ずっと俺の魔力と生命力を吸い上げ、彼らに供給し続けていたパイプラインが消滅したのだ。
「……あ?」
俺は自分の手を見た。震えが止まっている。いや、それだけじゃない。先ほどレオンに蹴られた腹部の痛みが、急速に引いていく。体中に力が満ちてくる。まるで、堰き止められていたダムが決壊したかのように、膨大なエネルギーが俺の内側で渦を巻き始めた。
一方、扉に手をかけていたレオンたちの様子がおかしいことに、俺は気づいた。
「……ん?」
レオンが、扉を押し開けようとして、よろめいたのだ。
まるで、急に重力が増したかのように、ガクンと膝を折る。
「おい、レオン? 何をしているんだ、早く開けろ」
ベルンが苛立たしげに声をかけるが、レオンは肩で息をしながら、自身の愛剣を見つめていた。その顔には、困惑と焦燥が浮かんでいる。
「な、なんだ……? 剣が……重い……?」
レオンの声が微かに聞こえた。
彼は両手で剣の柄を握り直し、持ち上げようとする。だが、さっきまで羽のように扱っていたはずの大剣が、まるで鉛の塊に変わったかのように、地面から数センチ浮いただけで落ちてしまった。
ガシャアアンッ!
重たい金属音が洞窟に響く。
「きゃっ! 何ですの、いきなり大きな音を立てて!」
ソフィアが悲鳴を上げる。だが、彼女もまた、自身の異変に気づいたようだ。
「あれ……? 体が、鉛のように……。立っているだけで、息が……」
彼女はその場にへたり込んだ。着ている法衣の重さすら支えきれないかのように。
「おい、ふざけるな! ボスの前で芝居をしている場合か!」
ベルンが杖を振り上げようとする。しかし、詠唱を始めた彼の顔色が、瞬時に青ざめた。
「ば、馬鹿な……!? 魔力が……練れない!? 体内の魔力回路が、細切れになっている!? なぜだ、俺の膨大なマナはどこへ行った!?」
彼らはまだ気づいていない。
自分たちの強さが、すべて俺のスキルによって底上げされていた「虚構」だったことに。
俺という土台を切り捨てた瞬間、彼らのステータスは、彼らが本来持っていた「初期値」――いや、才能に胡坐をかいて努力を怠っていた分、それ以下の数値へと急落していたのだ。
俺はゆっくりと立ち上がった。
不思議なほど、体は軽い。視界は鮮明で、薄暗い洞窟の隅々までが見渡せる。
遠くでパニックに陥り始めた元仲間たちの姿が、酷く滑稽に見えた。
「……ざまあみろ」
口をついて出た言葉は、自分でも驚くほど冷徹で、そして少しだけ笑っていた。
俺を捨てた代償を、彼らはこれから骨の髄まで味わうことになる。
だが、それはもう俺には関係のない話だ。
俺は彼らに背を向け、暗闇の奥へと――地上とは逆の、さらに深い奈落へと足を踏み出した。そこで俺を待つ「本当の力」を確かめるために。
背後で、重厚な扉がゆっくりと開き、ボス部屋からの冷気が溢れ出す音が聞こえた。そしてそれに続いて、レオンの絶叫が響き渡った。
「うわあああああッ!? 剣が! 俺の力がぁぁぁッ!!」
祭りは終わりだ、勇者様。
ここから先は、現実(地獄)の時間だ。




