都を離れて、忘却の伽藍へ
トラン・フォンは夜明け前に都を出た。百貫の銭は懐に重く、その重さが彼の新たな使命を象徴しているかのようだった。絢爛豪華な都は急速に遠ざかり、再び彼の視界を支配したのは、荒涼とした山脈と、無機質な泥道だった。
「チッ、またこれか」黒舌はうんざりした声を上げた。「せっかく都の血と欲望に満ちた空気に慣れたというのに、またこんな臭い泥道とは。百貫稼いでやったのだから、せめて馬ぐらい買えなかったのか?」
「馬は目立ちすぎる。それに、馬は飯代がかかる」フォンは素っ気なく答えた。「それに、お前のような邪剣を堂々と晒して歩けるほど、都は平和じゃない」
フォンは今、かつてないほど冷静だった。光悦卿との一件で、彼は単なる厄介払い屋ではなくなった。彼は、**蒼血の氏族という、自身のルーツを狙う巨大な陰謀の渦中にいる。その真実を知る手がかりが、都の北東に位置する忘却の伽藍**にある。
数日後、フォンは伽藍が位置するという山脈の麓に到着した。山道は険しく、木々は古くから誰にも手入れされていない証拠に、奇妙に捩れ曲がっている。あたりは静寂に包まれているが、その静けさにはどこか、張り詰めた緊張感が漂っていた。
昼間であるにも関わらず、空気は冷たく、フォンは全身に鳥肌が立つのを感じた。
「ここだ…」フォンは立ち止まった。「伽藍の敷地に足を踏み入れたようだ。空気が違う。泥の臭いに混じって、古い血と、強烈な邪気が渦巻いている」
**悲感**が静かに彼の心臓を締め付けた。それは、怨霊の悲しみとは違う。何世紀にもわたってこの場所に染み付いた、血族の絶望、そして数えきれない命が失われた古代の悲劇の残滓だ。
「この邪気、嫌な感じだ」黒舌の声も、いつもの軽薄さを失っていた。「普通の鬼の気じゃない。お前の血の気と同じ、古い、濃い力が込められている。ここは、鬼狩りであるお前の聖地か、それとも墓場だな」
フォンは剣を抜き、警戒態勢に入った。山道を登り続けると、やがて視界が開け、苔むした巨大な石造りの門が見えてきた。
それが、忘却の伽藍だった。
かつては修行僧が集ったであろうその寺院は、今や石と土に飲まれ、威容を保ちながらも完全に朽ち果てていた。門には、かつて美しかったであろう蓮の彫刻が施されているが、今は血のような錆と、不気味な黒いカビに覆われている。
フォンは伽藍の入り口で立ち止まった。彼はここで、過去と向き合うことになる。
その時、フォンは地面に目をやった。枯葉の積もった地面に、新しい足跡が残されている。そして、その足跡の近くには、わずかに光を反射する小さな金属片が落ちていた。
フォンはそれを拾い上げた。それは、光悦卿の家紋である「三つ巴」の紋章が刻まれた、侍の鎧の破片だった。
「やはり…光悦卿は、すでにここに人を送り込んでいるか」
フォンは憤怒に駆られた。貴族は己の安全のために怨霊を斬らせただけでなく、彼のルーツを滅ぼすための活動も続けていたのだ。
フォンは黒舌を握りしめ、目を細めた。
「静かに入れ、クロベロ。この伽藍の闇は深く、敵はすでに内部にいる。俺たちの旅の本当の始まりだ」
彼は巨大な石門の影に身を潜め、誰もいない伽藍の内部へと、密かに侵入を開始した。その廃墟の中には、彼の血脈を呪った、数百年に及ぶ憎悪の連鎖が眠っている。




