南の港町と波止場の要塞
都を離れたトラン・フォンは、南へと続く街道を急いだ。彼を覆う日傘の結界は、山道から平野、そして海辺へと変わる気候の変化にも耐え、彼の紫紺色の血の気を完璧に安定させていた。長旅による疲労はあったが、狂気に怯えることなく太陽の下を歩けるという事実は、彼にとって何物にも代えがたい安堵だった。
数日後、フォンは目的地の南の港町に辿り着いた。ここは魚介と潮の匂い、そして活気あふれる水夫たちの怒声に満ちている。都の洗練された闇とは違い、港町の闇は、より生々しく、荒々しい欲望に満ちていた。
フォンは、雑踏の中、巻物の知識と制御された血の気を使い、**黒縄会**の邪気の痕跡を追った。その邪気は、港で最も古い、錆びた鉄骨と分厚い石造りでできた巨大な倉庫群へと集中している。
「あれか。波止場の隠し砦」フォンは囁いた。
倉庫群の中でも、特に海に突き出た、巨大な要塞のように見える建物が、邪気の中心地だった。それは明らかに密輸や裏の取引に使われていた過去があり、物理的な防御が非常に固い。
フォンは夜を待たず、日の光が最も強い時間帯を選んで侵入を開始した。これは、彼の結界の力を最大限に活かすためであり、また、黒縄会が昼間の警戒を緩めがちであることを見越してのことだ。
彼は、海に面した断崖の裏側から、波止場の下の暗い岩礁を伝って要塞の基底部へと接近した。
「相変わらず、汚い場所が好きだな、フォン」黒舌が呆れたように言う。
「闇は、その中身が最も見えにくい場所を選ぶものだ」
フォンは、建物に設けられた小さな排水口から内部へと侵入した。中は、潮風と錆の匂いが混ざり合う、広大な倉庫になっていた。通常の衛兵は少なく、代わりに、厳重な金属のトラップや、魔力で強化された鉄の鎖が至る所に仕掛けられている。
フォンは、日傘の結界をそのままに、**血剣の型・穏:清浄**の制御された力を使い、罠を一つ一つ正確に無力化していく。彼の剣は、金属製のトラップを触れずに断ち切り、静かに、そして素早く要塞の奥へと進んだ。
要塞の中枢へと続く、重厚な鉄扉の前に、最後の番人が立っていた。
その男は、侍でも術者でもない。巨大な体躯に、全身に黒い刺青が彫られた、異様な風貌の坊主だ。彼は、僧衣を破り捨て、その両腕は赤銅の鎖と分厚い鋼で覆われ、まるで鬼の腕のように肥大している。
「待っていたぞ、血剣の継承者よ」坊主は静かに、しかし地響きのような低い声で言った。「私は、鬼腕の坊主、仁王。影の君主様の勅命により、貴様をここで止める」
仁王は、フォンがこれまでに戦った敵とはタイプが違った。呪術的な邪気はないが、その肉体から発せられる生命力(気)は、まるで山のように重く、岩のように強固だ。
「貴様の血は、もはや制御を失わないようだな。だが、肉体の限界は制御できまい」
仁王は、赤銅の鎖で覆われた巨大な腕を振り上げた。その一撃は、重い鉄塊が空中を叩くような轟音を発し、フォンへと襲いかかる。
フォンは、黒舌でその一撃を直接受け止めることを避けた。彼は、制御された血の気を足先に集中させ、一瞬で仁王の側面へと回り込む。
「血剣の型・穏:円斬!」
フォンは、以前にも増して精密な円を描き、仁王の鎖の繋ぎ目と、わずかに露出した首筋を同時に狙った。仁王の動きは、遅れてフォンを追う。
**カキン!**という甲高い音と共に、仁王の首筋から鮮血が噴き出した。鎖の繋ぎ目は斬り裂かれたが、仁王は倒れない。彼は驚愕した表情を浮かべ、倒れ落ちる鎖と血を無視し、再びフォンに襲いかかろうとした。
「恐ろしいほどの速さと精度だ…!だが、私は倒れん!」
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。フォンは、仁王の最後の抵抗を予測し、黒舌を彼の心臓の最も弱い部分へと、寸分の狂いもなく突き刺していた。
仁王の巨大な体躯が、重い音を立てて波止場の石床に崩れ落ちた。
フォンは、静かに血の気の力を解放し、仁王の亡骸を見下ろした。彼は、自らの制御された力が、純粋な物理的暴力をも凌駕することを証明した。
目の前の扉の奥には、黒縄会の最終的な秘密と、影の君主が待っている。フォンは、黒舌を鞘に収め、深い息を吸った。
「クロベロ。決着をつけるぞ」




