深き影の制御と夜明けの結界
深き影の洞窟で、トラン・フォンは時を忘れ、血の制御術に没頭した。岩盤に刻まれた呪文と、巻物に残された先祖の思念だけが、彼の唯一の道標だった。一週間が過ぎ、二週間が過ぎた。フォンは外界の食欲さえ忘れ、ひたすら内なる戦いに身を投じた。
修行は、地獄だった。
陰の気で力を安定させようと試みるたび、体内の陽の気が制御を拒否し、彼の血管を内側から破裂させようとする。激しい頭痛と吐き気が続き、フォンは何度も意識を失いかけた。彼の肌は血の気の奔流によって、時折、赤く光り、洞窟の壁に血の汗を滲ませた。
「無駄だ!貴様には才能がない!俺の血の契約を破って、この力を捨てろ!」黒舌は絶叫した。黒舌もまた、フォンの苦痛と力の暴走に共鳴し、その刀身は常に熱を帯びていた。
フォンは、巻物の核心にある言葉を思い出した。「光に惑うことなかれ。全てを分け隔てず、己の器に納めよ」
彼は、力の暴走を止めようとするのではなく、受け入れることを決意した。光悦卿や月影が血の力を外部から制御しようとしたのに対し、フォンは自らの呪いと宿命を丸ごと飲み込もうとしたのだ。
フォンは、敢えて洞窟の奥から微かに漏れ入る陽の光に、微量の血の気を晒した。力が爆発する寸前、フォンは氏族の祖が鬼神と契約した際の**悲感**を追体験した。それは、破壊ではなく、守護のための絶望的な愛だった。
その瞬間、フォンの体内で、陰と陽の気が共存した。暴走寸前だった赤い血の気が、青と黒の影を纏い、極めて安定した紫紺色のオーラへと変化した。
「…成功した…」黒舌が、信じられないというように呟いた。
フォンは立ち上がった。全身に満ちる力が、以前とは比べ物にならないほど静かで、そして深い。もはや、力を使うたびに狂気に引きずり込まれる恐怖はない。
彼は、巻物の最後の一節に記された、制御の完成形として伝わる術式を試みた。
影織りの術・壱:日傘の結界。
フォンが指を立てると、紫紺色の血の気が彼の周囲に薄い膜を形成した。それは、太陽の陽の気を完全に遮断し、陰の気だけを透過させる、目に見えない防御の結界だった。
フォンは洞窟から出た。外は晴天で、山脈の木々が陽光に輝いている。以前なら、この光に晒されただけで、彼の力は暴走しただろう。しかし、今、彼は結界の内側で、何の苦痛もなく立っている。
「これが…血の制御術の完成形か」
フォンは黒舌を鞘に収めた。彼は、呪いを克服し、新たな力を手に入れた。もはや、彼は光を避けて夜に生きる必要はない。この力があれば、日の当たる場所でも、彼は蒼血の継承者として行動できる。
「さて、クロベロ。腹が減ったな」フォンは言った。「都の喧騒に戻るぞ。あの都のどこかに、まだ、黒縄会の残党と、俺の力を狙う新たな野心が蠢いているはずだ」
フォンは、孤独な山脈を後にし、新たな使命を胸に、都へと続く道を踏み出した。彼の旅は、真の夜鬼行へと変わったのだ。




