傷と血の癒しと巻物の断片
腹に負った傷は深かった。小太刀は肉を深く裂き、血が止まらない。フォンの全身を覆う血の気がなければ、彼は今頃、忘却の伽藍の地下で力尽きていただろう。
彼は追っ手から逃れるため、血の匂いを振り切りながら山中を這うように進んだ。一団の侍たちが叫びながら地上を捜索する音を背後に聞きつつ、フォンは深い渓谷の奥にある、岩陰の小さな洞窟に身を滑り込ませた。
「おい、フォン。本当に死ぬ気か」黒舌が心配と苛立ちの混じった声を出す。「傷が深すぎる。お前の血の気で治癒するにも限界がある。こんな穴蔵で野垂れ死にでもしてみろ、俺のプライドが許さんぞ!」
フォンは壁にもたれかかり、荒い息を吐きながら答えた。「黙れ。ここで死ぬわけにはいかない。俺の命は…光悦卿との決着のために残しておく」
彼は腹の傷口に手を当てた。通常の治癒は間に合わない。フォンは奥歯を噛み締め、残りの血の気を一気に傷口へと集中させた。彼の体内を巡る血が、まるで熱した鉄のように灼熱し、傷口の肉を無理やり繋ぎ合わせていく。
「ぐっ…あがああ!」
それは、斬られる痛みよりもはるかに強烈な、細胞が強制的に蘇生させられる苦痛だった。全身から汗が噴き出し、彼の赤いオーラが一瞬、黄金色に輝いた。数刻後、痛みは引き、傷は酷い火傷の跡のように変色しただけで、命の危機は去った。
「馬鹿な真似を…」黒舌は呆れたように呟いた。
フォンは体力回復を諦め、懐から血と泥に汚れた**「蒼血の祖の巻物」**の断片を取り出した。
巻物は、式部との乱戦で二つに引き裂かれていた。重要な中央部分は式部の手にある。フォンが持っているのは、巻物の始まりと終わりの部分だ。
「この残りの巻物…何が書いてある?」フォンはかすれた声で黒舌に尋ねた。黒舌は古い文字を読み解く知識を持っている。
黒舌は巻物の始まりの部分を読んだ。そこには、蒼血の氏族の起源が記されていた。
『——我が血脈は、光を恐れる。それは、光が真実を曝け出すからではない。光に浴びすぎた血は、やがて渇き、その力を暴走させる。我らが力は、陰の気によって育まれ、陽の光によって狂気に導かれる…』
「光に浴びすぎると、力が暴走する?」フォンは驚愕した。これまでの彼の戦いでは、夜や雨の日の方が力が安定していた。それが血脈の特性だったのか。
「つまり、貴様の力は、太陽の下で長時間使うと、いずれ制御不能になるということだ。そして、光悦卿が狙っているのは、この弱点かもしれない」黒舌が推測した。
次に、巻物の終わりの部分を読んだ。そこには、封印された古代の術式らしき記述があった。
『——祖の封印を破り、我が血を永遠に鎮めんとするならば、都の最古の地の、日輪に最も近い場所で、七つの魂を贄とし、七日間の血の儀式を執り行うべし…』
「七つの魂と、七日間の儀式…都の最古の地…」フォンの頭の中で、全ての情報が繋がった。
光悦卿の目的は、巻物に記されたこの血の封印術を、都の最も重要な場所で行うことだ。それが成功すれば、蒼血の氏族の血を持つ者は、全て封印され、力を失うか、あるいは死に至るだろう。
そして、「都の最古の地の、日輪に最も近い場所」。フォンは、都の地理に詳しい黒舌に問いかけた。
「都で、最も古く、日輪に最も近い場所とはどこだ?」
黒舌は沈黙した後、低い声で答えた。「…それは、**王城**だ。都の心臓部であり、最も高い場所に築かれた、王の住まう場所だ」
フォンは腹の痛みを無視し、立ち上がった。光悦卿は、王城に侵入し、大規模な儀式を行おうとしている。残された時間は少ない。
「行くぞ、クロベロ。腹は減っているが、休んでいる暇はない。全てを終わらせる」
彼は再び都へと向かう道を歩み出した。傷は深い。しかし、彼の血脈を守るという決意と、巻物の断片が与えた情報が、彼の唯一の武器だった。




