3.九十九本の赤い薔薇
無事に結婚式を終え、今日から私は王子妃の寝室に移動した。
扉を開けた途端、花瓶に飾られた赤い薔薇に目を奪われる。
「九十九本の赤い薔薇ね」
『永遠の愛』を表現する九十九の赤い薔薇に思わずときめく私。いつかその永遠に手を伸ばしたいと肺いっぱいに気品ある甘い香りを吸い込んだ。
私の呟きに寝室で待機していた新しい侍女が反応する。
「はい! ジスラン王子殿下から赤い薔薇を九十九本飾るように仰せつかったんです。一瞬で数を数えたのですか!? 王子妃になられるような方はやはり特別優秀なんですね」
新緑を思わせる髪色にエメラルドの瞳をした侍女。親しみやすく純粋そうな彼女に私は好感を持つ。
「そんな事ないわ。貴方が新しい侍女ね。お名前は?」
「今日からフェリシア王子妃殿下の侍女を務めさせて頂きます。エマと申します。このような大役、恐れ多いですが力の限り頑張ります」
深く私にお辞儀をするエマの合わせた手は緊張で震えていた。
「エマは侍女になる前は何をしていたの?」
「二十年程、王宮の下女をしていました。侍女という憧れの仕事に抜擢して頂き誠にありがとうございます。誠心誠意尽くさせて頂きます」
私はエマが初々しく童顔なせいか、もっと若いのかと思っていた。
勤続二十年ということは、王宮を知り尽くしたベテラン。そして、下女をしていた彼女はおそらく平民。ジスランは平民でも私に真摯に仕えてくれる人間を選んでくれたようだ。
「今後とも宜しくね。エマ」
「はい。末永く尽くさせて頂きたく存じます。それでは、これより初夜の準備を致します」
エマがいそいそと初夜の準備をする。私は薄手のヒラヒラしたシュミーズドレスに着替えさせられた。ひらひらと揺れる繊細なレースに、ジスランに恋したままだった私だったら心を躍らせていただろう。
私はエマを下げると、寝室で明日の舞踏会の為にダンス練習に取り組んでいた。
ジスランと私が初めて踊った夜。舞踏会に初めて参加できて嬉しかったが、ドレスも見窄らしく自分が誘われるわけないと油断していた。
そんな私をダンスに誘ったジスラン。当然、ダンスの経験もない私は踊れず、見よう見まねで切り抜けようとした。
すると、耳元でジスランが自分に体を預けるよう囁く。私はその優しい囁きに甘えダンスを踊り切った。
ノックの音と共に扉が開き、ジスランが顔を出す。
「ジスラン、何か御用ですか?」
私は中が透けて見えそうな如何にも初夜の花嫁の格好を隠すように、慌ててロイヤルブルーのガウンを羽織る。
「そんな怪訝そうな顔で見ないでくれ。結婚式の時の微笑みは僕に向けたものではなかったんだな⋯⋯」
夜着に私と揃いのロイヤルブルーのガウンを羽織ったジスランが少し寂しそうな顔をしていてて、私の心は揺らいだ。
見目麗しい王子ジスランは表情一つで女の心にさざ波をたてる事ができるようだ。
このように彼の一挙手一投足に惑わされていたら不幸になる。彼にとって私など利用しやすい花嫁に過ぎない。
「ジスラン、初夜は一年後に延期と伝えたはずです。約束を破られるのであれば、今すぐ離婚しましょう」
「敵意剥き出しだな。僕に熱っぽい視線を向けてくれていた君は確かにいたはずなのに悲しいよ」
ジスランのシリアスな表情とは裏腹に、彼の言葉を私は軽く受け止めた。
「恋とは信頼が得られなければ泡沫に終わるものです。ジスラン、どうぞお帰りください」
「君の為にここに来たんだ。初夜に僕が君の寝室を訪れないと噂になる」
確かに彼の言い分は正しい。しかしながら、今はダンスの練習がしたい。ジスランは私の裸足の足をじっと見つめ、私の心を察するように彼が続けた。
「ダンスの練習をしていたのか? 僕も手伝うよ。それから、足の手当てをしよう。また、血が滲んでいる。万が一、菌が入って化膿したら大変なことになるぞ」
ジスランは私を横抱きにし、ベッドに腰掛けさせる。そして、右手に持っていた救急セットをを開いた。
「傷の手当てなどできるのですか?」
「得意だ。任せておけ」
傷の手当てなど王子がすることではない。しかし、ジスランは十三歳から戦場に出ている。彼の死を望むドリアーヌ王妃が彼を戦場へ赴かせているという噂だ。
この国は長子相続が基本。
王妃ドリアーヌは自分の息子である第二王子グレイアムに王位を継がせたいと思っている。
ドリアーヌは友好国である隣国バルニエ王国の出身。ギディオン国王もドリアーヌ王妃がノブレスオブリージュを理由にジスランを戦地に行かせたいと言えば逆らえない。
「ありがとうございます。ジスラン」
私がお礼を言うとジスランは照れたように目を逸らし、私の足を手当てし始めた。
私自身も美しい自分を救ってくれる王子様としか彼を見ていなかった。戦場は常にストレスが溜まる場所。騎士たちの発散目的で娼婦や踊り子などを帯同させる。
彼が早くから女遊びで鬱憤を晴らす方法を覚えてしまっていても仕方がないのかもしれない。
しかし、そのような男を自分の生涯のパートナーとして受け入れられるかと問われれば難しい。
気がつくとジスランは手際良く私の足の手当てを終えていた。そして、立ち上がると共に私に手を差し出して来る。
「そんな傷を負った足で明日の晩、踊るつもりか? 体調不良で休んでも良いんだぞ」




