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次の日、スポーツ新聞は各紙、U‐20日本代表の惜敗を押しのけて、一面をこの記事が飾った。
『サクライ・ケースケ、国内トップで国際数学オリンピック出場者に内定。フィールズ賞候補にも――
サッカーU‐20日本代表を辞退した、埼玉高校の天才MF、サクライ・ケースケ(17)が、丹沢で行われた日本数学オリンピック決勝トーナメント合宿で、満点の成績を収め、他の上位者6名と、国際数学オリンピックに出場することになった。来月には日本代表の主将として、デンマーク、コペンハーゲンで行われる国際大会に出場する。歴代含めてトップの成績で日本の予選を通過したことで、数学のノーベル賞とも呼ばれるフィールズ賞の国内候補者から、チームに勧誘も受けており、大学進学後、史上初、前人未到の十代でのフィールズ賞受賞も射程圏内におさめている。今後も彼の動向の注目度は増す一方だ』
――その日の学校は、事実上の休校状態だった。朝から学校に報道陣が殺到し、学校の正門から半径10メートルは車と記者と報道セットで埋め尽くされ、事務の教師達は正門前でその応対に追われた。登校する生徒の安全のため、機動隊まで出動した。
早朝に学校からの連絡で僕は起こされた。パニックになる恐れがあるので、学校には来ないように、と言われたが、そういうわけにもいかなかった。
だって、既に僕の自宅の周りにも報道陣がいたのだから。近所迷惑だし、騒ぎを沈静化させるためにも、僕は記者会見を学校で行うことにした。
職員室に顔を出す頃には、僕も自宅の報道陣にもみくちゃにされてきたので、髪の毛も一張羅のスーツもしわくちゃだった。
「まったく、お前の人気は正気の沙汰とは思えないぞ。今年に入って、機動隊を呼ぶなんて体験を、三度もするとは思わなかった。事務の先生たちも、お前に対する電話やファンレターの応対に追われてるんだ。学校は芸能事務所じゃないんだぞ、まったく……」
職員室の、来賓用のソファーに座って、会見の準備が整うのを待つ僕。
「僕だって何とかしてほしいですよ。昨日帰ってきたばかりだっていうのに……うちの学校、制服がないから、無理して記者会見用にスーツまで下ろしたんですから」
昨日の朝、僕は丹沢から報道陣の目をくらますため、始発の鈍行でひっそりと帰宅し、約一週間勉強漬けの脳を癒すように、帰るなり爆睡した。
そして目が覚めた時には、ユータ達の試合が始まる頃だったけど、しばらくテレビで見ていたら、あの二人がいるピッチに僕がいない、僕が二人の試合を観戦する、という、僕がサッカーをはじめて初めての経験に、どうにも気持ちの悪いものを感じて、テレビ越しに二人の血の躍動を感じたのか、僕までじっとしてはいられなくなり、途中でラジオを耳に、家を飛び出してしまったというわけだ。
だから、昨日マツオカ・シオリに会ったのも、10日ぶりくらいのことだった。
視聴覚室で、記者会見は行われた。
「何故、数学オリンピックに出場されたんですか?」
「年齢制限的に、ラストチャンスで、中学から少し興味があったんです」
「サッカーの代表を蹴ったための便宜上仕方なくではないのですか?」
「ご想像にお任せします」
「数学日本代表の主将としての意気込みは?」
「ヒラヤマくん、エンドウくんが頑張っているのだから、僕も二人に恥じないように頑張ろうと思います」
当たり障りのない、丁寧な会見を心掛けた。
僕を取材するのは、お堅い社会系から、既に芸能人扱いしている芸能レポーターなど、様々だ。だからたまに挑発的な質問も飛んでくる。
――最初の記者会見は、僕達が全国大会で準優勝した3日後だった。
何故3日も間が空いたかというと、僕が決勝戦で足を負傷し、治療など、色々とドタバタがあったからだった。
全治2週間の怪我を負い、松葉杖をついての記者会見で、僕とユータ、ジュンイチの3人での記者会見に臨んだ。
この頃には、全国大会で5戦12ゴールという大会記録まで作ったユータは、既にユースの誘いが昔からあった、地元、浦和レッズトップチームへの入団がほぼ内定していた。
全国大会の出場、そしてその活躍を交渉材料に、大学に進学させたがっていた両親を説得したのだった。僕達もそれを手伝い、ユータの母も遂に兜を脱いだのだった。
しかし世間的には本登録ではなく、まだ高校の大会に参加資格の残る、特別指定選手としての登録が濃厚であるだろうという憶測が飛び交っていた。
特別指定選手という制度が、プロサッカーにはある。
プロは高校生と両立できるが、プロになって、高校生の夢である、大会に出られないのは可哀想ということで、プロをやりながら、高校の大会にも出られ、将来性豊かな選手に、より高いレベルでのサッカーをやらせたい、というのが目的の制度だった。
しかしユータはその記者会見で、その世間の憶測をあっさり打ち破った。
「僕は現在、浦和レッズと本契約での交渉を進めています」
会見の場が一瞬どよめきに包まれ、「では、来年の大会は?」という質問が飛んだ。
これにはジュンイチが答える。
「いえ、今日で終わりです。埼玉高校は受験に専念させるために、元々2年生で大多数の生徒が部活を辞めますから」
「え? じゃあ今年の全国選手権には?」
間髪入れずの記者の質問。
「多分、3人とも出場しないと思いますけど」
僕が答えた。
「じゃあヒラヤマ選手も、高校サッカーには未練がないということですか?」
「そうですね」
迷わずにユータは答えた。
「この二人とサッカーをやれた二年間は、本当に楽しかったし、最後にあんなにすごい試合が出来た。試合の時間は一瞬だったけれど、多分一生忘れませんよ。あの試合が出来たってだけで、僕の高校サッカー人生に、一片の悔いなしです」
「――北斗の拳か」
ジュンイチがツッコミを入れる。
「ちょ、ネタバレ!」
ユータはジュンイチを見る。
「俺、今いいこと言っただろ?」
「――まったく、公共の電波で著作権を侵すなよ」
僕も一呼吸ツッコミを入れる。
「自分の言葉で言えないお前の語彙の貧弱さは承知してるが――高校サッカーに悔いがないってところは同感だな」
僕があまりにさらりと、決意を口にしたから、質問の対象が僕に移る。
「サクライ選手は、もう高校サッカーに挑戦できなくても良いとお考えですか?」
「いいか悪いかはともかく……僕ももう、この二人と全てを出しきれたので、もう高校サッカーに悔いはないですし……PTAの大多数がそれを認めてから、学校中で定着してしまっているシステムなんで、僕達が突然部に残ったら、後輩の代が来るはずだったのを壊すことになって、申し訳ないですし。進学希望の僕は、受験に早く専念出来るなら、別に悪い話じゃないですし。だから、もうこの決まりに、特別抗う理由がないんです」
「……」
特に抗う理由がない――こう言われては反論の余地もない。初めて記者達が沈黙した。
「結局僕達高校生は、大人の談合の下で生きるしかない、脆弱な存在なんですから」
このインタビューによって、大会後も僕達埼玉高校の動向は、世間の注目となった。
このインタビューが流れた翌日に、学校に僕達のファンが押し寄せて、2年生で部活を引退させる風習は悪だという抗議が起こり、今年はじめて機動隊が学校に出動する羽目になった。埼玉高校は教育の場としての学校のあり方を問う前衛的な問題としてクローズアップされ、受験効率にしか興味のない体制が大きく批判をされることとなった。
教師やPTAの父兄は、マスコミにこの体制への回答を求められ、実際年明け一週間の埼玉高校は、まともに授業が行われなかったほどだった。足を負傷していた僕は、その間にゆっくりと静養した。
そして、元々僕達3人は、大会中から仲がいいということを取りただされていた。
弱小高校で、全国大会初戦敗退だと誰もが疑わなかった埼玉高校が、僕達3人の息を合わせた攻撃で、あれよあれよと勝ち進んだ。その強さの最大の秘密として、僕とユータの息の合った攻撃と、僕とジュンイチの鉄壁の守備のコンビネーションが挙げられ、取材も相当受けた。
そして、この記者会見で、ユータが「二人のいない高校サッカーに悔いはない」と言い、僕とジュンイチもそれに同調したことで、僕達の好感度はうなぎのぼりとなった。
「あんな友達が欲しい」
「あの仲の良さ、息ぴったりな感じが微笑ましい」
「3人とも実にさわやかで気持ちがいい。青春って感じ!」
などと巷は評価し、僕達は日本中の青春のシンボル的存在となった。
埼玉高校随一の3人組は、名実ともに日本一の友情で結ばれていると評価された瞬間だった。