Another story ~ 1-10(最終話)
成功に賭けた人間は、10人にも満たなかったので、ギャラリーが多くても、換金はすぐに済んだ。
むしろ、「俺は成功に賭けた!」と、言いがかりをつける連中の対応の方が大変だった。割符は、俺のへたくそな絵の他に、クラスの女の子から借りた、おもちゃのスタンプを押していたから、一つも偽装は通らなかったけれど。
そんな喧騒もどこ吹く風で、体中泥まみれになったケースケが校舎内に引き上げてくる。
グラウンドを出る際に、保険の先生に問診されたり、拍手を受けたりと、一日でヒーロー扱いだった。
俺達は、誰もいない駐輪場に二人立って、ケースケを待っていた。あいつももう帰るだろうから、必ずここを通るはずだった。
「いいか、ここからも台本通りやれよ」
ジュンイチにそう忠告された。
夕焼けに照らされた、ケースケの姿を見つけた時、俺とジュンイチは、拍手でケースケを迎え入れた。
「……」
上半身裸のまま、姿は泥人形みたいだが、ケースケの目はまだ死んではいなかった。
「お疲れ! 大漁だぜ。ほら」
ジュンイチはずっしりお金の入った巾着袋を天に差し上げる。中には現金が20万円以上入っている。
だけど……
ケースケはすれ違いざま、その巾着袋を掴んで強引に剥ぎ取ると、そのまま俺達を通り過ぎてしまう。
「……」
俺達に背を向け、3歩くらい歩いたところで立ち止まり、踵を返す。
「この金、僕の総取りでいいんだよな」
まるで金のためなら何でも出来る、といわんばかりの目をしていた。
「まあ待てよ」
だけどジュンイチの台本は、この展開を前提に入れていた。
「お前はどうかわからないけど、俺達だってお前の鬼退治、結構感動してるんだぜ。そりゃ、しんどかったのはお前かもしれないけど、俺達も、100万以上の借金するところだったんだ。結構ドキドキしたぜ」
「……」
「だから――ほら」
俺は持っていた、コーラの缶を、下投げでひょいっと投げた。左利きのケースケは野球のボールを捕るように、グローブをつける右手でワンハンドキャッチした。
「……」
「祝杯だよ。俺達の感謝もこめてな」
「……」
ケースケは、しばし怪訝な表情をしていた。
だけど、5秒後に、プルタブに指をかける。
ぱきょ。
ぶっしゅーっ。
「……」
ぴちゃ……ぴちゃ……
「……」
ケースケの空けたコーラは、火山のマグマのように噴出し、ケースケの顔から腕から、勢いよく濡らした。
「……」
ケースケは、缶を持ったまま、腕にかかったコーラをアスファルトに滴らせながら、固まっていた。
「あっはははははははは」「あははははは」
俺とジュンイチはその時、腹を抱えて笑った。
台本に、笑え、と書いてあったのだけど、間抜けな事をしたまま固まるケースケの姿が、とても可笑しかったから、本気で笑ってしまった。
その時。
ケースケは持っていた缶を勢いよく投げ捨て、俺に突進し、20センチは身長差のある俺の服の胸倉を右腕で掴んでいた。あまりに喧嘩慣れしているようなその動きと、女性のように優しそうな顔のギャップに、はじめは状況が理解できなかった。
しかし、その時にジュンイチが隠し持っていたコーラの冷たい缶を、ケースケの死角から、背中にぴたりと当てた。
その突然の背中に走る冷たさに、ケースケは一度俺の胸倉を掴む手を離し、後ろに後ずさった。
「ははは、ごめんごめん」
ジュンイチは笑顔でそう謝った。
「いや、あんたはこれくらいしないと、俺達に心を開かないだろうと思ってな」
そう言って、今度はジュンイチが持っていたコーラの缶を開ける。ぷしゅ、と普通にあいたのを確認させ、そのままケースケに差し出す。
俺は自分のジーパンの知りポケットに仕込んでいたスポーツタオルを差し出した。
「ごめんな。お前と、少し話がしたくて、小細工したんだ」
「……」
そう、今までの大仰な芝居は全て、ケースケにガツンと一発パンチをかまして、心に入り込もうという、ジュンイチの策だったのだ。
そして、今の行為が仕上げ。
これでケースケが、俺達に悪意がない事をわかってくれれば、この作戦は大成功というわけだ。
そして……
ケースケは俺達から顔を背け、少し俯いて……
ほんの僅かだけど、ふっと、落とすように笑った。
「やられたよ」
そう言った。
「……」
それを聞いて、俺とジュンイチは、また大笑いした。
色々な嬉しさが、頭を駆け巡って……
それから、こんな芝居までして、人一人を引きとめようとした、入学から今までのことが、とても楽しい思い出として、一生覚えていられそうな確信が芽生えた。
「俺達と、サッカー部で頑張らないか?」
気がつくと、自然にそう告げていた。俺は前に手を差し出す。
「俺達、これからもこうして、この学校でバカやっていこうぜ」
ジュンイチも割って入り、差し伸べた俺の手に、自分の手を乗せる。
「こいつ、俺達の世代では、日本代表クラスのサッカー選手なんだぜ。この学校じゃ、甲子園より国立の方が近い。お前が退屈しない環境は、野球部よりあると思うけどな」
「……」
この時、ケースケが何を思ったか、俺にはわからない。
だけど……
ケースケは、まだ泥とコーラのこびりついた、その手をジュンイチの手の上に乗せた。
――これが、俺達3人が、まだまだ未熟な『仲間』として、スタートした瞬間だった。
「よし、じゃあめでたく知遇を得られたということで、新入りに飯でも奢りますか」
その後俺達3人は、川越の駅近くにある焼肉やに行って、まるで画廊のごとく焼肉を頬張った。
ケースケは、俺達が賭け金から奢るということからか、小さな体に似合わず、実によく食べた。おかげでこっちの財布は、ケースケ一人の注文ですっからかんになり、俺とジュンイチは、帰り道ケースケに対し、ずっとぶうぶう言っていた。
次の日学校に行くと、俺達三人は朝から生徒指導室に呼び出され、校内で大規模な賭博を行い、金銭の取り扱いをしたということで、午前中の授業に出してもらえずに、反省レポートをしこたま書かされた上に、学校のグラウンドの草むしりを命じられた。
「――何で僕まで……」
賭けの対象と言うだけで、お金の取り扱いには参加していないケースケは、教師の見張りの下、軍手をはめてサッカー部のグラウンドの草をむしりながら、実に不満そうだった。
さすがにケースケでも、あれだけの距離を走らされたことで、体中がひどい筋肉痛で、草むしりがとても辛そうだった。
「文句言うな。俺達の集めた賭け金、お前の懐に全部入ってるんだ。ノーギャラでこんなことやってる俺達の方が大損だぜ」
そんなケースケの横で草をむしるジュンイチは言った。
「こっちは筋肉痛でまともに動けないんだよ。これで草むしりとか……いてて」
「……」
中学の時は、反省文を書かされたことも、教師から罰を受けたこともなかった。そんなバカをやれる友達もいなかったし、バカな事を考える才能も、俺にはなかった。
でも、今はそんな仲間がいる。
これからの高校生活、このバカどもと一緒にバカをやってみよう。
こんな面白い奴等と、バカな事をやり続けられる。それが何だかとても嬉しくて、俺は一人、影でニコニコしながら、草をむしっていた。
その2年後、俺たちの所属するサッカー部は、全国大会に出場し、見事準優勝を飾る。
その時に撮った写真を同封して、俺はナミに手紙を送った。
あれから一度も会えていない、やり直そうとも言えない。
俺はあれから、ナミ以上の女性を探すために、漂うように女性と付き合ってしまったけれど……
何人の女性を経ても、ナミの教えてくれたことを忘れてはいない。
そして、ナミに伝えたかった。
君と別れたその道で、俺が精一杯向き合って、見つけた、あの時は知らなかったもの。
『仲間』ということを。
そんな仲間達と今も、俺は笑っている。
そして、俺の実家に、ナミが夢をかなえ、弁護士になったと便りが届いたのは、それから10年後のことだった。
Another story 完