Another story ~ 1-9
グラウンド外、既にサッカー部のグラウンド外には、多くの生徒が鈴なりだった。それどころか、校舎からは、窓の外からその様子を眺めている者も多かった。
俺達はグラウンド外の最前列に、教室から机を持ってきて、オッズ本部として、賭け金の集計、受付を行っていた。
一度、教師連がやってきて、「こんなことで賭けなんかやめろ!」と怒鳴られたけれど、ギャラリーは皆、こんな簡単なことでお金が稼げると思っている。数人の教師達で止められるものでもなかった。
そこへ、今日の主役、サクライ・ケースケが、ジャージに白のTシャツという、なんとも特徴のない格好でやってきた。
「え? ホント? あんな子が挑戦者?」
「女の子じゃないの? あんな子が100周なんて、走れるわけないじゃない」
「何だ、ヒョロヒョロのチビじゃないか。俺も賭けるぜ」
ケースケの姿を見ただけで、直前の滑り込みベットが殺到し、失敗の賭け金が10万分プラスされた。
なめられたものだ。サクライ・ケースケも。
でも仕方がない、クラスの連中でさえ、ほぼ全員が失敗に賭けているのだ。
だけど、唯一クラスで成功に賭けたのは、意外なことに、学年一の美少女にして、入試トップの才媛、マツオカ・シオリだった。
「二人がそこまで推すには、何か勝算があるからでしょう。私はそれに乗る。それに何となく、成功する気がする」
彼女の成功に賭けた理由はそれだった。その言葉を裏付けるように、大枚5000円を賭けたのだった。
ジュンイチは、才媛であるシオリが失敗に賭けてくれたら、より失敗の信憑性が増して、失敗に賭ける奴が増えるという計算で、シオリに声をかけたので、そんな返答をされるのは、大いに意外だったようだった。
既に保険の先生までスタンバイしている。毎年何人もぶっ倒している恒例行事だ、保険の先生も心得ているんだろう。
グラウンド外からも、イイジマがケースケに、野球からサッカーに切り替えることの軽薄さを説く声が聞こえた。本人は蛙の面に小便といった仏頂面のままだが。
このギャラリー満載の状態で、それでも普段どおり、グラウンド100周を命じるイイジマもイイジマだが、ケースケもこれからどんな過酷なレースが待っているかも無頓着に、入念に柔軟をはじめた。
その柔軟だけでも、ケースケが強く、しなやかで、柔らかな筋肉を持っていることは、俺にはすぐわかった。
先輩のサッカー部員が、グラウンド内で練習を始めたと同時に、ケースケもスタートした。その時は、ギャラリーもケースケに声援を送った。
ギャラリーは現金なもので、誰かが体育館からバスケの試合に使う得点盤を持ってきて、周回を数えようとしていた。それをめくる役は、ジュンイチの仕事となった。
そんな注目の中、ケースケは一人静かにスタートする。
ギャラリーは、しばらく動きがないとみて、おのおの、長丁場の見物に備えてコンビニに行くなり、地元のものは着替えに一度家に戻ったりして、一度グラウンド外は閑散となった。
「現金な奴等だぜ。ぶっ倒れる様だけ見たいってか」
俺自身は基本スポーツマン体質だから、このガリ勉どもの功利主義には辟易する。
とはいえ俺も、スポーツの敵とされる、賭けスポーツの片棒担いでるんだ。人のことは言えない。
ギャラリーが続々戻ってきたのは、一時間もした頃で――
その時には、衝撃の光景が展開されていた。
一時間でケースケは、ノルマの半分以上である60周をクリアしていたのだった。
「どう? そろそろぶっ倒れそう?」と、仲間に聞きながら戻ってきた連中は、めくられた得点盤の数を見て、唖然とした。
しかもケースケの足取りはまだ軽く、きつそうではあるものの、スピードはまったく落ちていない。
俺自身、正直なめていた。
昨日のプレーをみて、ケースケはどう見ても野手だった。投手に比べて走り込みが少ない野球で、ここまで足腰が強いとは思わなかった。
元々マラソン選手のように軽量そうな体つきなので、足にかかる負担も軽いのだろう。
本職のサッカー選手でも、ここまで走れるものじゃない。俺だって、自信がない。
グラウンド外のベンチに座るイイジマも、もう部員の練習など目には言っておらず、この快走に息を呑んでいた。
この頃になると、保険の先生が、ケースケの安全を配慮するために、スポーツドリンクや、クールダウン用の水をケースケに渡し始める姿が見受けられるようになった。
ケースケは既に汗まみれで重くなったTシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になって、ペットボトルの水を、走りながら頭に被った。
その絞られた体は、女顔に似合わず男性的で、ギャラリーの女性も釘付けになった。キャー、という声も聞こえた。
80周をクリアした頃には、さすがのケースケもペースを落とし始めたが、ギャラリーの精神状態も気が気ではなかった。
楽にお金がもらえると思っていたのに、これでは話が違う、と、今まで冗談半分だったギャラリーが、途端ヒートアップしていた。
誰もが、サクライ・ケースケという男の可能性に飲まれていた。
俺も、ジュンイチも、胸にこもる熱いものに気付き、椅子から立ち上がり、固唾を呑んで、それを見守っていた。
あんな冗談半分なふっかけに、ここまでひたむきにやってくれる。このサクライ・ケースケという男の、愚直なまでのひたむきさに。澱んだ流れの奥にある、宝石より輝く光に。
ガリ勉達は屈折しているのか、「もう頑張らないでいいよ」と、愚痴や、ひどいのになると野次を飛ばすのもいた。
しかし、それでももう、ケースケの頑張りに心打たれて、失敗に賭けているのに、ケースケを応援しているような、そんな奴もいるのは救いだった。
ケースケは辛そうだが、それでも普段の仏頂面を崩さないように努力しているように見えた。野次も歓声も全てお構いなしに、周回を重ねていく。
そして、ケースケが遂に100周のゴールに達した時、グラウンドのギャラリー、および校舎の窓から窺っていた生徒全員が、スタンディングオベーションした。
俺とジュンイチも、手を取り合った。
ケースケは、赤土のグラウンドに裸で倒れこんだ。
その時俺達は、同じ思いを感じていた。
途端に体の力がへなへなと抜け、俺達はグラウンド外のアスファルトにへたり込んだ。
「こ……恐かったぁ……これで負けたら、300万の借金だったからなぁ」
「あ、あぁ……ダメだ俺、腰が抜けた……」
そうしてへたり込んだ相手の姿がとても可笑しくて……
気がつくと俺とジュンイチは、大笑いしていた。
恐いような、狂的な遊びを経て、俺達は狂ったように笑ったんだ。
男友達と、こんなに笑い合ったのは、初めてだった。
こんなに誰かと、沢山の人を巻き込んで、馬鹿な事をやったのも初めてだった。
この瞬間だけで、俺はもう、何年も昔から、こいつの事を知っているような――心のつながりを感じた。
本当に楽しくて、可笑しくて、心の底が震えるような心の高揚を確かに感じた。
そして、俺達はおのおのにメガホンを取って、揃って叫んだ。
「えー、ご覧のとおり、結果は、成功でーす!」