Another story ~ 1-7
朝礼後の教室は、美貌の新入生、サクライ・ケースケの話題で持ちきりだった。
当の本人は、自分の席に突っ伏して眠っているけれど、周りはそんな彼を見て、色々な噂を飛び交わせていた。
「あいつか? 例の女顔って」
俺は教室の後ろにジュンイチと並んで立っていた。
「なるほど、確かに不思議な奴だな。死んだような目の癖して、どこかで野心みたいのが、メラメラ燃えてるような目だ」
ジュンイチも、サクライ・ケースケに何らかの興味を持ったようだ。
「女子に聞いたが、お前、旅行中のガールズトークでは、クラスで彼氏にしたい男子ナンバーワンだったらしいぜ。それがあいつの登場で揺らぐかもな」
ジュンイチはそう茶化した。
サクライ・ケースケは、とにかく、良く『寝る』少年だった。
一時間目は英語だったけど、授業が始まると同時に寝ていた。
それを睨まれて、英語の教師はケースケを起こして、英文の即訳を命じた。
「ん、えっと、自動販売機は、使う。電力を沢山。しかし、あるのだろうか、必要が、電力、これだけのを、使うのは、常に」
彼はたどたどしくも、一度も止まらずにこう答えた。
まるで片言のような訳に、教師も、何だそれは、と揶揄した。
「出来もしないくせに、授業で寝るんじゃない」
教師はそう叱った。
しかし彼はその言葉など歯牙にもかけずに、そのまま寝てしまった。
そしてまた起こされ、彼はまた訳文をすることとなった。そしてまた片言のような訳を披露した。
「……」
教室にいた人間の全ての考えが一致したはずだ。
こいつは、大したことがない。一年の一学期で脱落すると。
この時のケースケの実力を正確に把握したのは、教室でただ一人。
マツオカ・シオリだけだったんだ。
休み時間も、寝顔も見せず、机に突っ伏し眠っている彼をよそに、クラスメイトは早くも『脱落者一号』、サクライ・ケースケの陰口を始めた。
幸せな顔だ、一月半後、その顔が一気に青ざめる結果をケースケが中間テストで出すとも知らずに。
そして、俺とジュンイチも一月半後、大量の赤点に青ざめることになるのだが、この頃はまだそれを知る由もなかった。
そんな未来は露知らず、俺達は現状、サクライ・ケースケの攻略法の作戦会議に夢中だった。
昼休み、俺は食堂にパンを買いに行って、そのまま裏庭でジュンイチと、コロッケパン、焼きそばパンの昼食を取っていた。
「どうだったよ。思い人の姿を垣間見て」
ジュンイチが焼きそばパンを頬張って聞く。
「……」
確かに怠惰な面はあったけれど、俺にはあれが、あいつの本当の姿だとは思えない。
だって、この学校のテストを、全て15分で解いて、余裕で合格しているような奴だ。それを知っているのは、俺しかいない。
「はは、お前もわかりやすいな。まだ気になるって、顔に書いてあるぜ」
ジュンイチの言葉が、俺の思考を寸断する。
「しかし、わかってはいたが、あいつと話すのは、俺にはハードルが高いかもな」
俺は決して人付き合いが上手くない。
そんな俺にケースケがパスを出してくれるようになるなんて、俺には想像もできなかった。それほどにケースケは今のところ、取り付く島もなかった。
そして……中学時代、俺はサッカー部の仲間を、あんな目で見ていたのかもしれなかった。
悔しい。人から無関心に取られることが、こんなに辛いなんて知らなかった。
俺はあいつを追っていれば、きっと人の心がわかる人間になれると思うんだ。
そんな俺を横目に、ジュンイチは立ち上がって、こう言った。
「孫子って軍略家を知ってるか? その人の名言に、彼を知りて、己を知らば、百戦して危うからず、っていうのがあるんだ」
「――は?」
「要するに、あいつに何かを仕掛ける前に、まずあいつの事を知ることからはじめようぜってこと。さ、教室に戻るぞ」
ジュンイチのその言葉で、俺達はまず、あいつを観察して、作戦を練ることにした。
とは言っても、サクライ・ケースケのすることといえば、寝てることしかないので、外部的観察では、どんな奴なのか、掴みようもない。
たまに授業で当たると、適当にお茶を濁すような解答しかせず、寝る事を優先するような奴だった。
授業の間も、俺はその事を考えていた。
あいつ、人を人とも思ってないような目をしているから、とりあえず俺っていう人間を認知させなくちゃいけないよな。
どうせ俺がこの学校で、一番だって誇れるものはサッカーしかないから、あいつをサッカー部に勧誘できる方法はないものか……それが一番の手だとは思うが……
放課後に、ジュンイチと作戦を練った。
「ま、俺達もこれからサッカー部の仮入部に行くんだ。そこにあいつが来ている事を祈ろうぜ」
俺達は仮入部として、サッカー部の練習をしているグラウンドに向かった。
今は新入生に与えられた、2週間の仮入部期間である。この間に新入生は部活を回って、自分の入りたい部活を決めることができる。
しかし、ジュンイチの口から衝撃の事実が語られた。
「この学校、受験効率優先で、2年生で部活引退しちゃう上に、勉強が忙しくて、生徒の半数は部活に入らないみたいだからな。どんなチームか、お寒いもんだぜ」
「そうなのか?」
「――知らないで埼玉高校に来たのか。だから言ったろ、お前がいる学校じゃないって」
「……」
――俺、3年生から1年も、サッカーが出来ないのか。この学校に来たことで、卒業時、あれだけいたスカウトがゼロだったりして。
はぁ……この学校、選択したのは間違いだったかなぁ。
しかし……
この学校のサッカー部の顧問だけは、無駄に経歴が立派だった。
顧問の名はイイジマ。現役時代、東都の大学で、元Jリーガーと互角に渡り合い、社会人サッカーを経て教師となった男。残念ながら彼が大学を出る頃に、まだJリーグは発足しておらず、プロにはなれなかったらしい。
俺とジュンイチは、仮入部届をイイジマに出した。
イイジマは俺とジュンイチの経歴を聞いて、手を取って喜んだ。
「お前らみたいな部員を待っていたよ。最近の部員はどうにもサッカーを軟派に考えている奴が多くてな。野球部出身者が、坊主が嫌だとか、女の子にもてたいからといって、サッカーに鞍替えする奴が毎年出る有様なんだ。そんな軟派な根性で入部されても困るからな」
とにかく最高級の歓待ぶりだった。
一ヵ月半後、この気のいいオッサンに、赤点取りまくって、三角座りさせられ、全校生徒の下校中、思いっきり怒鳴られるなんて、思ってもみなかった。
結局、一年生で仮入部届を出したのは7人で、今日は私服のまま、グラウンド外で先輩の練習を見学した。
「……」
一年後、このグラウンドには、俺達の功績で芝が貼られるんだけど、今はボールを追う度に土埃が舞う、西部劇でも撮れそうな、赤茶色の土のグラウンドだった。
そして、先輩達の動きも、予想通り、大したことない。
フォーメーションとか、動きがどうとかいう以前に、一人一人のスキルが圧倒的に足りなかった。
「……」
30分で幻滅して、俺はジュンイチと一緒に、帰るために駐輪場へ引き返してしまった。
「いやはや、システマチックと言うか、脳味噌が筋肉と精神論でできたようなな顧問に、あのレベルの部員か」
ジュンイチは歩きながらそう吐き捨てる。
「――まぁ、お前からすりゃ、物足りない環境だったかも知れねぇよ。ただ、住めば都ってこともあるだろうよ」
「……」
ジュンイチは、サッカー部で一緒に頑張ろう、と言ってくれた。
だけど、あのサッカー部で、俺は頑張れるのか? いくらジュンイチがいたって……
埼玉高校で何かを見つけようという思いが、少し折れかけたのかもしれない。
「あれ? 何だあの人だかり」
ジュンイチの声に、俺も顔を上げる。
サッカー部のグラウンドは、この学校の二つある門のうち、一つ出たところにある。一度校門をくぐりなおし、駐輪場に向かう間、目の前に土手がある。隣接している国営の河川敷のグラウンドを埼玉高校が借りているのだけれど……
土手の上に、20人ほどの生徒の人だかりが出来ているのが見えた。
「何だろう? 行ってみないか?」
ジュンイチに促され、俺は土手を駆け上がる。
土手の先から見下ろすグラウンドには、野球部とラグビー部、陸上部が練習をしていた。野球のバックネットと、ラグビーのポールが河川敷に常備され、陸上部はラグビーグラウンド周りにトラックを作っている。サッカーの競技場と同じつくりだった。
「あ、ヒラヤマくん、エンドウくん」
ギャラリーの中に、俺達と同じクラスの女子がいた。休み時間の間、目立つ俺とジュンイチは、女子とも少し話をしていた。さすがに中学時代は女の子しか周りにいなかったから、すぐに打ち解けた。
「何を見てるの?」
俺はその女の子に聞いた。
すると、その娘は野球部のグラウンドを指差した。
「うちのクラスの、サクライくん。寝てるだけの人じゃないんだね」
俺はその指の先を見る……
野球部のグラウンドには、センターの位置に一人の少年――サクライ・ケースケがいた。
ホームベース上から、監督らしき人がノックを打つ。
痛烈なゴロがセカンドベース上を抜けて飛ぶ。ケースケはボールに突進して、走りながらボールを捕り、素早いモーションでホームベースに向けて硬球を投擲した。
彼の左腕が放つそのレーザービームは、本当に光を放つような速さで、ホームのキャッチャーのミットにストライクで収まる。
おぉ……と、ギャラリーから声が漏れる。
「次! セカンドの守備につけ!」
ケースケは、セカンドでノックを受ける。
「……」
その守備は、センターでのそれよりも、圧巻だった。
まるで女性が舞を踊るように華麗で無駄がなく、一つ一つの身のこなしがとても綺麗だった。内野手に左利きは不利だと言われているが、彼の技量ではそんなこと、お構いなしだった。
「じゃあ次は打撃だ!」
次に打撃も披露したが、さすがに小柄だからか、長打は少ないが、そのバットコントロールと鋭い振りで、ほとんどが内野の頭を越えるヒットだった。おまけにスイッチヒッターときている。
俺やジュンイチ、他の者も、彼のその華麗なボール捌きや、強い肩、流れるような動き、センス抜群の打撃に夢中になっていた。
「しかし、なんだってあいつ、1年なのにあんなに色々やらせてもらってんの?」
ジュンイチが疑問に感じたらしく、近くにいたクラスメイトに聞いた。
「バイトがあって、早く帰りたいから、手っ取り早く入部テストだけしてくれって言ったんだとさ。一年のくせに、度胸あるよな」
その理由を聞いた時、ジュンイチが大爆笑した。
「くくく……元々バイトは校則で禁止なのに、それを言うかぁ? 面白ぇ」
「……」
すごかった。
これだけの野球センスがあって、野球を諦める可能性は低いかもしれないが。
こいつがサッカーをやったら、一体どんなプレイヤーになるんだろう。
こいつなら、俺の動きについてこられるかもしれない。
こいつとサッカーをやってみたい。
その欲望が抑えられなくなりそうだった。
あのサッカー部で、俺がいて、ジュンイチがいて、そして、あいつがいて……
それは、俺が高校で手にしたい、と望んだ、「仲間」の姿、そのものだったから……
今は無理でも、俺はあいつから、もう一度パスをもらえるようになりたい。
俺が先に進むための鍵を、あいつは持っているんだ。
途端、ジュンイチの顔が、いたずらを考えた子供というか、おもちゃを与えられた子供というか、とにかくそんないたずらっ子の目になった。
「野球か……どうやら作戦になりそうだな」
ジュンイチが目を見開いた。
「作戦? 何の?」
「決まってるだろ。あいつをサッカー部に勧誘するための作戦だよ」