Another story ~ 1-6
――エンドウ・ジュンイチは、ポジティブを絵に描いたような男だった。
バスガイドさんがある程度の走行予定を言い終えると、ジュンイチは早速ガイドさんからマイクを借りて、こう言った。
「することもないし、見ず知らずの連中同士、これから泊まりの旅行なんだ。ならここでみんな自己紹介やろうぜ。ホテルに着いてから、みんな話しやすくなるだろ」
そんなジュンイチの扇動で、バスの中で自己紹介大会が始まった。
「俺はエンドウ・ジュンイチ。ま、この学校じゃ成績は下位かも知れないけど、歴史だったら誰にも負けないぜ? 趣味は三国志とか、軍紀ものだ。よろしく頼むぜ」
軍紀ものが好きな割に、武士道と随分かけ離れた明るさだった。
それから、皆次々に前に出て、自己紹介を進めていった。
「あ、あの、マツオカ・シオリです。音楽が好きで、吹奏楽部に入ろうと思っています。仲良くしてください」
マツオカ・シオリの自己紹介は、言っている事は普通だったけど、クラスの男子のメモリーには、そのデータは瞬時に刻まれた。少し気弱そうで、男子にあまり免疫がないタイプに見える。
一番後ろに座っていたから、よくわかる。男子の中で、半数以上の男子は、マツオカ・シオリの美しい顔に釘付けだった。
そんな余韻を残しつつ、自己紹介は続く。
だけど……
皆、人生で勉強ばかりの連中だったので、自己紹介がすこぶる特徴がない。
バスの中で自己紹介をやって、クラスの親睦を深めるなんて、学年で一番恵まれた環境のバスに乗ったのに、皆がそれを生かせない。
頭がいいくせに、勉強以外の事をしていないために、名前を言っておしまい、なんて連中も多かった。せっかく皆と親睦を深めるチャンスを、エンドウ・ジュンイチが作ったのに、ほとんどが無個性な自己紹介で、名前を覚えられない。
「……」
中学にいる怠惰な連中とは、別の意味で、友達甲斐のある人間というのは貴重だった。
それでも隣にいたジュンイチは、率先して声を出して、盛り上げに徹していた。
「おい」
ぼけーっと皆の自己紹介を見ていた俺に、ジュンイチが声をかけた。
「お前の番だぜ」
ジュンイチは俺にマイクを手渡す。俺はそれを取って、立ち上がった。
女子の何人かが、ほぉ、という顔をした。
自分で言うのもなんだけど、俺はこのとおり、キャラはそれほど強くはないけど、背が高く、腹筋だって割れているような肉体系だ。顔もそれなりだし、黙っていてもある程度女の子の目を引く存在であることは、もう長年の経験でわかっている。
それに比べて、勉強ばかりのもやしっ子の男子は、俺の体があまりにこの高校に不釣合いで、早くも珍獣でも見るような目で俺を見ている。俺が他の連中に感じるように、連中も俺を、別世界の生き物みたいに思っているんだろう。
「……」
あぁ……この学校でも俺は、周りは女子だらけ、男には相手にされない生活を送るのか。
だけど、マツオカ・シオリと仲良くなれるなら、それも悪くないかな。むふふふ。
まぁ、この学校に来ちゃったからには仕方がない。まだ初日だし――判断するにはまだ早いか。
とりあえず、目の前の事を頑張らないとね。
「俺はヒラヤマ・ユータ。小さい頃からサッカーばっかりやってた。目標にしている選手は、今はスウェーデンのイブラヒモビッチだ。よろしく頼む」
「……」
想像以上にサッカーに対するリアクションが薄い。
スウェーデン? イブラ……何? って言いたそうな顔だ。彼らにとってスウェーデンは、フィヨルドだとか、グスタフ・アドルフだとか、バイキングだとかの方が有名みたいだ。
「イェーイ! イブラー!」
ジュンイチの賑やかな合いの手で、少し救われた。
ホテルに着いてからは、学年全員が大部屋に揃っての交流会があった。
だけど、そこにもあの少年の姿は見受けられなかった。
「……」
男でも見惚れるほどの美貌の少年だ。いれば目立たないわけはないのだけれど。
――あぁ、あいつ、やっぱり他校に行っちまったのか。
だとしたら、俺……何のためにこんな学校に来たんだろう。
そんな事を思っていたから、俺はクラス男子の大部屋で、トランプで大貧民なんかやっていたけれど、まったく上の空だった。
中にはもうグループを作っている連中もいたけれど、会話はまだ受験のことばかりで、話も固く、どうにも俺には打ち解けがたい雰囲気だった。
部屋を出て、ホテルのロビーに、ジュースを買いに行った。プルタブを開けて、ロビーのソファーの一つに腰掛ける。別のクラスの奴もちらほらいたけれど、まだ他のクラスの連中も部屋で皆とお喋りだろう。基本的に空いている。
「退屈そうだな」
背中越しに声がした。座ったまま首だけを振り向けると、エンドウ・ジュンイチがジュースを持って、そこに立っていた。
「……」
向かいのソファーに座って、あの人懐っこい笑顔で話しかけてくる。
「そりゃそうか。中学サッカー界の有名人が来る学校じゃないよな。ここ」
俺はその言葉に、顔を上げる。
「俺の事を、知ってるのか?」
その言葉に、ジュンイチはジュースに口を付けながら、軽く笑った。
「埼玉の中学でサッカーやってりゃ、お前、結構有名人だぜ」
「お前も……サッカーをやってたのか?」
「あぁ、ポジションはボランチ。目標の選手は、イタリアのガットゥーゾだ」
「へえぇ」
こいつ、サッカーをやるのか。そうか、なら俺に近付いてきたのも頷ける。
そう言えば、聞いたことがある。俺の地元、所沢から程近い狭山に、とんでもなく守備の上手い長身ボランチがいると。
まさか、こいつのことか?
「じゃあ、お前もサッカー部に?」
「ああ、入部希望だ」
「……」
「何だよ。あからさまに嬉しそうな顔しやがって」
ジュンイチは呆れたように笑った。
だって、こんな奴と一緒にサッカーをやるなんてなったら、これから3年間、サッカーやるのも楽しくなりそうじゃないか。
中学の時、サッカー部にはこんなフレンドリーに俺に話しかけてくれる奴はいなかったし。
「さぁ、シケた面してねぇで、風呂にでも行こうぜ。裸の付き合いってやつだ」
「え……でもまだ俺達のクラスの番じゃ……」
「いいんだよ。優等生ばかりで、チクる奴もいないって」
「おほ、この発言でホモだと疑われたら心外だが、さすがにいい体してるな」
ジュンイチは俺の裸をしげしげと見た。俺はあまり男との団体生活は得意じゃないが、小さい頃からサッカーの合宿をやってるから、団体の風呂にはあまり抵抗はない。
大浴場は、顔も知らない他クラスの連中がいっぱいいたが、クラスの連中と特に大差はない。
俺達は風呂に入る前に、並んでシャワーで頭を洗う。
「しかし、聞きしに勝る埼玉高校だよな」
シャンプーをしながら、ジュンイチが言った。
「みんな勉強ばかりで、特徴に乏しいよな。人間的には中学の方が、まだマシだぜ。今も部屋じゃ、受験の思い出だけを延々語ってるよ」
「……そうか。俺、少し不安になってきたところだ」
何故だろう。こいつには、ちょっとだけ心を開ける。ナミみたいな信頼とはまた違うけれど、どこかで安心するんだ。
「で、他の奴は大丈夫そうだったから、お前のところに来たってわけ」
そう言ったジュンイチを、俺はシャンプーをしながらの細めた目で見た。同じように目を細めて、頭を泡だらけにしているジュンイチが、どこかユーモラスだった。
シャンプーを流して、リンスをしてから体を洗う。
「しかしお前、噂に聞いてるイメージと、随分違ったな。よくチームプレーのサッカーが出来たもんだな」
「……」
こいつも、俺の事を見抜いている。
「まあ、フォワードは点を取るために、そう言う個人プレーが出来る奴の方が貴重なのかもしれないな」
「……」
こういう、ちょっとしたフォローを入れるあたり、こいつの人当たりのよさの上手さを垣間見た。
「……なあ、俺の話を聞いてくれないか」
そんなところに少しほだされて、俺は一緒に湯船につかり、ジュンイチに本音を吐露した。
受験の時の出来事や、その時の少年を追って、俺は埼玉高校に来たこと。そして、サッカーよりも、仲間を作る事を学ぶために、多くの勧誘を蹴ったことなど。
「……」
ジュンイチはしばらく黙っていた。
「カンニングでここに入ったなんて、軽蔑するか?」
「いや」
ジュンイチはにこっと笑った。
「話を聞いていたら、俺もその女顔のこと、面白いと思ったぜ。それに、お前の仲間を作ろうって決意も、嫌いじゃない」
「……」
「少なくとも、クラスの他のガリ勉よりは、血の通った話が聞けてよかったと思ったし、仲間を作るって意味じゃ、お前を応援してやろうとも思ったぜ」
そう言って、湯船から手を出して、俺に差し出した。
「ま、その女顔はいないみたいだけど、俺達もここで上手くやっていけそうじゃないか? サッカー部でも3年間、よろしく頼むぜ。ユータ」
「……」
初めて、男から手を差し伸べられた。
嬉しいとか、そういうことよりも先に。
今まで少し腐っていた気持ちが復活して、清々しい気持ちになった。
俺はその手を取る。
そうだ、あいつはもういないけれど、きっと俺の求めるものが、この学校にはあるんだ。
――だけど、この清々しい思いは、ほんのプロローグに過ぎなかったんだ。
旅行はずっとジュンイチと一緒にいて、そうすると他のガリ勉達とも、ちょっとはまともな話もできて、少しは皆と打ち解けることが出来たと思う。
帰りのバスでは、もう話し疲れて、俺とジュンイチは爆睡していた。
次の日に、俺達に運命の出会いがあるとは知らずに……
――次の日、初の通常授業となる日の朝礼。
俺はジュンイチと教室の後ろで、サッカー部の入部届の話をしていたけれど、教室に担任が入ってきて、すぐに席に戻った。
担任は朝礼を始める前に、こう言った。
「えー、朝礼を始める前に。このクラスは一人、諸事情で先日の旅行に不参加の生徒が一人いてな。それを紹介しようと思う」
クラス中がざわめく。もう旅行中にグループが出来上がっていて、今更一人入ってこられても……という、困惑した反応だった。
「君、入りなさい」
担任がそう号令すると、教室前の引き戸が開いた。
俺はその時、デジャブのような感覚に襲われる。
次の瞬間、俺は「ああっ」と声を出していた。
クラス中が俺の方を向いて、笑いが漏れる。
そして、開いた引き戸から、教室に入ってきたのは……
とても見目麗しい少年だった。
体も小さく、女性のような顔立ちなのに、刺すような迫力に包まれ、瞳は宇宙のように深く、ラピスラズリのように魔力を秘めた光を放っていた。
この学校には制服がないから、春服になって、ジャケットにカットソーという格好からは、彼の絞られた肉体のラインがはっきりとわかる。
クラスの女子が、ほぉ……と、溜息交じりに頬を赤らめ、彼のそのしなやかな体、仕草に見惚れていた。
教壇で、担任の隣に立って、自己紹介を促される。
「サクライ・ケースケだ」
元々の高い声質を、喋り方で低く聞こえさせる、落ち着いた声だった。
「ホタルと書いて、ケーと読む。説明したから二度と名前の呼び方を聞かないでくれ」
それが彼の自己紹介だった。一風変わってはいるが、印象的だった。
「……」
俺はこの時、思い人に会えた上に、同じクラスになった奇跡に、神様というものを信じようかと思うほど、歓喜に打ち震えていた。
これが俺と、後の大親友、サクライ・ケースケとの再会だった。