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Another story ~ 1-3

「ちょっと待って」

 俺は顔も見えないナミの言葉を遮る。

「今から頑張っても、俺は君と同じ高校には行けないよ」

 その言葉を聞くと、ナミは一度前に歩きだし、顔が見える位置で踵を返し、僕を見上げた。

「でも、今のあなた、サッカーが出来なくなって、エネルギーがくすぶってるんでしょ? それなら、その力、無理だっていう前に、何かにぶつけてみたらいいんじゃないかな?」

「……」

 その言葉に、今までの情けなさが悲鳴を上げた。

「私はあなたがそこまでサッカーがやりたいなら、やればいいと思う。だけど、勉強がもうダメだ、っていうのを決めるには、まだユータくんは勉強と向き合ってないと思う。勉強をやめるなら、最後自分が真剣に勉強と向き合って、それでダメだった、ってわかってやめなきゃダメよ。お母様の言うように、せめて高校って考えは間違ってはいないし、それに応えるなら、あなたは勉強から逃げちゃダメ。それで受験がダメで、今のスカウトされている場所に行っても、全然遅くないし、今どこかを選ぶよりも、ずっと成長できていると思う」

「……」

 その通りだ。俺はサッカーを失って、全てのことから逃げていた。

 厳しい環境で自分を磨きたい――その俺の考えは、実は楽な道で、俺の現状にかかる多くの問題を無視して、その道を歩むということだった。

 それに、ここでその道を選んだら、俺はもう二度と、勉強をする機会がないかもしれない。

 なら、最後だと思って、半年くらい、勉強と真剣に向き合って、最後の結論を出すのが一番いい、と思えた。どうせこの先、卒業まで特にすることもないのだから。

「私もお手伝いするから、修行だと思って、一緒に勉強してみない? 別に私と同じ高校に行こうとか、そういうわけじゃないの。ただお互い、励みになるものがあるのは、いいことでしょ?」

 ナミのその言葉で、俺はこの日、高校受験を志したんだ。

「でも、受けるといっても、どこを受けようか……」

 俺とナミは、ジャングルジムから公園のベンチに場所を移し、並んで腰を下ろしていた。

「受験でも、俺、結局サッカーの強い高校を受けるんだろうな」

 俺の偏差値は現在52。端的に言って、あまりよくはない。

 これでも夏休みから夏期講習とかに行き始めたばかりなんだけどね。

「それならいい学校があるわ」

 隣のナミが、いたずらっぽく笑った。俺のリアクションを期待しているのか?

「埼玉高校よ」

「埼玉高校!?」

 俺は大声でオウム返しした。

 埼玉高校といえば、県トップの進学校で、倍率は8倍、合格者平均偏差値73、東大合格者数は、県立高校では日本一の超有名校だった。

「冗談はやめてくれ。君はともかく、俺なんかがあんな学校に入れるわけないじゃないか」

 これは逃げとかそういう問題ではなく、現実的に考えて無茶苦茶だ。俺は元々、リアクションに長けているわけでもないので、そんな当たり前の反応をした。

 今から親に「俺、埼玉高校を受ける」といったら、きっとオフクロは「目を覚ませ」と言って、俺の頬を往復ビンタでもしそうな勢いだろう。オヤジは「通信教育の漫画の読みすぎだ」とでも言って、取り合ってもくれないだろう。

 しかしナミは、真面目な表情で、こう言った。

「いい? 別に埼玉高校に入れ、とは言わないわ。でも、目標をそれくらいにしなくちゃ、勉強と真剣には向き合えないでしょ?」

「……」

「大丈夫! ユータくん、体力と短時間の爆発力はサッカーでお墨付きだし、偏差値10くらいなら、すぐに上がるわ」

「……」

 いや、10上がっても、それでも埼玉高校じゃ、勝負にならないんだが。20上がっても、まだ足りない。

 だけど……

 考え方を変えてみた。

 この俺が埼玉高校を受けるなんて、ギャグとしては最高級に面白い。怒られるかもしれないけど、つまらない中学生活の、最後の最後でそんなギャグをかますのも悪くない。

 それでもし埼玉高校に受かっちゃったとしたら、それはそれで笑えるじゃないか。その時の俺は、もしかしたら新たな世界観が開けているかもしれない。埼玉高校だって、サッカー部はあるだろうし。

 よく考えたら、目標、埼玉高校ってのは決して悪くない。ダメでも得るものはあるだろう。目標が低ければ、それは真に勉強と向き合ったことにはならない。

 だけど……

「ていうか、君も埼玉高校受けるから、対策手伝う手間が省けるからだろ?」

「あ、バレた?」

 ナミは舌を出した。



 両親に言った時の反応は、ほぼ予想通りだった。

「埼玉高校!?」と、二人でシンクロした後、オフクロは往復ビンタでなく、俺の頬を力いっぱいつねってかなり痛かったし、仕事帰りのオヤジは「何かの本の影響か?」と、新聞を読みながら、そう言った。

「いや、本気だよ。これからサッカーやるにしても、一般受験するにしても、勉強と付き合うか別れるかの選択は絶対ある以上、この残り半年で、勉強と真剣に向き合ってみたいんだ。俺もこのままじゃダメだって、薄々わかっているから」

 その思いは、その時点では伝わり、俺は善は急げで、本屋で片っ端から参考書を買いまくった。

 そしてこれから、両親に毎日のように志望校のランクダウンを促され、俺自身は毎日15時間勉強の日々が始まった。

 元々勉強は好きではないから、はじめは拷問みたいだったが、1週間くらいすると、部活を引退して、目標もなく、進路もお先真っ暗でくすぶっていた時のうじうじした悩みが、綺麗に消えていて、勉強に力を入れることで、眠っていた魂が蘇り始めた。

 ナミと同じ塾に行き、塾のない日は毎日図書館で一緒に勉強した。学校でも、仲のいい女子達と休み時間に勉強した。

 ナミの言うとおり、体力だけはあった俺は、連日長時間の勉強もこなすことも出来、最後の模試を受ける頃には、偏差値は67までは上げることができた。

「う~ん、71かぁ……努力圏だわ」

 俺よりはるかに頭のいいナミでさえ、今年一度も模試で埼玉高校の合格圏が出なかった。

「俺は要検討だ……だけど、この俺がここまで偏差値を上げただけでも奇跡だけどね」



 ――そして、埼玉高校の入試の日がやってきた。

 入試の日は雪で、俺はこの時、サッカーの県大会決勝戦なんかよりも、はるかに緊張していた。

 半年前まで、もう勉強なんて出来ないと思っていた俺が、実力はまだまだでも、ここまでやることが出来た。どんな結果になっても後悔はしないが、ナミや、後半に毎日夜食を差し入れてくれた両親に報いる程度には頑張りたいと気負っていた。

 ナミとは教室が別で、最後「頑張ろうね」と言って、別れた。

 しかし……

 一人になって、自分の受験番号の教室に入った時、俺の思いがまるで水割りのブランデーのように混沌と混ざり合った。

 そこにいたのは、中学のクラスではまずお目にかかれないような、神経質なまでに勉強や偏差値を追及しているような連中ばかりだった。全ての人間が、物音一つ立てずに、びっしりと赤ペンで書き込まれた参考書に目を通している。

「……」

 この半年、自分と向き合うためだけに勉強をしてきた俺は、周りの環境にまったく目を向けていなかった。

 この時、わかった。

 この学校は、俺の居場所じゃない。

 俺はやっぱり、サッカーボールだけを追いかけているような生活をするのがいいのかも知れない。こんな勉強ばかりしているような連中と、自分は明らかに別次元の生き物だと思い知らされた。

 よく考えれば、初めからわかっていたことだったけど……

 俺も必死で勉強はして、それなりに偏差値は上がったけれど、周りにいる連中のような境地には辿り着いていない。これからもきっと、そうなのだろう。

 だとすれば、この高校に入ったら、俺は一体どうなってしまうんだ……

 半端者として、落ちこぼれを演じるのか? 毎回退学ラインギリギリで、教師にお小言を言われるばかりの生活か?

 俺は……何のためにこの高校を受けるんだろう。そもそも、この学校でサッカーは出来るのだろうか。

 俺が着いたのは、集合時間のおよそ30分前で、席は一番後ろの、入り口の引き戸から2列目だった。その頃には、俺の右の席の人間以外はみんな来ていて、皆、物音一つ立てずに、参考書とにらめっこしていた。教室はまるで圧縮布団みたいに息苦しく、参考書をめくる紙の擦れる音だけで、皆が会話をしていた。

 どうか簡単な問題が出ますように、とか、この教室、俺以外みんな落ちろ、とか。

 そうしているうちに、試験監督の人間が3人入ってきた。

「えっと、欠席は一人かな」

 真ん中の、50代くらいの男がそう言った。

 俺の方を見ている。俺は自分の右側を見る。俺の右の席はまだ空席だ。

 受験料を払ったのに、休んだりするなんて、不運な人だな。なんて思った。

「えーっと、今日は皆さん、埼玉高校の受験を受けるということで……試験問題は、国語、数学、英語、理科、社会の5科目で、試験時間は各60分を予定しています。面接試験はありません。受験者は応募だけで言えば、今年も2500人を超え、今年も難関といわざるを得ませんが、それでも頑張って……」

 試験監督が言葉を言いかけた時、教室の後ろの引き戸がガラガラと開いた。

 俺も、他の受験生も、突然の音に、ドアの方向を振り向く……

「……」

 視線の先のものに、男女問わず、一瞬見惚れた。

 引き戸に手をかけているのは、160センチもないだろう小柄な痩せ型の体に、肩に当たるくらいまで伸びた黒髪、小さな顔に、冷たい印象を与えるが、整った各パーツ、それらは全て丸みを帯びて、一瞬、なんて綺麗な女の子だ、と思うような、花のような美少年だった。


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