Kind
「心にもないことを言うのならやめてくれ。僕は・・・・・・」
「もしあなたが、あなたの言うとおり、最低の人間だったとしたら」
彼女の声が、気丈に僕の言葉を遮った。
「サクライくんは、きっともうとっくに、誰かを壊していたんじゃないかな?」
そう言った彼女の声は、とても優しい響きを帯びていた。
「そういう事を考えていたあなたは、必死に私や、皆を傷つけないように、守ってくれていたのよ。あなたが私達を憎んで、既にそんな人間になっていたのなら、そんなことはしないでしょう」
「……」
「辛いことばかりだったあなたが、どうして、他人の気持ちなんかどうでもいい、って、考えなかったのかな?」
「……」
――何故だ? 何故僕は、他の人間に、あそこまでして、本心を隠した?
タカハシ・ミズキに、自分の思いをぶつけるのをためらった?
今、こうして、彼女に僕の思いをぶつけるのに怯えるのは……
その時、僕の耳に、僕自身とは別の嗚咽が聞こえた。
僕は目を開けて――寝返りをうって、彼女を見る。
彼女は、僕の方へ首を向けて、涙をこぼしていた。
「あなたは、優しい人。人を傷つけようと思っても、傷つけられない人。それを、本当に感情を放棄するまで捨てられなかったの。だから、辛かったのよ」
「……」
「あなたは、優しいの。そうしているのは、あなたも誰かの優しさを求めていたの。でも、それでもあなたに優しくしてくれる人が、長い間、現れなかった。あなたはそれでも、自分の欲しがった優しさを、人に与え続けたのね。だから、あなたの優しさは、とても痛い……冷たい顔で、冷たい手で、いつも人にあたたかな心を渡していたの。自分が求めている者を、人に渡していたの」
「……」
「でも、あなたはそれを捨てることはないの。いくら人から冷たくされても、あなたも人から何かを奪う力を持つことはないの。あなたはそんな生き方をすることはないの」
「……」
僕が優しいかどうかなんて、わからない。
だけど……
誰かのぬくもりを、病的に求めていた。それは彼女の言うとおりだと思う。
タカハシ・ミズキに抱きしめられた時も、そのぬくもりがいけないこととわかっていても、抵抗出来ずに……ミツハシ・エイジに殴られて、気絶した時も、夢の中で誰かに救いを求めていた。
そして、今も……
彼女の優しさを求めている。実に余裕もなく、実にカッコ悪いけれど。
「偽善だよ。最低の自分を隠そうとして、嘘を突き通したんだ」
「ううん、違う」
彼女は僕の弱い思いを否定する。
「サクライくんは、海のような人」
「――海?」
「そう、深海」
「深海……」
「知ってる? 海の底は、日の光も届かない。真っ暗な世界。暗闇に閉ざされた、、死の世界――なのに、命はそこで生まれたの」
「……」
「一見真っ暗な世界でも、そこには光が届かないだけ。あなたと同じ。光が届かなかっただけで、あなた自身がもう死んでいるなんて、考えないで。あなたの真っ暗な心も、ちゃんと何かは生きているの。まだ、あなたは生きているの」
「……」
それを言うと、僕の背中に、こつりと何かが当たった。滑らかな曲線を感じて、それが彼女の額だと認識する。
「そして、あなたはもう、光を手にしているの。あなたの優しさに惹かれた人――親友」
「……」
ユータ――
ジュンイチ――
――話したい。
あいつらにも、言わなくちゃいけないこと、これからしたいこと……いっぱいある。
もし、こんな最低な僕とでも、まだ一緒にいてくれるなら……
また一緒に、サッカーをしたい。くだらない事を、喉が潰れるまで話したい。どこかに出かけて、一緒に酒を飲んで……それから……もっともっと。
あいつらと、笑い合いたい。
今までは無理だったけど……頑張りたい。頑張ってみたい。
「そして……あなたはもう、暗い海の底から出る力を持っているわ。あなたはもう、暗い家――ひとりぼっちの部屋にしか居場所がない人じゃないの」
「……」
僕の『居場所』――
「あなたが、家族に否定され続けても、あなたの事を、肯定してくれる。それももう、あなたは持っているの」
「……」
「私は……」
背中越しの声が、一度沈黙する。緊張を飲み込むように、彼女の深呼吸が聞こえた。
そして――
「私は……こんなちっぽけだけど、あなたのこと、大好きだから。あなたがもし、誰かに否定され続けても、あなたが言葉で安心するまで、ずっとあなたを肯定する。それだけは出来るよ」
「……」
そう言うと、彼女は僕の背中に手を当てて、くっついてくれた。
「言葉でも、何でも、あなたが目を覚ますまで、あなたが最低な人間じゃないって、伝え続けるわ。あなたが信じられないなら、あなたが安心するまで……」
「……!」