Lie
「何を言ってるんだ? 君は」
「ほら、そうやってまた、自分を隠す」
「……」
逃がさない。彼女は、僕を逃がしてはくれない。
「たまにあなたといると、私は誰と話しているのかわからなくなる。もうわかってるの。あなたには、本当のあなたと、嘘のあなたがいる」
「……」
僕は、彼女の死角になっている左手で、ベッドのシーツを握り締めていた。
まずい。まずいまずい。
そんな単純な言葉が生成されて、反射的に体に警告を発令する。
「あなたも、苦しんでいるんでしょ? それを、嘘で隠してる。心を殺しても」
「違う」
僕は即座に声を上げていた。
「君の、勘違いだ」
目を背ける。
「私の話を聞いて」
彼女は言う。
「……」
僕は知っている。彼女は自分の意見をあまり言わない。
だから、こうして自発的に動いた時の彼女の意思は、誰にも覆せない事を。
だけど……
彼女は、僕の本性なんかを見ちゃ、いけない人なんだ。
見せたら、きっと僕は、彼女を……
「――また、次の機会じゃ駄目かな」
僕は逃げた。彼女がここまで僕の本性に気付いていたなんて、考えていなかった。必死で隠していたはずなのに。
だから、心の整理をつけたかった。
「今じゃなくちゃ駄目なの」
シオリの、戒めるような声がした。
「今日のあなたじゃなくちゃ、届かない……感情を殺していたサクライくんが、やっと今日は少しだけ、本当の姿を見せてくれた。だから、今じゃないと、また元に戻ってしまう」
「……」
「あなたも、元に戻りたくないんでしょ? 一人になったら、元に戻ってしまう。だから、私なんかとこうして、終電も超えて一緒にいる――そうでしょ?」
「……」
駄目だ。逃げられない。
もう、聡明な彼女は全て見抜いているんだ。僕の中の闇の存在に。
だけど……
「何でもないんだ!」
声が荒くなった。
僕の本性――怒りや憎しみが作り出した攻撃性。
本当の僕はこうなんだ。弱くて、卑屈で――人をいたぶって、いい気分になりたがる。
僕は、あの家族と同じなんだ。暴力で人から搾取する事を、求め出している――
「……」
僕は彼女の顔を見れない。何もしていないのに、息が上がっていた。
「別に責めているわけじゃないの。ただ、辛いなら……
」「何でもないって言ってるだろ!」
彼女の言葉を待たずに、怒声で声を掻き消していた。
次の瞬間、憤りをぶつける場所を探して、僕は開いていた左手を振り上げていた。
だけど……
怒気をはらみ始めた僕の体を、そのままシオリは両手で抱きしめた。
「……」
その瞬間に、僕は振り上げた腕にかかる力の全てが消失して……
そのまま、体の全ての邪気が消えてしまった。それだけでなく、体にかかる、余計な思いや力も……
残るのは、彼女の心地よい体温と、洗ったばかりの髪から香る、シャンプーの香りだけだった。
僕の体の力が全て消えたのを確認して、彼女は腕を解く。
そして、見つめ合うまま、僕の右手をもう一度握った。
「私は、あなたが今何に苦しんでいるか、まだわからない。でも……今はあなたのそばにいるから。今の私は、そんなことしか出来ないけど……」
「……」
恐かった。彼女に危害を加えそうな自分の本性が怖かった。
彼女が僕の姿に気付いていても、これを、はいそうですか、と見せるわけにはいかなかった。
僕は、彼女のことが好きだ。
そんな僕が、彼女をこの手で切り裂き、メチャクチャにしてしまうなんて……
そんな悲しいことはない。
彼女を失いたくない。
だから嘘を突き通すしかなかった。
そうして、彼女が諦めてくれるのを待つしか……
嘘を突き通してまで、彼女と愛を語るつもりはない。僕はこのままでは、彼女を幸せには出来ない。
だから、彼女に真実は見せられなかったのに……
「――落ち着いた?」
彼女は、気丈に笑った。大胆な事をしたことに、えへへ、と笑っていた。
「――ああ」
抜け殻のような声が出た。
「……」
僕はどこへ向かうのだろう。
今までだって一人で何とかやれてきた。今だって、やろうと思えば一人でなんだって出来る。
だけど今は……
彼女がいないと、僕はどこへも行けない気がしている。
僕は、弱くなっているのだろうか……
彼女の温もりを感じると、いつだって、その思いが去来する。
僕は、彼女の温もりを……知って、よかったのだろうか。
いつか、一人で立てなくなったら、どうすればいいのだろう。
僕は、彼女に合わせる顔に困って、目を背ける。
「何で……」
僕の弱々しい声。
何でここまでしてくれるんだろう。僕なんかのために。
家族でさえ、僕に対しては、何も与えてくれず、ユータやジュンイチのような友達にさえ、何かを与えてもらう事を僕が拒否しているせいで、そんな経験はない。
誰かが、僕に何かを与えてくれるなんて、考えたこともなかった。
「どうして僕に、ここまでしてくれるの?」
素直に、それを聞いていた。
すると彼女は、これだけ言った。
「あなたが、好きだからよ」




