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Myself

「サクライくんって、慶徳中学にいたんだよね?」

「え?」

 僕は一瞬固まる。

「そうだけど……」

 慶徳中学は、僕が通っていた私立中学だ。

 中高一貫で、慶徳高校は東大進学者数で常に日本の高校のトップ3に入っている、トップ10常連の埼玉高校よりも、更にワンランク上の高校だ。

 しかし、慶徳高校に上がれるのは、慶徳中学のトップ4割のみで、それ以下は、一般入試を受けさせられる。高校から入った外部生は、中学から上がった付属組に勉強でついていけず、1年生での退学者も20人は出るという、恐ろしい高校だ。

 修学旅行さえ成績順で待遇が変わる。トップ10は修学旅行先までの飛行機は、ビジネスクラスで行け、お小遣いまで学校支給といった具合だ。教師達はそれくらい、僕達の成績にしか興味がなかった。そんな優遇をするため、成績下位者はただの学校の金づるとなってしまい、馬鹿高い学費の割に、ろくに面倒を見てもらえなくなる。

 僕はその中学で、学年トップを3年間張っていて、成績トップのみに与えられる、学費半額権を守り抜いた。正直きつかったけれど、僕は学校の中で最も生活水準が低い家の生まれだったことで、同世代の友人に、環境の差で負けたくはなかった。それに、中学に入ると、自分達の見得のために、僕に勉強を強制したくせに、親には毎日のように、高い学費の事を何だかんだと言われたし、それから逃れるために勉強した。

 他の特典も全て受けた。だけど僕は修学旅行などに参加しない分、特例で、学食1年間タダ券に変えてもらった。

 そんなだったから、僕が慶徳高校の進学を拒否した時は、かなり教師に慰留された。しまいには、ドロドロになって、教師達に、落伍者、腰抜けなんて言われた。

「じゃあ、小学校の頃は、すごい勉強したのね」

「――まあ、そうなるかな」

 週6回塾に行っていた上、学校が終わると、親が塾へ連れて行くために車をつけていた。そんなだったから、友達なんて一人もいなかった。

 その頃には小学校でいじめにあっていて、僕は既に力に取り付かれていた。中学に上がっても、更なる力を求めて、勉強漬けだった体を鍛え抜いた。

「じゃあ、昔はサクライくんも、授業もサボらずに、真面目に勉強してた時期があったの?」

「――想像出来ないか?」

「うん、全然……」

 彼女は少し笑みを浮かべる。僕の学校での素行では、そう思われても仕方ないけれど。

「悪いけど、僕には語れるような過去なんかない」

「うん、わかってる。誰にも話してないみたいだし……無理には聞かない」

「……」

 あれ? でも、何で彼女は、僕が慶徳中学に行っていることを知っているんだ? 誰にも――ユータ達でさえ、中学は私立だった、というだけで、話したことはなかったのに。

 そんな疑問が聞こえたかのように、シオリは話す。僕達のつなぎ合う手を見つめて。

「私、あなたを知ったのは、あなたがサッカー部に入る時に、イイジマ先生に走らされていた時だったの。学校中で、あの恐いイイジマ先生に真っ向勝負を挑んだって、吹奏楽部の部室で、先輩達が注目してたから」

「……」

 前にも話したが、僕は中学時代、サッカーではなく、野球をやっていた。サッカー部顧問のイイジマは、野球からサッカーに転向するのは、坊主頭が嫌だとか、サッカーの方が女の子にもてそうだとか、そんな不純な理屈であることを許さなかったため、僕に決意を示せ、ということで、グラウンド100周を命じた。毎年そんなことを続けていて、ぶっ倒れる1年生が出ているため、もはや学校の名物の一つとして、確かに見物客が山のようにいた。

 そうか――彼女は音楽室から、あれを見ていたんだ。

「あなたがそれをクリアしてすぐに、うちの顧問のタカヤマ先生が、あなたのことを、噂の問題児、って教えてくれたの。放課後、あなたは彼とこの3年間、比較されることになるって、あなたの事を教えてもらったの。入学式の新入生代表挨拶を断った経緯も」

「……」

 そういえば、彼女は僕にも新入生代表の話が来ていたのを知っているんだったな。その時に聞いたのか。合宿の帰り道に、同じ事を彼女から聞いていた気がする。

「はじめ、私は、その、比較される、って言葉の意味を、成績のことだと思ってた」

「……」

「サクライくんも、そういう勉強付けの毎日があったのなら、私と似てるのかな、って。同じ悩みを持っていたりしないかな、って、はじめ、思ってた。でも違った。私達は成績じゃなくて、その素行で比べられていたのよね。クソ真面目な私と、教師に逆らって、自由に振舞うあなたと」

「……」

「私ね、妹と弟がいるの。中2と、小5」

 急に話が飛んだ。

「3人も子供がいて、両親は共働きだから、私は、ずっとお姉さん役だったの。でも、それが嫌だと思ったことはないの。お父さんもお母さんも、私には優しかったし、だから、私はお母さん達の負担をちょっとでも減らしたくて、一生懸命勉強して、私の心配をしなくてもいいようにしよう、って思った」

「――優しいんだな」

「……」

 彼女は、そういうタイプの娘だ。彼女からは、幸せな家庭でのびのび育った、そんな日向の縁側みたいな、あたたかでのんびりした雰囲気がある。 だから、彼女が次に考えることも、大体想像がつく。

「そうしているうちに、いつの間にか高校生になってしまった。でも、高校生になって、ずっと家族のために頑張ってきたから、この先、自分がどう生きたいか、っていうビジョンが浮かんでこない……自分の価値がどこにあるのかわからない……ってところか?」

「何でわかったの?」

 シオリは目を見開いて、僕の横顔を見る。

「僕も昔、同じ事を考えたからさ」

「……」

 僕の場合は、小学校の旧友や、家族への復讐のためだ。復讐心にとらわれて、目的のないまま力を求め続け、今でもその力の向け場や意味を見出せていない。 だけどそれ以前に、荒れる家庭の中に、少しでも光を与えたくて、自分の意志とは関係なく勉強をしていた時期があった。ただ単に、家族があれ以上荒れるネタを作りたくなかったんだ。

 彼女は、僕と自分が似ていると思ったのは、無理もない。

 僕達は、過去と現在で、同じ思いを抱えた経験があるんだ。

「私は……」

 シオリは一度溜め息をついた。

「何だろう。今までは、家族のこと、大好きだから、それでもいいと思っていた。今でも、家族が私のこと、誉めてくれたり、私を自慢してくれるのは嬉しいの。だけど――その反面で、自分の意志がひどく薄弱になっていることも知っているの」

「……」

「まるで……自分自身が、何のために生きているのかも、わからなくなってくる……私は、私を形作るものを何も持っていない。そう、まるで、意志を持たない人形みたいだって……」

「……」

 彼女は、僕の手を強く握る。

 きっと、自分が消えてしまうのではないかという感覚と、戦っているのだろう。

 彼女は、自分の生きる意味を、自分ひとりでは証明できないのだ。

 家族の事を愛しているという思いと、それだけの自分でいいのか、という思いの狭間で葛藤している。だからアイデンティティが揺らいでいる。このつないでいる手で、誰かにつなぎとめてもらわないと、消えてしまいそうなくらいの存在価値しかないと思っている。

 長年自分を抑える生き方をしていたことで、わがままに振舞うことも出来ない。つまり、自分を表現できない。彼女は自分を殺してでも、誰かに喜んでもらえる喜びを取ってしまったのだ。

「自分が、嫌いなのか?」

 僕は聞いた。

「大嫌い」

 シオリは呟く。

「嫌いというより、無価値かな……いてもいなくても、どっちでもいい、みたいな」

「……」

 そう言い直す彼女の顔は、とても悲しげだった。その顔を上げ、僕を見る。

「サクライくんは、そういうことはないの?」

「……」

 そういうこと――つまり自分の存在価値がわからなくて、生きていても死んでいてもどうでも良くなる。消えてしまってもいいとさえ思う時。

「あるよ。誰だってあるんじゃない?」

「それって、どんな時?」

「多分、君と同じだよ」

「そうかな」

「一緒に言ってみるか」

 一呼吸置き、せーの、と号令をかける。

「自分に見切りをつけたい時」

 見事にハモる。

「お」

 僕は声を出す。

「同じだったね」

 と言っても、お互いニコリともしない。自分の絶望を味わう瞬間が合っても仕方がない。

「本当、自分の弱さに嫌になるわ……」

「……」

「だから、私はサクライくんが、ずっと羨ましかった。学校や先生にも平気で逆らうし、その反骨を貫けるだけの意志の強さも、行動力も、向上心もある。それは、私にはないものだったから」

「――随分誉められたな」

 僕はふっと息をつく。

 でも――でもね――

「でもね、僕はちっとも人として正しくなんかないんだ。他の誰よりも、ずっと」

 そんな言葉が、僕の口を突く。

 彼女のような、清い心を持った人が、僕なんかにそんな事を思ってはいけないと思ったからだ。

 僕の心は、いまだどす黒い絶望と怨念に支配されている。周りの人間に憤りを振りまいて、世界を呪うだけが僕の本質だ。僕なんかの真似をさせて、彼女の今の笑顔を曇らせたくはなかった。

「……」

 沈黙。

 その沈黙の間、ベッドの縁に背を預けるシオリの目は、ずっと僕の目を捉えていた。

 まるで、僕の心の奥までをのぞくように。

「どうしたの?」

 僕は聞く。半ば彼女の真剣な目の迫力に気圧されて。

「でも――そんな私の認識が間違っていたって、最近、考えるようになったの」

「え?」

「あなたは、自由なんかじゃない。自分が間違っているを自分で思っていても、そうして生きるしかないだけ……間違った道と分かっていながら、その道を進むことで、あなたも苦しんでいるんじゃないか、って。最近、思うようになって……」

「……」

 一瞬、心がズキッと激しく痛んだ。

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